徒花ステイルメイト

*このお話は「そこはかとなく、」をお読みいただいてからご覧ください。



「総司…」
そう呼んでしまった瞬間に、はっと我に返った。
それまで無我夢中で…いや正直に言えば、かつて江戸でそして都でも評判をとっていたという陰間に翻弄されていた。本人は「もう陰間じゃない」と繰り返したが手慣れた手練手管は健在で、まるで長年連れ添った念者のようだった。
けれど、そんな彼を目の前に俺は違う人間を夢想していた。女のように柔らかい肌の感触も、あたたかい唇も。
俺の手に入らない、
俺の手に届かない、
近いようで、とても遠い彼のことを――考えていた、重ねていた。
彼の名を口にしてしまったことで、それは目の前の彼…英(はなぶさ)はもちろん気が付いてしまったはずだ。自分は彼の代わりにされているのだと。
(怒るだろう…)
俺はそう思った。二人は決して親しいとは言えない因縁の仲だ。寄りにもよって彼の代わりにされるなどと、英は憤慨するに違いない。
けれど目の前の英は一瞬目を丸くして驚いたが、そのあとはうっすらと微笑んだだけだった。それは苦笑いともいえる表情で、諦めとどうしようもなさと…少し悲しみが混じったような、そんな複雑な顔をしていた。
英は俺の手を引き寄せた。そして耳元でささやく。
「もっと…ちょうだい」
甘く蕩けるような声。彼はまるで何も聞いていないという素振りで、俺の首に腕を回して抱き寄せた。どうしようもない泥沼に嵌っていくように――。




季節が秋めいた、昼下がりの甘味処。
「噂になってるよ。新撰組の組長さんのこと」
俺の目の前に座る英は肩肘をついて頬を乗せ、もう片方の手で善哉をつつく。行儀が悪いと謗られそうだが、儚げで美しい青年がそうしていると絵になってしまう。
「…どういう噂だ?」
「色々。人妻を誑かしたとか、旦那を殺してものにしたとか、心中するつもりだったとか…まあ、新撰組をネタにした噂なんてたくさんあるけどね」
英はそう言って笑ったが、俺は深いため息をついた。
新撰組四番隊組長の松原忠司が副長から恋人のなつとの関係を責められ、切腹をはかったのは数日前のことだ。幸いにも命は取り止め、彼には平隊士への降格という処分は下されたけれど、彼が処分されたからと言って人々の噂は止められない。
(いっそ切腹を命じられた方が楽だっただろう…)
すっかり生気のなくなった松原を見ているとそんな気になってしまう。
それに先日、沖田とともになつともとに訪れた。なつは松原が自分の旦那を殺した新撰組隊士だと知っていて恋人同士になったのだと悪びれもなくあっさり口にした。手切れ金を渡し松原との関係を断つように伝えたがそのつもりはないと宣言した…それが彼女の復讐なのだと。
「切腹の傷口は深くないって、先生も言っていたから問題はないと思うけれど」
「大体、どのくらいで塞がる?」
「話を聞く限り、半月くらいかな」
英は相変わらず善哉を頬張りながら答えた。
医者の卵として南部のもとで学ぶ英は、どうやらもともとその才があったようで医学所の中でも優秀な弟子のひとりとなったと山崎から伝え聞いている。松原の容態についてあっさり診断がつくというのも、彼の秀でた才能故だろう。
(これからどうなるか…)
傷口が治っても、元の通りとはいかないだろう。
俺は思案を巡らせたが、これから起こることなどわかるはずもない。特に色恋は人の常識を覆す…そう思うと考えるだけ無駄なことのような気もした。そんな俺の逡巡など知る由もなく、目の前の英は暢気に善哉を口に入れた。
夏の終わり、俺は英と一夜を共にした。それにはどうしようもない理由があったのだが、なぜかその後もこうして時折会っている。場所は様々で彼が学ぶ南部先生宅の近くや居酒屋のような騒がしい場所の時もあるが、今日は「甘いものが食べたい」という彼の誘いで仕方なく甘味処に足を延ばしたのだ。
英は善哉を食べ終わると手を合わせた。
「御馳走様」
「…満足したのか?」
「うん。次は斉藤さんの好きな居酒屋でも行こうか?」
俺は隊内では「蟒蛇」と揶揄されるほど酒に強いが、英もまた酒に強くいくら飲んでも酔わないのだと言っていた。それは幼いころから陰間として酒を口にしてきたせいもあるだろう。今のところ俺に付き合って酒が飲めるのは英だけだ。なので辛いもの好きかと思いきや、彼は甘味も好んで食べるらしい。甘いものを前にした満足げな表情は子供のようで、少し沖田に似ていた。
(…いや、似ていない…)
それは妄想でしかない…俺は自分に言いきかせた。
「斉藤さん?」
「…いや、今日は夜番だ」
「そうなんだ。残念だな」
英は目を伏せて心底残念そうな顔をした。
彼の顔半分に残る火傷の痕は今でも痛々しく残っていたが、俺にとってはそれもまた彼の一部であると自然と受け入れることができた。本人もまたこれまでその整いすぎた見目のせいで翻弄されてきたらしく、「せいせいした」と清々しく語っていた。それに火傷の痕があってもその目立つ見目は変わらない。
「出よう」
俺は席を立った。もともと甘いものが苦手な俺にしてみれば甘味処に居るというだけで苦痛なのだ。そんな俺のことを知っている英はくすくす笑いながらも同じように席を立った。
秋の空の合間から差し込む陽の光は未だに夏の名残を残している。その強い光が地面から反射して、うっすらと陽炎ができていた。
「暑いね」
英は髪を掻き上げるように持ち上げた。少し汗ばんだ横顔は俺にあの夜のことを思い出させる。
あれ以来、英と寝ていない。それどころかあの夜を示唆するようなこともなかったし、彼から誘われることもなかった。まるで何事もなかったかのような、友人関係だ。
今の俺は一晩限りの夢を見ただけだと思っている。英を抱きしめながら、想いの届かない彼を夢想する…あの夜はそんな弱い自分を英の前に曝け出した、振り返ると醜態としか言えない時間だった。だから英の素っ気ない態度は有難いものだったが、同時に言いようもない罪悪感を覚えていた。だからこうして彼の呼び出しに応じて友人のように会っているのかもしれない。
(何故だ…)
その答えが出ない。いや、答えを出すことすら億劫なのだ。
「じゃあ…」
俺が別れを告げようとするが、英は「そうだ」と言い出した。
「縁談」
「…は?」
「縁談話は聞いた?」
英は時折、脈絡もない話し方をする。俺が言いかけた別れの言葉を塞いだのはわざとなのか、それはわからない。
「…何の話だ?」
「そうか、聞いてないんだ」
「誰の縁談だ?」
「沖田さん」
「な…」
まさかその名前が出てくるとは思わず俺は素直に驚いた。そんな俺を見て、英はからかうように笑った。
「…っ、冗談か?」
「冗談じゃないよ。近藤局長に頼まれたとかで今、南部先生が相手を探してる。会津藩医だからそれなりの伝手もあるだろうし、何だったら松本先生の縁もある。今頃良家の娘さんでも見繕っているんじゃないかな」
「……」
嘘だ、と思った英の話に近藤局長や松本先生等の名前が出てきて信憑性が増し、それが本当なのだと思い知らされた。
英の背中で陽炎がゆらゆらと揺れる。柄にもなく俺の首筋に汗が伝う。
(きっと…俺のものにはならないのだろうと思っていた…)
彼は親愛なる兄弟子とともにこの先を歩んでいくのだろう、と。俺は彼の後ろでその背中を見ながら追いかけて、たまに倒れそうになるその背中を支えていくだけ。傍に居られるのならそれも悪くないと思っていた。
だが、縁談が為ればその彼の横に見も知らぬ女子が寄り添う。それを想像するだけで…言いようもない感情が込み上げてくる。
俺の一番大嫌いな、感情が。
「…なぜ、俺に言う?」
俺は強く英を睨みつけていた。いずれ公になるかもしれないことだが、決して知りたい話ではなかった。それを英はよく知っていたはずだ。
けれど彼は微笑んだまま続けた。
「斉藤さんだから言ったんだよ」
「…」
「理由は、言わなくてもわかるでしょ」
飄々と語る英の瞳の奥に、何かが宿る。
『総司…』
あの夜、英のことをそう呼んだ時に同じ顔をしていた。瞳の奥が昏く陰る――しかしそれをすぐに隠して彼は笑った。
「じゃあ、また」
そんな気軽な挨拶で、片手をあげて背中を向ける。
その姿が陽炎に消えていった。






>>