徒花ステイルメイト

*このお話は「そこはかとなく、」をお読みいただいてからご覧ください。



暑さを残した秋から、冬に近づく風が吹き始めた。
時が過ぎた今、英からの手紙は途絶えていた。最初は彼が「手紙を寄こすな」という俺の言葉に素直に従うとは思っていなかったが、あれから何の音沙汰もない日々が続いている。
(これでいい)
英が新撰組に害を与える存在ではないとわかった以上、彼に関わる必要はない。ようやく安寧の日々が戻ってきたのだと俺は割り切っているつもりだったが、なぜだかあの時感じた苛立ちだけは残っていた。
『また俺と寝てみる?』
彼は陰間である自分と決別したはずなのに、なぜそんなことを言ったのか。俺はそればかり考えていた。
「おはようございます。斉藤さん」
朝餉を終えたあとの稽古の当番は、俺と沖田だ。稽古着に着替えた彼が声をかけてきた。
「ああ…寒いな」
「そうですね。でも朝から汗を流して体を温めると頭がすっきりします」
「そういうものか?」
「そういうものです」
沖田はそう笑った。
俺たちは並んで壬生から移築した稽古用の道場に向かった。
「…そういえば、伊東参謀の話は聞いたか?」
「ええ、馴染みの方を身請けされて別宅を構えるとか。相手の方は相当可愛らしい方だそうですね」
「知らないのか?花香太夫という。伊東参謀のあの顔だから、島原では前々から評判の二人だった」
「へえ…斉藤さん、詳しいですね」
「有名な話だ」
女関係に疎い沖田は伊東参謀の馴染みなど知っているわけもない。彼は小さくため息をついた。
「土方さんは敵の拠点が増えるだけだとか、相変わらず伊東参謀を敵対視しているようですけど。でも、反論する理由も言葉も見つからなかったみたいで、まあ不承不承という感じでした」
「それはそうだろうな。近藤局長や原田さんの例があるのだから、拒むことはできない」
「悔しそうでしたけどね」
沖田は苦笑しつつ、続けた。
「…ああ、原田さんといえば夏頃に生まれるそうですよ」
「ふうん」
「楽しみですよねえ。原田さんの子供、なんてどんなやんちゃな子が生まれてくるんでしょう」
沖田は嬉しそうに笑っていたが、原田さんの子どもとは言えども俺の興味のそそる話題ではない。しかし、
「やんちゃとは限らないと思うが…近藤局長はあんたにもそうなってほしいと思っているんじゃないのか?」
と問いかけてしまった。沖田がどんな反応をするか見て見たかったのだ。
すると沖田はしばらく首をかしげて、
「…ああ、もしかして見合いの話ですか?」
と言って困ったように続けた。俺が知っているということに驚いたようだ。
「まったく…どうしてそんなに早く話が広まるんですかね」
「紋付き袴を着て、局長と二人で芝居に行ったと聞けば大抵、察しがつくものだろう」
英から聞いたとも言えず、俺は当たり障りのない返答をした。
「…じゃあ、寸前まで察しがつかなかった私が馬鹿みたいじゃないですか」
「そうかもな」
「見合いは受けましたけど、私にはそのつもりはありません。皆にもそう言っておいてください」
沖田のきっぱりとした返答に、俺は「ああ」と短く答えたが、内心自分の苛立ちが収まっていくのを感じた。女との色恋沙汰に興味がない彼の姿をみると安堵してしまう…彼は縁談など受けずに土方副長とともに生きていくことを選ぶのだろう。それはそれで忸怩たる思いはあるが、どこの誰とも知らぬ女を迎えられるよりはましだ。
『安心した?』
英のあの日の問いかけが耳を掠める。
(うるさい)
と俺は心の中で言い返す。
そうしていると道場に辿り着いた。まだ稽古前のはずだが勢いのある声が響いていた。
「…あれ?もう稽古が始まっているのかな」
沖田とともに道場に顔を出す。すると数名の隊士たちが食い入るように、撃ち合う二人を見つめていた。一人は沖田の組下である島田、そしてもう一人は
「土方さんっ?」
沖田は思わず声を出して驚いた。俺もまさか土方副長とは思わず目を見開いていた。
二人は真剣勝負で撃ち合っている。土方副長よりも体格の大きな島田だが、土方の勢いに押されて守りに徹していた。激しい竹刀の音と特徴的な副長の声が道場に木霊していた。
「沖田先生、斉藤先生、おはようございます」
「山野君、どうしたんです今日は…?」
「わかりません。土方副長が突然いらっしゃって…稽古が始まるまで付き合えと、島田先輩に」
「へえ、珍しいなあ…朝が弱いからいつもこの時間は寝ているのに…」
沖田が組下の山野と話している横で、俺は試合を見ていた。
天然理心流とは少し違う型を身に着けている副長の剣筋は荒々しい。俺からすると危うい場面もあるがそれを即時の判断で交わしていく…そんな彼の器用さが滲み出ている剣術だ。それは試衛館に居た時から変わらない。
俺が試衛館に居たのは半年にも満たない期間だけだ。芹沢との確執から試衛館を去ったが、その短くも充実した日々は俺の人生の中でも数少ない輝かしい時間だ。
環境は変わったが、仲間と言える人々の場所に今もいられる。
(…案外、それだけで恵まれているのかもしれない)
そんなことを考えていると、副長と島田の試合が終わった。最後は副長に押し切られるように島田が尻餅をついてしまったようだ。
俺と沖田が来ていたことに気が付いていなかったのか、副長はバツの悪そうな顔をした。
「もう来ていたのか」
「はい。珍しいですね、朝稽古は昔から嫌いじゃないですか」
「ふん…そういう気分だっただけだ。…汗を流してくる」
副長はそう言って道場から出ていく。自身がここにいることで道場に緊張が走っていることにはもちろん気が付いていたので、早々に姿を消したのだろう。そのおかげでようやく稽古を始める空気になったが、沖田は
「斉藤さん、ちょっと稽古を任せていいですか?」
と申し出てきた。土方副長を追いかけるのだろうと思った。
「…ああ」
「すぐに戻りますから」
沖田が去っていく姿を見ながら、俺は(これでいい)と思った。
焦燥感はある。どうして自分のものにならないのだろうという気持ちは確かにこの胸に。けれど、沖田と土方副長が並んで生きていく姿は何にも代えがたい稀有なものに見えるのだ。それは二人が歩んできた道を知っていて、この先の険しい未来さえ予感しているからかもしれない。
(俺は報われたいわけじゃない)
綺麗ごとなのかもしれない。
『言葉にするよりも、意外に沢山のことがわかるものだよ』
「…うるさいな」
俺は脳裏に過った声を振り払うように竹刀を持った。



そのまま立ち消えになるかと思った見合い話は、それからも続いた。隊内でも彼の縁談を囃し立てるように噂が流れていた。
十一月のある夜。夜番を務める一番隊と三番隊は巡察を終え、屯所へと歩いていた。
「それで、見合いはどうなったんだ?」
先頭をお互いの伍長に任せ、俺が尋ねると沖田は「は?」と目を見開いた。
「いつまで経っても話が進まないから、近藤局長が痺れを切らしているという話だったが」
「…斉藤さんまでそんなことを聞かないでくださいよ」
「明確な答えを出さないのが悪い」
と俺は言い捨てた。彼は返す言葉がなかったようで「おっしゃる通りです」と返答するしかない。だが実際にその噂に過敏に反応しているのは俺の方だ。
近藤局長は未だに沖田の見合い相手を見繕っているとのことで、松本先生や南部先生に紹介してもらっているようだ。俺はこのまま沖田が断り続ければいいと自分勝手に思っているのだが、彼は少し疲れているようだった。
「先生を納得させられるような上手い理由が思い浮かばないんです。近藤先生はその…土方さんとのことと、見合いは関係ない、良い人と夫婦になり沖田家の血筋を絶やさないことが大切だと繰り返すばかりで…」
「それは仕方ないだろう」
と俺があっさり肯定したので、彼は驚いたようだった。
「…意外です。斉藤さんはきっと、血筋とが家柄とかそういうのは気にしないと思っていたのに」
「確かに俺自身はそういうことに興味はない。家から勘当されているような身だ。それに家族なんていずれ荷物だと感じるだろうし、もともと子供が好きではない」
「だったらどうして…」
「俺が仕方ないと言ったのは、近藤局長があんたに身を固めてほしいと望むことについてだ。局長からすれば弟も同然なのだから、それを世話したいと思うのだろう」
「…」
近藤局長が沖田のことを家族同然に思いやっているのは知っている。だからこそ、良い家柄の嫁を貰って安泰な暮らしをしてほしい…そう願うのは当然と言えば当然だ。その事実を否定するつもりはない。そんな近藤局長の気持ちを沖田も無碍にはできないのだろう。彼は小さくため息をついた。
「こう…自分の気持ちが上手く言葉にできないんです。それに姉が近藤先生に頼んだようで、そのことが余計に近藤先生に拍車をかけているんでしょう」
「それだけではないだろう。おそらく己の身に万が一何かあればと考えているはずだ」
「己の身…?」
「聞いてないのか?」
沖田があまりに茫然としているので、俺は口を滑らせてしまった。
「聞いてって…何をですか?」
「近藤局長が長州に行くという話だ。副長は何も言っていないのか?」
「…近藤先生が、長州に…?」













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