徒花ステイルメイト

*このお話は「そこはかとなく、」をお読みいただいてからご覧ください。




近藤局長らが都を出立し、長州へ向かってから数日が過ぎた。
当初は局長の出張に反発していた沖田もようやくそれを受け入れて快く見送っていた。局長を信じるからこそ、笑顔で見送らなければならない…そういう覚悟を決めたのだろう。
しかし、一方でその顔色は未だに冴えなかった。
(原因とも言えるのはおそらく縁談のことだろう…)
そう察しはつくが、俺は彼には何もいうことはできなかった。出立前、近藤局長は早急に彼の見合いを進めようとしていたことは気にかかるが、彼自身が答えを導き出さない限り、俺にはどうすることもできない問題だと思っていた。
それに加えて俺には気になることがあった。
「…いない、か」
俺は鴨川にかかる橋の欄干から、なんとなく土手の方へ目を向けていた。そこは先日、英と顔を合わせた場所だ。あれから今日のような非番の日や巡察の合間に足を伸ばしたが、あの日以来彼に会うことはなかった。
「…」
自分でもなぜ、英のことを考えているのかわからなかった。
彼はかつて陰間だった頃の客にしつこく言い寄られ南部先生の医療所を離れていると言っていた。彼はそれを『自業自得』だと言いつつも迷惑そうにしていたが、その男を拒むことができず、かつての陰間である自分と決別しきれない自分を嘲笑っていた。
もう自分を安く売ったりはしない…けれど。
(だったら…なぜ、俺と寝たんだ…)
江戸の知り合いの男に絡まれ、ふとした事情があって彼と寝た。そこには愛情など微塵もなく、かわいそうだという同情と即物的な欲望しかなかったけれど彼はそれっきりにはせず、その後も俺と何度か会った。
(何を…考えているんだ…)
彼が見えない。
「斉藤せんせ?」
橋の上で立ち止まっているとふと声をかけられた。俺の名前を知っていて声を掛ける者は非常に少ないので、声を聞いてすぐにわかった。
「…山崎さん」
山崎丞。元々は新撰組の監察をまとめ、土方副長の信頼を得ていたが、今が医学方として南部先生のもとで学んでいる。彼は監察という立場だったので、俺は密に連絡を取り合うことが多く、古巣である試衛館食客たちの次に会話を交わす機会がある人物でもある。
「こないなところで会うやなんて」
「…確かに」
俺は川べりに視線をやっていたが、傍から見れば橋のど真ん中に突っ立っていただけだ。山崎が声をかけてくるのも当然の状況だっただろう。
「往診の途中か?」
彼は白衣に身を包んでいたが、首を横に振った。
「いや、往診は終わって…ちょいと人探しや」
「人探し…」
「斉藤せんせもご存知のやろ。英はんや」
山崎の口から英の名前が出た途端、少し驚いた。彼は神妙な面持ちで続けた。
「ここ数日、医療所に戻ってへん。南部せんせが心配されて…探し回ってるところや」
「往診があれば戻ると言っていたが…」
俺がつい漏らした言葉に
「なんや、やっぱり親しいんやな」
と山崎は笑った。英と時折会っていることは隠しているわけではなかったが、説明が面倒で誰にも話していなかった。うっかり漏らしてしまったのは迂闊だったと、俺は深いため息をついた。
「…やっぱりとはなんだ」
「俺は元監察や。聞きとうなくても人の噂は勝手に耳に入ってくる。新撰組の斉藤一が見目麗しい青年と酒を飲んでいた…なんて話は何度も耳にしたわ」
ははっと彼は軽快に笑う。土方副長の前では賢ぶっている彼だが、その本質は明るく朗らかな大坂人なのだ。俺がどれだけ仏頂面でいようとも彼は構うことはない。
「ゆうても英はんは何にも言わへん。どんな関係かなんて野暮なことは」
「関係などない。あんたもこれ以上は探るな」
「ははー。そう言われると探りたくなるのが人間の性ゆうもんやけど…まあ今回は堪えましょ」
山崎は恩着せがましく軽口を叩く。そしてひとしきり笑った後、その剽軽な顔を潜めて息を吐いた。
「元々は陰間やけどあの人は賢い。俺もそれなりやけど、この短期間に真っ新な状態から知識と技術を身につけてはる。南部先生も期待して御典医の松本先生直々に指導してもろうて…。せやのに、こんなことでその貴重な時間を無駄にするのは勿体ないことやと思うわ」
「…昔の客、ということだったが」
「金貸の次男や。ゆうてももう四十も近いが嫁も貰わず男女問わずに奔放に遊んでるて評判や。…かつては宗三郎の上客やったらしい。今でも相当執着してるようやな」
山崎はおそらくかつての監察の人脈を生かして調べ上げたのだろう。懐から折りたたまれた小さな紙を取り出して、俺へと押し付けた。
「何だ…」
「細かいことはそれに書いてる。あとは頼むわ」
「は?」
山崎は俺に背を向けた。
「これ以上、あんたと英はんのことは探らへん。そのかわりに今回のことは任せる」
「な…」
「ほな」
勝手なことを言って山崎はひらひらと手を振って歩き出した。彼は英を探していると言っていたが、実際は俺のことも探していたのだろう。
俺は手元に残った折りたたまれた紙を恨めしげに睨む。
「くそ…」
苛立った俺はこのまま川に流してしまおうか…とも思ったが、それを開かないまま懐にしまうことにする。
山崎はこれ以上探らないと嘯いていたが、きっと何もかもお見通しのはずだ。新撰組の監察の頂点にいた男なのだから。

それから何となく出歩く気分になれずに、俺は屯所に戻ることにした。古巣の壬生を通って南に向かうと、聞きなれた声が聞こえてきた。
「為三郎は見つけるのが上手だね」
「沖田はんが隠れるのがへやくそなだけや」
「あはは、ごもっとも」
壬生寺では、子供たちとはしゃぐ沖田の姿があった。壬生にいた頃はよく見ていた光景だが、西本願寺の屯所へ移って以来、彼がそんな風に子供と遊んでいる姿を見ていなかったのでとても懐かしい。
俺はしばらく立ち止まってその姿を見ていた。
子供に混じって遊ぶ様子は無邪気にも見えるが、時折その横顔に影が指す。心に靄を抱えているのは明らかであり、しかしそれでも子供たちに悟られまいと振る舞う姿は痛々しくも映る。
(縁談などさっさと断ればいいものを…)
近藤局長の勧めだろうが、何だろうが、自分の意思を貫けばいい。彼が土方副長とともにその道を歩むなら、俺はその傍で彼を支えると誓える。きっと俺と彼は『そういう関係』が一番良い。
そんなことを考えていると、「あっ」と彼がこちらに気がついたようだ。
「斉藤さん!」
「…なぜここにいる?」
「ご覧の通り壬生の子達と遊んでいるんですよ。斉藤さんこそどうしてこちらに」
「通りかかっただけだ」
俺の淡々とした返答を「そうですか」と笑顔で受け取る。しかしその背後では鬼ごっこの鬼役の子供が「ろーく、ごー」と数を数えていた。慌てた沖田は俺の手を引いて「こっちにきてください」と境内にある背の高い草むらに隠れることになってしまった。
(子供の遊びにムキにならなくてもいいだろう…)
俺は内心呆れつつ
「なぜ俺が付き合わなければならない」
と尋ねると沖田は尚も「すみません、思わず」と笑っていた。呑気な彼に気が抜けてしまい、
「見つかったら帰る」
と一度だけ付き合うことにする。
背の高い雑草が覆い茂るこの場所はどこか陰気な雰囲気で、子供たちも近寄らないだろう。だが大の男二人が身を隠すには少々狭い。彼の吐息が耳をかすめるほど。
「…いつもこうして遊んでいるのか?」
俺は気を紛らわそうと話しかけた。
「いえ、久々に八木さんに顔を出そうと思ったら為三郎に掴まったんです。…でも今日は遊んで『もらっている』っていう方が正しいかな…」
語尾になるにつれて寂しさを感じる口調。
縁談の件があるとはいえ、彼がかつてないほどに揺れているような気がした。
「見合いの件か?」
「まあ…そうですね」
「以前も言ったが、はっきり断ればいいだろう」
お節介は性に合わないのだが、彼の背中を押すためにもあえて言葉にした。そんなことは俺に言われなくとももちろん彼もわかっているはずだ。
しかし思っていたのは、予想だにしない返答だった。
「いえ…受けることになりました」
「…なに?」
俺の眼は思わず鋭く沖田を睨みつけていた。彼も気がついているだろうが、構わず続けた。
「断るつもりだったんですけど…そういうことになりました」
「…それは嫁をもらうということだろう。それを副長が良いと言ったのか?」
言うわけがないと思って問いかけた言葉が
「土方さんが、そう言ったんです」
まるで跳ね返ってくるようだった。
(信じられない…)
俺は驚きを隠せなかった。
「自分一人だけのものじゃないほうが…良いって、そう言われました。近藤先生のために家の為に縁談を受けろと」
目を伏せて落胆する様子に、彼が必要以上に縁談に思い悩む理由がようやくわかった気がした。彼は信じていたはずの副長の考えが理解できず路頭に迷っているのだろう。
けれど副長のことはわからなかった。
(前にその言葉は聞いたことがある…)
あれは池田屋の時だ。沖田への気持ちを悟られた時、副長は言った。
『ずっと手に入らねえ、手に入らねえってもがいている方がいい』
それはわからない感情ではなかったが、俺からすればそれは贅沢な望みだと思った。
副長はきっと沖田が自分を想っていると確信しているからそんなことが言えたのだろうし、俺が彼のことを想っていてもそれでも『いい』と肯定したのは余裕があったからだ。そんな二人の関係を、俺はある意味では受け入れていた。
けれど、女は違う。
家庭を守り、子を為す女に愛情を持たない男はいない。男色のそれとは全く違うものであり、いつかは土方副長との関係よりも重きを置くこともあり得る。
副長もきっとそれはわかっている。だからこそ
(いくら自信があっても副長がそれを認めるなど…)
理解できない。
「土方副長に従う必要はないだろう。自分のことなのだから、自分の思う通りにすればいい」
苛立ちから俺は食い下がったが、沖田は首を横に振った。
「それはできません」
「何故だ」
「…私にとって近藤先生と土方さんの考えは私の意思よりも上なんです。近藤先生だけならまだしも二人がそうすればいいというのなら、そうしたいと思う…きっとそれは正しいから」
沖田が発した言葉を、俺は幾度となく聞いてきた。自分の考えよりも、近藤局長や土方副長の意思を尊重する。彼のそういう生き方を否定するつもりはないが、美しいと称賛することはできない。
「馬鹿馬鹿しい」
俺は吐き捨てて、強く腕を掴んだ。
「それではただの人形だ。良いように扱われているだけだと思わないのか」
「そんなことは思いません。二人とも私のことを思ってくださっているんです」
「だったらなぜ悲しげにしている。今にも泣きそうな顔をしているんだ」
「…」
ああ、そうだ。きっと二人とも何か理由があって、彼のことを考えてそうしたのだろう。俺の想像のつかない深いわけがあるのかもしれない。
でも俺は気に食わない。
(沖田が自分以外の意思を尊重するように考える…それをあの人にはわかっていたはずだ)
俺からすれば、感情を強いているだけであり、とても副長が彼のことを想っているようには思えなかった。
しかし尚も沖田は彼を庇う。
「もうちょっと時間が経てば、受け入れられると思うんです。今は辛抱するしかない…だから、斉藤さんも気にしないでください」
「気にするな、だと?」
「斉藤さん…」
殺気立った俺の気持ちを逆なでする。
(俺はこんな人間じゃなかった)
誰に対しても何に対しても無関心で無表情に接してきた。それはこれからも変わらないと思っていたのに
「そんな話を聞いて、俺が気にしないでいられるとでも思うのか?」
「…すみません」
(いつもあんただけが…俺をかき乱す)
「謝ってほしいわけじゃない。ただ…」
ただ、
ただ、
「俺の気持ちは、変わっていない」
それを、覚えていてほしいだけだ。
「気持ちって…」
唖然とする沖田を無視して、俺は掴んでいた腕ともう片方の手もとって逃さないように引き寄せた。聞かないフリなどさせない。
「副長があんたのことをそういう風に扱うのなら、俺もただ黙って引き下がるわけにはいかない」
自分の思うままにすることが大切にするということだというのなら、俺はそれを否定する。
俺は彼にそんな風に生きてほしいわけじゃない。俺はそんなことのために、自分の感情を押し殺して彼を支えているわけじゃない。
言葉にするのがもどかしくて、俺は沖田を見つめた。さすがにこの雰囲気の意味を自覚したのか顔を赤く染め、逸らす。
「何を考えているのですか…?」
『言葉にするよりも、意外に沢山のことがわかるものだよ』
英の声が脳裏に響く。
俺にはきっと彼が副長を思っていることしかわからないだろう。現実をまざまざと思い知らされるだけなのだろう。
でも、鈍感な彼はようやく気がつくのかもしれない。
「ここで口付ければ、鈍感なあんたでもその意味がわかるだろうか?それとも寝たらわかるのか?」
「…っ、斉藤さん!」
(俺が…どれだけあんたのことを思っているのか…)
届くのだろうか。
「みぃーつけたー!」
俺の思考を遮るように無邪気な子供の声が聞こえた。すっかり失念していたが、鬼ごっこの途中だったのだ。俺は咄嗟に沖田の手を離し、距離をとった。
「沖田はん、この人は?」
子供の問いはひどく純粋なものだ。沖田はそれに対して
「あ…その、友達かな」
と曖昧に返答した。その後いくつかのやりとりがあって、鬼役の子どもはこの場を離れていく。その間にすっかり頭の冴えた俺は、小さく息を吐いて立ち上がった。
「斉藤さん…」
不安そうに俺を見上げる沖田に対して、俺は謝らなかった。
「訂正するつもりも、誤魔化すつもりもない。忘れてくれとも言わない…それだけだ」
俺はそう告げて去っていく。
彼の関係との足枷になるのなら、と以前は否定した。忘れて、一度は気の合う友人に戻ろうとした。
だが、俺は近づき過ぎてしまったのかもしれない。
触れれば消えるような、儚い存在に。


























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