徒花ステイルメイト

*このお話は「そこはかとなく、」をお読みいただいてからご覧ください。




俺はようやく山崎から託された英の所在の手がかりとなる小さな紙を開くことにした。彼にしつこく迫っているという男の名前と商家の住所が書き込まれていた。俺は一瞥をくれたものの、その場所にいく気にはなれなかった。
(何のために行かねばならないのか…)
という自分への疑問が晴れなかった。そもそもそこに英がいるという確証はなく、迎えに来て欲しいなど英は決して口にはしないだろう。自分自身の意思で男の元に身を寄せているのなら、これを邪魔することはない。
俺が懐にその髪を戻すと
「聞いたか?沖田先生の縁談の相手。南部先生の娘らしいぞ?」
「へえ、南部先生に娘がいたのか」
「何でも養女らしくてな…」
三番隊の隊士たちが沖田の縁談を噂している声が聞こえて来た。壬生にいた頃とは違い、西本願寺の屯所は組長であっても隊士たちと相部屋になる。聞きたくなくとも聞こえる…いまの俺には煩わしい限りだ。
俺の説得も虚しく、沖田の縁談は進んでいるらしい。何でも相手は南部先生の養女である加也だということなので驚いた。彼女のことは医療所に出入りしている時から顔見知りではあった。彼女は才色兼備という言葉が相応しい凛とした女子であり、男を相手にしても怯むことなく、己に課せられた医学の道を歩む…意思の強いところがある。誰にでも穏やかに接する沖田には相応しい相手かもしれない…と少しだけ思ってしまった自分を恨む。
(一体どうするつもりなんだ…)
俺の怒りの矛先は副長へも及んだ。
『俺から見れば沖田さんはあんたたちの傀儡だ。自分たちの都合の良いようにしているだけだ』
巡察の報告がてら俺は土方副長にそう投げかけた。近藤局長や土方副長の意思を尊重するあまりに自分の心に従うことができない沖田が不憫に思えたのだ。
しかし副長はさも『その通りだ』という顔を浮かべて何も返さなかった。むしろ何も返せなかった、という方が正しいのかもしれない。苦痛に顔を歪める副長には俺の言いたいことなんて全て分かっていたはずだろう。
(何か…心に引っかかるものがあるのだろう)
縁談にはおそらくどうしようもない理由があるのだと推察した。おそらくは二人が意見を言えない、この場にいない近藤局長の意向なのだろう。
『遠慮はしないということです』
俺は高らかに言い放ったが、その言葉はどちらかと言えばハッパをかけるものだった。
俺の手に及ぶ問題ではないーーそれはわかっていたから。
「斉藤先生、そろそろ巡察のお時間です」
三番隊の平隊士が声をかけて来た。俺は「わかっている」と淡々と返事をして腰に刀を帯びる。
現在は、近藤の妾である深雪が襲撃されるという事件があり縁談どころではないようだが、それでももどかしい気持ちを抱えながら、俺は部屋を出た。

季節はすっかり冬の様相を見せていて、風は冷たくなった。木々は枯れて足元には落ち葉が流れるもの淋しい風景ではあるが、俺は嫌いではない。凍りつくような風が頭を冷やすのが心地良い。
「不審な者はいませんでした」
「異常ありません」
組下たちの報告を受けて俺は頷いた。
「屯所に戻る」
「はっ!」
俺の命令に彼らは従い、屯所に足を向けて歩き出した。西本願寺に移ってからの対編成は、かつての総長である山南敬助が組み分けをしたものが土台となっているらしいが、三番隊には寡黙で無駄を嫌う隊士が集まっているように思う。山南総長は一人一人の性格などをよく汲み取っていたのだろう、と思う。
俺が殿となって隊列が歩いていると、ふと通りかかった二人組が目に入った。一人は姿勢の悪い歩き方をしているせいで足を擦っていた。膨よかな体型で腹が出て目立つ。そしてもう一人は頭からすっぽりと手ぬぐいをかぶり目立たないように影を歩いていた。俺にはそれが誰だかすぐにわかった。
「英」
思わず俺は名前を呼んだ。彼よりも俺たちの方が目立っているのだから、おそらく気がついているはずだ。しかし俺の呼びかけに答えたのは腹の出た男の方だった。
「なんや?」
人を見下す下卑たる眼差し。すぐにこの男が山崎が知らせてきた商家の次男だということがわかった。
「斉藤先生、どうされましたか?」
一方で隊士たちが足を止めていた。俺は「先に戻ってくれ」と命令を出した。すると男は俺のことに気がついたらしい。
「壬生狼が何の用や」
新撰組だと知った上で威勢の良いことだが、俺が睨み付けると少し怯んだ。
「隣の男に話がある」
「こいつは女や」
「いや、男だ。俺は知っている」
男が英のことを『女』と言ったのは、性別という意味ではなく彼のことをそういう風に見下げているからなのだろう。金にモノを言わせて遊びまわっている男らしい物言いに、無性に苛立ちを感じたが、それ以上に何も答えない英のことが気にかかった。
「話をさせろ」
「…ちっ」
俺が食い下がったので男は舌打ちをして
「話があるゆうてるで」
と英の腕をひいて俺の前に立たせる。そして「この先の茶屋で待ってるからな」と言い残して去って行った。
男が去って行くと英は手ぬぐいをとった。
「…余計なことをしないでよ、斉藤さん」
ため息混じりに英は息を吐く。数日前に見た時よりも痩せていた。
「…あれが例の男か?」
「そう。ああやって外面は大きく振る舞うけど、あんなのはただの虚栄だよ」
「南部先生や山崎さんが心配をしている。どういうつもりだ」
「…」
英は少し言葉を選ぶように沈黙した。
「…別に医学を学ぶことは変わっていない。逃げ回っていたんだけどついに捕まったって感じかな。あの男があんまりにしつこいから、満足するまで付き合っているだけだよ。俺を連れまわすだけであの男の自尊心が満たされるらしいし。飽きたらおしまいだ」
「飽きなかったらどうするんだ」
「飽きるよ。あの男は綺麗な人間が好きなんだ。女でも男でも…不細工な自分の、飾りみたいに扱う。今までだって飽きたら簡単に捨ててきたって噂を聞くし、俺には火傷傷があるから飽きるのは早いだろう。逃げ回るよりも早く終わると思ったんだ」
「…」
俺はその男のことを何も知らないので、英に何も言うことはなかったが、あの下卑た視線を浴びただけで不快になった。生理的に好かないとはこういうことを言うのだろう。英も好んで男と一緒にいるわけではないようだ。
「あの男は、お前を陰間として扱っているのだろう。そういうのはやめたと言っていたはずだが」
「あの男とは寝てないよ。…可笑しいんだけど、不意打ちに組み敷かれてさ、いざ事に及ぼうとしてもあいつは俺の火傷を見て萎えるんだ。美しい顔にしか勃たないなんて病気だよ」
そう吐き捨てる英にはありありとした嫌悪があった。火傷を気にしていないと言い張る彼でも目の前でそのような態度を取られれば怒り、悲しむに違いない。それでも笑ってみせるのはその感情を押し殺した結果なのだろう。
(感情を、押し殺す…)
なぜ誰も彼も、思うままに生きないのか。
「南部先生や山崎さんには心配無用だって伝えておいて。ほとぼりが冷めた頃に戻るし…」
「なぜ逃げ出さないんだ」
「え?」
俺は無意識に英の腕を掴んでいた。
「嫌なことは嫌やだと、助けを求めればいいだろう」
何もかも受け入れて飲み込む。それは時が過ぎれば解決して行くのかもしれない。けれど、それは楽をしているだけだ。
(お前も、沖田も…副長も)
傍からみているだけの俺には、もどかしい。
しばらくは唖然とした表情を浮かべていた英だが、次第に困ったように微笑んだ。
「助けを求める資格なんて、俺にあるのかな」
「…なんだと」
「俺は過去の尻拭いをしているだけなんだから、誰かに助けてもらおうと思ったことすらないよ」
「…」
「ただ、南部先生たちに迷惑をかけないようにしたい。…それだけだよ」
英は俺が掴んでいた手から逃れ、その身を翻す。
「じゃあね」
彼はいつもと同じように、軽く手を振って去って行く。
助けてほしいと言われたら、俺はどうするつもりだったのだろう。
「…馬鹿らしい」
俺はそう呟いた。




















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