徒花ステイルメイト

*このお話は「そこはかとなく、」をお読みいただいてからご覧ください。



家人たちは次男坊の横暴な振る舞いを快く思っていないようだった。商売で稼いだ金が、豪勢すぎる食事や身の丈に合わない衣服、連日の夜遊びに費やされれば当然の反応だろう。数年前まで彼を諌めていた父親は流行病で亡くなり、いまは身体の弱い母親と商売に夢中になるあまりに家のことまで手の回らない長男がいるだけだ。次男坊のお坊ちゃんは三十も過ぎたというのに嫁も貰わずに我儘放題で過ごしている。
家人や使用人たちは影ではそのように嘆息するが意見できる者などいない。閉塞感に満ちたこの家に、最近はついに男を連れ込んだと周囲は辟易としていた。
「これを着てみろ」
「…」
男から渡された紅色の小袖に、英はため息を漏らした。
「似合わないよ…こんな女物」
「俺が見繕ったんだ。似合わないわけがない」
男が断言するので英は諦めて、仕方ないと袖を通す。女郎遊びだけではなく陰間でも豪遊している男だが、決まって男には女装をさせるのだ。
帯を巻いていると、男は満足げに頷いて「踊れ」と指示を出した。英は面倒そうな顔を浮かべたが、それでも扇を手にして優雅に踊ってみせた。幼い頃に仕込まれた踊りは芸妓にも引けを取らない。
部屋には異様な光景が広がっている。衣紋書けに掛かる何着もの絢爛な衣装は呉服屋が持ち込んだものだ。華やかな宴が催されるのではないかと思ってしまうような眩さだが、全ては英のために揃えられたのだという。まるで人形を着せ替えて遊んでいるようだ。
男は酒に手を伸ばしたが、丁度空になったようで
「おい」
と襖の向こうに声をかけた。すると使用人が顔を出す。
「酒もってこい」
「…へえ」
使用人は淡々とした返答して空いた徳利を下げていく。
「ふん、新入りのくせに無愛想な男だ」
男はそう吐き捨てつつ、「英」と呼んだ。英は扇を閉じて手招きされるままに男のそばに膝を折った。
男の隣に座る時は、彼の左側だと指示されている。それは彼が美しいものを好むゆえに、火傷の見たくないからだということだった。
男は英の『美しい』横顔だけをみてにやにやと笑った。
「どれが気に入った。何着でも買うてやる」
部屋中を見渡して問いかける男に、英は戸惑ったように首を横に振った。
「女物の着物なのに、気に入ったものなんてない。こんなことよりもその金を別のことに使ったら?」
「別のこと?」
「こんなにいい着物が買えるなら、祇園なら高い女を呼んで遊ぶことだってできるだろう」
英は憎まれ口を叩く。男の機嫌を損ねてしまいそうな言葉だが、彼はもう慣れたようだ。
「祇園…いや、都中を探したってお前より『美しい』女はいない。何度もそうゆうてるやろ」
「…俺は女じゃないって、何度も言ってる」
「言葉のあやや」
男は気に止める様子もなく笑い飛ばした。そしてちょうど使用人が戻って来て酒を差し出したので、英に酌をさせる。
「そろそろ諦めたらどうや」
「諦める?」
「医者だの、なんだの…俺がいない間はそういう書物を読み漁ってるらしいやないか」
英は男から解放される時間の全てを医学の勉強に費やしていて、文字通り寝る間を惜しんで読み耽るため、男は呆れているらしい。
けれど英は
「あんたの相手をしなくていい時は好きにさせてもらう…そういう約束だったよ」
と頑として譲らない。男は「ふん」と鼻で笑った。
「医者になってどうするんや?」
「…そんなの、あんたに関係ない」
「病人や怪我人助けて…そんなお人好しなことして満足か?今更そんな『おキレイ』な人生歩むんだところで、何が変わるっていうんや?」
「…何も変わらないよ」
「ふうん?」
男は先を促しながら、酒を煽る。英は呟くように漏らした。
「これはただの贖いなんだ。何もかも失って、無くした俺の生きる意味だから…」
「アホらしな」
男は尋ねたくせに最後まで聞かずに、英の肩を抱いて引き寄せた。英は顔を寄せる男から逃れるように背けたけれど、男の太く乾燥した指が英の頬を捕らえた。
「清純ぶったって、過去のことは忘れられへんやろ?ここで、散々俺や他の男を誑かしたんや」
「い、やだって…!」
英は臀部に食い込む男の指を払いのけようとするが、頬を掴まれたままではうまく身動きが取れない。
男は逃げようとする英の髪を掴んだ。
「痛…っ」
「俺にはなんでも手に入る。放蕩息子や蔑む父上は死んだんや。せやからお前、いつかは飽きるなんて考えてるかもしれへんけどなぁ…手に入らないなら、どこまでも追いかける。その方が面白いんや」
「…っ、離せ…っ!」
「暴れても無駄やで」
男は英の袖を強く引いた。そして手早く袖を結ぶように括ってしまう。後ろ手が繋がれてしまったようになり、抵抗することができなくなってしまった。男は英の両肩を押して畳に押し付けた。
「ちょ…」
「抵抗せんほうがええ」
「嫌だ…っ!」
そう叫んだ刹那、男は徳利を振り上げてそのなかに残っていた酒を英の顔面にめがけてまき散らした。熱燗ではなかったもののヒリリとした熱さが火傷の傷跡に沁み、英は顔を歪めたが、男はそんなこと知る由もない。
「陰間は黙って、足開いとけ」
男はカッとなりやすい性格だった。まるで人格が切り替わるかのように昏い瞳で見下ろすその横顔は、英をただの性欲処理の道具にしかみていないことをありありと示していた。
乱れた帯を解かれ、足首から辿るようにゴツゴツとした手のひらが触れた。けれど縛られた袖の所為でその感触から逃れることができない。
英はぎゅっと目を閉じて、顔を背けた。やり過ごせば終わる…そんな覚悟があったのだが、しかし男の手が止まった。
「…?」
「萎えた。終いや、終い」
男は心底軽蔑するような眼差しのままだったが、すっかりその欲は失せたようだった。
男は『美しい』ものにしか欲情しない。英が顔を背けその火傷の痛々しい傷が視界に入った所為で、冷めてしまったのだ。
英は自分に興味をなくしていく男を目の当たりにして、しばらくは放心していた。しかし、次第に笑い始めた。
「は…はは、あははははははは…!」
乾いた笑い声だった。しかしそれは確実に男に向けられていた。
「な、なんや!?」
「あんたこそ診察してもらった方がいい!こんなことで萎える…その役立たずをさ!」
「なんやと!」
カッと頭に血の上った男は顔を真っ赤にしていた。しかし英の笑い声は止まない。
「あんた自身が醜いから、美しいものを求めるんだ。自分にないものを欲しがる…子供みたいに!」
「英!」
「人を羨む気持ちはわからないわけじゃないけどさ…いい加減、周りが指差して笑っていることに気がつきなよ!」
「う…五月蠅いッ!!」
英の挑発に、男は当然激昂した。部屋にある床の間に駆けていきその場にあった刀を手にした。高価な装飾が施された業物だろうが、男にその価値はきっとわからないだろう。
その刀身を抜いて、男は英の前に突き出した。
「それ以上、喋るなや。殺すで」
「…やれるものなら、やってみなよ。そんなことあんたにはできない」
切っ先を目の前に出されても英は動揺することはなく、まっすぐに男を見据えていた。その態度がさらに男を苛立たせていく。
「謝れば許してやる!」
「許してほしいなんて言っていない。口にしなかっただけで、ずっと思っていたことだよ」
「クソアマが…っ!」
男が怒りに震え、その切っ先が英の首筋に当たる。一筋の血が流れたが英は顔色ひとつ変えなかった。
「殺すなら、殺しなよ。それともその刀の使い方を知らない?」
「おおお…オオオオオオオオオオ…!」
恵まれた暮らしをしてきた次男坊はおそらくここまで罵倒されたことはなかったのだろう。怒りに震え、苛立ちに理性を失い、その刀を大きく振りかぶった。
正反対に英はその長い睫毛を伏せた。そして穏やかな表情でそれを受け入れようとした。
すべてが自分に対する、報いなのだと。
『助けて』との一言も言わずに。
勝手に死を選んで。
「馬鹿だな」
お前にその権利があるのか。
生きてほしいと願われたお前に、そんな自由があるのか。
俺はそんな意味を込めて言った。そして次の瞬間には、襖を蹴破って中に乗り込んでいた。
「!」
「なんや!お前は…!!」
刀を手に硬直する男、その真正面に座りこむ英…その二人の視線を集めた。
なぜここにお前がいるのだという顔だった。新入りの使用人が突然襖を蹴破ればその反応は当然だろう。
俺は構わずに手にしていた刀を振り上げて、男のそれを弾く。業物は真っ直ぐ飛んで天井に突き刺さった。そしてそのままの勢いで、俺は男の胸に突き刺したーーー。
「ぐああぁァァァッ!!!!」
男の悲鳴が響く。男…とも言える骸はそのまま力なくその場に倒れこんだ。
血まみれになっていく畳には、未だに英が座り込んだままだった。大きな瞳がより一層開いている。男が死んだ衝撃よりも俺が目の前に現れた驚きの方が大きいように見えた。
「…さ…い…」
「これで…お前とは、一蓮托生だ」
「え…?」
これは俺が犯した罪だ。彼のために、私怨で人を殺した。
自ら、選んだ。
「だから…こんなことで命を粗末にするな。俺には助けを求めろ、お前にはその資格がある」
「あ…」
二の句を継げない英は唖然と俺を見上げていた。彼には何故俺が使用人の姿で現れたのかすら、理解できていないだろう。
次第に騒ぎを聞きつけた家人たちの声が聞こえ始めた。
「新しい使用人が斬って逃げたと言え」
俺はそう言い残して部屋を出ていく。
庭から裏口を利用して外に出る。月明かりを頼りにしばらくは歩いたところで、懐から取り出した懐紙で血を拭った。
私怨で人を殺めたのはいつぶりだっただろう。試衛館に来る前…少なくとも新撰組隊士としては一度もなかったはずだ。
懐紙を川に捨てて、深く、ゆっくりと息を吐いた。
俺はまた罪を重ねた。
だが、後悔はない。
(構うものか…)
もうこの手は、すっかり泥濘に嵌って汚れているのだから。
彼のために一つ罪を重ねてもその業は変わらないだろう。
これが俺の、贖罪だーーー。













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