徒花カタルシス





一言、一言…絞り出すような若様の小さな声が、俺の鼓膜を激しく揺らしていた。昔から病弱なお方ではあったが、ここまで細く弱弱しい姿になっていらっしゃるとは思わなかった。
俺は絶句し、若様の言葉にただ返答するのが精いっぱいだった。
「イチ」
あの頃と変わらない、穏やかで優しく懐かしい声が俺を呼ぶ。その声に導かれるようにあの頃の
気持ちが沸き上がってきた。何もない空っぽな自分に、生を吹き込み、慈しみを教え、価値を見出してくれた若様。
俺はこの人のために生きようと誓った。
そう在ることができたなら、自分の存在に価値を見出すことができるだろう。たとえ自分の本当の姿が醜悪な怪物なのだとしても、自分を許すことができる。
そう思ったのに。
(恩返ししきれぬまま、お別れになるのか…!)
若様が必死に俺の両腕を掴む。その指先は震えるほど力が込められていたのに、すぐに斃れてしまいそうなほど弱い。
「…イチとみた、あの星空には敵わない…」
「…!」
それは、俺にとって人生最良で最悪の日だった。開け放たれた外の世界で『友人』として若様とともに見上げた星の空。子供のようにはしゃいで喜ぶ若様の姿は目に焼き付いているが、一方で人を殺した俺に慄きおびえる若様の顔も覚えている。
きっと若様にとって思い出したくもない、忘れたい過去なのだろうと思っていたのに、
「また…共に行こう。『友人』として…親子とともに…」
と、お優しく笑う。あの頃と変わらない、無邪気な笑みで―――。
そしてそれが若様と交わした最後の言葉となった。


松本法眼に促されるままに城を出て、宿へと歩く。真っ暗な闇の中で俺と沖田が持った二つの提灯の明かりがゆらゆら揺れるのをただ追っていた。
彼は俺を慰めようと何か言っていたけれど、それはただ闇の中に消えていって俺の耳には入らなかった。
俺の身体の中にはただ、後悔と苦しさしかなかった。
若様が投げかけた言葉に何ひとつまともな返答ができなかったこと。気の利いた言葉は何ひとつ口にすることができず、若様も失望なさったことだろう。
そして、再びま見えることはない。医者でなくとも誰もが若様の命があと僅かだということは明瞭であるし、若様も自覚されているように思った。
俺はただ、もう一度お会いしたかった。
法眼に頼み込みらしくない真似をしても、どうしても若様にもう一度会って―――謝りたかった。
無力で無意味な俺が、もう何もできないのだということを詫びたかった…それなのに、若様は俺の汚い手を取って『友人』だと言った。
(苦しい…)
空気が薄くなったように、息苦しい。
宿に辿り着き、沖田が蝋燭に火を灯した。隙間風に揺れる炎が、頼りなく波打つ。
「…羽織、濡れてるから脱いだ方が良いですよ」
無言の俺に対して沖田は甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。
俺はこの男が好きだ。
『…俺なんかに優しく接してくれた。ただそれだけのことです』
そうだ。副長にそう答えた通りそんな子供じみた理由で彼のことが好きだと思った。
若様も同じだ。『友人』として孤独な俺にやさしく手を差し伸べてくれた―――
(だが、俺が若様には恋情は抱かなかった)
若様への思いは忠誠心で満ちている。この方のために生き、この方のために死ぬことが全てだと思えた。
だが、彼は違う。
(俺にとって…なんだ…)
その答えを見出せぬまま俺は彼の手を取っていた。戸惑う彼に
「…頼みがある」
と切り出し、「抱かせてくれ」と言った。その言葉の意味を沖田どころか俺さえも理解していなかったように思う。だが、感情の発露の矛先がこんな形でしか思いつかなかったのだ。
彼は当然拒んだ。当然だ、こんな八つ当たりみたいな口づけを受け入れる人間などいるはずもない。
苦しそうに顔を歪ませていく。
「さ、いとう…さ…」
「終わって…嫌ってもいい。だから…」
だから、今は受け入れてくれ。
この痛い苦しさをこの狂おしい激情を――どうか忘れさせてほしい。頭を真っ白にして感情をまっ平にしてしまいたい。
(なんて勝手な…)
やはり自分は『醜悪な怪物』だったのだと心で疎んだ。
「ぃっ…た…!…さい…ん…!まって…」
「待たない。…犬に噛まれたようなものだと思えばいいだろう。どうせ…副長に何度も抱かれているのだから」
「そんな…」
沖田は唖然とした顔で俺を見上げていた。
こんな酷いことを言って、彼の気持ちを蔑ろにして迎える明日は、きっと何もかもを失った絶望の日となることだろう。
若様だけではなく大切な人までも失う、人生最悪の日に。
そんなことを思った時、不意を突かれて俺は強く突き飛ばされた。ゆらりと揺れたろうそくの炎が沖田の顔を照らし出す。
彼は怒ってなどいなかった。
ただ必死だった。
「…斉藤さんが、こんなことをして気がすむのなら好きにしてください。私は軽蔑しません。でも…今までの全部が…きっと無かったことになってしまう。私と斉藤さんの間にあったのは、こんな一時の感情で無くせるほど簡単なものだったんですか…?」
「…」
その問いに、俺は答えられるわけがない。若様と過ごした日々よりも新選組の一員として過ごした時間の方が圧倒的に長く、俺は沖田の隣で様々な出来事に触れてきた。積み上げてきたものは確かにあって、互いに情がある。
それを失ってもいいなどと思うのは、俺の勝手な感傷なのだ。
「今の斉藤さんの気持ちを分かるなんて、簡単には言えません。でも…こんなことをしても結局は何の慰めにもならないと思うんです。きっと、何も変わらない…」
そんなことは、わかっている。頭では理解している。
「ああ…そうかもな…。だが…それでもいい。それくらい、苦しい」
「…斉藤さん…」
「俺にとって若様が人生の全てだった。若様を失うのならもう何も意味などない」
陽が昇ることなくこの闇のなかに置いていかれ、明日などやってくるはずもなく閉ざされる。
―――それは生きていると言えるのか?ただ呼吸をしているに過ぎないんじゃないのか。
だったら…。
「!」
失意の俺は不意に感じた温かさに驚いた。
抱きしめられていた。俺が彼にした乱暴で横暴なものではなく、心地よい温かさに包み込まれるような抱擁だった。
その温かさに俺の強張った身体が少しずつ溶かされていく。
同時に息苦しいと思っていた空気が、自然と俺の身体の中に入り込んでいくようだった。
(こんなことで…俺は…)
あんなにも苦しいと思った感情が眼底を払うように消える。
俺の閉ざされた闇に手を差し伸べるように、彼は精一杯に抱きしめていた。その温かさに触れ、俺の鋭利な牙はやがてぬくもりの中に消えていった。



若様の薨去は、大坂城にいた篠原からの手紙で知ることとなった。彼とは大坂城で顔を合わせたが、松本法眼の口添えがあったからなのかお咎めはなかった。
若様はあれから法眼の必死の看病により一時持ち直されたそうだが、それでも力尽き眠るように息を引き取ったらしい。公式発表は長州との内戦を考慮してもう少し先になるようなので、このことを知っているのは幕府の重役とお付きの臣下のみ、そのためくれぐれも内密にと書かれていた。
(そんなことを書かれなくとも、誰に言いふらすことはない…)
そう思っていたが、それは堪えきれない痛みとなって疼き続けた。
日中は仕事に忙殺され考えこむ暇がないから良い。だが、夜になると不意に襲ってくる慟哭が喉元までせり上がってくるようで、耐えきれずに外に出た。
東へ歩いた先にある七条大橋…鴨川の流れる先は大坂である。俺はこんな離れた場所から若様の冥福を祈ることしかできない。何刻も、何日も、いつまでも。
「…無力だ…」
それなりに成長したつもりだった。たとえ遠く離れていても若様を守れるように、剣術を磨き、精神を極め…。
しかしあの時、そんなことは全く意味を為さずただ病魔に蝕まれる若様を黙って見守ることしかできなかった。自分は医者ではないのだから当然だと…理性は理解している。それでも何かできることはなかったのかと責め続け、答えを得ることはできなかった。
鴨川の川の流れが周囲の喧騒を上書きし、この真っ暗な夜の中にまるで俺一人しかいないような錯覚をさせる。
ふと頬に冷たい雫が伝っていくのを感じた。
(雨か…)
ポツポツと振り出した雨は次第に髪を濡らし、着物を重くし、足元に流れていく。しかし俺は軒先に逃れようとは思わなかった。この冷たい雨さえも俺を責めてくれるのならいっそ心地よい。
そうやって雨に打たれていると、こちらに近づいてくる人影が見えた。提灯を手に傘を差しゆっくりと俺に近づく。
俺は何故か警戒することなく、それを待っていた。
「…斉藤さん、濡れるよ」
傘の下、ほんのりと浮かび上がった人物…英だった。彼は自身が濡れるのも構わずに俺に傘を差し出した。
「お前こそ…濡れる」
「もう往診が終わって戻るだけだからいいよ」
沖田に似た優しい笑み。火傷の跡もこんな深い夜なら陰に隠れて見えない。――そうだ、見えないはずだ。
「…なぜ、俺だとわかった?」
「ここのところずっとここにいるじゃないか。俺は毎晩この近所の家に往診に行っているから、知っていたよ。斉藤さんは気が付いていなかったみたいだけど」
「…」
いつもの俺なら気が付いていたはずだ、と英は笑った。俺はそれ以上追及されたくなくて
「…往診、お前が行っているのか?」
と話を変えた。彼は南部先生のもとで医者の卵として勉学に励んでいるはずだ。
「まあ、軽症の患者さんだけだよ。このところ松本先生は大坂へ出ずっぱりで、南部先生もそれに付き添ったりして忙しかったんだ。猫の手も借りたいほど、ってやつ」
「…そうか…」
「でもそれも、もう終わりみたいだけど」
「…」
「詳しい事情はよく分からないけれど…斉藤さんも関係しているんだよね。いつもは大坂へ南部先生を連れていくはずなのに何故か斉藤さんと沖田さんを連れて行った…って」
「…」
俺は答えなかった。答えなくとも英は答えを知っているようだったからだ。だが彼はあえてそれを口にせずに「ねえ」とさらに身体を寄せた。傘に雨粒が大きな音を立てて跳ね返り、うるさい。
そんななかなのに、彼の声は澄み切った琴の音色のように耳に響いた。
「嫌なことがあったなら…俺を抱いてもいいよ。多少滅茶苦茶にしたって、俺は慣れてるし」
「…お前はまたそんなことを言うのか」
陰間だった頃の癖が抜けないのか、英は簡単に口にする。沖田には拒まれたことを、簡単に受け入れてしまう。
「うん。…こんな暗い場所で雨に打たれているよりも、よっぽどマシだと思うけど」
「…」
英は冗談を言っているのではない。あくまで真剣な表情だった。
「数日前、俺はここに斉藤さんがいると気が付いてから、何を思い詰めているんだろうってずっと考えていた。でも部外者の俺にはわからない。斉藤さんのことだからきっと何か難しい問題なのだろうとは思うけれど…俺は馬鹿だから。でも、やり場のない気持ちを何処へどうやってぶつけたら良いのかはわかるよ」
「…お前はもっと自分を大切にしたらどうだ」
「そっくりそのまま斉藤さんにその言葉を返すよ」
鸚鵡返しの言葉に俺は言い返すことができなかった。
彼の言う通り、俺は今自分のことがどうでも良くなっている。何もかもを投げ出して苦しみから逃れたいと思うばかりで生きることや死ぬことに何の執着もない。いっそ冥土に向かう若様のお供をしたいとすら思う。
英の手が俺の首筋に伸びた。
湿った彼の指先に誘われるように、顔を引き寄せ、いつの間にか口づけていた。
絡み合う舌、温かな口腔、煽り続ける息遣い―――陰間だった英の手管に、複雑に入り組んだ俺の思考は停止し、ただ夢中になった。
彼の後頭部に手をまわし、片時も離れないようにと掴んだ。貪り、噛みつき、弄び…口づけという行為の意味が失われてしまうほど野生の衝動に支配されていた。
英が手にしていた傘が落ちる。提灯の明かりはいつの間にか消え、土砂降りの雨の中互いの体温だけを頼りに身体を寄せ合い、俺は英の身体を欄干に押し付けていた。
「…ぁ…はは…」
「なんだ…」
「いや…このまま…ここから落ちて、も…いいな、って思ったんだ…」
背中を半分ほど仰け反らせた英は少し身体を引けばそのまま川に落ちてしまいそうだったのに、さらに俺を引き寄せて口唇を塞ごうとした。だが、フッと我に返った俺はすぐに彼を引き上げて欄干から離れた。
「…なんだ、残念…」
「馬鹿か、お前は…」
口づけに夢中になるあまりに、体勢を崩せばそのまま欄干から真っ逆さまに落ちてもおかしくはなかった。
それなのに英は笑っていた。
「別にいいのに。…斉藤さんと心中なら悪くない」
「冗談を言うな。俺はお断りだ」
「ははっ」
英は傘を拾いながら笑い飛ばした。
「こんなこと…斉藤さんにしかしないよ。借りがあるからさ」
「…」
本気なのか冗談なのか、俺には見分けがつかない。
しかし
「でも斉藤さんは…沖田さんなら一緒に落ちたのかな…?」
と尋ねる英の声だけは、何故か悲しみを帯びたものだった。


それから数日。俺は毎晩同じ場所にいたが、英はそれっきり顔を出さなかった。
この近くに往診だということだったが、それが終わったのかそれとも敢えて避けているのか…それはわからない。
(あいつのことはわからないことだらけだ)
彼が何を言いたかったのか、あの口づけにどんな意味があったのか――心中しても良いと笑ったのは本音だったのか。
英に訊ねてみたいが、きっと彼は答えを誤魔化すだろう。
もしかしたらここに姿を現さなくなったということは、自分に与えられた役目ではないと察したのかもしれない。
「…」
しかし、ほんの一瞬でも目の前のことに没頭するあまり全てを忘れ、苦しみから逃れることはできた。そのおかげで落ち着いて物事を見ることができるようになった気がする。
英はきっと俺とどこまでも堕ちて行くことができるだろう。いっそあのまま心中しても彼は最後まで笑うはずだ。だが俺が求めているものはそうではないと気付いた。
(俺は…救われたいのだろう…)
だからずっと待っている。ここで、待ちづづけている。
「斉藤さん…」
「……いつか、あんたがここに来る気がした」
「何をしているんですか?こんなところで…」
「別に。ただ…水の流れる音を聞いている」
「…ご一緒しても良いですか?」
「勝手にしろ」
ぶっきらぼうな返答に物おじせず、沖田は俺の隣に並んだ。すると彼は聞いてもいないのにここに来るまでの経緯を話した。組下の梅戸が俺が毎晩何処かへ行くことに気が付き心配していたらしい。
「大樹公の薨去の知らせは…」
「ああ。数日前に篠原から聞いた」
淡々と返答したつもりだが、沖田は目を伏せた。痛ましいような、同情する表情…俺は目を逸らすように橋の下の鴨川を見下ろした。
「…鴨川は、白井に桂川に合流し最終的には淀川として大坂へ至る。この水の流れが若様に繋がっているような気がした」
沖田は何も言わなかった。
どういう反応をしたら良いのかわからないのだろう。当然だ、逆の立場なら俺も何も言わずに耳を傾けるしかできないだろう。
自分出来ないことを人に求めるのは間違っている――わかっていたのに、俺は彼に何かを言ってほしいと思っていた。
「だが…もうお会いできることはない。お優しい若様は天へと召されただろうが…俺はきっと地獄へ落ちる」
「…そんなことを言わないでください」
やめろ。困らせたいわけじゃない。
「俺は…ずっと自分は一人きりで生きてきたのだと思っていた。小さいころから誰にも理解されず、それが楽だとさえ思っていた。若様と出会い離別してからもそうだ…俺は寄るべなき者としてずっと生きていくのだと、ずっと思っていた」
「…」
俺は何を口にしているのだろう。愚痴か、恨み言か―――泣き言か。
「だが、違った。どんなに遠くとも若様の存在が俺の身体の大半を占めていた。若様のために生きていた。…だから若様がお亡くなりになったのなら…何の意味もない」
同情なんて真っ平だ。俺の気持ちは俺にしかわからない。何を言われたって、撥ねつけるしかできないのに。
だが、沖田は俺の腕を掴んだ。彼の冷たい右手が俺の二の腕を強く握りしめ、「そんなことはありません」と言った。
「…斉藤さんは自分が主君を失った無意味で無価値な存在だって…そう言いたいんですよね。でも…私にとって斉藤さんは意味のある人です。私には…大切です」
「大切…?」
『大切』
暖かく眩しく優しい言葉は、少なくとも今まで俺に向けられたことのないものだった。
「もちろん…近藤先生や土方さんとは違います。近藤先生は私にとって主君に等しく、そして土方さんと同じことが斉藤さんとできるわけじゃありません。でも…大切なものって、優劣をつけるものじゃないでしょう。近藤先生と土方さんは私にとって同じくらい大切な存在です。だから、我儘だって言われたって、私にとって全部大切なんです。だから…斉藤さんは、大切な友人です」
若様の死に捕らわれ雁字搦めになった心が、彼の発する言葉一つ一つに解きほぐされていく。
厚い雲に隠れていた月が顔を出した。それ水面に反射して、揺れて、少しだけ光が差した。そして先ほどまで見えなかった沖田の表情を照らしていく。まるで月のように優しく静かに…しかし揺るぎない。
彼はまだ何かを言っていた。
だが、俺の頭の中は彼の『大切』だという言葉だけが響いていた。
(俺も…大切だ…)
寄る辺なき俺が大切に守り続けていた若様を守り切れず、こんなあっけない別れを迎えて、俺は何もかもを失ったと
思った。
俺の身体も、剣も、心も…若様のために生きていたから、空っぽになったと。
だが…。
「…斉藤さんの存在に意味や価値を持っている人が必ず…。だから、ここにいてください」
彼は両手で俺の腕を掴む。その言葉通りに、俺は彼の傍にいることを求められている。
「苦しいなら受け止めます。悲しいなら一緒に悲しみます。それが…友人として私ができることです」
(俺は幸運だ…)
若様に『心』を授けられ、彼に『慈しみ』を与えられた。若様は『友人』だと何度も言ったが、その言葉の裏には沖田の語る『大切』だというお気持ちがあったはずだ。だから…二人とも俺を『大切』だと言った。
(これ以上に何を求める…)
もうここには、醜悪な怪物などいない。
そう蔑むことが、若様を、そして彼を傷つける。彼らは俺の人生に意味を与えてくれたのだ。
(若様…ありがとうございます)
もう二度とあの星空を共に見上げることはできない。だが若様の御心は俺の身体に、命に刻まれた永遠となる。
俺はこの永遠とともに生きる。
だから、俺はただ悲しいだけだ。あの暖かな笑みを向けられないことが、ただ悲しい。
それを認めた時、俺の目から自然と涙がこぼれていた。
「少しだけこのままでいてくれ…」
「はい…」
真っ暗で何も見えない深淵の夜は、人を惑い迷わせる。だが、黒く厚い雲の向こうに必ず星は輝き続けている。
だから、この世界には意味がある。
(俺は誰と一緒であっても…心中などしない)
俺が若様と同じ天へと召されることはないだろうが、若様の生きたこの世界を生き続けることはできる。
彼らが教えてくれたのは、そういうことだろう―――。

















カタルシス
ギリシャ語で「浄化」の意味。


徒花カタルシス、短めですが以上となりました。最後までお読みいただきありがとうございます。
徒花シリーズはこれからもちょこちょこ掲載するようになると思いますので、またお付き合いいただければ幸いです。
引き続き本編をお楽しみください。