confess of Ironical
アイロニカルの告白



島田先輩が『異動願い』を出したと聞いたのはそれから数日後のことだった。


アイロニカルの告白


沖田先生からそのことを聞いたとき、僕はあまりの衝撃に口をぽかんと開けたまま思考が停止してしまった。いつも冷静な僕がそうなっているのを周りの隊士が驚いていたけれど取り繕うことはできなかった。
島田先輩は僕よりずっと前に入隊した古参隊士だ。それこそ新撰組と呼ばれる前の壬生浪士組時代から隊に加わり平隊士のなかでも一目置かれる尊敬すべき先輩。そして隊随一の遣い手である沖田先生の元で伍長を務めている優秀な隊士だ。しかしそのことを特に偉ぶる様子はなく、大柄でありながら細やかな気遣いとまっすぐな性格が後輩たちからも好かれていた。島田先輩のことを悪く言う隊士なんて聞いたことが無い。
だからこそそんな彼が願い出て『異動』となる、というのは誰にも想像ができなかった。
「何かやっちまったのかなあ」
平隊士の誰かがつぶやいた言葉が聞こえて、僕はどきっとした。
心当たりがあるとすれば一つだ。僕と、関係を持ってしまったこと。
「はいはい、私語はここまで」
沖田先生がぱんぱん、と手を叩き話はお開きとなった。巡察に出かける時間になっていたからだ。僕は出掛ける隊士たちの殿を、重たい身体を引き摺って歩いた。
島田先輩は言葉は悪いが、馬鹿正直な性格だ。思ったことが顔に出てしまい、付き合いの短い僕でさえも島田先輩が何を言いたいのかすぐにわかってしまうほど。だから、そんな先輩だからこそ、この間のことを見過ごせなかったのだと思う。
『無理』
島田先輩が僕に最後に告げた言葉。
おおらかで朗らかな先輩に、はっきりと拒絶され僕は正直参ってしまった。先輩がそんなことを言うなんて思わなかったから。
けれど、島田先輩は何も悪くない。
嘘がつけない先輩を、「遊び」だと言って誘って、関係を持ちかけたのは僕のほうなのだから。
「山野君」
殿をとぼとぼ歩く僕に声がかかった。それは先頭を歩いているはずの沖田先生だ。
「は、はい!」
まさか沖田先生が隣を歩いているとは思わず、僕は背筋を伸ばす。
「大丈夫ですか?」
尊敬すべき上司である沖田先生が、僕を気遣ってくれる。穏やかに微笑む様はどこか儚げででも凛としていて…不意に土方副長が惹かれたのはこういう表情なのだろうかと僕は思った。本当の所は良く知らないけれど、土方副長と沖田先生の関係は知れ渡っている。けれど二人を蔑む隊士はいない。お互いを信用し誰にも邪魔をさせないような強い二人の絆は誰の目に見ても明らかだったからだ。
僕はそのことが羨ましかった。
「大丈夫…です」
せめて悟られたくなくて、僕は務めて笑顔を作る。しかし頬が引き攣って自分でも上手く作れていないと思った。
それは沖田先生も伝わったようだ。
「島田さんのことですか?」
昼行灯な先生でさえ僕の考えていることはお見通しらしい。僕は素直に頷いた。
すると沖田先生が僕の頭を優しくなでた。
「本当に島田さんのこと、好きだったんですねえ」
穏やかにやさしく告げたその言葉に、僕は少し躊躇って頷く。
僕は、好きだった。
いつからかわからないけれど…好きだった。


少し前。近藤先生と土方先生が喧嘩をしている最中、山南先生が島原へ連れ出してくれた。山南先生が無礼講だということで、僕たちははしゃぎ酒を飲み宴会を催した。一緒に行った沖田先生や斉藤先生も馴染みの女たちと談話をしていたし、普段は真面目な松原先輩が女と踊っているのには驚いた。僕は島田先輩の隣で唄や踊りに興じていた。
そうしていると島田先輩の酔いが回り、眠り始めてしまった。
「なんや寝てしもうたん?」
傍に侍る女が島田先輩に話しかけたものの反応はない。顔を真っ赤に染めて居眠りをしている。
「じゃあ、僕が部屋まで運びますよ」
比較的意識のしっかりしていた僕が名乗り出て島田先輩を連れ出した。大きな体躯は僕よりも一回り大きい。何とか引きづりながら先輩を部屋まで抱えた。
少し離れた部屋では、遠くから唄の声が聞こえるものの静かだった。僕は布団を敷いてどうにか島田先輩をそこに横たえた。先輩は全く起きる様子はなく、そのまま寝ている。
「……」
僕は寝ている島田先輩の顔を眺めていた。日頃の鬱憤が相当溜まっていたのか、解放されたようにはしゃいでいた先輩。酒もそんなに強くないはずなのに良く飲んでいた。
(…今なら…)
酔いのせいにできるのかもしれない。
僕はそんな誘惑に釣られて、ゆっくりと島田先輩に跨った。恐る恐るだったが、島田先輩は気が付く様子はない。
僕は男の方が好きだ。
むしろ女に言い寄られる方が気持ち悪いと感じてしまうほど…生来そういう趣向があった。そんな趣向を見破られて、井上先生の組下のものと関係を持った。けれど心が通い合わない重なりに僕は嫌気がさしていた。
心から通じ合える人と重なりたい。
…そう、例えば島田先輩のような。
「……先輩…」
裏表のない人当たりの良い先輩に話しかけられたのは、入隊してすぐのことだった。見上げるほど大柄で最初は威圧感があったが、意外に笑うと爽やかで…そんなところにすぐ惹かれてしまった。けれど、先輩はきっと女の方が好きなはずだ。それに同じ組になったからまさか関係を持つわけにはいかない、と僕はどうにか自分を誤魔化した。
けれど、こんな無防備な姿で目の前にいたら…油断してしまう。
そっと唇を重ねる。酒の匂いがしたけれど、それでもその唇は僕にとって甘かった。
「…先輩…ごめんなさい…」
気が付かれたら、気持ち悪がられるだろうか。僕が男を好み女を嫌うように、男が男を好きになることを受け入れられない人だっている。僕がもしこんなことをしてしまったら…先輩はどんな反応をするだろう。
(…一度だけ)
酔った過ちだと言えば、先輩は許してくれるのではないか。
僕に過ったのは、そんな甘い誘惑と期待。けれど案外決断は早く、僕は自分の結い上げた髪を解き着物を脱いだ。
そして、島田先輩に触れたのだ。


島田先輩は案の定、僕に謝った。無理やり行為を強いたんじゃないか…そんな風に自分を責めていた。けれど僕自身から誘ったことを知ればきっと嫌われる。そう思った僕は卑怯なことに真実を告げることができなかった。さらには先輩の隙をついて関係を継続させた。
「またしたいですか?」
そんな風に聞いて、「したい」と言われることに喜びを覚えた。
遊びだと思われるほうが良い。この気持ちに気づかれて、疎まれるくらいならいっそお互いがお互いのことを「遊び」だと思えば楽なのだ。それに僕は島田先輩に抱かれることが幸せだったのだから。
僕を抱いているときの島田先輩はいつもの温厚な先輩ではなかった。少し強引で語気が荒くて…他の誰も知らない先輩を、僕だけが知っている。そんな風に優越感を持つのが、僕の喜びになったのだ。
けれど、行為が終われば僕は先輩に冷たく接した。先輩に甘えるのは、抱かれている間だけで十分だ。これ以上優しくされれば、嘘を付くのがつらくなってこの気持ちを伝えたくなってしまう。けれどすぐ拒絶されることを思う。そして、その言葉を飲み込む。だから平気なふりをしてしまうほうがまだ楽だったのだ。
そんな悪循環と歪んだ関係を続けていると、今度は先輩が変わっていった。僕を見る目に、少しずつ迷いが出始めたのだ。
どうしてこんなことをしているのか。
どうして…男を抱いているのか。
僕はそんな風に思われるのが怖かった。
そんな僕の心の弱さは、残念ながら別の男に抱かれるという間違った方向へ向かった。
「久々にいいだろう?」
井上先生の組下の隊士にそう唆された。僕は言われるがままにその男とともに出会茶屋へ向かう。しかし彼はこういった。
「今は島田さんで遊んでいるのか」
と。それはまるで蔑まれるように。
「……だったら何」
僕は冷たく返した。すると男は機嫌を取るように「そう言うなよ」と笑った。
「あんな純朴そうな男がいいんだ」
「…関係ない」
僕はそう言って立ち上がった。頼りない歪な心が悲鳴を上げていたから彼の誘いに乗ったものの、彼の台詞ですっかり気分が冷めてしまったのだ。
しかし男は続けた。
「怒るなよ。何だったら、やってる最中『島田先輩』って呼んでもいい」
「……」
僕は立ち止まって、男を見た。
「我慢してばっかりじゃ、疲れるだろう」
そんな風に言われて僕の心は完全に参ってしまった。男にされるがままに手を引かれて、肌を晒し、いつもと違う男と重なった。
「…っ、島田…先輩…!」
僕は擦れた意識の中で叫んだ。
「先輩…っ!せん…ぱ…」
絶対に言えない台詞を
「先輩…好き……」