アオハル Glamorous

アオハル -Glamorous- 1


ひたひたとすっかり冷たくなった廊下を歩きながら、目的地までたどり着き、ゆっくりと障子をあけた。
薄暗い部屋の中には、思った通り熟睡する土方の姿がある。すっかり見慣れてしまった光景ではあるが、
こうして毎日毎日起こしに来ているというのに、自分から目を覚ます努力をしようとはしない辺り、
反省の色は無い。ため息をついた。
目を閉じて眠る土方のもとに近づき、目覚ましの挨拶代わりに掛布団を剥ぐ。夏が移ろい、秋に変わってからは
朝はめっきり寒くなった。掛布団が無くなるだけで十分目を覚ますはずだが、土方は寝返りを打ちまだその眠りから
目覚めようとはしない。仕方なく、今度は敷布団に手をかけて、渾身の力で持ち上げた。強制的に布団を
取り上げられ、身体が転がると流石に土方も驚いて目を覚ました。
「…いってぇ…」
土方が重たい身体を持ち上げながら、朝の眠りを脅かした者を睨む。
「…かっちゃん、もうちょっと手加減してくれ」
寝起きの虚ろな瞳が捉えたのは、満面の笑みで微笑む近藤だった。
「おはよう、歳。でもお前はこうでもしないと意地でも起きようとしないだろう」
「…そんなことはない…」
「そんなことはある。俺はこの数日で思い知ったぞ」
ははっと快活に笑う幼馴染に、土方は頭を抱えた。朝はどうもぼうっとしてしまう土方とは対称的に、
近藤は朝から清々しい。
「歳、早く着替えて来てくれよ。もう朝餉の準備が整っているよ」
「……わかった」
近藤は布団を畳み、「すぐに来いよ」と念を押して部屋を出ていく。まだ眠気の残る身体を引きずりながら、
土方はため息をついた。


近藤の言うとおり、大部屋には食客たちが集まり朝餉の時間となっていた。
「おはよう」
「おはようございます」
土方の顔を見ると食客たちは口々に挨拶を述べる。それは普段と変わらない光景である。しかし土方は
不機嫌なまま朝餉の席に着いた。
「…総司は?」
食客たちのなかに、総司の姿がない。すると原田が「ああ」といいつつ
「もう食ったみたいだぜ」
と言った。
「…そうか」
土方は箸に手を伸ばし、吸い物をすすった。
(総司の奴…)
朝の目覚まし役が総司から近藤に変わったのは数日前のことだ。近藤は
「朝餉の手伝いが忙しいらしい」
と言っていたが、つねが嫁に来て以来、総司も手伝う事が減っていたようだったし、食客も増えてはいないので、
あまり理由になっていないような気がした。
それに、このところは顔を合わせる機会もあまりない。
(…意図的に避けられている…)
そう察するのは簡単だろう。それに気が付いているのは土方だけではない。
「総司の奴、照れてんじゃねえの?」
にやにやと笑った原田が土方を揶揄する。その隣にいた永倉が「原田」と諌めるが、
「どうなんだよ」
と原田はお構いなしだ。
原田が揶揄するのは、先日土方と総司が一緒に寝ていた件についてだ。それ以来、原田や他の食客たちからも
「もしかして」とあらぬ誤解を受けている。
「どうもしねえよ。下らねえ」
土方からすれば、総司が何故自分の部屋にいたのかということが不思議なくらいで、総司を起こして部屋に
戻すのも面倒だったので、そのまま一緒に寝た…それだけのことだ。
(だが…)
本当にそれだけのことだと割り切れるなら、総司はこの場にいて一緒に笑い飛ばしただろう。そうして話は
しまいになっていたはずだ。
(そうできなかったってことは…)
何となく、その答えが分かる気がして、しかし土方は思考をそこで止めた。
駄目だ、と自分の中で思ったからだ。



アオハル -Glamorous- 2


総司は食客たちが起きてくる前に朝餉を平らげて、さっさと試衛館を出た。早起きの近藤や食事の支度をしている
つねが不審そうに見ていたけれど、「出稽古に行く」と言えば誰も止めようとはしなあった。
もちろん、稽古までは大分時間があった。
(でも…)
土方とは顔を合わせずらい。しかしそう思っているのは総司だけのようで、土方は平気な顔をしていたし、食客たちは
揶揄をするだけだったけれど。
しかしそれでも居たたまれなくて、ここ数日は近藤に土方の目覚まし役を頼み、必要最低限に土方と接している。
あまりにあからさまなので土方は気が付いているだろうが、珍しく何も言ってこない。
(もしかして気が付いている…?)
そう思いいたって、しかし総司はぶんぶんと首を横に振った。そんなわけはない。ただ、たまたま、土方と一緒に
一晩寝ただけのことだ。あちらは総司のことを子ども扱いしているし、昔から一緒に住んでいるのだから
珍しいことでもないはずだ。今までだって雑魚寝をしたことくらいある。
そう自分に言い聞かせながら、総司は出稽古先までの畦道を歩く。いつもと何ら変わりないその道だが、初めて通る道のような気がした。
変わってしまったのは道ではなくて、もちろん自分の方。
誰かを好きになるなんて初めてだ。誰かのものになってしまうことに、自分がこんな嫉妬を感じるなんて知らなかった。
知らなかったけれど、気が付いて、そしてすぐに思った。
(こんな気持ちは…忘れなきゃ、だめだ)
きっとこんな気持ちは誰にとっても邪魔にしかならない。近藤や土方の姉であるのぶ、そして土方にとっても迷惑だろう。
総司は思いっきり、自分の手のひらで自分の頬を叩いた。
(しっかりしろ…!)
そう言い聞かせた。


出稽古先は、土方の姉のぶの嫁ぎ先である佐藤彦五郎の道場だ。何となく気乗りはしないけれど、決まった仕事なのだから仕方ない。
総司は「よし」と呟いて、門戸を叩いた。
「あら、総司さん、いらっしゃい」
総司の気持ちなど知る由もないのぶは、笑顔で出迎えてくれた。総司もそれにこたえて「早くにすみません」と答える。
「今日は一人?歳三は一緒じゃないのね」
「え…ええ、今日は、はい」
もともと一緒に出稽古に来る予定はなかったのだから、嘘ではない。しかしのぶは「そう」とため息をつきつつ続けた。
「困ったわ。早く先方にお返事をしなくちゃならないのに…」
「…先方って…」
「この間お話した、お見合いよ」
のぶは足洗いの桶を準備してくれつつ、先日の見合いについて長々と語りだした。
どうやら見合い相手は土方よりも十歳以上年下の十四歳だそうで、青葉という。見た目も年相応で、土方とは歳の差が
あるようには見えるけれど、「将来は美人になるわ」とのぶは根拠のない太鼓判を押していた。
あちらの両親も土方に入り婿になって店を継いでほしいと懇願しているし、青葉の方も土方を気に入ったようで、
今度は芝居に連れて行ってほしいとせがんだり、問題はない。
むしろ問題があるのは土方の方で。
「あからさまに嫌な顔をするから、後でお説教をしたけれど、小言を言っても聞くような年齢じゃないでしょう。
 でも今回ばかりはお断りするわけにはいかないの。総司さんからも今度またうちに来るように言っておいてくださいな」
「ああ…ええ、そうですね…」
総司は曖昧に返事をしたけれど、のぶの話はそれからも続いた。女性の話は長い。総司が返答に困っていると、
彦五郎が顔を出して
「いい加減にしないか」
と助け舟を出してくれた。のぶはまだ話足りない様子だったけれど、稽古の時間が迫っていたこともあり、話を切り上げた。
彦五郎から「悪かったね」と謝られつつ、総司は道場に向かう。
のぶが話した見合い相手の青葉の姿を想像した。
まだ顔も声も何も知らないその少女のことを、疎ましく思う自分が居た。











アオハル -Glamorous- 3


すれ違いの日々は、それから数日も続いた。近藤や食客たちは「喧嘩でもしているのか」とせせら笑うだけだが、
総司にとってはそんな単純な問題ではない。しかしもちろん、総司は誰にも相談することはできなかった。
そして時間が過ぎると、お互いがお互いに対してぎこちなくなっていて、距離は開いていく。
ただの喧嘩だったら、いつの間にか時間が解決して元通りに戻る…それだけだ。
しかし今回は総司のなかで能動的に解決に動くような気持ちや気力がどうしても沸かない。
総司にとっての解決とは、忘れることだけだからだ。けれども、まだ、何も忘れることができない。
(その時は…きっと、本当にこの気持ちをなかったことに出来る時だ)
傷が塞がって、瘡蓋になって、それがポロリと剥がれる。そうしていつかは元に戻る。
その時まで、できるだけこの傷が深くならないように、瘡蓋を自分で剥がしてしまわないように…そう願うだけだ。
…そう思っていたのに。


「ひっじかたさ〜ん、客だぜ?」
原田が足取り軽く食客たちが集う土間に顔を出した。朝餉も終わり、各々が思うとおりの時間を過ごそうとする頃だ。
「客?」
訝しげに顔を歪めた土方には、心当たりがないようだ。しかし原田はにやにやと笑って
「いや〜、土方さんも守備範囲が広いっていうか、年増ならまだしもあんな幼気な子供にまで手を出していたなんてなぁ」
そうからかいつつ、「玄関に待ってるからよ」と原田は教える。少し離れた場所にいた総司が、土方の表情を窺うと
不審がる表情から、不機嫌な表情へと変えた。
「…わかった」
どうやら何かに思い当たったらしい、と総司は察した。すると案の定、土方は足早に玄関の方にかけていく。
「…ね、客って女ですか?」
好奇心を丸出しにした藤堂が、原田に訊ねる。原田は大きく頷いた。
「土方さんを訪ねてくる客に、女以外いるわけねえだろう。おモテになるんだからよ」
茶化した物言いをした原田だが、その言葉一つ一つが突き刺さる。原田が土方の女関係に茶茶を入れるなんていつものことなのに
まるで傷を抉られるような気分だ。
だが、さらに原田は追い打ちをかける。
「なあ、総司も見に行ってみようぜ」
「み、見に行くって…?」
戸惑う総司の腕を原田は強引に引いた。
「だから土方さんを訪ねてきた客だよ!」
「わ…私は、別に…」
「いいから行ってみましょうよ!」
お調子者の原田と興味津々の藤堂に挟まれては、拒むことはできない。やれやれ、と言わんばかりに呆れ顔の山南と永倉を土間に残し、
三人は玄関へと向かう。
すると声高な可愛らしい声が聞こえた。壁越しに三人がこっそり様子を窺うと、そこにいたのはあどけない風貌を残した少女だった。
「…親戚のお嬢さんですかね?」
藤堂が不思議そうに首を傾げる。原田が言うような恋人のようには見えなかったからだ。
土方よりも十ほど年の離れた少女。上品な振袖を身に纏い、大きめの可愛らしい髪飾りを身に着けていて…。
そこまでじっくりと彼女の風貌を観察して、総司はようやく気が付いた。
おそらく彼女こそが、土方の見合いの相手である「青葉」だ。
「おのぶ様からこちらを訪ねてみるようにとお話を受け、お邪魔いたしましたの。きっと歳三様はいらっしゃるので、お芝居でも
 連れて行ってもらいなさいと」
青葉は初めて訪れたにもかかわらず、遠慮なく土方に用件を話していた。土方はあからさまに困った顔をしていた。
「だからと言ってこんな男ばかりの道場に一人で来るものではない」
「供の者は表に待たせておりますの」
年が十も離れれば威圧的に感じるだろうに、青葉は特にそんな様子もなく理路整然としている。むしろ土方を言い負かすほどだ。
土方は盛大なため息をついて
「…突然来られても困る。こっちもこっちの都合がある」
「でしたら、いつなら宜しいのでしょうか?」
土方の不機嫌さを意に介さず、青葉は訊ねる。その様子に、原田が「くくく…」と笑いをこらえている。土方としては
怒鳴り散らしてしまいたかったのだろうが、義理の兄や姉の体面を考えると無下にはできなかったのだろう。
「…明後日」
と絞り出すような声をして、渋々ながら了承した。すると青葉はぱっと笑顔を作って「わかりました!」と嬉しそうに頷いて
あっさりと別れの挨拶をして出て行く。
土方が頭を掻いて玄関を去ろうとしたところで、三人に気が着いた。
「あ…」
「見てたのか」
土方は三人に…むしろ、総司に視線を向けて訊ねた。しかし総司には何も答えることができない。
(見ていたと言ったら…)
土方は困るのだろうか、怒るのだろうか…そんな戸惑いを感じ総司は答えに困っていると
「ひゅーひゅー!もてるじゃねえか、羨ましいなあ!」
と原田が土方の肩を叩く。土方はため息をつきながら「羨ましいならやる」なんて言いながら、総司の隣をすり抜けて
去っていってしまった。





アオハル -Glamorous- 4


あっという間に土方が口にした「明後日」になった。
総司はいつも通りの時間に着替えを済ませ、台所を手伝う。昨夜はそわそわして寝つけなかったので、眠気は残っていたが
一人で塞ぎ込んでいるよりは手伝いをしている方がマシだった。
今日、土方はあの青葉という少女と出掛ける。いつもの土方ならあんな他愛もない約束をすっぽかしてもおかしくはないが、
のぶの言いつけでもあるし、さらに小耳にはさんだらしい近藤が
「年は離れているかもしれないが、おのぶさんが勧めるなら問題ないだろう」
と背中を押したので、ますます土方は断れなくなってしまったようだ。偶然にも近くの見世物小屋で旅芸人が芝居を催しているそうで
それに出掛けるらしい。
(だから…何だっていうんだ)
総司は包丁を握る手に力を込めた。
いくら実姉の勧めだと言っても、あんな年端もいかない少女と夫婦になるなど現実味がないし、土方もどうやっても断るだろう。
それに嫁を貰ったところで、土方が試衛館からいなくなるわけでもない。入り婿だとかそんなのはまだ先の話だ。
(…僕は、歳三さんとどうにかなりたいわけではない)
青葉のように何かを望むわけではない。
この居心地の良い関係が変わってしまうのは残念に思うかもしれないが、いつまでも変わらないものなんてないのだから。
そんなことはわかっている。
だから
(だから…早く忘れるんだ)
青春のほろ苦い記憶の一端だったのだと、そう笑えるように。
「総司さん」
その声に驚いて、総司は包丁の目算を謝る。薄く切っていたはずの漬物が、一枚だけ分厚くなってしまった。
「は…はい?」
声の主はつねだ。
「歳三さん、まだ起きていないみたいで…今日は早くにお出かけでしょう。旦那様も出稽古に行っていらっしゃるから、
 起こしてきてくださらないかしら」
「あ…え…」
つねの申し出に、総司は自分が思った以上に動揺した。
ここ最近は近藤に土方を叩き起こす役目を代わってもらっていた。その近藤が出稽古でいないし、土方の眠りは
他の食客たちでは太刀打ちできないほどの深い眠りなので、いま試衛館にいる面子なら確かに総司しか土方を
起こすことはできないだろう。
「…わかりました」
青葉と出掛けるために起こす役目を担う。皮肉なタイミングに、総司は苦笑するしかない。
包丁をつねに任せて、総司はたすきがけを取り台所を出た。
重たい足を引き摺りつつ、総司は土方の部屋に向かう。部屋の前では、まだ彼の寝息が聞こえていた。
(久し振りだ…)
そう自覚すると心臓が高鳴った。土方と向き合うことにこんなに緊張するなんて思わなかった。
障子に手をかけてゆっくりと開ける。朝日の日差しが入り込んだ薄暗い部屋で、土方はいつものようにぐっすりと寝ている。
総司は一歩、また一歩とゆっくりと土方に歩み寄る。
少し長い睫毛が穏やかに伏せられている。単調な寝息だけが木霊する部屋は、まるで外からは隔離された場所のように
感じられるほど繊細だ。
(起こしたくない)
起こさなければ、どこにも行かないのだというのなら。
(起こしたくない)
ずっとここにいてくれると言うのなら。
「…あれ…?」
自然と視界が揺らいだ。それが涙のせいだと知り、総司は慌ててそれを拭った。
(忘れたい)
そう願うのは、痛いからだ。まるで首を絞められるかのように、身動きが取れなくなってしまうこの感情が憎い。
憎くて、悲しくて、それでも捨て去れない。捨て去る方法を知らないからだ。
総司は土方の布団の傍に腰を下ろした。拭っても拭っても零れてくる涙へ、もう止まれと思うのに、思うようにならない。
想うようにならないことばかりだ。
「おい」
すると突然、左手首が掴まれた。ぐいっと声の主に引き寄せられる。
「とし…!」
「何、泣いているんだ」
朝が弱い土方の、寝起きとは思えない明瞭な声。…いや、きっと寝起きではない。総司は血の気が引いた。
「お、起きていたんですか…?!」
咄嗟に視線を逸らし、もう片方の手の甲で顔を隠す。腫れぼったくなった目を見られたくはなかったからだ。
見られたら気づかれてしまう。
(男同士なのに、気持ち悪いって思われる…!)
しかし土方は布団から身体を起こし、総司のもう片方の手まで掴んでしまった。
そして
「お前、俺のことが好きなのか?」
そう訊ねた。








アオハル -Glamorous- 5



まるで身体中に雷が走ったかのように全てが停止した。空耳だったと思いたいのに、
土方が真剣な眼差しを総司に向けたまま、その手を掴んではなさい。
一番言われたくなかったことを、一番気づかれたくなかった人に言われた。
その衝撃は触れられた場所から、理解していく。
「…な…何言っているんですか…?」
強張った表情の筋肉を何とか動かして、総司は笑った顔を作る。
「朝から、冗談キツイですよ。わ…たしは、ただ、そうだ、ちょうど欠伸をしていただけで…」
総司は目を何度も擦って、誤魔化す。
「だから…手を離してください」
「……嫌だ」
「え?」
土方は掴んだ手を引いて、さらにそのまま自分の方に引き寄せた。そしてそれまで横になっていた
敷布団に抑え込むように総司の身体を固定する。両手首を掴まれて、押し付けられた総司は身動きが
取れない。
「とし…ぞ…」
「お前はもう、俺を起こしに来ないのか?」
「え…?」
「ずっとそうやって、俺のことを避けていくつもりなのか?」
ズキン、と胸が痛んだ。勿論近頃、土方をあからさまに避けていたことについて気づかれていないと
思っていたわけではないけれど、それでも真っ直ぐに指摘されると、返答できない。
自分に後ろめたい気持ちがあるから。
「…っ、そんなの、自分で…起きたら、いいじゃないですか…っ」
でもこの気持ちを、口にしたくはない。
(だって口にしたら、それですべてが終わってしまう)
今まで気づいてきた、家族のような情だとか、兄のような敬愛だとか、そう言うのを失うくらいなら
この気持ちを押し殺す方がマシだと思っていたのに。
(どうして)
「お前じゃないと、寝覚めが悪いんだよ」
「う…嘘だ。私が起こしに来たって、いつも…不機嫌で…っ」
「お前以外ならもっと不機嫌だ」
「だ、だから、自分で起きればいいじゃないですか…っ!」
駄々こねていないで、理由は何でもいいから納得をしてくれればいいのに。
(どうして、この人は…瘡蓋を剥がすんだろう)
剥がしてしまえば、塞ぎかけていた傷口がまた開いて、すべてが溢れてきてしまうと言うのに。
「まだ認めないのか?」
いつも上から目線で。
いつも偉ぶって。
「何を…」
「お前は、俺のことが好きなんだろう」
余裕ぶって、そんな風に自分勝手に聞いてくる。
どうしてこんな人を、好きになってしまったのだろう。
「言っておくけどな、お前の今、顔を真っ赤にしてまるでそこらの生娘みたいなんだからな」
「嘘だ…」
「嘘だと思うなら鏡を見てみればいい」
それが嘘じゃないなんてわかっている。顔が、身体が、すべてが熱い。
焦げそうなほど。焦がれそうなほど。
「歳三さん…お願いだから、離してください…」
「お前が認めて、明日からも俺を起こしに来るっていうなら離してやる」
「…っ」
ギリギリの境界線を破って、何かが溢れてきそうだ。
(嫌だ…嫌だ)
どうか破裂しないで。
「…なんで、泣くんだよ」
困ったように顔を歪める土方が、その指先で総司の目尻に触れた。玉のような涙を掬い
あやす様にそのまま総司の輪郭に触れる。
(優しくしないでほしい)
このままでいたいから。
このままで十分だから。
溢れる前に、もう一度塞がなくてはならない。
少し力が抜けて油断している土方の手を、総司は一気に払った。バランスを崩した土方が腰を
落とす。
「もう二度と、こういうことをしないでください」
俯きつつ、固い表情で告げる総司に、土方は驚いた表情を見せた。
「総司…」
「よく見てください。私が女のように見えるんですか?まだ寝ぼけているんじゃありませんよね」
「おい、お前…」
微笑んで返す総司に、土方は唖然とする。しかしこれ以上引き留められないように、総司はすぐに
立ち上がると部屋を出て行く。
「…男同士なんて、気持ち悪いじゃないですか」
「総司…!」
総司はぴしゃりと障子を閉めて駆けだした。
吐き捨てた最後の言葉は、まるで自分への枷のようだった。



アオハル −Glamorous− 6


「とてもつまらない顔をなさるのね」
十は年が離れているというのに、青葉はまるで同い年の友人に話しかけるような親しさで土方の隣にいた。
「…」
「お芝居は佳境ですわ。ほら、ご覧になって」
彼女が指さす先は、確かに芝居の中でもクライマックスで、一番盛り上がる場面だった。
青葉の言葉遣いはまるで大人びているものの、その声は甘く幼くしたっ足らずだ。ころころ変わる表情も、小生意気な態度も
何もかも土方の興味の範疇から外れている。
(…ありえない)
結局、青葉は試衛館にやってきて、芝居を見に行くと言う約束を果たす羽目になってしまった。
追い返しても構わなかったのだが、近藤の後押しや試衛館食客たちの揶揄を浴び、青葉の使いの者も一緒にいたため
無下にはできなかったのだ。
「…くそ」
土方は呟く。
青葉が土方の表情を「つまらなそうだ」というのは、芝居がつまらないのではなく、この状況が気に食わないからだ。
そもそも姉がこの年端もいかない少女を自分の嫁にとの考えも理解できず、
そんな姉にあらがうことができない自分のあやふやで不確かな立場や環境に苛立ち、
我慢ばかりする年下の兄弟子の態度も…すべてが「つまらない」のだ。
(…俺は、いったいどうしたいんだ…)
苛立ちながらも思い浮かぶのは、泣きそうで悲しそうで、そして平気な顔で笑おうとする総司の顔ばかりだ。
(俺は…あいつが…)
その時、わぁっと観衆たちの声が上がった。役者を煽る客たちの声や拍手が鳴り響く中、幕が引かれて芝居が終わる。
土方はやれやれと思いながら立ち上がると、青葉はその場でもぞもぞと居心地が悪そうな表情を浮かべていた。
「…どうした」
「足が痺れました」
照れくさそうに微笑む青葉に、土方は仕方なく手を差し出した。青葉は躊躇いもなく手を重ねて、土方に引き上げられるままに
立ち上がる。
「ありがとうございます。お優しいのですね」
「別に…このくらいは普通だ」
「普通ですか?」
「…」
土方が素っ気なく返しても、青葉は怯む様子はない。
(肝っ玉の据わったお嬢ちゃんだ…)
今は興味の範疇にも入らないが、十年後は違ったかもしれない。そんなことを考えていると、ふっと気が付いた。
(…お嬢ちゃんと総司は…三つほどしか変わらないのか)
自分からすれば年の離れている青葉だが、総司とは左程変わらない年頃なのだ。
すると青葉は満面の笑顔を土方に向けた。
「土方さま、今日はとっても楽しかったです」
「何だ、急に…」
「でも土方さまは全然楽しくなさそうでしたわね。お芝居もあんなに盛り上がっていたのに、とてもつまらなそうでしたわ」
「…」 憮然とする土方に、青葉は素直な感想を述べつつ、「ふふっ」と微笑みかける。
「土方さまは別に好いた方がいらっしゃるのですか?」
青葉の無邪気な問いかけに、土方の方が窮した。
「…いる、と言えばどうするんだ」
「仕方ないですわね」
「諦めると?」
「諦めませんわ」
堂々とした返答に、土方は苛立ちを通り越して唖然とする。すると青葉は「もう大丈夫」といって繋いでいた手を離した。
「だって、私は土方さまと一緒にいるだけで楽しかったのですもの。胸の辺りがドキドキして、頭がぼーっとして。
 これがきっと恋なのでしょう?」
「…さあ。ただの気のせいかもしれねえけどな」
「気のせいかどうかは、わたくし以外はわからないですわ」
芝居を見に来た観客たちが帰路につく中、青葉は立ち止まって土方の方へ振り返った。
「でもわたくしだけが一方的に恋に落ちても仕方ありません。恋に落ちるなら一緒に落ちてくださる方じゃないと。
 だからわたくしは土方さまに恋に落ちてもらえるように努力をしなければなりません」
「俺は…」
「遣いの者が待っていますから、ここまでで結構です。またお会いしましょう」
青葉は丁寧に頭を下げて、小走りに駆けていく。人混みの中埋もれていく青葉はすぐに居なくなってしまった。
「は…」
土方はその場に立ち尽くして苦笑した。
彼女の言い分はとても夢見がちで、現実離れしていて、しかしそれでいて純粋で、素直。
軽やかに「恋をしている」と告げた彼女のことを、簡単に「子供だ」と侮っていた自分が間違っていたような気がした。
(恋に落ちる…か)
そして皮肉なことに、彼女が気づかせてくれたように思う。
いままでそんな「恋」をしたことがなかったということを。



アオハル −Glamorous− 7


もっと付き合わされるかと思った青葉との外出が、あまりにもあっさりと終り、土方は真っ直ぐ試衛館へと戻った。
土方が玄関に腰掛けて草履を脱いでいると、「あっ」ととても驚いた声が上がった。
「総司…」
「な…っ、なんで?もう帰ってきたんですか…?」
まるで心の準備ができていなかったようで、総司は慌てふためく様子を隠せないようだ。
「帰ってきちゃ悪いのかよ」
「べ、別にそう言うわけじゃありませんけど、原田さんや永倉さんはもっと遅くなるんじゃないかって言っていたから…。
 芝居は?もう終わり…ですか?」
言い訳をしつつ、総司は後ずさりをしながら土方と距離を取っていく。しかし土方はさっさと草履を脱いで、すかさず総司の手を取った。
「ちょ…!」
「今朝のことだが…ひとつ、言っておくけどな、俺はお前のことを一度も女だと思ったことはねえんだよ」
「…は…?」
脈絡のない切り出しに総司は戸惑う。しかし土方は敢えて続けた。
「だいたい、俺だって相手は女ばかりでそっちの経験はねえんだ。それどころか、男相手に熱を入れたことなんかこれまで一度もない。
 想像さえしたことない」
「だ…!だから、何ですか…っ私には関係ないです…」
総司は少しだけ傷ついたような表情を見せて、視線を逸らした。自分の気持ちを否定されたと思ったのだろう。
だが土方は無理やりにその頬を自分の方へ引き寄せて視線を合わせる。
「だから、さっぱりわかんねんだよ。何でお前がそんな生娘みたいな顔をしてるか、お前の気持ちとか…
 ましてや、それを…なんで俺が、気になっちまうのか」
「え…?」
青ざめていた総司の表情が、呆けたものにかわる。しかし土方とて、何か考えがあって喋っているわけではない。
(はは…総司相手に、何、緊張しているんだ…)
すると総司が眉間に皺を寄せた。そして訝しげに土方を見る。
「…歳三さん、支離滅裂なことを言っているの、わかっているんですか…? むがっ」
土方はもう片方の手のひらで総司の反対側の頬を抑える。これで土方の両手で総司の顔を挟んだことになった。
「とぉ…し、ぞおさん…」
「いいから、最後まで聞け。俺だって何でお前みたいなガキにこんなことを言わなきゃならねえのか、わからねえんだから」
「…っ」
総司は顔を歪めつつ、抵抗の素振りを止めた。
土方はすぅっと息を吐く。
「これが恋なのかどうか、俺にはわからん。だから、お前は俺のこの気持ちの正体がわかるまで、俺に付き合え」
「……ふぁ?」
「取りあえず、お前はこれまで通り俺を起こしに来い。いつまでもかっちゃんに頼むのは、お前だって気が引けるだろう」
「しょ…しょれは…別のふぁなし…」
そこでようやく土方は手を離してやる。総司はいまだに困惑したままだ。しかし、土方は「じゃあな」と総司を放って
去ろうとする。すると今度は総司が
「ま、待ってください!」
と土方の袖を引いて引き留めた。
「何だ」
「その…それって、今まで通りってことですよね。歳三さんはそれでいいんですか…?」
総司もここまで来れば、自分の気持ちが土方に知られていることは自覚しているだろう。
土方に拒まれることに葛藤してきた総司からすれば、土方のその申し出は、すべてでは無いにせよ、総司の気持ちを
受け入れたということだ。
土方は少し考えて、しかしふっと笑って返した。
「いいだろう、それで」
「…」
「ただし、保証はしないけどな」
人は、誰かに恋をする。
その誰かはお前かもしれないし、別の女かもしれない。
しかしそれは、「いま」ではわからないことだ。
それは突然やってくるのだろう。
恋は。
(突然、落ちるものらしいからな)












拍手ありがとうございます。
また、アオハル―Glamorous―最後までお読みいただきましてありがとうございました。
ほぼ一か月に一回の更新だったせいか、話がまとまっていないような(反省…)気がするのですが、
終りだけは最初から決めていた展開になったので、終わりよければすべてよし…かな(汗)
この話の続きですが、残念ながらちょっと今、書く予定がありません。ごめんなさい。
また気長にお待ちいただければ幸いです。

ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。


榊マユリ / 2015年4月18日
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