そこはかとなく、

英は幼かったあの頃から背丈が伸び、顔つきも大人のそれへと変わった。与えられる形容詞は「可愛らしい」から「美しい」へと言葉を替え、その言葉に何の意味も感じなくなっていた。しかし、目の前にいる泥吉はあの頃と何も変わらない。やんちゃであり奔放であり、己の興味の赴くままに動く、欲望に素直な男だ。
「…なんでェ、すっかり身体が固くなってやがる。今更、生娘を気取ったって仕方ねえだろう」
どうにか逃れようと身体を捩って暴れる英に対し、泥吉は揶揄するように笑った。
「俺は…もう、陰間じゃない…!」
「だから、言ったろう?陰間ってェのはお前の本性だ。今はいらねェっつっても、そのうち物足りなくなって男が欲しくなる。…何だったら俺がまたお前の『まわし』をやってやるぜェ」
「…いっ、やだ…!」
泥吉の身体を弄る手は英をあの頃へとフラッシュバックさせる。英はどうにか泥吉の手を払うが、一回り以上体格の違う泥吉には敵わない。
誰に抱かれようとかまわないと思っていた。小せんの言う通りその素質があったのだろうし、要ると望まれるのならば、それでいいと悟ったように思っていた。
けれど、今は違う。
狂おしい恋を経て、優しく接してくれていた人を亡くし、『生まれ変わればいい』と新しい人生を与え、応援してくれる人がいる。
だからこそ、過去へと引きずり込もうとする泥吉と、関係を持ってはいけない。
「…ったく、しゃあねェなァ」
抵抗ばかりする泥吉はしびれを切らしたのか、やれやれと言わんばかりに声を上げる。
(諦めたか…)
と英は安堵しかけたが、そうではなかった。
「ん…っ?!」
「こっちで知り合った奴がくれたんだ。和蘭の…何とかってェいう薬だそうだ。身体が熱くなって、もの欲しくなる…」
口の中に放り込まれた液体が喉を通過する。吐き出そうと試みるがそれは叶わず、あっという間に泥吉が言うように身体の芯が火照り始めた。
薬を盛られたことは初めてではなく、そういう狂った遊びに興じる客人は居た。けれどそれは双方の合意があったから。
「…へェ、よく効くじゃねェか」
「く…っ、ぅ…!」
英はどうにか抗おうとするが、すでに身体の力は抜け今は泥吉が抱えているから立っていられるだけの状況だ。ただただ体が熱くて仕方ない。
泥吉はそんな英を見て、ぺろりと舌を出し唇を舐めた。
「もう終いの年だっていうのに…やっぱりお前さんは格別だねェ、薫…」
「…い…」
嫌だ。
(もうその名前で呼ばれるのは嫌だ…)
これ以上、近づきたくはない。彼に飲み込まれたくない――。
「何をしている」
「!」
英と泥吉の間をきらりと光る刃先が遮った。泥吉は「ヒィ!」と驚いて英を突き飛ばし、腰を抜かす。その刀は依然として泥吉に向けられたままだ。
(歳…さん?)
朦朧とした意識とかすんだ視界のなか、なぜか英はそう思った。薬のせいか自分を助けてくれるのは彼以外居ないはずだと夢見がちな想像が膨らんだ。
しかし、そこにいたのは土方ではない。
(…斉藤…)
新撰組の斉藤一。先日、泥吉を医療所に連れてきたのも彼だった。
「…な、なんでェ、新撰組の旦那がここに…?」
「理由などない。ただの通りすがりだ」
淡々と答える斉藤に表情の変化はない。ただ彼が放つ雰囲気は常人でも感じ取れるほどの圧があった。泥吉もそれを感じ取ったのか、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「…じゃ、じゃまたなァ、薫」
泥吉はそういうと、地を這うように逃げ出していく。斉藤はその姿を見ると大きなため息をついてその刀身を鞘に収めた。泥吉に突き飛ばされた英はすでに立ち上がる力すらなかったが、斉藤を見上げた。
「な…んで、ここに…?」
「前にも言ったはずだ、不定浪士との繋がりが疑われている。俺はあの男を張っていただけだ」
「…そう、か…」
泥吉は英が外に出るまで待ち伏せしていたようだが、その彼がまた斉藤に監視されていたとは滑稽なことだ。
斉藤は膝を折り、息も絶え絶えな英をまじまじと見た。
「…薬を盛られたのか?」
「見ていた…くせに…」
「ああ。お前に抗うつもりがあるのかないのか、見ていた」
「…存外、意地悪だ…」
助けもしないで見ていたなんて、と英は斉藤を責めるが、彼の悪びれもない様子を見て文句を言う気力が失せてしまった。
「もう…いい。一つ、頼みが…ある」
「…何だ?」
「すぐ先の…角を曲がったところに、吉岡という町医者がいる…そこで薬を貰ってきて、それを…南部先生へ渡して…急いで…」
泥吉に捉まり時間が経ってしまった。いまも患者がその薬を待ち侘びていることだろうし、遣いを出した加也が心配しているだろう。この体では上手く動けないだろうから、せめてもの想いで斉藤に託した。
すると彼は「わかった」と立ち上がり、去っていく。
「…ふ、」
英はようやく力を抜いて目を閉じた。熱に侵されたのと同じで、しばらくじっとしていれば治るはずだ。そう思いながら、英はいつしか意識を手放していた。


目が覚めた時には、すでに夕刻になっていた。
「…ん…」
見たことのない天井、知らない部屋、そして暖かい布団。どれに身に覚えがないもので、一気に眠気が飛んだ。
「ここは…」
「近くの茶屋だ」
「!」
英は独り言のつもりで呟いた言葉に返答があったことに驚いた。声の主はもちろん斉藤だ。彼は胡坐をかき、相変わらずの無表情でこちらを見ていた。
「斉藤…さん」
「薬は医療所に届けた。南部先生にはお前は途中で具合が悪くなったので、休ませていると伝えた」
「ど、うして…」
「あんな状態で医療所に返すわけにはいかないだろう」
泥吉が無理やり飲ませた薬はオランダの媚薬だろう。加也をはじめとした医療所の人間に醜態を晒したくはなかったので、彼の気遣いは有難く思った。
しかし
「だからって…」
隣の部屋からは男女のまぐわう声が聞こえてくる…ここがただの茶屋ではないことはすぐにわかった。
すると斉藤は深くため息をついた。
「仕方ないだろう。すぐ近くにここがあった」
「放っておいてくれて良かったのに…」
「そういうわけにはいかないだろう。お前のことは…沖田さんが、気にしている」
「沖田…さんが?」
意外な名前が彼の口から出てきて、英は驚く。斉藤はやはり淡々と続けた。
「お前のことは…事あるごとに気にしている。松本先生にも時折、様子をうかがっているようだ」
「そう…なんだ」
「ああ」
一度は憎くて仕方ないと思った相手だが、いまはその気持ちが失せていた。あの日、河上と対峙する土方と総司を見てこの二人の間にはどうやっても割り込めないのだと悟った。そうしてようやく失恋を受け入れることができたのだ。
(いまはまだ…会えない…)
河上に協力し新撰組を裏切るような事件を起こしたばかりの身で、易々と会うことはできない。
けれどいつかは会うことになるだろう。そんな予感だけは、あった。
「…では、俺は帰る」
「え?」
斉藤は刀を持ち、立ち上がった。
「もう具合は良いのだろう。このまま休んで、動けるようになったら医療所に戻れ」
「…待って」
英は身体を起こし、斉藤を引き留めた。
何故引き留めてしまったのか…
(自分でもよくわからない…けれど)
いまは彼と一緒に居たいと、そう思ったのだ。
だがそれを口にしたところで彼は去ってしまうのだろう。英はためらったが続けた。
「泥兄のこと…話す」
「…新撰組に関わりたくないのではなかったのか?」
「関わりたくないし、関わる資格はないと思っている…でも、貸しを作るのは嫌だ」
「…」
英の申し出に、斉藤は再び腰を下ろした。
「…泥兄は、昔…江戸で陰間をしていた頃に世話になった」
「江戸の者か?」
「わからない。泥吉…というその名前すら、本名なのかは知らない。いつも飄々として…何を考えているのかわからないような、そういう男だ」
見た目通りの性格。性格通りの見た目。そういう意味では嘘のない男だったのだとも思えるが、己の欲望すら嘘がない男だった。
「…泥兄は、俺の『まわし』だった」
「『まわし』…」
「俺を陰間に仕込んだ男だ。男を受け入れられるように、女を気持ちよくさせるように…教え込む役目。棒薬で菊座を広げて、通和散を中に塗りたくる…客を悦ばせるための手練手管すべてを叩き込んで…」
「もういい」
生々しい話を嫌悪しているのか、斉藤は表情を顰めた。だが、英は話をつづけた。
「『まわし』は最後まではしない。それが掟だった…でも、泥兄はその掟を破った」
「…何?」
「俺を抱いた。俺の一番最初の相手は…泥兄だった」
小せんの忠告を無視して、薫を最初に抱いたのは泥吉だった。
その理由はわからない。ただ、飄々としている泥吉のことだから我慢できなくなったとか、構わないと思ったとか、そういう独りよがりの理由のはずだ。
「そのことが知られて…泥兄は見世を追い出された。それっきり会っていないよ」
「…では、あの医療所で会ったのは、それ以来のことか?」
「そう。だから、泥兄が何をしていたのか、なぜ都にいるのか…そんなことは、わからない」
泥吉のことを話すと案外、それ以外何もわからないのだと気がついた。陰間茶屋にいたただの男衆…少しの間かかわりがあっただけで、新撰組にとって有用な情報ではなかっただろう。だが斉藤は「そうか」とどこか気難しい顔で考え込んだ。
二人の間に沈黙が流れた。
不思議と居心地の悪い沈黙ではない。
しかし隣の部屋からは、男女の喘ぎ声が容赦なく聞こえてくる。それにあてられたのか、それとも泥吉に飲まされた薬が残っていたのか…
(身体が…熱い)
この手の薬を飲んだことのある英は、どうすればこの薬が消えるのかわかっていた。
「…斉藤さん」
「何だ」
英は身を乗り出し、斉藤の両肩を押した。そしてそのまま彼を押し倒しその上に乗る。
「…何のつもりだ」
おそらく抵抗できたはずだ。しかし斉藤はどこか英に成り行きを任せていたようでもあった。
「この薬はたぶん精を吐かないと抜けない。…だから、手伝って」
「断る。自分で処理すればいい」
「薬のせいで体が言うことを聞かない。…それに出会い茶屋に連れ込んだのは、あんただ」
「お前はもう陰間じゃないのだろう。だったらこういう真似をするな」
斉藤は身体を起こし英を引き剥がすように遠ざける。それまで無表情だったその顔が、少しだけゆがむ。
「…誰でもいいなら、俺以外にしろ」
彼は拒んだ。
でも、
彼の言う通りだった。
薬を抜きたいのなら、そのあたりの男を掴まえて茶屋に連れ込めばいい。新撰組を相手にしなくても、あと腐れのない相手を探した方が良いに決まっている。
でも、いまの英には目の前の男しか眼中になかった。
それどころか
(無性に…この男に、抱かれたい)
そんなことを思った。
「…助けたのなら、中途半端に終わらせるな。これは…あんたの責任だ」
「…」
「抱いてくれないなら…すべて泥兄に話す」
そんなつもりはないけれど、そんな挑発をしてまでも、脅しを口にしてまでも、いまこの男に抱かれたいと思った。
(どうしてだろう…)
薬のせいか。
それとも隣の部屋の男女に当てられたのか。
自分のことなのに、よくわからない。
すると斉藤はなぜか「ちっ」と小さく舌打ちをして、英を強く押した。そしてそのまま荒々しく英の衣服を剥いで、肌に触れた。
泥吉のような嫌悪はない。
まるで風が肌を撫でているような心地よさがあった。






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