そこはかとなく、

それは微睡みのなかでみる、夢のようだと思った。

いままで英は、陰間として「モノ」のようにしか抱かれたことがない。勝手にされるのも、乱暴にされるのもいつものことで、それが当たり前だと思っていた。
けれど、彼は違った。
彼にとっては決して積極的ではない行為だったはずだが、その無表情な面構えの奥にはつねに優しさがあった。
触れる指先が、
彼の吐息が、
その求める強さが、
すべてが、
甘い蜂蜜のように身体を溶かす。
(江戸で…歳さんに抱かれていたら、こんな風だったのかもしれない…)
英がそう錯覚するほど、甘美な時間だった。いつまでもこうして居たい…英はそう思ったけれど、彼にとってそうだったのかはわからない。
「…っ、そう…」
彼は時折、顔を顰めながら苦しそうな声を出した。聞き取れないほど小さな呟きだった。
最初は自分の名を呼ばれているのかと思った。かつて「宗三郎」として彼とは知り合ったのだから、「英」ではなくその名前で呼ぶのも仕方ない。
だが、それは英の思い過ごしだった。
「総司…」
熱い吐息を狭間で、その名前を聞いた途端、
(またか)
と内心、苦笑した。
誰も彼も彼を求める――それが少し前までは憎らしくて仕方なかった。何故なのかわからなかった。…でも今は違う。
(敵わないなあ…)
と、穏やかな気持ちで居られた。それは本当に土方への気持ちが己の中に全くないという証拠であり総司を憎んでいないという現れだ。自分が思っているよりも、吹っ切れているみたいだと確信した。
しかし、目の前の男は違う。
切っても切れないような親密な二人を目の前に、ずっとその気持ちを押し殺してきたのだろう。けれどそれを投げ出すこともなく、胸に秘めてきた。狂おしいほどの愛情をひた隠しに、支え続けた。
いま彼の瞳の中に映るのはきっと彼の姿なのだろう。本当は英とではなく、彼とこうして居たいと願うからこそ、その名前を呼んだ。
(強い男…)
その想いが叶うことはないと知っていながらも、ただ思い続ける。
それがどれほど苦しいものなのか、英は知っていた。
だから、彼の背中に手を回した。そして強く抱きしめた――。


身体の火照りが収まる頃には陽は陰り、すっかり夜になっていた。
「俺は屯所に戻る」
衣服を身に着け襟を整えた斉藤はぶっきら棒に告げた。居心地が悪いのか、英の方は見ようともしない。しかしその無表情な横顔が英には色目かしく映る。
「うん…ありがとう」
「一人で戻れるか?」
「大丈夫」
英の返答を聞くと、斉藤は立ち上がり腰に刀を帯びた。そしてそのまま部屋を出ていこうとしたが、足を止めた。
「あの男のことだが…」
「泥兄のこと?」
「ああ。もう関わらないほうが良い」
「それは…わかっているけど…」
突き放せるものならとっくに突き放している。けれど彼を目の前にすると、なぜか思考が停止してしまう。逃れたいと思うのに、まるで身体が鉛になってしまったかのように重たくなるのだ。
「俺も、今の名前は本当の名前ではない」
「…へえ?」
「事情があって人を斬った時に、名前を変えた」
淡々とした語り口調だが、英は吸い寄せられるように斉藤の顔を見ていた。
「名を変えたことですべて決別できるわけではない。過去はいつまでも付いて回る。だが…やり直すことはできる」
「…」
「…月並みなことを言ったな。失礼する」
斉藤は今度こそ部屋を出ていく。英は茫然とその姿を見送ったが、トントントンと階段を下りていく彼の足音にさえ、耳を澄ませた。
「…はは」
次第に、顔が綻んだ。
(本当に月並みな、言葉だ…)
それは何度も言われた言葉だ。やり直せばいい、また新しい人生を始めればいいと、松本や南部、事情を知らないはずの加也にさえ言われたことがある。その時はそんな簡単なことではないと突っぱねて聞き入れなかったというのに。
(どうして、彼の言葉はこんなにも響くのだろう…)
斉藤の言葉は、感情の起伏がなくて冷たく聞こえる。でもその分、その言葉に嘘がないのだとも思える。
英は身体を倒し、仰向けになった。
身体を重ねた余韻がこの部屋には残っている。彼にとっては薬を抜くために仕方ないことだったのかもしれないが、英にとっては違っていた。
でも。
「好き…じゃない…」
彼に持つこの感情が「好き」だとかそういう恋愛感情ではない。彼を自分のものにしたいという激しい感情はなく、即物的に繋がりたいという欲望もない。
ただ、彼にはまた会いたいと思う。
陰間の薫でも、宗三郎でもなく、英として彼に向き合ってみたい。
そう思った。




季節は移ろい、残暑の厳しい夏から心地よい風が吹く季節になった。
夏風邪の流行も収まり、南部の医療所はようやく静けさを取り戻した。患者が少ないというのは仕事が減るということだが、良いことだ。
「おっ、精が出るな!」
今日もやってきた松本は英をみるなり、その大きな口で満足げに笑った。英は南部から借り受けた医療書を読んでいるところだった。
「どうだ、英。わからないことはないか?」
「わからないことは南部先生に聞いているから問題ない」
「俺は幕府御典医だぞ?」
「こんな昼間からふらふらしている御典医よりもよっぽど南部先生の方が信頼できる」
「ははっ!それはそうだな!」
英の嫌味を、松本はいつも笑い飛ばす。そんなやり取りは二人にとって挨拶みたいなものだ。
松本はまじまじと英の顔を覗き込んだ。
「火傷はどうだ?」
「もう痛まないし、大丈夫だよ」
「ふうん…だが包帯をしておいた方がいいんじゃないのか?」
数日前から火傷を覆っていた包帯を取り、生活をしていた。顔の半分にできた火傷はどうしても目立ってしまう。松本は気遣ったが、英は首を横に振った。
「…いいよ、もう。顔を売る商売じゃない」
陰間であったならば価値がない、と吐き捨てられるのかもしれない。でも今の英の生活には火傷があろうとなかろうと意味はない。それにいつまでも包帯で覆えば、過去にあったことを隠し続けているようだと思ったのだ。
「そうか。そうだな」
松本は深くは尋ねず納得してくれた。そしてさっさと話をかえた。
「ところでもう医療書は読み飽きただろう。学問は書物の中にあるわけではない、実践が必要だ。お前さんもいい加減、南部のもとで正式に働いてみたらどうだ?」
「…」
英は手にしていた書物を閉じた。
それは幾度となく松本から言われていたことだった。もともと火傷を負った英は南部の弟子にするということで引き取られた。いつまでも居候しているばかりでは申し訳ないと思うが、それでもまだその一歩を踏み出す決意はつかなかった。
「…どうして医者?」
「ん?」
「新しい生活をするのに、医者である必要なんてないのに…」
「何だ、そんなことを悩んでいたのか?」
南部のもとに身を寄せてからずっと考えていた悩みを、松本は「そんなこと」と笑い飛ばす。英は少しムッとして
「何だよ」
と睨んだが、松本はやはり笑っていた。
「あの時言っただろう?お前の顔は、人を救うための顔だって。お前さんがどれだけ評判のある陰間だったのかは知らねぇが、好かれる顔立ちだったのは間違いねえだろうよ」
「…顔の話はもういいよ。それ以外の理由は?」
「覚えてねえのか…恩返しだ」
「恩返し…」
松本は腕を組み、一息ついて続けた。
「新撰組に借りがあるっていう方が正しいのかもな。…英、お前が思っている以上に新撰組って場所は生きるのが難しい。法度があってな…少しの心の迷いも油断も許されないようにできている。それを崇高なものだとも思うが…たった一度の間違いも許さない、厳しいものだと思う。だから、あの時お前がもし敵方の間者として関わっていたならば、斬られて当然だっただろう」
松本の言葉に、英は実感があった。かつて同じ見世にいた駒吉は長州と新撰組隊士の橋渡しのような役回りを引き受けていた。祇園の火事に乗じて見世を逃げ出し新撰組に捕まったあと、総司は「病死した」と話したが、もちろんそんなことは嘘だと当時の英も思っていた。
「けど、土方と沖田はお前の命を救った。俺だけではなく、あいつらもお前が生きていることに意味があると思ったからだ」
「意味…」
彼らはどんな意味を見出したのだろう。
そして自分はどんな意味を見出すのだろう。
『やり直すことはできる』
英の脳裏に斉藤の言葉が響いた。
「今更隊士になるなんてできねえだろうが、医者という形ならあいつらに関わることができる。あいつらの助けになる…まあ正直、お前の生きる意味が確実に医者だとは思わねえよ。俺だって全知全能の神ってわけじゃねえんだ。お前の命運まではわからねえさ。…ただ、俺はお前が医者に向いてると思った。幕府御典医の俺がそう思ったんだ、自信を持て」
松本の大きな手が、英の肩を叩く。いつもよりも強く叩かれて
「痛いよ」
と文句を言った。
しかし、どこか晴れ晴れとした気持ちがあった。
この道を進んでもいいのかもしれない。
松本だけではなく、総司や土方がそう背中を押してくれているような気がした。
そして
『やり直すことはできる』
と、彼がそう言ったように、この道でやり直すことがいずれ、彼を救うことになるのなら。
(悪くない…)
そう思えたのだ。
「わかったよ」











拍手はこちら