Still here  −この空の続く場所に4−


あいつが大事な話があるというので、俺はやや身構えつつ硬い表情で家を出た。
季節は春。
そこかしこで桜が綻び、長い冬が終えたことを知らせてくれている。
俺は花びらを舞う中を歩きながら、
(八郎の奴…勿体ぶりやがって…)
と内心落ち着かなかった。
昨日、いつものように行きつけの居酒屋で飲んでいると、八郎が少し言葉を選ぶように
『話があるんだ』と切り出した。俺は『何だよ』とその場で話の続きを促したが、
八郎は何故だか渋って
『明日、花見に行こう。話はその時だ』
と話を変えて、俺を誘った。面倒な前置きなど滅多にしない八郎が、言いづらそうにしていたので
俺は違和感を覚えた。しかし、ひとまずは聞き流し、いつもよりも多く酒を飲んで誤魔化した。
そして今朝、冷静になって考えた。
(まさか…別れるなんて言うつもりか?)
そんなはずはない…と思うが、しかし心の片隅で嫌な予感が過る。
これまで八郎と歩んできた時間は決して安息と安寧の日々…とは言えなかった。
そもそも最初から気持ちがすれ違ったまま身体を重ね、そして一年後に紆余曲折を経て
どうにか結ばれた。しかし途中に将軍上洛に伴って一年近く離れ離れとなり、
今ようやく落ち着いて時間を過ごせている。
俺は今、幸せだと思っている。
あいつも楽しそうにしているから、同じだと思っていた。
(いや…俺がそう思っていただけか?)
幸せに浸って、舞い上がり過ぎていて、八郎の気持ちの変化に気が付かなかっただけか?
いや、それ以前に何かあいつの気に障ることをしただろうか?
嫌われるようなことを?
「お…っと!」
考え事をして歩いていると、足元が滑った。儚く散った桜の花びらに足をとられて
しまったようだ。
「…っ、くそ…」
俺は歩を速めた。
ここで思い悩んでも仕方ない…心を決め、彼が待っているであろうあの約束の地に向かった。


子供の頃に秘密基地として遊び、そして大人になってからはまた特別な意味を持つこの場所は、
春になると満開の桜が咲き誇っている。
「やっと来た」
先に待っていた八郎は、俺の顔を見るなり笑った。
幼い頃から大した奴だと思っていた。書を読み、学があり、そして剣を始めればその腕は
みるみる上達して、あっという間に剣士として名を馳せてしまった。
彼のことが幼馴染として誇りでもあったし、それ以上に遠くに行ってしまったような気がしていた。
そしてつい先日、彼は奥詰となりまた遠くに行ってしまった。
(遠くに…か…)
本当は知っている。
遠くになんか行かない。
彼はどんな場所に居ても、どこに行っても俺の幼馴染であり、俺の…恋人だ。
その思いに、どの信頼に偽りなんかないのに、どうしてこんなに不安になるのだろう。
ここに、ちゃんと黒子だってあるのに。消えたりなんかしないのに。
俺は八郎を見つめたまま、彼に近づく。
「どうした?」
八郎は俺の顔を見て不思議そうに首を傾げていたが、俺は彼の背中に手を回し、
強く抱きしめた。
「こ…っ?」
「どこにも行くな」
俺は八郎の話も聞かずに懇願した。そして羽交い絞めにするように強くこの腕の中に引き寄せた。
我儘だと言われても構わない。
傲慢だと叱られても構わない。
嫌だと拒まれても離さない。
俺は、お前なしでは――。
「…っ、痛い!」
八郎が叫び、俺ははっと我に返る。そしてようやく力を緩めて彼から離れた。
自分が思っている以上の力で抱きしめていたようで、八郎はゲホゲホと軽く急き込んでいた。
「わ、悪い…」
「何なんだよ、いきなり…っ」
「いや…まあ……ごめん」
俺は上手く自分の気持ちが言えずに曖昧に誤魔化した。
八郎は顔を顰めていたが、「まったく」と息を吐いた。
「どうせ何か勝手に妄想でもしてたんだろう」
「…」
俺は言葉に詰まる。その通りだったからだ。
その答えが俺の顔に出ていたのか、八郎はもう一度大きくため息をついて腰を降ろした。
廃屋になった小屋は依然として雑然としたままだ。
「…でもま、当たっているかもな」
八郎は少し表情を落とす。
「当たっているって…何だよ」
どくん、と自分の心臓が跳ね上がった。
お前が俺を嫌いになったことか?それとも…?
「…今、どこにも行くなって言っただろう。でもその希望には応えてやれねえかな…」
「どこか、行くのか?」
「京だよ」
「京…?」
八郎が家茂公の上洛に伴って京に向かい、江戸に戻ってきたのは昨年の秋のことだった。
「幕府では一悶着も二悶着もあったようだけど、公武一和に向けてまたご上洛されることになった。
 俺は奥詰だから当然、同行することになる」
「あ…ああ……なるほど、な」
俺は安堵し、そして落胆もした。ようやく手に入れた二人の時間がまた引き剥がされるのだ。
しかしそんな私情を挟むわけにはいかない。
伊庭家の跡継ぎとして生まれた彼は、俺からすれば幼少のころから重たい荷を背負っているように見えた。
それを背負うのが嫌で子供の頃は学問に逃げたりもしたが、結局は剣の道を歩み家という大きな看板を背負った。
今回のことも同じなのだ。
(だから俺が…引き留めたりすべきことじゃねえ…)
俺は彼の隣に腰を降ろした。そして努めて明るく笑いつつ
「ま、仕方ねえよな。それがお前の役目なんだからな」
と彼の背中を軽く叩く。出来る限り平気な顔をして八郎に心配を掛けないように。
すると八郎はそんな俺を見て微笑したものの、少し困ったような表情をも浮かべた。
「…お前はそう言うと思っていた」
「そ、そうか?」
「ああ…そう言って俺を困らせないように笑うんだと思っていた」
まるでお見通しだ。不器用な俺のことを、八郎はよく知っているんだ。
(大した奴だ…)
俺は苦笑するしかない。
「…ああ。だったら、誤魔化されてくれよ」
「さっきは行くなっていったじゃねかよ」
「それは別の話。俺はお前を困らせたくねえんだ」
「別に困らせてくれてもいいのに」
「嫌だ。俺はお前の足枷になりたくねえんだから」
それは嘘ではなく、強がりでもない。
俺の手の届かないほど遠くに行く彼を、俺は本当に誇りに思っているのだから。
「思う存分行って来いよ。俺は…待ってるからさ」
たぶん、俺はいつまでも待っていられる。
あの宙ぶらりんの気持ちのまま待ち続けた一年のことを考えれば、十年でも二十年でも待っていられる。
目の前では桜の木々が風を受けて、その花弁を散らせている。
俺たちは知っている。
桜が咲き誇り、散ったあとに青々と瑞々しい葉を広げ、厳しい冬を過ごし、また咲くことを。
心を過る寂寞感は拭えないけれど、必ずまたあの美しい季節はやってくる。
お前だって、必ず俺のところに戻ってくるんだ。
「小太…」
彼が囁く。
その甘美な響きに誘われて、俺はその唇に触れた。
そして
「好きだ」
と、その耳元に囁いた。
もしも伝わっていないのだとしたら、俺は何度でも言おう。
だから、何でも聞いてほしい。
お前が好きだということを――。






















拍手ありがとうございました♪
本山×伊庭のお話もちょこちょこ挟みつつ、これからわらべうた本編等の更新を頑張って参ります。
是非、気長にお付き合いただければ幸いです。