わらべうた 208.5 願掛け


赤い夕焼けが目に眩しい。物々しい警備の八木邸から少し離れた先で、伊庭は見送ってくれた土方と総司の方へ向き直った。
「ここまででいいですよ」



先日の事件で顔の知られた二人だ。危険な目に遭ったとて乗り切れるに違いないが、人通りの多いところまで同行してもらう
のは気が引けた。
意図を察したらしい総司が
「じゃあ…」
と別れの言葉を述べようとするが、土方が
「ちょっと待て」
と、伊庭を引き留めて「お前は先に帰ってろ」と何だか重々しく総司に告げた。
「それは…構いませんけど」
少し拗ねたような顔をしたものの、総司は頷いた。そして命令通り背中を向ける。
「何ですか?」
聞きたい話は終わったはずだ。それに伊庭自身もこれ以上の情報を彼に提供できるほど持っていない。だが、土方はその腰に帯びた
刀を見せつけた。
いや、正確には刀ではない。
「こいつの話だ」
やや不機嫌そうに伊庭の前に差し出したのは、下げ緒だった。この真っ赤な下げ緒はもちろん伊庭の記憶に新しい。
「…あ、もしかして沖田さんバラしっちゃったのかな。酷いなあ、せっかく内緒にしていたのに」
「酷いなあじぇねえだろうが!」
土方が怒鳴ったので「ひー、こわ!」と伊庭はわざとらしく怖がって見せた。
総司から土方へ託していた下げ緒。先日、上覧試合にて下賜された記念の品だった。総司には驚く顔がみたいからという理由で
内緒のまま渡してもらったのだが、どうやら土方に露見してしまったようだ。
土方はしばらくは不機嫌そうにしていたが、しかしだんだんと呆れた顔になってきた。
「…ったく、こういうもんは家宝にして大事にすべきだろうが」
「まあそうですけどね。他にもいただいたので、いいかなあって思ったんですよ」
「いいかなあって…」
「それに、そんなことを言いながら土方さんも外してないじゃないですか」
伊庭が指摘すると土方は黙った。
貴重なものだから大切にしろと言うのなら、土方自身がそれを身に着けるはずもないだろう。
…何も言い返せないということは、土方が朱色に染まったそれがさぞ気に入ったのだろう、と伊庭は思ったのだが。
「こいつは…池田屋んときも一緒にいたからな」
「…」
一瞬。
本当に一瞬だけ、土方が優しい顔を覗かせた。下げ緒を見ながら、愛でるような瞳をしたのを伊庭は見逃さなかった。
「…沖田さん、無事で良かったですね」
その瞳の奥に何をうつしているのか、なんてことは伊庭にはすぐに分かった。
池田屋の一件は伊庭の耳に詳細が入ってきていた。様々な憶測と噂も混じっているが、総司が昏倒したというのは本当のようだ。
最初に斬りこみ、そして昏倒…その先には最悪の事態しか想像できなかったはずだ。しかしそれでも生き長らえることができたのは
本当に幸運だったのだろう。
「だから、願掛けだ」
「願掛け?」
「ああ。あいつも死なないし、俺も死なない。そういう願掛けをしている」
伊庭は彼の帯びた刀を見た。赤い下げ緒と漆黒の鞘。赤い夕陽に光って、妖美でしかしそれでいて力強い。
江戸に居た頃、願掛けなんて子供っぽい真似を土方は好まなかった。だから少しは変わったということなのだろう。
「だから今更返せなんて言われても返せねえからな。そういうことを言いたかっただけだ」
土方が罰が悪そうに目を逸らした。そういうすぐに照れて隠そうとするところは変わらないようだ。
伊庭は微笑んだ。
「いいですよ。仕方ないですね」
そういって、気づかないふりをしてやるのが友情だろう。
そんなことを、想いながら。





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