わらべうた 248.5 野良犬



元治元年九月六日。

「斉藤、お前が介錯をやれ」
土方の命令に、さすがの斉藤も少し戸惑った。
葛山が脱走を図ったと聞いたのは、つい先ほどのことで、やはりすぐに捕えられて切腹が決まった。予想できない展開ではなかったが、それでも自分が介錯を務めることになろうとは思っていなかった。
「…なんだ、嫌か?」
土方から意地悪く訊ねられ、斉藤は少し沈黙して
「どちらかと言えば」
と率直な感想を述べた。
斉藤は建白書に加担した。それはあくまで自分の意志だった。永倉が新撰組の転覆をはかるなら、すぐにでも斬り殺し、それを阻止するつもりだった。
しかしその一方で、保険を掛けた。建白書がどういう形であれ昇華されたのちの、新撰組の大勢を考えると、二度と同じような騒動を起こさないためにも、見せしめが必要である、と考えた。試衛館食客で助勤である永倉や原田は除外し、腕の立つ尾関も候補から外した。そして残ったのが葛山だった。
結果として、島田の署名を偽造したという後ろめたい事実を土方に握られ、葛山は思っていた通り脱走、切腹となった。単純に脱走による切腹だと表向きは主張でき、しかし暗にこの建白書騒動の全責任を負ったとも見られ、今後同じような反目は許さない…と隊士へ釘を刺すこととなるだろう。
(誰が介錯を務めたとしても、自分が殺したことに間違いはないだろう)
その決意に違いはなかったが、まさか自分が介錯を務めるとは。
「少しやり過ぎではないでしょうか」
建白書に加担した者が、一方は殺され、一方は介錯を務める。ただでさえ、葛山の脱走で動揺する隊内で、斉藤が介錯を務めるとなれば、あからさまにこれまでの経過と土方の意図が表立ってしまう。
しかし、当の本人はあっけらかんと続けた。
「そうか?これ以上ない、縛めになると思うが」
「…」
まるで子供が悪戯を仕掛けるような気軽さだ。こういう姿が「鬼」と呼ばれる所以なのだろうが、本人もわざと演じている節があるので、斉藤にはそれを批判することはできなかった。
それに他の意図も見え隠れしていた。
「…近藤局長がご不在だからでしょうか」
近藤局長がこの場にいたら、葛山の切腹は執り行われなかっただろう。内々に処理するか、土方を説得して生かす方向へ持って行ったはずだ。それをあえて局長のいない場で処刑とするのは、その裁量が自分にもあるのだと表明するためでもあるだろう。
斉藤のその問いかけに、少し沈黙して、土方は不敵に微笑む。
「お前は飼い犬にしては賢すぎる。もっと凡庸であるほうが有難いんだが」
「…犬は生き物のなかでも賢い動物でしょう」
土方は「どうかな」とやはり微笑む。
「犬は主人の言うことに絶対服従だ。いつでも主人のあとをついて歩き、猫のようにふらりとどこかへ行ったりはしない。それが賢いと思うのか、愚かだと思うのか…人それぞれだろう」
「…」
遠回しで嫌味にも近い物言いだが、何故だか土方に言われて、苛立つことはなかった。ただの一つの駒なのだとしても、犬だと褒められ、蔑まれようとも。
「おそらくは…俺は野良犬かと思います」
自分はおそらく子犬から育てられたような犬ではない。ふらりふらりと主人を変え、餌を求めて彷徨い歩く…野良犬の方が相応しい。
それは自分を嘲るのではない。犬にも仕える相手を選ぶことができるということだ。
斉藤の言葉に、土方は「ふっ」と息を吐いて笑った。
「確かにな。仕える主人を二人も持つ犬は…ただの犬じゃねえ」
「…」
これ以上の言葉遊びは無用だろう。
斉藤は居住まいを正して、
「介錯、お引き受けいたします」
と答えたのだった。



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