わらべうた273.5 -鐘-


除夜の鐘が遠くから聞こえた。もうすぐ一年が終わるのだと思うと、自然とこの一年のことを振り返ってしまうのだから不思議だ。
総司は土方の別宅で、おみねが材料だけ準備してくれていた年越しそばの調理に取り掛かった。出汁は京風のそれだったけれど、上品な味わいが正月を迎えるこの時頃にぴったりだ。
「できましたよ」
総司は膳を土方の所へ持っていく。土方はすでにうとうととして眠そうだったが、総司の声に目を覚ました。
「ああ…」
「眠たいんですか?」
「大丈夫だ…」
強気な返事をしたけれど、土方の瞼は重そうだ。
年越しギリギリまで仕事に追われ、ようやくこの別宅に来て緊張の糸が途切れたのだろう。明日には屯所に戻らなければならないことを思うと、ゆっくり休んでもらいたいのも本音だったが。
「じゃあ早く食べましょう。年を越さないうちに食べてしまわないと、来年、金運が悪くなるんだって姉が言っていましたから」
土方の前に膳を置き、総司のその前に座る。「いただきます」と手を合わせて二人で蕎麦をすすった。
除夜の鐘が部屋に届く。煩悩の数だけ叩くというその音は、今一体何回目なのだろう。でもその音を聞くたびに、この長かった一年が終わるのだと告げられているようで、少しだけ寂しくもなる。
長い一年だった。たった半年前の池田屋のことが、遠く昔のことのように感じる。色々な人と出会い、色々な人と別れた。目まぐるしく過ぎて行ったが、その一方で土方との関係は穏やかに、ゆっくりと変化していた。
「ごちそうさま」
土方が箸を置き、手を合わせた。そしてそのまま火鉢の前で横になり、目を閉じてしまう。
「土方さん、床を延べましょうか?」
「いい…」
「でも」
「いいから、お前はさっさと食え」
手をひらひら振って土方は肩ひじを付き、またうとうととし始めた。総司は(仕方ないなあ)と思いつつ、土方の言うとおり蕎麦をかきこんで、完食し、二人分の膳を台所に戻した。
今年のことは今年のうちに…と思い、器を洗おうとしたが
「総司」
と部屋から呼ばれた。
「何ですか?」
「こっちにこい」
「片付けが残っているんですけど」
「そんなのは後でいいだろう」
土方が傍若無人にもそう言うので、総司はため息をつきつつ手を洗い、彼の言うとおり部屋に戻った。
「…土方さんって、結婚したら面倒な亭主になりそうですね」
「あ?」
「まるで子供みたいなんだから」
部屋の障子を閉めつつ、ははは、と笑う総司だったが、土方の表情は正反対に曇る。怒っているようだ、とすぐに察することはできたので、
「…ちょっとこっちにこい」
と不機嫌そうな命令に、素直に従うことにした。手招きされるままに、正面の膝が付きそうなほど近くに座ると
「お前さっき、なんて言った?」
と土方が訊ねてきた。
「だから、まるで子供みたいだって……なんでそんなに怒るんですか?」
いつもの冗談に決まっているのに、この年の瀬に何をピリピリしているのだろう。総司は内心あきれつつもそう思ったのだが、土方は「そうじゃねえ」と首を横に振った。
「結婚したらって、お前、この状況で、この雰囲気でちょっと鈍感すぎるだろうが」
「…あ…」
どうやら土方が気に入らなかったのは、「結婚したら」という前置きだったようだ。すると土方は総司の顔を両手で挟み、強引に近づけた。
「言っておくが、俺は結婚するつもりはねえし、お前だってそのつもりでいろよ。いくら女に…いや、お前は女とも限らねえから、男もだが、誰に言い寄られたとしても俺は絶対許さないからな」
「わ…私だって、別にそんなつもりはないです…」
「ならいい」
土方は両手を離して総司を解放する。そして満足そうにまた横になったので、総司はむっとした。
「土方さんだって、人のこととやかく言えるんですか?」
「……なんだって?」
「自分のことを棚に上げて…。自分だって、今までいろんな女性に…手を出してきたくせに。自分の要求ばかりで…ずるいです」
総司は口を窄めた。
土方の過去の女性遍歴については、今更なことだと思っていたし、そこに執着しても仕方ないと思っていたので何も言ったことはない。けれど、自分は良くて総司には駄目だと言うのは、平等ではない。
すると土方がふっと息を吐く。
「お前と…こうなってからは、誰も抱いてねえよ」
「そ、そういうことを聞いているんじゃなくて…!」
「だが、お前がいつまで経っても抱かせてくれねえんだから、俺も我慢の限界って奴が来るかもしれねえな」
論点がずれている…と反論する前に、土方が総司の手を引いて、自分の方へ引き寄せる。
「だ…抱きたいだけなんですか?」
「ん?」
「歳三さんは…私が抱ければ、それで満足なんですか?」
「そんなわけねえだろう」
土方は即答し、こつん、と総司の頭を軽くたたく。
「いた…」
「抱ければ満足なら、俺は女で満足してる。それにもしそうだとしたら、お前のことなんか、さっさと蹂躙して縛り付けて無理やりにでも…犯してる」
「…っ、そ、そういうことを…!」
平気で口にしないでください、と総司は叫ぶ。あまりに直接的な言葉に総司は顔を真っ赤に染め、土方の胸元に顔を埋めて隠した。しかし土方はまるで追い打ちをかけるように、総司の耳元で囁く。
「俺はお前の全部が欲しいんだよ」
「全部って…」
(もう、こんなにあげてるのに)
これ以上何が欲しいと言うのだろう。駄々をこねる子供のように…
「歳三さんは…やっぱり、我儘だ」
「我儘で結構だ。それに、俺が我儘だと言うのなら、お前は強情でお堅いんだ」
「お堅いって…」
生娘じゃあるまいし、と顔を上げると、思った以上に近い場所に土方の顔がある。すると彼は笑った。
「来年は、抱かせろよ」
「は…っ?」
「は?じゃねえ。なに惚けた顔をしてんだよ。言葉の意味がわからないわけじゃねえだろう」
総司はもう一度顔を埋めた。
「わ、わかりません。歳三さんが一体何をいっているのか、さっぱりわかりません!」
「お前なあ…」
総司が叫んだその時、また重い鐘の音が聞こえてきた。煩悩の数だけ打つというその音は、いったい何度目の音なのだろう。
来年もまた同じ音が聞けるのだろうか。
「…考えておきます」
短く、小さく、呟くような返答は土方には聞こえただろうか。土方は何も答えずに、けれどそれ以上は何も言わなかった。

何年先もまた、思い出すのだろう。
こうして二人で過ごした年越しを。




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