わらべうた310.5 想いを



夜も更ける頃、ようやく伊庭の家にたどり着き、土方は酔いつぶれた本山を部屋に横たえることができた。あれから泥酔した本山を放って斉藤と三人で飲み続け、あっという間に時間が経ってしまっていた。
「すみません、お手数をおかけしました」
そう言いつつ、伊庭はまた酒持ってくる。
「何だ、まだ飲むのか」
「家人が土方さんの顔を見て慌てて準備したみたいですよ。まあ、一杯飲んで行ってくださいよ」
と、そういうので土方は仕方なく伊庭の誘いを受けることにした。
居酒屋では同席していた斉藤は一足先に試衛館に戻った。何があったのかは知らないがどうやら伊庭とは気が合わないようで、居酒屋でも終始嫌そうな顔をしていた。
すっかり寝入った本山の鼾が聞こえる中、二人は酒を口にする。
「隊士募集の方は順調なんですか?」
「ああ。あちこち顔の利く御仁がいるからな…」
「ふうん…西本願寺に移転したと聞きましたが」
「お前は相変わらず耳が早い」
屯所を移転してからまだ日は経っていないはずだ。すると伊庭は笑って
「友人の動向が気になるのは当然でしょう」
と答えた。
「じゃあお前の方はどうなんだよ」
土方が鸚鵡返しに訊ねてみると
「俺ですか?…別に、何も変わらないですよ」
と、やや言葉を選ぶような返答だった。伊庭にしては珍しい。
「ただ狭い場所に閉じ込められるような、もどかしい気持ちでいっぱいですよ。土方さんたちが羨ましい」
「…奥詰拝領の件か?」
「そっちこそ、耳が早いじゃないですか」
伊庭は苦笑した。
しかし伊庭が父と同じように奥詰を拝領することになったらしいと聞いてきたのは、藤堂だった。隊士募集の為にあちこち道場を回っていればそのような噂も入ってくるのだろう。
「わかっていたし、決まっている道だと分かってはいるんですけどね…一つも、名誉だとも思えない。結局、古い慣習と血筋に従って生きているだけなんだと思ったら…酷くつまらない様な気がします」
「そう言うなよ。誰もがなれるものじゃない」
「そうですかね。この場所に生まれれば誰でもなれますよ。…俺は新撰組の方が面白そうだと思います」
快活に笑う伊庭は冗談めいた言い方をしたものの、目はごくごく真剣だ。現実には不可能だと分かっていても伊庭個人としてはそのほうが興味深い人生になるのだろう。
だが、伊庭はそれを選ばなかった。家の為、生まれた時からの運命の為…そして
「本山さんの為に、お前はここから離れるつもりはないんだろう」
豪快に眠る幼馴染の為に、選ばないのだろう。
土方が酒を飲みつつそう指摘してやると、伊庭は目を丸くして驚いた。いつも飄々としている伊庭はそんな風に表情を崩すことはやはり珍しい。
「…俺、何か言いましたっけ?」
「いや。でもそれ」
土方は御猪口を手にする伊庭の手を指さした。伊庭はまだ答えにたどり着かなかったものの
「え?…ああ、そうか」
と、ようやく思い至ったようだ。彼の手には入れ黒子が刻まれている。それは幼馴染と同じ場所。その事実を偶然だと思えるほど、土方は鈍くはなかったのだ。
「まだ誰にも気づかれたことがなかったから、油断してたな…」
「斉藤も気が付いたと思うが」
「ああ、困ったなあ…沖田さんには黙っておいてくださいよ」
恥ずかしいから、と頭を掻く。
入れ僕ろは吉原に昔からある男女の契りと同じだ。深く刻まれたそれは、二度と消えることの無い証。
「…覚悟を一つ、決めたんですよ」
「覚悟?」
「ええ…言葉にするのは難しいんですけどね…。この時勢に、この立場に、この関係。言っては何ですが生涯を共にできる保証なんてないじゃないですか?」
どう生きるのか、いつ死ぬのか…自分では儘ならない場所に居続けている。
だから明日この関係が終わっても嘆くことはできない…伊庭の言いたいことは土方にもよくわかっていた。
「だから、これを見るたびに思い出すようにしているんです。これを刻んだ時の覚悟を…想いを」
そう言って伊庭は酒を煽った。ごくん、と喉を鳴らして飲み込んで
「酔っているみたいです」
と誤魔化した。
やはり彼らしくない言い訳だ。しかし土方はそれ以上は聞かずに「そうか」と流したのだった







2015.05.05

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