提灯のない心 わらべうた 328.5




「どこほっつき歩いているんだ」
湯島天神からの帰り道、土方と別れ、自分の家にたどり着いたというところで幼馴染の不機嫌そうな声がした。
伊庭が提灯を向けると、やはり声の主は仏頂面でこちらを見ている本山だった。
「何だ、来ていたのか?」
「来ていたのか、じゃない。お前は何度俺との約束をすっぽかせば気が済むんだ」
ため息交じりに不満を漏らす幼馴染の顔をまじまじと見つめる。少し赤く火照って酒臭い。
「…何だ、父上に絡まれたのか?」
「ああ。お前を訪ねて来たら見事に捉まってこんな時間だ。毎晩ほっつき歩く息子のことを大層心配しておられる」
「ふうん」
「何、他人事みたいに聞いているんだよ」
お前のことだろう、と怒る本山は、しかし舌が回っていない。蟒蛇の本山だが、相当飲まされたようだ。
「はいはい、取りあえず家まで送ってやるから」
「…ったく、今日という今日は誤魔化されてやらないからな」
「わかったわかった」
伊庭は本山の背中を軽く押して、二人は本山の家に向けて歩き始める。
本山の愚痴…もとい、父の愚痴は長かった。ようやく剣術の道に歩んだと思ったら、大人の遊びを覚えて
毎晩毎晩朝帰り。しかし下手に叱りつけて、せっかく歩み始めた剣の道を放り投げるようなことになっては
伊庭家としても困る。
「だから、今は様子を見ているが、本山くん、八郎のことをよろしく頼む…ってさ。俺にどうしろっていうんだ」
「そんなのは聞き流せばいいんだ」
「…やっぱり他人事じゃねえかよ」
本山は深くため息をつく。おそらく人が良い彼は拒むことができずに、「わかりました」と受け入れて
しまったのだろう。それは容易に想像がつく光景だ。
「それで、今日はどこに行ってきたんだよ。小稲か?はたまた別の女か?」
「今日は女じゃないな」
「……は?」
伊庭があっさりと答えると、酔っている本山は瞬時には理解できなかったようで
「ああ。何だ、ただ飲んできただけか?そう言えば、試衛館の土方さんと仲が良いんだよな」
と、呑気な返答をした。伊庭は面白くなってからかってやった。
「あながち間違いではないな。土方さんと飲んできたのは確かだし…まあ、相方は男だったけど」
「……」
混乱したらしい本山は、しばらく考え込む。
そしてふと足を止めて
「お…お前、今日はどこに行ってきたんだ?」
「湯島天神だけど」
伊庭がさらりと言ってのけると、本山は「あああ」と言葉にならない声を漏らして頭を抱えた。
鈍感で堅物の本山でも、さすがに湯島天神にある店がどういう店かは知っていたらしい。
「お前、女に飽き足らず男にまで手を出すのか…?さすがに、伊庭の御曹司が衆道趣味だってことは
 あんまり良いとは思わねえんだけど…!」
「失礼だなあ。衆道だってかつては男の嗜みだ。織田信長だって森蘭丸という小姓がいたことは
 お前も知っているだろう?それに、何も知らないくせに頭から否定するのは偏見だ。そう思わないか?」
「うぐ…」
本山は酔っているためか、上手く返答ができないようだ。そしてさらにその肩を落としてしまう。
さすがにからかいすぎたか、と伊庭は苦笑して軽く本山の背中を叩いた。
「心配しなくとも、俺は衆道の趣味は無いんだと実感してきたところだ。その証拠に陰間一の美男を前にしても
 特に何の感慨もなかった」
「そ…そうか」
安堵しかけた本山に、伊庭は
「俺は女の方が良いな」
と意地悪く付け加える。案の定、本山は複雑そうな顔をした。
女遊びに耽り、剣術の道に進もうとしない土方に対して、伊庭は説教をしたものの、実は自分が説教をできる
ような立場にいるわけではないことは重々承知していた。
女とまるで沼底に嵌るような恋をする土方との差は本当は紙一重で、伊庭はただそれほど一途に愛せるような
存在に出会っていないと言うだけのこと。
もし出会ったとしたら。
(たぶん…おかしくなるんだろう)
心の奥底から愛するのはいったい誰なのだろう。
「ちなみにだけど」
「…ん?」
伊庭がからかいすぎたせいですっかり無言になってしまった幼馴染に、伊庭は訊ねた。
「俺が男色趣味だって言ったら、お前どうするんだよ」
「……どうするって?」
「気持ち悪いって離れていくのか?」
「まさか」
本山が即答する。
「そんなことで、お前と幼馴染をやめたりしない」
酔っているくせに何の迷いもない返答。それが妙に心地よい。
「…それもそうか」
いつか誰かを心から愛することがあったとしても、
その心のうちのほんの少しだけはこの幼馴染のものなのだろう。それはきっと、昔から。
「じゃあ、いざとなればお前が相手になってくれよ」
「いざとなればって何なんだよ」
いまだ提灯のない心。
いつかは、誰かによって明りが灯る。





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