美味禁止 わらべうた334.5 




全組長が賛同し、正式に法度として採用された『軍中法度』。
その条文を改めて見返しながら、原田は西本願寺の境内に横になり「あーあ」とあからさまなため息をついた。
「どうしたんですか?原田さん」
通りかかった総司が声をかけると
「お前のせいだからな!」
と早速、怒鳴られてしまった。
「何のことですか?」
「法度に決まってんだろ。お前がいの一番に賛成するから反対意見なんて言える空気じゃなくなちっまったんだ」
「あはは、八つ当たりしないでくださいよ」
張り出された軍中法度は隊士の間に瞬く間に広がった。それまでの局中法度五条よりもより具体的な法度は、当然と言えば当然の内容ではあるが、ますます隊士達は居心地の悪い生活になってしまうだろう。
表沙汰にはなっていないものの、この法度に反感を持つ隊士もいるようだ。そんななかで遠慮なく文句を言う原田はまだ可愛らしい方だろう。
総司はその愚痴を聞いてあげるべく、彼の隣に腰掛けた。
「組頭の下知に従うとかさあ、そういうのは良いんだよ。そりゃそうだろってわかる部分はあるしさあ。ただなあ、総司」
「はいはい?」
「美味禁止っているのはお前的にはどうなんだよ??」
「私ですか?」
総司は首を傾げる。基本的に屯所内で食事を済ませる総司は、近藤のお供をする以外は料亭の豪華な食事を口にすることは少ない。美味禁止と言われたところで困ることではないと思ったのだが。
「美味ってことは、お前が普段から食ってる菓子も美味に入るんだろ?」
「あ」
「和菓子やら金平糖やらみたらし団子やら柏餅やら、何から何まで『美味』だろ?」
「た、確かに…」
総司は初めて気が付いた。あれらは確かに『美味』であり、総司は自分の手当てからある程度評判の少し高い菓子を好んで食べていた。それは自分へのご褒美のようなものだ。
もしそれを『美味禁止』にされてしまうと。
「気が狂うかも…」
「だろ!?」
だよな!といわんばかりに原田は総司の肩を掴む。
「こういうのは早いうちが良い!今すぐ土方さんの所に言って、この『美味』って所は撤回してもらおうぜ!人間、美味い飯がなけりゃ生きていけねえだろ!?」
「そうですね!ここはしっかりと直談判して…!」
「真面目に聞くな」
二人のやり取りを聞いていたらしい斉藤が、やや呆れたように会話に加わった。
「斉藤!何言ってんだよ。お前みたいな蟒蛇にはわからねえんだよ、この気持ちはよ!」
「そうですよ、斉藤さん。それに甘いものを食べられなくなったら何を楽しみにすればいいんですか!」
「ある程度は許容すると副長は言っていただろう」
腕を組んで憮然と佇む斉藤の、冷静かつ淡々とした指摘に総司は「あ」とようやく気が付いた。
そう言えば土方はそう言っていたし、それに甘いものを禁止にすれば大の甘党の近藤だって困ってしまうだろう。誰よりも近藤想いの土方がそんな法度を考えるわけがない。
すると、原田は「ま、そうだよな」とあっさりと手のひらを返す。
いつもの原田の『半分冗談、半分本気』にまんまと引っかかってしまったらしい。
総司は「もう」とちょっと拗ねていると、原田は全く気にする様子はなく
「それよりも気になるのは、『奇矯、妖怪、不思議の説』だよなあ」
とすぐに話題を変えた。
しかし、それは総司も気になっていたことではある。
「ですよね…わざわざ条文にすることではないのに。土方さんらしくないなあとは思いました」
「だよなあ。あの超現実派の土方さんがわざわざ条文に入れるってことは?」
「…まさか?」
総司は途端に背筋が寒くなった気がして、きょろきょろと辺りを見渡した。まだ昼間の明るい時間なのだが急に物騒に思えてくるのだから不思議だ。原田も目を丸くして同じように身体を震わせている。
西本願寺に勇んで屯所を移したものの、今更ながら壬生に比べればここは霊の巣窟だ。
新撰組は何人もの敵味方を殺してきた。『そういうもの』がいてもおかしくはない。
「…そういうことか」
総司と原田が悪寒に耐えていると、斉藤はふと呟いた。
「そ、そういうことって…?」
「なん…何なんだよ、斉藤…!」
総司以上に青ざめた表情をしている原田が、斉藤を問い詰める。しかし彼はその表情を崩さずに
「幼女の姿を見た」
と口にする。
西本願寺には当然のことながら坊主と新撰組隊士しかいない。つまりは女どころか子供の姿が見えるわけは無いのだ。つまりは…
「ぎゃー!!!」
答えに早々に気が付いた原田は、一目散に走りだして逃げて行ってしまう。
その逃げ足はいつになく早く、姿はあっという間に見えなくなってしまった。
総司が呆然としていると、斉藤は「ふっ」と息を吐いた。それまでの淡々とした表情を崩して…ちょっとだけ笑っている。
「…まさか、嘘ですか?」
「嘘じゃない。ただ、西本願寺の僧侶の娘が一度、間違えてこちらに入ってきたことがあったな、と思っただけだ」
斉藤は悪びれもせずに淡々と述べる。完全に嘘ではないにしても、彼が意図をもって口にしたに違いない。
「…なーんだ、騙されちゃいましたよ」
総司はほっと安堵して笑った。
普段は冗談めかしたことを一切言わない斉藤だからこそ、原田もすぐに信じて逃げてしまったのだ。
すっかり力が抜けてしまった総司を見て、斉藤はまた意味深に笑う。
「まあ、だからと言ってそういう類のものが居ないとは言わないが」
「…………え?」
斉藤はそう言い残すとあっさりと総司を置いて去ってしまう。
総司はまた背筋がざっと冷たく、また先ほど以上に身体中に鳥肌が立つのを感じたのだった。












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