わらべうた 353.5 ―おにぎり―



「あー、おいしかった!お腹いっぱいですよ!さすが松本先生が足を運ばれるお店ですよねぇ」
松本に呼び出された料理屋を出た二人は、屯所に向けて歩き始めた。話し込んでいたせいですっかり暗くなってしまい、人通りも少ない。そんななかを提灯の灯りを頼りに歩く。
「ああいうのばかりを食うと舌が肥えて困るな」
「困るって?」
「屯所の飯が食えなくなるだろう」
「ああ、なるほど」
素直に「美味しい」と口にしないのは土方さんらしいな、と思いつつ総司は笑った。しかし土方も珍しく箸がすすんでいたので、おそらくは気に入ったのだろう。
「また近藤先生も一緒に誘っていきましょう」
「そうだな」
「でも、ああいう上品な食事も良いですが、私はおみねさんの作った料理も好きだなあ。おみねさんの作る食事は、どこかおふでさんの味に似ているんですよね。だから口にすると、試衛館のことを思いだすっていうか、懐かしい気持ちになるんです。不思議ですよね、京風のお料理なのになあ…」
味付けは全く違うはずなのに、どこか輪郭がぼんやり似ている気がする。二人の年の頃は同じくらいだろうから、そのせいだろうか。
しかし、土方は
「俺は全く違うと思うがな」
と否定する。
「特に卵焼きなんかを食べると違う。試衛館の味付けはもっと濃かったが、別宅の飯は出汁が薄い」
「そうですかねえ。でも試衛館は貧乏だったから滅多に卵焼きなんて出なかったでしょう?」
「あのな、試衛館が貧乏だったとお前は良く言うけれど、それは食客たちが次々と集まってきたからだろう。その前は特段、貧乏だったわけじゃねえよ」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ。お前が覚えていないだけだ」
薄明かりのなか、土方が軽く笑ったのがわかった。
松本との会食の席で少しだけ酒を飲んだからだろうか。いつもよりも饒舌だ。
「…こんな話をしていると、何だか食べたくなってきました」
「腹一杯って、さっき言っていたじゃねえかよ」
「試衛館の頃の味を、ですよ」
近藤や土方は江戸へと下る機会があったが、総司はもう何年も試衛館に戻っていない。
恋しい、ということはないけれど、もう昔のことのように思える。姉のそれよりも記憶にある試衛館の味。
(次はいつ食べられるんだろう)
もしかしたら、それは当分先のことで。
もしかしたら、もう食べられないのかもしれない。
不意に込み上げる寂しさのせいか夜風が冷たく感じたとき。
「俺は、お前に握った握り飯が食いたい」
「…え?」
「塩味がきついやつ」
土方が微笑む。屯所では決して見せない、鬼の素顔で。
(ああ、良かった)
今が夜で、
誰も居なくて、
提灯の灯りしかなくて。
そうじゃなかったら、きっとこの人はこんなことを言わないから。
「わかりました。…でも、別に私のおにぎりは塩辛くないですから」
込み上げた寂しさがかき消された。
そんな夜になった。







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