わらべうた 365.5 ―恋心―



「馬越君、もう江戸についた頃でしょうかね」
総司が菓子を頬張りつつ訊ねると、部屋の主である土方が軽く総司の方を睨んだ。
「あんまりそう言うことを口にするな。内々の話だと言っただろう」
「ああ、そうでしたね」
総司は「すみません」と軽く謝った。
馬越の脱退については幹部以上しか知らず、彼は脱走に成功したことになっている。
「でも良かったじゃないですか。隊内の風紀も乱れずに済んだし、松本先生の本懐も叶ったんだし…」
「お前、真夜中に抜け出してあいつを見送りに行ったそうだな」
話を遮って、土方は不満げにそう言った。総司は「バレたか」と舌を出す。
「どうしても聞きたいことがあったんですよ」
「何を?」
「それは…」
武田と距離を置きたい…総司にそう相談に来たときの凍てついた眼差しと、怪我を負った武田への愛情深い表情。その相反する馬越の二面性を見て、彼は本当は武田のことを想っていたのではないか…そんなことを考えた。
「秘密です」
総司は答えを濁した。
結局その答えは、馬越にさえ出ていなかった。彼はこれ以上、思いが募るのが怖いのだと言っていた。偽りの姿のまま誰かに愛されたいと願うのが、恐ろしい。その感覚はきっと彼にしかわからないのだろう。
「それよりも、彼のことは武田先生にはお話になるんですか?一応、幹部以上の秘密ですけれど、武田先生はその幹部の中に入るでしょう」
「…話すつもりはないし、おそらくは武田も馬越の行方は訊ねたりはしないだろう」
「どうしてですか?」
武田はあれだけ馬越のことを執拗に追いかけまわしていた。その彼が脱走したと聞けば、追いかけて隊を抜け出してしまいそうなほどに求めていたというのに。
すると土方はあからさまにため息を付いた。
「そういうもんだからだ」
「そういう…もの、ですか?」
「脱走したとなれば、見つかれば切腹。本当に馬越のことを想っているのなら、居場所を探り当ててわざわざ馬越を追い詰めるようなことをするはずがないだろう。それにもう手が届かないと分かって、武田はようやく諦めがつくはずだ」
「…そうでしょうか?」
「そうだ」
土方が珍しく断言した。総司は「ふうん」と相槌を打ちながら、菓子に手をのばす。
確かに、意識を取り戻した武田は馬越がいなくなっているということは気が付いているだろう。それでも一言も彼の名前を口に出さないあたり、土方の言うとおりなのかもしれない。
「…まあ、俺なら探しに行くけれどな」
「ふぇ?」
土方が思わぬことを口にしたせいで、頬張った菓子を吹き出しそうになってしまった。
「な、何言っているんですか?」
「お前がいなくなったら、地の果てまで追いかけてやる。お前が嫌だと拒んでも絶対にたどり着く。俺は諦めが悪いんだ…知っているだろう」
悪戯っぽく微笑んだ土方を見て、総司は頬が熱くなって何となく目のやり場に困ってしまった。
「…そ、そんなことをしたら切腹になりますよ」
そんならしくない言葉を、ときどき口にする彼が恨めしい。
いつだって、総司がどんな反応をするのかわかっているのだから。
「ああ…だから、逃げるなよ」
逃げるわけがない。
そう答えようとしたけれど、総司は言葉を飲み込んだ。
その返答さえ、彼にはわかっているのだろうから。








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