NEXT

わらべうた


433


父の後を追うように亡くなった母の葬儀は、身近な人だけでひっそりと終えた。
加也は南部とともに母が首を切って自害するという凄惨な光景を目の当たりにしたが、それでも母の顔が穏やかであったことに安堵していた。父のことを愛してやまなかった母にとって、父のいないこの世に何の未練もなかったのだろう。娘として一人残されたことを思えば寂しくもあるが、それが母の選択なのだと受け入れることができた。
放心する加也の代わりに、葬儀を取り仕切ったのは南部だった。父の身寄りはなく、母の親族も遠方に住んでいる。南部は父の友人として家族ぐるみの付き合いをしていたので、それは自然な姿に見えた。
「加也!」
葬儀を終える頃、顔を出したのは松本良順だった。
「良順先生…」
「悪かったな、親父さんや奥方の葬儀に間に合わなかった」
松本はこのころ、長崎伝習之御用を命じられ長崎海軍伝習所に身を置いていたため、とても葬儀には間に合わなかった。
「いいえ…遠方からわざわざ申し訳ございません」
「当たり前のことだ。親父さんと俺は兄弟子と弟弟子の仲だぞ」
久々に会う松本の相変わらずな物言いに、どこか安堵しながら加也はともに客間へと入った。
「南部はどうした?」
「…おそらく住職と話をしています。精一郎先生には何もかもお任せしてしまって…」
「構わねえだろう。お前たち家族と一番親しくしていたのはあいつだったんだ」
「はい…」
客間に生暖かい風が差し込んだ。
人が立ち止まったとしても、時が止まることはない。季節は少しずつ秋に近づいていく。人の死さえも遠いものになっていく。
松本は躊躇いながらも口にした。
「奥方は自害…と聞いたが」
「…はい。父が亡くなって母は酷く気落ちしていました。いつかこうなるのではないかと…考えなかったと言えば嘘になります」
「そうか…大変だったな」
松本は茶に手を伸ばし一気に煽った。なんとも言えない結末を飲み込むように。
「…それで、お前はどうするつもりなんだ?奥方が亡くなっちまったら近くに身寄りは居ないだろう」
「母が亡くなる前から…伯父が生活の面倒を見てくださると申し出てくださっています。伯父には子供がいないので養女として引き取られるのではないかと思います」
「そうか…」
松本は顔を顰めて、大きなため息をついた。
「惜しいな…。お前は片桐さんに似て医者の素質があると思っていた。親父の所の弟子よりもよっぽど知識に長けている」
「…そう言って頂くのは嬉しいのですが、それでも私は所詮女子です。良順先生や精一郎先生のようには生きられません」
南部も「行ってはいけない」と引き止めてくれたが、しかしそれは母が生きていたからだ。母がいなくなったいま、己の身の振り方は自分では決められない。それに男の医者からすれば加也がいくら医学を学ぼうともそれは飯事でしかなく道は途絶えている。いっそこの身が男であれば、と何度願ったことか。
すると松本はぽん、と手を叩いた。
「そうだ…いっそ、南部の嫁になったらどうだ?」
「は…っ?」
「俺にはすでに家内がいるが、南部は独りもんだ。生憎そういう女子もいないようだから、お前と夫婦になればいいじゃねえか。そうしたらここに残って、医学の勉強もできるだろう?将来は南部の助手としてその道に進めばいい」
「そ、そんな…冗談でしょう?」
昔から松本は面白いことを興じる性格だ。今回もその類かと加也は困惑したが
「冗談じゃねえよ。俺ァ本気だ!」
と、なぜか偉ぶっていた。そしてにやりと笑った。
「それに加也、お前まんざらでもねぇって顔してるぜ?」
「…っ!か、からかわないでください…!」
松本の視線から逃れるように、加也は顔を背けた。確かに体の芯から燃えるように熱くて顔が真っ赤に染まっているだろうということは鏡を見なくても分かった。これでは松本でなくても気持ちを見透かされてしまうだろう。
「よし、早速親父に話して縁談を進めようぜ」
「でも精一郎先生は…」
「大丈夫だ、親父のいうことならなんでも聞く。それにお前のことだって可愛がってるんだ、悪い話じゃないだろう」
「そ、それは…」
「心配するな」
松本は立ち上がると、加也の頭を少し乱暴に撫でた。そして「善は急げだ」と笑って去っていく。強引だけれど松本なりの励まし方なのかもしれない。
誰もいなくなった部屋で加也は身体を横たえた。父と母の死、度重なる疲労でついに全身の力がなくなってしまったような気がした。
けれど頭の中を占めるのは悲しみばかりではない。
(精一郎先生と夫婦に…)
どくどくと心臓が跳ねた。
『行ってはいけない』…南部のあの言葉の意味が少し変わってしまったけれど、そんな未来があるのならそれも良い。
何もかもを失った今、加也にとってそれが唯一の光のような気がした。


「善は急げ」
そう言った松本だったが、それから数日は何の音沙汰もなかった。
本当は一刻も早く南部が何と答えたのか知りたいと思っていたが、
(わたくしから聞くのははしたない…)
という気持ちが上回って何も聞くことはできなかった。加也の心は忙しなかったが、父と母の遺品を片付けることでどうにか気を紛らわせた。
だが、せっかちの松本はそうはいかなかった。
「南部!どういうつもりだ!」
松本にとっては実家であり、また南部にとっては師匠の家である佐藤泰然のもとで、二人は向き合って座っていた。
「良順先生…」
「加也を嫁にしてやれって、親父からも話があっただろう?!何で何の返事もねぇんだ!」
畳を叩いて詰め寄る松本に対して、南部は穏やかにほほ笑んだままで、それがさらに松本を苛立たせた。
「加也のことが気にくわないってわけじゃねえんだろうっ?」
「もちろんです」
「だったら!」
「…」
「くそ!肝心なことはだんまりかよ!」
微笑んだまま押し黙る南部が頑固なことは松本もよく知っていた。「ちっ」と苛立ちながら、松本は茶で喉を潤した。
「良順先生、佐藤先生から聞いているでしょう。私もあなたと同じ長崎海軍伝習所で学ぶことになったのです。近々、ここを離れるのです」
「聞いてる!だが、別にそんなことは関係ねえ。加也がお前と夫婦約束をするなら、あいつは待っているだろうからな」
「…そうですか」
南部は明確な返答をせず松本と同じように茶に手を伸ばした。その穏やかな様子が松本のいら立ちに拍車をかけるが、南部は気にする様子はない。
「…明日には加也の伯父ってのがあいつを迎えに来る。ど田舎だそうだから、当然、加也の医学の道は絶たれることになるだろう」
「そうでしょうね…」
「お前だって、加也の才能を知っているだろう。あいつは片桐さんの血ぃをしっかり受け継いでる。志半ばであの世に逝っちまった父親の代わりにその志を遂げさせてやろうという気持ちは無ぇのか??」
「勿論、加也が望むならここに残って医学を志すのが良いと思っていますよ」
「だから…!」
息巻く松本に対して、南部は困ったように一息をついた。
「…良順先生。何も無理に夫婦になることはありません。私でなくとも、佐藤先生のお弟子さんは沢山おられるのですから誰かと夫婦になれば…」
「本気で言っているのか?」
「…」
「南部、お前は医者だ。医者は鈍感じゃねえ。加也がお前のことをどう思っているのかなんて、本当はわかっているんだろう?」
松本は語気を強めた。父を失い相次いで母を失った孤独のなかで、加也は南部のことを思っている。それは誰から見ても明らかなもので、彼女にとって南部が唯一の心の支えともいえた。それを南部は自覚しているはずだ。
すると、ようやく南部が顔色を変えた。その微笑みが悲しみに変わり、視線を落とした。
「…だったら余計、私には夫婦にはなれない。私にはその資格はない」
「南部…?」
それまで会話を交わし続けていた南部は、どこか諦めたように言葉を吐いた。
「良順先生。私は…きっと私が、殺したのですから」
「殺したって…誰のことだ…?片桐先生のことか?」
「片桐先生の奥方…加也の母親である志乃(しの)さんですよ」
「…何言っているんだ、お前…?志乃さんは自害だったはずだ」
冗談だろう、と笑い飛ばそうとしたが、南部の目は昏い。いつも平穏としていた彼からは想像もできないほど淀んでいた。










NEXT


解説
なし


Designed by TENKIYA