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わらべうた


435


慶応元年十二月半ば。
「明日、京に向けて出立することになった」
同行している伊東、武田、尾形、山崎を目の前に近藤はそう告げた。
あと一歩というところで不測の事態に遭い、長州への入国を断念した近藤たちは幕府軍の拠点でもある廣島の国泰寺に戻っていた。長州と幕府の交渉は難航し、それに加えて仲介役を務めるはずだった赤禰が出奔するという痛手を負ってしまった。
「無念です」
伊東は扇で口元を隠しつつ、眉を顰めた。結局あれから赤禰との連絡はなく、長州に鞍替えしたのだと噂された。せっかく捕えてた討幕派の大物を口先で騙されあっさりと獄から出し野に放ってしまった――そんな揶揄さえ聞こえてくる。
近藤は肩を落とした。
「…このような状況では我々にできることはないが、幕府はこのまま長州を放置しておくこともできないだろう。機会を見計らって出直すことになるだろうが…また我々がお力になれるかどうかはわからないな…」
赤禰を逃がしてしまうという失態を犯してしまった。再び新撰組に長州行きの声がかかるかどうかは難しい。深く落胆する近藤に対して、誰も言葉を発することはできなかった。いつもは近藤の腰巾着のように賞賛する武田も唇を固く結んだまま、何も言わなかった。
近藤はふう、と息を吐いた。
「――とにかく、戻ろう。今できることは一刻も早く京に戻って仲間たちと合流することだ。都の治安を安定させることが、世の平安に繋がるのだから」
沈黙を破る言葉は、近藤が自らに言い聞かせるようなものだった。
その後は出立に向けた準備や挨拶回りの為に解散したが、近藤は山崎を呼び止め「話がある」と連れ出した。広い境内の人気のない場所だ。
「暫しの別れになるな」
近藤がそういうと、山崎は複雑そうに顔を歪めた。彼にはこのままこちらに残ってもらうことになっていた。長州への入国を図り、状況を探る…山崎にしかできない仕事だ。
だがそれは彼の意に背く命令だった。
「…あまり納得ができまへん。俺は土方副長から近藤局長の傍を決して離れないようにと厳命されています。このまま残れば、それを破ることになる」
「歳には俺から君を怒らないように言っておくよ、心配することはない、無事に戻れば良いのだから」
「副長から怒鳴られることを危惧しているわけではないのですが…」
山崎は近藤の身の危険を真剣に案じているのだが、近藤は「ははっ」と笑った。
「試衛館食客以外で歳に怒られるのが怖くないというのは、君くらいかもしれないな」
「はあ…」
「だが今回のことは受け入れてくれ。君が引き続き長州に残って探るというのはもともと伊東参謀の考えだが、それに私も同意した。何も成し遂げることができず、ましてや赤禰殿と別れてしまった…その失態を永井様は強く責めなかったが、せめて今回の同行を許してくださった永井様に報いたい」
「…」
山崎を残すという選択は藁にも縋るような近藤の想いと同義だ。だとしたらそれに従うのが正しい…山崎ももちろん理解はしていたが、それでも近藤の身を第一に考えろという土方の命令を蔑ろにすることはできなかった。
山崎が返答に迷っていると、冬の冷たい風が通り抜けた。ここに来たときはまだ秋の残り香があったのに、すっかり木々は枯れ木だらけの寂しい風情となっている。
「…今回のことで君や歳の気持ちが少しわかったよ」
「え?」
「少しだけ私も参謀のことを恐ろしく感じた。得体の知れなさを…思い知った」
近藤は声を落とした。
「赤禰殿と話をしている時だ。彼と同調する参謀の姿を見て…私にはそこまではできないと思った。目的や手段の為に距離を縮めることはできても、同意することはできない。赤禰殿は池田屋の敵方だ…あの場で死んだ仲間のことを考えると、申し訳なさの方が上回る」
「それは…そうやと思います」
「だが、それが参謀の本心なのかもしれない。長州のように幕府など打倒すれば良いと考えているのか。いや、違う…彼は赤禰殿に心を許してもらうために上辺だけの同意をしているんだ…と、そんな風に迷って参謀の本当の姿がわからなくなった」
山崎は素直に驚いていた。伊東が加入してから、近藤は何かと彼のことを擁護してきた。藤堂の師匠であり、剣の腕も確かで秀才で弁が立つ…秀逸な彼を新撰組に招くことができたと喜び、土方が苦言を呈しても耳を貸すことはなかったのだ。
「これからは参謀のことを盲目的に信頼するのではなく、俺なりに考察したいとおもう。君や歳が言うように警戒もする。…だから、君は安心してここに残って密偵を続けてくれ」
「…わかりました」
これまで近藤は伊東に対して疑問を抱くこともなく信頼していた。それを土方は危険だと考えていたのだが、彼自身が少し見つめ直すというのなら山崎が警戒する必要はないだろう。
(それに帰路に何かしでかすことはないやろ…)
山崎はようやく納得して受け入れることができた。近藤もその様子を見て安堵したようだ。
「しかしせっかく監察から医学方へ異動になったというのに、申し訳ないな。君も医学の勉強がしたいだろう」
「…いえ、俺は監察でもなんでも『新撰組の為の仕事』がしたいだけですから」
形が何であっても、新撰組の為になるのなら何でも構わない。表に出る華々しい仕事ではないがそれだけでやりがいは感じていた。
「そうか」
近藤は嬉しそうに笑った。そして「じゃあ」と別れようとしたところを山崎が引き留めた。
「局長。一つ…ご報告が」
「ん?」
「実はあの日…俺は逃げる赤禰殿に会いました」
山崎は槇村と名乗る男たちに襲われ逃げ出した赤禰に相対した。
「…なんて言っていたんだい?」
近藤は特に驚かなかった。常に陰ながら同行している山崎がすぐに近藤の元に駆け付けなかったことについて、察しがついていたのかもしれない。
「故郷に戻って再起を図る。…局長へ申し訳ないと伝えてくれ…と」
「…そうか」
近藤は赤禰からの伝言に曖昧な返答をした。
敵方である彼を信じたいという気持ちがないわけではない。けれどどこかで二度と赤禰に邂逅することはないと思っていた。


一方。
「土方さん、起き上がっちゃ駄目ですよ」
近藤の別宅に身を寄せる土方のもとに総司は連日、足を運んでいた。
南部による傷の縫合は無事に終わり、傷口さえ塞がれば問題ないだろうという診断を受け入ていた。土方は自分自身の別宅に戻るつもりだったらしいが、みねは深雪の看病のため近藤の別宅にいる。それでは誰も世話ができないということで、近藤の別宅の一室を借りることにしたのだ。みねは深雪と土方と二人の世話を務めることになってしまったが、快く引き受けてくれた。
「もう痛くねえよ」
「痛くなくても横になっているように南部先生がおっしゃっていたじゃないですか」
「もう治ったようなもんだ」
「子供じゃないんですから。おみねさんにそんな我儘言っているんですか?」
総司は横になるように促したが土方はそれを無視して「それを寄こせ」と脇に抱えていた手紙に手を伸ばした。総司は仕方なく屯所に届いた近藤からの手紙を渡した。
土方が怪我を負ったということは新撰組の中でも伏せられている。局長と参謀がいない今、副長すら床に伏しているとなれば邪なことを考える輩が出てくるかもしれない…そんな彼の考えで、事実を知っているのは総司と斉藤くらいだ。土方は連日、近藤の代わりに仕事を熟しているということにして、完治を待つことになったのだ。
土方は近藤からの手紙を眼をカッと開いて読んでいた。
「近藤先生、なんて書いてあるんですか?」
「…京に戻るそうだ」
「えっ?」
思わぬ報告に総司の顔は綻んだ。だが、土方の顔は冴えない。
「ただ…山崎はこのまま残るらしい」
「山崎さんが?」
「詳しくは書いていないが山崎にはこのまま密偵を続けさせるようだ。廣島に残して既に出立している」
「…まあ、山崎さんの監察の腕なら敵国であっても密偵することは簡単でしょうけど…何かあったのでしょうか?」
土方は首を横に振っただけで何も答えない。その後、土方に手紙を見せてもらうと、詳しいことはあまり書いておらず赤禰を伴って入国を図った件も『帰ったら説明する』とあった。心配と言えば心配だが、戻ってくるのであれば身の上の心配はない。
「良かったですね。あと数日でお帰りになられるでしょう」
「ああ…それまでには治す。刺されたなんていったら、あいつに笑われる」
「だったら薬を飲んで、早く横になってください」
総司が薬を渡すと、土方は手慣れた手つきで口にした。そして横になると、あっさりと眠り始めた。薬のせいもあるかもしれないが、ここの所近藤と伊東がいない分職務を請け負い忙しくしていた。その溜まりに溜まった疲れもあってよく眠っているのだろう。
総司はできるだけ音をたてないように部屋を出た。
開放感のある庭はみねによっていつも綺麗に保たれており、落ち葉一つなく寂しい風景になっていた。それは主がずっと不在だからかもしれない。





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解説
なし


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