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わらべうた


439


近藤の別宅にやってくると、深雪とみねが出迎えた。
「おかえりなさいませ…旦那様」
いつも床に伏していた深雪は化粧を欠かさず身なりを整えていたけれど、今日は特に際立って美しく、薄紫の着物をまとい紅を差し、上品な奥方の風情で出迎えた。その様子は病で伏しているということを感じさせない神々しさがあったが、表情は万感の様子で、近藤を見る目がキラキラと輝いているように見えた。
「ただいま…息災で何よりだ」
深雪の病状や不在の間の出来事について近藤はもちろん知っていたが、それを悟られまいとする深雪の健気さを感じ取り、あえて何も言わずに彼女の出迎えを受け取った。
見つめ合う二人。どこか他の人を寄せ付けない二人だけの空気が流れていた。
「…皆様、奥のお部屋にお上がりください。夕餉もすぐに支度させてもらいます」
みねが申し出て、近藤は「頂こう」とようやく草履を脱ぎ、玄関を上がった。
近藤と深雪が談笑しながら先んじて歩いて行く中、土方が小声で総司を引き止めた。
「総司、お前は近藤さんと先に夕餉を呼ばれてこい」
「え?土方さんは…」
「俺は…少し休んでから行く」
そう言うと土方は総司に背を向けて、怪我の休養のために使用している別の部屋に歩いて行く。本人は強がっているが傷が痛むのだろう。だがそれを口にすれば心配をかけるだろうと、近藤と深雪の久々の再会に水を差さまいという土方らしい配慮だ。
総司は台所へ向かうみねにこっそりと声をかけた。
「…おみねさん、あとで土方さんに茶と痛み止めの薬を渡してください」
「へえ、かしこまりました」
もともとは土方の別宅の世話をしているみねも土方の性格は心得ているようで、頷いた。
総司は遅れて近藤と深雪とともに部屋に入る。この別宅で一番庭が美しく眺めることができる客間だ。
「歳はどうした?」
「少し…仕事が残っているようです。部屋で済ませてくると」
「そうか」
総司は咄嗟に嘘をついてしまったが、おそらく近藤も土方の遠回しな気遣いはわかっているはずだ。
深雪は両手の指先をそっとついて、軽く頭を下げた。
「旦那様、お役目を果たされ、こうしてご無事にお戻りになられたこと…嬉しく思います」
「ああ。時折、歳から手紙をもらっていた。少し…身体を壊したそうだが」
「大事ありませぬ。ご心配をおかけして堪忍どす」
「…そうか、大事ないなら良い」
深雪は未だに本調子とはいかないようだが、彼女自身が断言したため近藤もそれ以上の追及は口にしなかった。
「君に土産がある。気に入ってもらえると嬉しいのだが」
近藤は屯所から持ってきた小さな風呂敷を深雪の前に差し出した。深雪は顔を綻ばせ結びを解く。
「…まあ、これは筆…ですか?」
「あちらでは上質な筆が作られているらしい。伊東参謀に教えていただいて手習い用の筆を買い求めたのだが、化粧筆は君の良い土産になるのではないかと思ってね」
「こんな上等なものを…おおきに」
深雪はまるで宝石に触れるかのように筆を取り、嬉しそうに微笑んだ。それを見ている近藤もまた満足げに頷いていた。
その頃、みねが戻ってきて温かい茶を差し出した。
それからしばらくは土産話に花が咲いた。西国は誰にとっても足を踏み入れたことのない場所で、特に近藤は穏やかな波が打ち寄せる瀬戸内の海は良いと場所だったと口にした。もちろん、政治的な内容はなく総司も和やかな気持ちで聞いていた。
そして一通り話し終えた後、近藤が切り出した。
「…ところで、総司。見合いの方はどうだったんだ?歳からは順調にことが運んでいると手紙が来ていたが…」
「…あ…」
「会津藩医である南部先生の娘さんを迎えるなんて良いお話じゃないか、深雪もそう思うだろう?」
「へえ、加也様は熱心にうちの看病もしてくださいました。とても素敵な女子はんやと思います」
「そうかそうか」
近藤どころか深雪、みねもまた傍で頷いている。総司も加也に不満があるというわけではない。
「素敵な夫婦になられると思いますえ」
「そうか、ならすぐに話を…」
「先生」
しかし、もう迷いはなかった。
「…近藤先生、この縁談が私にとって良いものだということはわかっています。お加也さんは私にはもったいないほど聡明で良い方です」
「惚気か?」
「…でも、お断りをさせてください」
「な、なんだって?」
総司の申し出にその場にいた三人は驚きを隠せない様子だった。特に近藤は土方から『縁談はまとまる』と聞いていたのだろう、目を丸くしていた。
総司は深雪へ目を向けた。
「すみません、深雪さん。縁談の席では色々と気を回していただいたのに…」
「そないなことは構いしまへん。せやけどどうして…?」
「…」
既に加也と友達のように親しくなっている深雪にどう説明していいのかわからず、総司は迷った。
「お加也さんに何か問題があるわけではありません。申し分ない方です。ただ…私には、誰とも縁談を受けるつもりがないということだけです」
「…総司、それは歳のことと関係があるのか?」
「そうです」
近藤の問いかけに、総司は即答して続けた。
「…先生がおっしゃることは理解しています。沖田家は義兄が継ぐけれども、姉が本当は私に継いで欲しいと願っていることも…知っています。だから一度は、そうする方が良いと納得しました。別に歳三さんと離れるわけではないのだから、そうする方が誰もが幸福なのだと言い聞かせました」
「…だったら何故だ?」
愛弟子を思う近藤の気持ちも、遠くに離れた末の弟を心配する姉の心情もわかっている。その為に、土方との関係とは別のものだと受けれようとした。土方でさえも納得した。
けれど、それはできなかった。
「でも先生…たとえ私に家族がいなくても、
子がいなくても…それは私にとって不幸なことではないと気がついたんです」
「どういうことだ…?」
「…私にとって不幸なことは、歳三さんがいないことだけです。それを…この間、歳三さんが刺された時に悟りました」
「…」
ずっと一緒に居られると思った。けれどそうじゃないのかもしれないと気がついた。
すると全てが惜しくなった。
「限りある時間は…もしかしたら明日終わるのかもしれない。今回は歳三さんは無事でしたけれど…次はわからない、今度は私に何かがあるのかもしれない。私たちはそういう世界で生きています。だからこそ、私には縁談をして別の人と過ごす時間すら…惜しい」
未来のことは誰にもわからない。加也を嫁に迎えることが幸せに繋がるのかもしれない。
でもそれは全てが不確かであり、確かなものだけを信じるならば、土方との『今』だけだ。
「私にとって歳三さんはかけがえのない存在です」
そしてこんな思いを抱えながら、加也を嫁にもらうことはできない。それは、彼女を不幸にしてしまうだけだから。
総司は近藤に頭を下げた。
「身勝手で…我儘だと思います。近藤先生や姉上の思いを踏み躙るものだともわかっています。私がもっと器用だったら良かったのかもしれません。でも…歳三さんとともにいることが、私の生きる意味だとわかったんです。それ以外も、それ以上も望みません。だからこれだけは譲れません…ごめんなさい」
「…」
総司は深く深く頭を下げた。
その言葉を聞いていた近藤や深雪、みねが一斉に口を閉ざし、部屋はしんと静まった。
総司は目を閉じていた。あと一歩で縁組がまとまるところまで話は進んでしまっているのだ。だから、どんなに叱られても構わないと思った。
けれど、聞こえてきたのは近藤の穏やかなため息だった。
「…総司、頭を上げなさい」
「先生…」
「お前にそこまで言われるなんて、歳は幸せ者だな」
「ふふ…うちもそう思いますえ。こんな殺し文句…廓の女子なら卒倒してしまうわ」
顔を上げると、近藤や深雪は微笑んでいた。みねもまた穏やかな表情をしていて、そうしてようやく総司は自分が恥ずかしいことを口走っていたことに気がついた。一気に?が熱くなる。
「え…あ、あの…」
「お前にそこまで言われちゃ、もう俺は降参するしかない。どうやら余計なことをしたみたいだ」
「そ、そんな…先生は何も悪くありません」
「そういえばこうやってお前が俺の意思に背くのは初めてだな。お前は素直で…優しい。だからいつも己の気持ちを犠牲にして俺の考えを尊重してくれていた」
「…」
近藤は感慨深そうに口にするが、総司には今まで犠牲なった、という感情はない。総司にとって近藤の喜ぶ姿が、自分にとっても喜びだったというだけだ。
でも、今回だけは違う。
「先生…私は先生のお考えが間違っているとは思いません」
「ああ。だが、お前の選ぶ道が違うだけだ」
近藤は総司の肩に手を置いた。ゴツゴツとした大きな手が、それでいいと言っている気がした。
「歳は俺の手紙をお前に見せたか?」
「…手紙…ですか?」
心当たりのない総司は首を傾げる。その様子を見た近藤は「ははっ」と笑った。
「あいつも随分律儀な男だな。もうこうして無事に戻ってきたのだから、笑い話になるが…」
「どういうお手紙だったのですか?」
「それは歳に聞いてくれ。…総司、お前の縁談の件は歳が納得するのならなかったことにしよう。俺はお前も…歳のことも大切だ。お前たちが後悔のない人生を送ってくれるなら、それが一番だよ」
「先生…」
「松本先生と南部先生には俺から話をしよう。お加也さんにも詫びよう。…ただ、言っておくが後になって惜しい女だったと言っても後の祭りだからな?」
「…わかっています」
近藤が少し茶化して、深雪と目を合わせて笑う。みねも微笑んで「夕餉にしましょ」と部屋を出た。
庭の草木が冬の冷たい風を受けて、ゆらゆらと揺れていた。けれどその根はしっかりと土に根付いて、春を見据えていた。









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