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わらべうた


440


和やかな食事を終えると、世話をしてくれていたみねが家に戻ると言いだした。総司は
「お送りしますよ」
と申し出た。夜はすっかり更けてしまっているので、一人の夜歩きでは心もとないだろうと思ったのだ。しかしみねは「生娘やあらしまへん」と柔らかに断ったので、玄関まで送ることにした。
「近藤せんせがお戻りになられはりましたし、深雪さまも落ち着かれますやろうし…うちの仕事はもう終わりやなぁ」
みねが感慨深そうに呟く。
「そんな。深雪さんもまた来て欲しいとおっしゃっていましたから、別宅の世話がないときは顔を出してあげてください」
「…せなやあ」
「急に顔を出さなくなったら、深雪さんも寂しがりますよ」
総司は食い下がったが、みねの返答は鈍い。
(どうしてだろう…)
深雪とみねは距離を縮め、傍目にはまるで親子のように見えるほど親しくなっていた。そのためみねがここに来づらいということはないはずだが。
みねは提灯を手にして微笑む。
「沖田せんせ、深雪さまの妹さまのこと…よろしくお頼み申します」
「え?ああ…身請けの件ですね。もう少し落ち着いたら話をしてみます」
「へえ。きっともっとお元気になられると思いますえ…ほな」
みねは軽く会釈をして去っていった。しなやかな言葉遣いだが、その雰囲気にはこれ以上は踏み込んでほしくない…という意思を感じた。
違和感を覚えつつも総司は彼女が手にしていた仄かな明かりが消えて無くなるまで見送った。
「…よし」
総司はそのまま近藤の元には戻らずに、土方のいる部屋に向かった。部屋には小さな明かりが点いていた。
「土方さん」
「…ああ」
返答が聞こえたので部屋に入る。着崩した姿で横になっていた土方だったが、蝋燭の灯りを頼りに読み物をしていた。
「傷の具合はいかがですか?」
「問題ない。薬が効いた」
「そうですか。おみねさんが土方さんの分の夕餉を御重に詰めて用意してくださっていますけど、召し上がりますか?」
「いや…今はいい」
土方は手にしていた書物を閉じた。そしてゆっくりと身体を起こして襟を正す。
「…屯所に戻るか」
「え?せっかくですから今夜はこちらで休ませてもらったらどうですか?」
「馬鹿。久々の逢瀬を邪魔するわけには行かねえだろ」
「あ…ああ、そっか」
総司は頭を掻いた。熱心に深雪の世話をしていたみねがあっさりと帰宅したのも二人に気を利かせたのだろう。
帰り支度を始めた土方は羽織に袖を通す。一つ一つの動作が未だに鈍く、強がっていながらも痛みがあるのだろうと察することができた。痛みを堪えて屯所に身を置いては治るものも治らないだろう。
「だったら、屯所ではなくて別宅に行きませんか?屯所だったら無理をしてしまうでしょう?…それに、土方さんに話があるんです」
「…わかった」
土方の返答はどこか重い。総司は別宅に行きたくないのか…と勘繰ったが、土方はさっさと部屋を出てしまった。
総司は台所に向かいみねが準備してくれていた夕餉を手に、近藤に一言挨拶をして家を出た。近藤は「泊まっていけばいい」と言ってくれたが、すでに土方は自身の別宅に向けて家を出てしまっている。有り難くも断って、総司は慌てて土方を追いかけた。
月明かりの眩しい夜だった。見上げれば雲ひとつない空に満月が神々しく鎮座していた。
すたすたと歩く土方の背中には、傷を負っている様子など微塵も感じられない。それどころか、ぴんと背中を張って歩く姿は月明かりを浴びて近寄りがたいほどに凛としている。
その姿は目を奪われるほど、眩しかった。

近藤の別宅ともほど近い土方の別宅には、久しく誰も出入りしていないせいかどこか静まり返っていた。けれどみねが定期的に世話をしてくれているようで埃が溜まっていることなどはない。
土方は客間に腰を下ろして、深く息を吐いた。そのため息にはどこか疲労感がある。
「土方さん、夕餉を食べますか?」
「後でな。…お前の話を先にしろ」
総司は強引な土方に言われるがままに目の前に膝を折ったが、彼の目の前に改まって座ると、どう切り出して良いのか分からなくなった。
しばらく総司の言葉を待っていた土方だが、痺れを切らしたように
「縁談のことか?」
と切り出して続けた。
「かっちゃんが帰ってきたことだし、話を進めることになるだろう。仲人は松本先生にお願いして…」
「歳三さん。ひとつお願いがあるんです」
総司が強い口調で遮ると、土方は言葉を止めた。
「なんだ?」
「近藤先生が歳三さんに託けたという手紙を読ませていただけませんか?」
「!」
土方はあからさまに驚いた顔を見せた。
「…かっちゃんが話したのか?」
「はい。内容は歳三さんに聞いて欲しいと言われました。きっと歳三さんのことだから、私事の手紙なら屯所ではなくて別宅に置いてあるのではないですか?」
「…」
図星だったのか、珍しく土方の目が泳ぐ。そして深くため息をついた。
「…ったく、無事に帰ってきたからってすぐに気を抜きやがって…」
ブツブツと文句を言いながらも近くにあった文箱と引き寄せて中を開いた。そこにあったのは、土方の義兄である佐藤彦五郎宛の手紙だった。彦五郎は昔から何かと試衛館のために尽力してくれていて、新撰組が壬生浪士組だった頃も金策に手を貸してくれていた。近藤にとっては恩人のような人だ。
土方は手紙を手にとって、総司の前に出した。
「言っておくが、これは長州行きを前にかっちゃんが覚悟を決めて書いたものだ。もしその身に何かあれば義兄さんや小島様に送るように言われていた」
「小島様へも…」
「だからお前も、覚悟を決めて読め」
「…」
土方の語気が強くなり、総司も思わず息を飲んだ。恐る恐る手紙に手を伸ばして開くと、そこには見慣れた近藤の筆跡によってなんの迷いもなくサラサラと流れるように文字が書かれていた。
総司は読み進める。長州行きは危険が伴い、自分の身に何が起こるのかわからない。戦場を前に怯む気持ちは無いが、それでも自分がもしこの世を去った時に気がかりなことがある。それは天然理心流のこと…新撰組の局長となった今だからこそ、己の身を押し上げてくれた剣術への深い感謝をしている。だからこそ、それを後世に伝えていくために何ができるのかーーー。
「…歳三さん…」
「ああ。かっちゃんはお前に天然理心流を継いで欲しいと考えているようだ」
「そんな…私は近藤先生の血縁ではありません!」
いくら剣術が上達しても、その名前を継ぐことはない。そんなことは当たり前だと思っていたし、近藤も自分の子に継がせたいと思っているはずだ。それなのに自分の名前が挙がることは、総司にとって信じられないことだった。
「…かっちゃんが無事に戻ってきた今となっちゃ笑い話だが…あいつは本気だった。かっちゃんには男子がいないし、あいつの次点はお前だ」
「でも…」
「ああ。お前は沖田家を継がなければならない。だからかっちゃんは剣術だけをお前に継がせようとした」
「…」
手紙を持つ手が小刻みに震えていた。渦巻く感情は喜びなのか驚きなのか、わからない。
「…近藤先生に後継がいなくったって、娘のたまちゃんがいます。剣術のできる婿養子を迎えた方が良いじゃないですか」
「確かにその方が話が早いだろう。でもかっちゃんはお前に継がせたいと言っていた」
「どうして…」
「お前の剣術が好きなんだそうだ」
「…え?」
それはとても土方の口から発せられたとは思えないような子供っぽい内容だったが、土方の顔は極めて真摯なものだった。
「お前は天然理心流しか知らない、だからこそお前の身に沁みた剣術こそが後世に伝わるべきだと」
「…先生は買い被りすぎです…」
「ああ…そうだな、そうかもしれない。だが、俺もお前が継げばいいと、そう思った」
「歳三さん…」
近藤だけではなく、土方も同じ考えでいてくれた。
彼らの思いを簡単に受け取ることはできない。けれど未来を託してくれていたという彼らの気持ちに総司の胸は高鳴り、目頭が熱くなった。
土方は総司の手から手紙を取り上げた。そしてそれを元どおりに折りたたみ、文箱の中に戻す。
「あくまでかっちゃんの身に何かあった時の話だ。だから本当に何かが起こるまでお前に知らせる必要はないと考えていた」
「…もちろんです。私が絶対にお守りしますから、近藤先生の身に何も起こるはずがありません」
総司は目尻を拭った。
近藤が認めた未来は来ない。何故なら自分が守るから。近藤よりも先を生きている未来なんてない。その覚悟は試衛館を出て、ここにやってきてからずっと決めている。近藤の思いを聞いてその覚悟を新たにすることができた。
「お気持ちだけ有難く受け取っておきます。…歳三さんの気持ちも」
「俺は何も言っていないだろう」
「鈍感な私だってわかります。…歳三さんはきっとこの手紙を見て縁談を進めようと思ったんでしょう?だから近藤先生も手紙を見せてもらえって言ったんですね」
剣術を継ぐということになれば、相応しい縁談相手を…と考えるだろう。近藤が総司の縁談を進めていたのはそのせいだし、土方が急に考えを変えて縁談に同意したのことにも納得ができた。
「…」
土方は肯定も否定もしなかった。
「…歳三さん、ごめんなさい」
「何がだ?」
「もっと早く気がつけば良かった。歳三さんが考えを変えるとしたら、近藤先生のため以外にはないのに…ずっと気がつかなかったせいで、歳三さんを苦しめてしまった」
「別に…苦しんでなんかいねえ…」
「縁談はお断りしました」
唐突と、そしてあっさりと告げた報告に、一瞬空気が止まる。そっぽを向いていた土方が「は?」と目を剥いた。
「こ…断ったって…」
「近藤先生の許可もいただいてますし、松本先生や南部先生…それからお加也さんにはちゃんとお詫びします。だから、もうこの話はおしまいです」
「何、馬鹿なこと言っているんだ!」
カッと熱くなった土方に、総司は淡々と答えた。
「馬鹿なことなんかじゃありません。歳三さんと生きることを、私が選んだだけです」
「な…」
「私は近藤先生をお守りしたい。それから歳三さんの傍にいたい。それ以外は何もいらないんです」
ただでさえ不器用にしかできないのに、それはただの高望みになってしまう。
唖然としていた土方が、「くそ」と舌打ちした。
「…かっちゃんはなんて言ったんだ?」
「私の思いを汲んでくださいました」
「あいつが簡単に納得するわけがねえだろう。縁談には随分固執して力を入れていたんだ」
「…それは…」
『私にとって歳三さんはかけがえのない存在です』
『歳三さんとともにいることが、私の生きる意味だとわかったんです』
近藤や深雪たちの前では簡単に口にできた言葉が、本人を目の前にする何も言えなくなる。
(ああ…本当だ)
深雪の言った通り卒倒しそうなほど、恥ずかしい言葉だ。口に出して伝えることなんてできないほど。
でもその言葉には、一片の曇りもない。それだけは確かだ。
「ただ…歳三さんと一緒にいたいと、言っただけです」
この気持ちを伝える言葉なんてわからないけれど、ただともにいたいーーーそう思った。
「…きっと私が歩みたいと思っている道は、近藤先生を守りたいと同じように思っている歳三さんと同じ道です。だったらその道だけをまっすぐに進みたい。それだけが…私の望みで、それ以上は望まないとお話ししました」
「…」
「近藤先生はあとは歳三さんが納得するのならそれで良いと言ってくださいました」
土方は総司の言葉を聞いてしばらく何も口にしなかった。
部屋の障子が揺れる音がした。部屋に灯るほのかな数本の蝋燭がゆらりと靡いて、その影だけが動いた。
すると土方が重たい口を開いた。
「…お前が女と一緒にいるところを見て似合いの夫婦になるだろうと思った。子供でもできれば賑やかな家族になる…そんなことまで想像ができた」
「歳三さん…」
「だからこの間、俺がお前に言ったことも事実だ。お前が俺だけのものであることで、お前の未来や可能性を狭めてしまうのは俺にとっては不本意なことだ。だから、誰かと夫婦になることを止めることはできない…そう思っていた」
土方が発する言葉の端々に彼の苦悩を感じた。土方も簡単に総司の縁組を進めてきたわけではない。総司の知らない所で迷いや葛藤があったに違いないのだ。
「お前が嫁をもらったとしても、お前の心は俺のものだ…そう言い聞かせてきた。それがかっちゃんの望みであるのなら言うまでもない……そう思っていたのにな」
ふっと息を吐いた土方が、少しだけ微笑んでいた。
「お前も…馬鹿だな。もうこの先、嫁をもらうことなんてできねぇぞ」
土方は総司の手を引き寄せた。傷を心配して逃れることもできたけれど、総司はその手に引かれて土方の胸の中に収まった。
その暖かさはとても懐かしく思えた。
ずっとこの場所にいたい。
彼と同じ道を歩んでいたい。
(それが、僕が選んだ道…)
何度でも選び続ける、僕にとっての正解。
「もしも、はぐれたら…ちゃんと探してください。迷子になってしまう」
「ああ…」
土方が微かに頷いた。










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