わらべうた 498.5 ―ふたり2―




深雪が死んだ―――そう聞かされた時、斉藤は自分が『虚しさ』を感じたことに少し驚いた。
彼女との繋がりは、不審者騒ぎの時に警護をしたくらいのものでたいして会話を交わしてはいない。
けれどどうしようもない『虚しさ』を感じたのは、きっとその少ない時間でも彼女の朗らかさと柔らかでしなやかな優しさを感じていたからだろう。
(近藤局長は落胆されるだろうが…)
土方が近藤にわざわざ伝えることはないだろうと、斉藤は推察していた。
ただでさえ敵地を前に気が張っているに違いない。そこにわざわざ悪い知らせをもたらす必要はないだろう。土方は近藤に激怒されることを覚悟で隠し通すはずだ。
…そこまで考えて、斉藤はふと思考を止めた。
(俺は素直に弔うことができないらしい)
知人…とも言えないが、深雪が死んだことを素直に『悲しい』と受け止めれば良いものを、わざわざ小難しく捉え、周囲の状況ばかり気にしてしまう。
そんな自分に思わず苦笑してしまった。
「…飲むか」
ちょうど非番だった斉藤は献杯のつもりで屯所を出て人混みに紛れた。春の麗らかな陽気に誘われたのか行き交う人の数がいつもより多い。こうした喧騒に中に紛れてしまうと、自分が何者でもないように感じる。新撰組という肩書きも、組長という立場もなく、ただ一人の人間だと実感する。
斉藤は自分にはそういう時間が必要だと思っていた。そうでなければ自分が思っている以上の存在だという錯覚に陥り、驕った人間になる。
そうしていると一軒の居酒屋が目に入った。行きつけ、とは言えないが無口な店主が常連客を相手に静かに酒を嗜む…そんな雰囲気が斉藤には心地よかった。
(献杯には相応しいか…)
そう思い、斉藤は暖簾をくぐった。すると数人の客とともに店主と話し込む男がいた。
無口な店主が誰かと話し込んでいるのは初めて見たのだが。
「らっしゃい」
「おや?」
そこにいたのは伊庭だった。
斉藤には(またか)という気持ちが自然と湧き上がる。彼が京へ滞在してこうしてばったり出会うのは二回目のことだ。
「なんだい、知り合いか?」
「そうなんです。斉藤さん、どうぞ」
伊庭に手招きされて斉藤は仕方なく彼の隣に座った。
彼らは話し込んでいたのかすっかり意気投合しているようで、「同じのでいいだろう」と店主はさっさと酒を持ってきた。
「…なぜここにいる?」
「え?目についた店に入っただけですよ。それに、それは俺の台詞です。どうしてここへ?」
「…」
先に店に入ったのは伊庭なのだからそれは当然の回答なのだが、斉藤はなんとなく釈然としない。
けれど伊庭は気にする様子もなく口を開いた。
「…深雪さん、お亡くなりになったそうですね。土方さんから聞きましたよ」
「ああ…」
「俺はこちらにきてからは一度お目にかかっただけですが、近藤先生に尽くす良い女だったとお聞きしています。本当に残念なことです」
「…」
伊庭は空になっていた猪口に酒を注ぎ、
「献杯、ですね」
と斉藤に目配せした。彼の卒のない様子に斉藤は抗うこともできず「ああ」と短く答えた。
口に含んだ酒は喉に流れていく。伊庭は続けた。
「店の主人も数年前、奥方を亡くされたそうなんですよ。その時は随分落ち込まれたそうで、遣る瀬無さや女房を亡くしてから気づくことが沢山ある…なんて話をしていたわけです」
斉藤は無口な店主から身の上話まで聞き出している伊庭の話術に素直に驚いた。彼にとっては何気ないことなのだろうが、人と関わろうとしない斉藤にはできないことだ。
「…嫁をもらう気はないのか?」
斉藤は特に意味もなく尋ねたのだが、伊庭は目を丸くした。
そして手にしていた猪口をぐるぐると回し
「斉藤さんにそんなことを聞かれるのは意外だなあ」
と微笑した。
彼のいうように、斉藤自身も何故そんなことを聞いてしまったのかはわからなかったが
「別に…ただの世間話だろう」
と誤魔化した。すると伊庭は苦笑した。
「でも実は俺にとっては聞かれたくないことだったので。斉藤さんは無意識に核心をついたというわけです」
「…」
斉藤は別にそんなつもりはなかったのだが、と内心首をかしげる。
すると伊庭は「うーん」と言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。
「世情の混乱を理由にして縁談を避けているのは事実ですが…ただ、まあ、そうでなかったとしてもきっと俺は俺以外のために生きることはできなかったと思うんです。幼い頃からわがままなので」
「ふうん…」
「だからきっと…俺の相手をできるのは、俺とともに戦場にいてくれるような相手じゃないと無理でしょう。だから嫁をもらう気はないんです」
はは、と笑いながら伊庭は酒を飲む。
斉藤は何故だか、彼の隣に女子が並ぶ姿が想像できなかった。眉目秀麗な彼はその気になればすぐに女子を虜にできそうなものだが、何故だかそういう気配はない。
かくいう己もまた、伊庭の言葉には同調できた。
(自分のためにしか生きることができない…)
伊庭はそれをわがままだと言ったが、斉藤はそうは思わなかった。
むしろ自分の人生を人に任せる方が無責任だろう。もし躓いた時に誰かのせいにしてしまうことになる。
「それで、問題はないだろう」
「え?」
「自分のために生きて、死ぬ。誰にも迷惑をかけなければそれでいい」
口にしながら、斉藤は(そうあればいい)と再確認した。
人々は桜が見事に咲く姿を知っているが、散った花びらがその後どうなったかはなにも知らない。
けれど花びらもそれを知ってほしいとは思わないだろう。自分の死に際などよりも覚えていてほしいものがある。
(ああ…そうだ…)
別れの寂しさよりも、過ごした日々の幸福を思う方が良いに決まっている。
もしもこの先二度と会えない別れがあったとしても、悲しんでほしいとは思わない。
「…かっこいいなあ。惚れちゃいそうですよ?」
「…」
気がつくと、伊庭は酒を飲む手を止めて、まじまじと斉藤を見ていた。
そして距離を詰めて「はい、一献」と調子よく酒を勧めて来る。
(…面倒なことになった)
避けたいと思っていた相手にすかれることほど面倒なことはない。
しかし口の立つ彼には敵う気がしない斉藤はただ盃を取り酒を口にするしかなかった。


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