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わらべうた



521


七番隊組長の谷三十郎の死について、総司は経緯を土方に説明したがその真実はとても公にできるものではないため、『不逞浪士に襲われたことによる急死』として隊士に伝えられた。しかし嫌われ者の谷が大坂から戻った直後の出来事であったため憶測が臆測を呼び、谷の存在が邪魔になっただとか、谷自身が周平の存在を盾に尊大な態度を見せたためだとかいう、内部の粛清とする噂が広まってしまった。真実を知る総司はとても苦々しい思いだったが、通常通りの悪役を引き受けた土方は涼しい顔をしていた。そして真実を知る斉藤もまた感情を一切見せない淡々とした表情を貫いて巡察に出掛けていた。
そんななか総司は近藤の別宅に足を運んだ。
「そういうことだったのか…」
近藤は複雑な顔で腕を組み直した。
総司は土方に話した同じ説明を近藤にも話した。隊の一組長であり、養子である周平の兄であるのだから親戚関係あたる谷の死の真相を近藤に隠すことはできなかったのだ。
「谷組長は縁のある大坂へ、水野殿の遺体は名のわからない無縁仏として供養してもらうことにしました」
「…残念なことだが、水野殿の素性を知られては困るということだな。お前のいうとおり互いに本懐を遂げたということなら良かったと思い見送るほかあるまい。…それに、そもそも谷君はそのつもりだったようだ」
「と、いうと…?」
「実は先程、周平がここにきていたんだ」
「え?」
近藤は残念そうに顔を顰めた。
「…谷君は自分が死ぬ前に己の大刀を周平に渡したそうだ。大坂からこちらに戻ってきて心機一転、刀を新調するから…と渡されたそうだ。周平はそれを受け取ってしまった、谷君が大刀を持っていたなかったから不逞浪士に殺されてしまったのだと自分を責めて嘆いていたが…総司の話を聞いて納得したよ。彼は最初から水野殿の手で死ぬつもりだったのだろう」
だからあらかじめ武士にとっての命である刀を周平に託した…隊内では末弟を局長と近親関係にして権力を得ようとした強欲な男として嫌われていた谷だが、死に際の言葉が正しいのなら、彼は過去の己の失態により苦しめてきた家族への償いを貫いたのだろう。どんな誹りを受けようとも。
(不器用で、でも強い…)
そういう男だ、と誰にも言うことはできないけれどせめて覚えていよう。
総司はそう心に誓った。きっと同じ気持ちである近藤も頷いて、続けた。
「それから、残念なことだが…周平とは養子縁組を解消することにしたよ」
「え?でも…」
「ただし表向きには公表はしない。谷君の計らいを無碍にするわけにはいかないが、しかし周平はまだ若く気が小さい…養子縁組が彼の足枷になるのは本意ではないだろうし、周平もそれを望んでいた」
「…そうですか」
近藤の決断を亡き谷は不服に思うかもしれないが、周平が望んだことなら仕方ないと納得してくれるだろう。それに表向きには養子のままなのだから、周平も気が楽になり肩身の狭い思いをしなくて済む。
ふう、と息を吐き近藤は続けた。
「ふん…これで歳も安心するだろう。周平を養子にしたことをあまり快く思っていなかったようだからな。昔、谷君に言いくるめられたのだと散々馬鹿にされたものだ」
「…先生、この間のことですけど…」
「俺はまだ怒っているぞ」
近藤は口をへの字に曲げてしまった。
もともと深雪の死について蟠りがあった二人だが、先日土方が『お孝を妾に』と言い出した事でさらに険悪になってしまった。土方は近藤が孝に惚れるはずだと言っていたが、近藤からすれば義妹を妾にするという考えそのものが許しがたいことだったのだ。
「深雪の喪の明けぬうちに不謹慎なことこの上ないだろう。隊士たちの下世話な噂はともかく、あいつは副長なのに!」
「それは同意しますが…土方さんなりに、近藤先生とお孝さんのことを考えた上でのことだと…」
「今回ばかりはあいつの思う通りにはさせん」
近藤は頑なに拒み、そっぽを向いてしまった。普段は温厚なのに頑固なのは昔からなので、総司にはなすすべはない。これ以上土方を庇うと火に油を注ぐだけなので、総司は黙るしかなかった。
するとみねが顔を出した。
「失礼いたします。…近藤さま、沖田さま、お隣からお饅頭を頂きました、おひとついかがですか?」
「おみねさん、もちろん頂きます」
「俺ももらおう」
みねは柔らかな笑顔で饅頭と茶を差し出した。甘いものを食べれば近藤が喜ぶのを知っているみねは、二人の雰囲気を察して差し入れてくれたのだろう。温かな茶で喉を潤し、甘い饅頭で心を満たす。
「そういえば昨日、松本先生にお会いしました。近藤先生の胃痛についてご心配されていましたよ」
「大坂から戻られたのだな、お忙しいご様子だ。俺のことなんかより心配されることがあるだろうに」
「大樹公のこと…ですか」
「ああ。やはりお加減が良くないらしい。松本先生のような奥医師だけでなく、江戸から和宮様が医師を送られているそうだが、それでも御辛労が多いのだろう」
近藤は「ふう」と息を吐きながら食べかけの饅頭を置いた。
「二度目の長州征討が間近に迫っている。一度目は大勝したが…薩摩と長州が手を結んだいま、何処と無く不安に感じるな」
「まさかたった二藩に幕府が負けてしまうとお考えなのですか?」
三百年近く統治してきた幕府が、大藩とはいえたった二藩に敗戦する…総司にはあまり想像のできないことだった。
近藤は「そうだな」と苦笑した。
「たしかに、薩摩が明確に敵になったわけではないのだし、幕軍の兵が数で勝るのは間違いない。そう心配することはないだろう」
「…そうですね」
漠然とした不安は残ったが、すぐそばにはみねもいたので二人は話を切り上げた。
近藤は食べかけの饅頭を一口で平らげて茶で流し、みねに視線を向けた。
「おみねさん、お孝は?」
「へえ、今はお買い物に出られております。そろそろお帰りかと…」
「そうか。実は良い縁談を見つけてきたんだ」
近藤はその大きな口を綻ばせたが、みねと総司は驚いた。
「先生、縁談というとお孝さんの?」
「勿論だ。商家の次男で年の頃も同じくらい、心根の優しい青年だ。芸事を好むようだからお孝も気があうだろう」
「…」
近藤は満足そうに笑う。
総司はそばにいたみねをちらりと伺うと、複雑そうに顔を歪めていた。
彼女は孝の祖母にあたる…孝の心情は誰よりも理解しているだろう。しかしその一方で深雪と孝を身請けした近藤に対して意見ができるわけではない。
孝だけではなく、みねの為にも総司は口を開いた。
「あの…先生。縁談のこと、お孝さんにお気持ちを伺ってみたほうが良いのではありませんか?」
「…まさかお前も俺の妾に、と思っているのか?」
「違います。そうじゃなくて…」
「そもそもお孝は深雪のために身請けに応じてくれたんだ。だが深雪はここに来て…新撰組に関わって死んだ。お孝に同じ目にあって欲しくない」
「…その気持ちは私も同じです。でも…」
「もう決めたことだ」
近藤は顎を引き唇を結び、総司を見据える。その重々しい言葉が、近藤の本気なのだということを露わにしているようだった。
「先生…」
「ここにいることは、お孝の幸せではない」
近藤が言い切ったその時、ガンッという激しい物音がして三人は自然とそちらに目を向けた。みねが障子を開けると孝がそこに立っていた。彼女の足元には桶が転がっていて買い求めた豆腐が形を崩して落ちていた。
「お孝…!」
孝は話を聞いていたのだろう、最初は青ざめた表情で俯いていたが、すぐに近藤を睨み、唇を震わせた。
「ようわかりました。うちのこと…邪魔やと思うてはるってこと」
「誤解だ!俺はそんなことを…」
「うちの幸せはうちが決めます!」
孝は怒鳴ると背中を向けて走り去る。
「お孝!」
近藤が呼び止めたが彼女は無視して家を出ていってしまった。
嵐のような孝の激情…それを目の前に唖然と立ち竦む近藤が呟いた。
「…俺は間違っているのか?」
「…」
その問いかけに総司は答えることができなかった。







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解説
なし

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