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わらべうた



523


居場所がなく
形がなく
心がなく
靄のように輪郭がない。
けれどたったひとつ在るのは、この身に宿る忠誠心だけ。
それがこの身体を生かしている。


総司は山野に近藤のことを託して屯所を飛び出したが、すでに斉藤の姿は視界のどこにも無かった。
(何処へ行ったんだろう…)
見張りの隊士は屯所を出て行く斉藤の姿を見たものの、その行方は分からないと言っていた。声をかけることさえ躊躇するほど厳しい剣幕だったらしくとても話しかけられなかったらしい。
そんな彼の行き先に心当たりは何もない。
「どうしよう…」
「どうした、総司」
手を振りながらやってきたのは原田だった。着流しのラフな格好なのでまさの所から帰ってきたのだろう。
「原田さん、斉藤さんを見ませんでしたか?」
「斉藤?ああ、見たよ」
「何処で!」
総司が飛びつくように尋ねたので、原田は驚いた。
「なんだよ、何かあったのか?」
「まだ何もありませんけど、何かあるんじゃないかと思って探しているんです」
「わけわかんねえな…まあいいや、四条の辺ですれ違った。声をかけたんだが耳に入ってない様子でさ…そのまま祇園の方へ向かって行ったぞ」
「ありがとうございます!」
総司は原田への礼もそこそこに駆け出した。原田が西本願寺の北にある四条の大通りで会ったということなら、斉藤はかなりの早足で出て行ったということだ。いつも冷静沈着で、感情の振れ幅の狭い斉藤が原田にも気がつかないほど焦ってどこかへ向かっている。
(きっかけは…大樹公のご病気だ)
斉藤は目の色を変えて近藤に尋ねた。病状を聞いて動揺し、そのまま出て行った。大樹公に心酔しているのか…だがそれだけで全てを推察するのは難しい。
(斉藤さんは何を抱えているのだろう)
それを知りたいような、知るべきではないような相反する二つの気持ちに苛まれた。斉藤の中に踏み込んではいけない領域があるのはわかっていたからだ。
けれど今更、彼を放っておくわけにはいかない。
その一心で走り、原田が見かけたと言う四条通りに合流し東へと向かった。人混みをかき分けてしばらく進むと鴨川が見えてきた。
総司は息を切らしながら辺りを見渡す。老若男女さまざまな人々が交差するなか、鴨川の手前を北へと向かう背中が目に入った。確信はなかったがその姿を追って細道に入ると、足早に歩く斉藤に間違いなかった。
「斉藤さん!」
「!」
斉藤は足を止め、振り返った。総司の姿を見ると顔を顰めて
「何故追ってきたんだ」
と責めるような言い方をした。
「何故って…それは、斉藤さんの様子がおかしかったからで…近藤先生がご心配されていました」
「…局長の指示か」
「…」
斉藤は鼻で笑った。
指示、と言われればその通りだがそれよりも斉藤を慮る気持ちの方が勝る。だがそんな言い訳すらいま彼の耳には入らないだろう。
斉藤は総司を拒むように鋭く見据えたまま
「付いてくるな」
と吐き捨てて再び歩き始めた。
彼はいつも自分の感情を頑丈な殻で覆い隠していた。淡々と職務を遂行し、時には人を斬り、そして的確な言葉で総司を励ました。
いま、そんな彼の感情の片鱗に確かに触れた。
『醜悪な怪物だ』
(僕は、彼のことを知りたい)
その気持ちに突き動かされるように斉藤を追った。もちろん斉藤は気がついただろうが、総司の存在を無視するように歩き続けた。そうして辿り着いたのは、よく知っている場所だった。
「診療所…」
つい先日も訪れた木屋町にある南部の診療所だ。相変わらず患者で溢れているが斉藤は構うことなく慣れたように中に入り、弟子の青年に「松本先生は?」と尋ねた。あまりの剣幕に怖気付いたのか弟子は「奥です」とあっさりと教えてくれて、斉藤はさっさと行ってしまった。
「沖田先生、どうされたのです」
「あ、南部先生…すみません、突然」
主である南部に診療の手を止めさせてしまったが
「構いませんよ」
と穏やかに微笑んだ。職業柄、いつ誰が訪問しても気に触ることはないのだろうが、斉藤の険悪な雰囲気には驚いたようだ。
南部は「奥へどうぞ」と促しながら付け足した。
「英は他の弟子とともに出かけていますから、夕刻まで戻りません」
「そうですか」
総司が斉藤を追って易々と診療所なかに入れないのは英のことが気がかりだったからなのだが、不在ということに安堵した。
総司は診療所の奥の客間に向かう。すでに中から話し声が聞こえてきた。
「松本先生、沖田です」
「なんだお前も来たのか」
客間に入ると、積み上げられた医療書たちの隙間で二人が向かい合って座っていた。総司は二人の間に膝を折る。
松本は深くため息をついた。
「沖田、こいつはどうしちまったんだ?突然やってきて、無理難題を押し付けやがって。お前からも無茶を言うなと言ってくれ」
「え?」
「え?じゃねえ。…なんだ、お前も同じ用件で来たんじゃないのかよ。…大樹公に会わせろってな」
「えぇ??」
総司は何の冗談かと思ったが、松本の苦い表情や斉藤の真摯な面立ちを見ると冗談を口にしている様子ではない。
「大樹公を心配する臣下は大勢いるが、皆が直接お会いできるわけではない。俺たちのような医者や側近だけだ。幕臣でもない、藩士でもないお前たちには無理だ」
「勿論、分かった上でお願いしています」
「頭の良いお前さんが本当に『分かって』いるなら『無理だ』とすぐわかるはずだろう。まったくどうしちまったんだ…冗談のつもりか?」
「それでも、お会いしたいのです」
斉藤の頑として譲らない態度に、松本は困ったように腕を組む。しかし総司から見ても、斉藤が無茶を口にしていることは分かった。
「斉藤さん、上様を心配知る気持ちは私も同じですが、直にお会いするなんて近藤先生にだって叶わないことです。いくら松本先生のお力でも…」
「あんたは黙っていてくれ」
斉藤は総司に視線を向けることなく遮った。苛立っているというよりも焦っている。
松本もだんだんと斉藤が冗談を言っているのではないのだと理解した。
「…お前、大樹公と何か個人的な縁があるのか?」
「…」
「黙ってちゃわからねえ。自分の要求だけ通してわけを話さねえのは不平等だろう。まず、てめぇの事情を話せ」
今度は松本は斉藤に詰め寄った。彼の言い分はもっともで、斉藤も言い返さなかったが、視線を落とし迷っていた。話したくないのではなく、話せない…何かに雁字搦めに囚われているようだった。
「どんな理由があろうと口外はしねぇと約束する。だから話してみろ」
「…」
斉藤は視線をあげた。そして松本ではなく総司の方へと向けた。
「…帰ってくれ」
「斉藤さん…でも」
「局長や新撰組に迷惑はかけない。だが…これは、あんたには聞かれたくない話だ」
「…」
傍目には総司を拒否しているように見えただろう。
しかし総司は既視感を覚えた。あの雨の日、自身のことを「醜悪な怪物」だと言いながら、「嫌わないでほしい」と叫んでいた。今も同じだ。聞かれたくないと口にしながらもその心のどこかではきっと知ってほしいと願っているに違いない。
(僕は逃げたくない)
今まで知りたくないものから目を逸らし、彼の優しさに甘え続けていた。片方だけが痛みを受け入れ続けるそんな関係がどうして『友人』などと言えるのだろう。
「…いいえ、私にも聞かせてください」
「だから…」
「斉藤さんが言ったんじゃないですか。何かを隠して私と向き合うことが限界だと。だったら中途半端にしないで、ちゃんと試してください。斉藤さんの気持ちも…そして私の気持ちも」
「…」
斉藤は唇を噛んだ。いつもの彼ならそれでも「帰れ」と言い張っただろうが、彼にその気力はないようで、深く息を吸い込み吐き出した。
そして
「…もう何年も、何年も前の話です」
と切り出した。











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解説
なし

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