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わらべうた



530


話を聞き終えた松本は、彼らしくなく唖然とした顔をして
「俄かには信じられねぇ話だが…」
と零した。それは斉藤の傍で聞いていた総司も同じだったが
(きっと本当のことなのだろう…)
とすぐに信じた。寡黙な斉藤がわざわざ作り話をするとは思えなかったし、内容にはリアリティがあった。
松本は問いかけた。
「それで、その後はどうなったんだ?」
「…『先生』は幕臣でしたが、何故死んだのかその経緯を明らかにすることはできませんでした」
「当然だな」
「結果咎を負った俺は江戸を追われましたが…篠原の助けを得て、どうにか落ちのびました。彼もあの時若様から目を離してしまったという罪を感じていたのだと思います」
斉藤はそれが篠原の贖罪であったと納得していた。彼の困難な人生はそこから始まったことになるだろうが、それを後悔している様子はなくむしろそれが命運だったのだと受け入れているようだった。
総司はさらに尋ねた。
「じゃあ新撰組に入隊したのは…」
「…もちろん試衛館との縁も理由の一つだが…上様をお守りするには京都守護職であり、上様に忠実な会津藩に関わる必要があると思ったからだ。そして上様がこちらに上洛された際、側近になっていた篠原と再会した」
「それで新撰組とは別の仕事を請け負っていたということですか?」
「…」
それまで饒舌に語っていた口元が止まる。総司は不味い事を聞いてしまったかもしれないと思ったが、今更引き返すことはできなかった。すると斉藤は逡巡しながらゆっくりと答えた。
「…それが幕府の、そして上様の為になるのならと請け負ったことはある。篠原にとっては面倒で汚い仕事を押し付けただけなのだろうが…それでも構わないと思っていた」
それが上様のためになるなら。
その頑なな言葉で総司は斉藤の秘めた忠誠心を知った。心の奥底で刻まれたその途方も無い誓いを、誰にも語らず誰にも漏らさず貫いてきたことは紛れもなく斉藤の強さに繋がっているのだろう。
斉藤はそれまで口にしなかった過去を話してくれた。けれど総司が感じたのは彼を理解できたということよりも、彼がもっと別の次元で生きているのではないかということだった。会津お抱えという末端の立場であるにもかかわらず、天ほど遠い場所にいる大樹公に忠誠を誓い、それだけのために生きている。
(それが少しだけ…寂しい気がする)
自分勝手な感傷なのだろうけれど、総司は何だか取り残されたかのような気持ちを覚えた。
「話はわかった」
松本が重々しく切り出した。
「お前さんの話は信じる。だが、たとえ大樹公と過去に縁があったとしてもそれは『過去』だ。今の大樹公にお前を会わせる理由にはならないだろう」
「…」
「松本先生、なんとかなりませんか?」
黙った斉藤に代わって総司は懇願したが、松本は難しい顔のままだった。
「こんな話聞かせてもらっちゃどうにかしねぇといけねぇと思うのは人情だが、そう簡単にはいかねぇんだよ。俺は幕府御典医だが所詮は東洋医学が闊歩している世の中じゃ蘭方医は新入りみたいなものさ、権限はない」
「でも先生の他に頼る人はいません」
「わかってる。…少し考える時間をくれ。だがあんまり期待してくれるなよ」
松本は最後まで難しい顔を崩さなかった。それだけ無茶なことを懇願しているのは二人ともわかっていたので、それ以上は何も言えなかった。ただ斉藤は、
「ありがとうございます…」
深々と頭を下げたのだった。


南部の診療所を出る頃には、すでに夕暮れとなっていた。太陽は西に傾き、橙色の空が夜の闇と混じり始めている。
二人の足は自然と屯所に向かう。だが斉藤は重々しい雰囲気で固く口を閉ざし、総司もまた彼に掛ける言葉を見つけられないでいた。
(やっぱり…僕には話したくないことだったのだろう)
斉藤は過去の話をする前に、はっきりと総司には聞かせたくないことだと拒んだ。しかし総司が譲らなかったため仕方なく語った…それを後悔しているのだろうか。
小道から大通りへ出てそのまま東へ向かった。日中は人々が行き交い活気があるが、日が落ち始めている今は人通りは疎らだ。そしてまた西本願寺へ続く南へと曲がったところで、斉藤が突然足を止めた。
「斉藤さん?」
「…どう思ったんだ?」
「どう…って」
「言っただろう、自分の気持ちを試したいと。…俺は全てを話した。あんたはどう思ったんだ?」
「…」
総司も足を止めて向き合う。
聞きたいと懇願しておきながら、有耶無耶にして何も言わないのは卑怯だとわかっていた。試したい…そう言ったのは自分の方なのだから。
総司は真っ直ぐに斉藤を見た。
「安心しました」
「安心…?」
「はい。もちろん戸惑いましたが、やっと腑に落ちたような気がしました。今まで疑問に思いながらも尋ねられなかった…底知れない、なにか深い事情があるとわかっていたから、踏み込んではいけないと思っていたんです」
水野の件だけではなく、過去にも斉藤は新撰組以外の場所で命令を受け、それをこなしてきた。斉藤はそのことを匂わせながらも「お前には関係ない」と言わんばかりに背を向けていたのだ。
「でも斉藤さんを突き動かす衝動が『上様への忠誠心』だと知って、安心したんです。理由や経緯はどうあれ…新撰組や私と同じ方向を向いているんだって」
総司の忠誠心は、近藤に注がれている。だがその近藤の気持ちは会津公に留まらず上様に向かっている。だったら斉藤が秘めた忠誠心と違うことはない。
「…」
だが斉藤は険しい顔のままだった。
「斉藤さん?」
「…同じ方向かどうかはわからない。俺はあの頃の俺とは違う。多くの命を奪いそのことに慣れすっかり汚れた。そんな醜悪な怪物になった俺が、上様に忠誠心を誓ったところで…すべてが容認されるものではない」
「…」
「だが…一つ言えるのは、今まで生かされてきたのは上様のおかげだということだ。あの方への忠誠が無ければとっくにこの命を粗末に扱っていただろう」
太陽が沈む。刻一刻と闇が辺りを包み、互いの顔さえ見えなくなっていく。
せっかく近づいたと思った距離が離れていく。
「…斉藤さんは、上様にもし何かあれば…」
総司はハッとして思わず手で口を覆った。つい口をついて出てしまったが、不敬極まりない発言だった。
「すみません、つい…」
「その時はご一緒するつもりだ」
「…!」
薄暗闇のなか、斉藤が迷いなく放った重たい言葉に総司はゴクリと息を飲み込んだ。彼の中にある深い深い忠誠心を超えた何かが、突き動かしている。
「…戻ろう」
斉藤は話を切り上げて背中を向けた。総司は咄嗟にその後ろ姿を追いかけて、その腕を掴んだ。
「待ってください…!」
「なんだ」
「…その気持ちがわかるなんて簡単に言えません。私も近藤先生の身に何かがあれば…同じようにするかもしれません。でも…私は斉藤さんに生きていてほしい」
わがままだとわかっていても、自分を棚に上げておいてと言われても、その気持ちは本当だ。
「だから…お願いですから、そんな簡単に言わないでください」
「…」
斉藤はしばらくなにも返さなかったが、沈黙を経てようやくふりかえる。
「…俺は時々、あんたのことが嫌いになる」
「え…?」
「この身体が上様への忠誠心だけで満たされていれば意志が揺れることなどないのに…そうやって無遠慮に掻き乱す」
斉藤は総司の手を払い、代わりに総司の肩を掴んだ。
「…そのくせ、あんた自身が乱されることはない」
「斉藤さ…」
「言いたいことはわかった。だからもう何も言うな」
斉藤は総司の肩を押し、そのまま踵を返して去っていく。
総司はそれを追うことはできなかった。







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解説
なし

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