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わらべうた



532


甘味屋から戻ってきた二人の表情は対照的だった。
憑き物が落ちたかのようにすっきりとした笑顔を見せた近藤と、居心地悪そうに目をそらした土方。けれど二人の間には以前の険悪な雰囲気はなく、幼馴染の独特な穏やかな風が流れていた。
きっと近藤が笑って「すまん」と謝って、土方は「ああ」とぶっきらぼうに答えて受け入れたのだろう。長年の付き合いである総司は聞かなくても彼らが互いに納得できるところに着地したのだと想像できる。
「良かったですね。深雪さんもきっと安心してますよ」
総司は二人にそう言った。近藤は満足げに「うむ」と大きく頷いたが、土方は仏頂面のままだった。
「じゃあ俺は別宅に行ってくるよ」
近藤は機嫌よく手を振りながら去っていく。土方と仲直りしたことで気分が高揚したのか、足取りは軽い。
「…お孝さんのこと、ちゃんと助言してあげたんですか?」
「まあな」
総司は近藤を見送った後、土方とともに彼の部屋に入った。
「あいつは奥手すぎるんだ。恋愛経験の足りない頭でグダグダ考えたってしかたねぇし、どうせロクな答えにしかたどり着かない」
「またそうやって怒らせるようなことを」
「こういうことについては俺の方が上手だとかっちゃんはよく分かってるよ。お孝の心はお孝しかわからねえんだからさっさと本心を聞いてこいと嗾けておいた」
土方は何事もなかったかのようないつも通りの口ぶりだが、総司は彼の口から出る『かっちゃん』という優しい響きに安堵した。
(あとはお孝さんが近藤先生のお気持ちを受け入れてくれると良いな)
「近藤先生と土方さんが仲直りして、山崎さんが戻ってきてようやく元どおりって感じですね」
「元どおりってわけじゃない。これから…変わっていく」
「…伊東参謀のことですか?」
土方は「ああ」と頷いた。そして声の調子を落としながら続けた。
「これから長州征討が始まる。今まで幕府側だった薩摩が今回の戦には兵を出さないことを決めたらしい」
「それは…長州と同盟を結んだから、ということですか?」
「おそらくそうだろう。あくまで中立的な立場だと主張するようだが…どうだか。だがそんな時に西国を周り、倒幕派の奴らと接触を図った…何か企んでいるとしか言いようがないだろう」
「…伊東参謀は何と?」
「ただの遊説だとシラを切られた」
土方は吐き捨てる。
伊東が入隊して以来、新撰組は近藤のように忠義を尽くし無骨で一本気な武者と、議論を戦わせ知能を併せ持った伊東のような論客に分かれた。それは隊士が増えたことによる多様性とも言える反面、一致団結できない要因となり陣頭指揮を取りづらくする。それは決して土方の望む形ではない。
土方は「ふう」と息を吐いた。
「…とにかく、かっちゃんじゃねえが、あれこれ考えても仕方ねぇ。戦の成り行きを見守るしかできねえんだから」
「そうですね…山崎さんが戻ってきて心強いですし」
「ああ」
土方はあっさりと肯定した。医学方として監察を離れたとはいえ山崎が土方の片腕であることに間違いはないのだ。
(もう一本の片腕は…)
「あの…土方さん」
「なんだ」
「…斉藤さんのことなんですけど…」
「様子が変だった、というのはさっきかっちゃんから聞いた。言われて見れば覇気がないような気もするが、あいつの感情を読み解くのは難しいからな」
「ええ…」
総司は茶を口に含んだ。
斉藤はずっと己に課せられた使命を表沙汰にすることなく、淡々と遂行してきた。寡黙な表情の裏でどんな葛藤があるのか誰にも悟られることはなく、自身の感情をひた隠しにして生きてきたのだから土方でさえその本心を知るのは難しいだろう。
『醜悪な怪物』だと痛めつけて、忠義という縄で縛られても、それでも守るべきものを守る。
(今頃、きっと上様の身を案じている…)
そして万が一のことがあれば、忠義に殉ずる覚悟をしている…それを知ってしまった。
「心配なんです」
「…は?」
「斉藤さんはいつも芯がぶれることがなくて、強くて、年下なのに私なんかよりよっぽど大人です。…それなのに今は、何だか…目を離すことができないっていうか…放って置けなくて」
(僕がこんなこと考えていることすら斉藤さんには迷惑なのかもしれないけれど)
それでも何も聞かなかったことにできるほど、斉藤との距離は遠くない。
総司はただただ気にかかるばかりだったが、土方は顔を顰めた。
「お前、あいつから何か聞いたのか?」
「…」
「かっちゃんは様子のおかしい斉藤をお前に追いかけさせたのだと言っていた。そして二人ともそのまま夜まで帰って来なかった…と」
土方の言い振りは、問い詰めるというよりも疑うように厳しいものだった。
「どんな話をした?」
「…それは、言えません」
斉藤がひた隠しにしてきた過去を、簡単に口にすることはできない。彼がどんな思いをして吐き出したのかと思うと胸が張り裂けそうになるからだ。
けれど、土方はそんなことを知る由もない。
「おい!」
土方は総司の腕を掴んで強く引き寄せた。
「い、痛い…」
「何故言えないんだ。それは言えないようなことなのか?俺に隠し事をするのか?」
「…っ、言えないことは言えないんです。でも誓って歳三さんを裏切るようなことはしてません」
「は…っ、どうだかな。お前は随分あいつに気を許しているだろう」
土方の冷笑に総司は息を飲む。
違う、と否定することはできた。気持ちは全て土方に向いているのは間違いないのだから。…けれど彼の指摘通り斉藤に気を許しているところは確かにある。抱きしめられたことも口づけをされたこともある。
それを幾度となく許してきたのは、斉藤が特別だったからだ。
「斉藤さんのことは…歳三さんとは違う意味で、大切なんです」
その素直な感情が土方をさらに苛立たせた。
総司は掴まれた腕をさらに引っ張られ、そのまま畳に叩きつけられた。背中に走る衝撃に狼狽えていると、その上に土方は馬乗りになった。
「歳三さん…!」
「…今まで、お前と斉藤の仲について俺は何も言わなかった。どんなにあいつがお前に懸想しても…お前の気持ちが俺に向いていると思っていたからな」
「それは変わっていません!でも…んぅっ」
言い訳を封じるように、土方は口を塞いだ。強引な口づけには愛情はなく噛み付くように激しいだけだった。
(こんなのは…いやだ…!)
総司は土方の胸板を押したが、ビクともしない。息継ぎさえ許されず次第に頭がぼうっとしてくる。
そしてそのまま土方は着物襟に手をかけた。
「歳三さ、ん…」
「…屯所では嫌だというのなら、さっさと言え。斉藤はなんて言ってたんだ」
「だから…それは、できないんです…」
「強情だな、お前は」
ハッと短く息を吐き、土方は懐から取り出した手拭いを強引に総司の口に突っ込んだ。
言えというくせに、塞ぐ。
矛盾した行動から、土方の憤りが伝わってくるようだ。
彼の指先が輪郭から首筋、鎖骨へと流れる。いつもの優しいそれではなく、指先まで彼の感情が浸透しているかのように熱く鋭く、痛い。
『二つとも得ようっていうのは浮気者、何一つ選べないのは卑怯者』
不意に松本の言葉が蘇る。心は固まっている…だからそのどちらでもないと思ったのに。
(僕は…卑怯者なのかな)
傍目には…土方にはそんな風に見えているのだろうか。そう思うと悔しくて恥ずかしくて目に涙が滲んだ。
知らないうちに斉藤を傷つけ、秘密を持ったことで土方を怒らせた。これは鈍感でいたことに対する当然の報いなのだろうか。
すると土方が呟いた。
「…お前は、変わるな。俺だけを見ていろ」








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解説
なし

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