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わらべうた



537


夜から降り続けている雨が屯所のあちこちに大きな水たまりを作っていた。
「お疲れ様です、沖田さん」
巡察を終え、帰営したところで珍しい人物から声を掛けられた。
「藤堂くん…」
八番隊組長の藤堂は当然、試衛館食客の一人である分ほかの組長よりは近しい存在のはずだが、ここ最近彼はかつての同門である伊東と懇意にしており総司とは距離があった。山南の一件で彼は彼なりに納得したはずだが、それでも河合が死んだ一件では遺恨が残っているのだ。表情や言葉が硬い。
「どうしました?」
「お話があるのですが…ここでは…」
「…わかりました」
総司は藤堂とともに場所を移動し、裏手にやってきた。雨樋から溢れる雨水が地面に激しく打ち付けられてうるさいが、人に聞かれたくない話なら丁度良いだろう。
「それで話って…」
「近藤先生の件です」
「先生の?」
「…前の妾の妹を妾にした、というのは本当ですか?」
「…」
藤堂は総司に鋭い目を向けた。
近藤が孝と通じ合い、深雪と同じ立場になったことは伏せられていた。内戦状態のなかで皆に公表すべきではない、という土方の判断だったのだが、なぜか藤堂の耳に入ってしまったらしい。
「…お孝さんは元々近藤先生に身請けされた方です。何も不思議なことはありません」
「そういう意味じゃないのはわかっているでしょう。妹は姉の看病のために身請けされた…そういう建前があったからこそ隊士たちも納得していたんです。だから姉が亡くなったのなら、どこかへ嫁に出すのが当然でしょう。それなのにまさかご自分の妾にしてしまうなんて…」
「…お孝さん自身も望んだことです」
「当人同士がどう思っていようが関係なく、周囲の…隊士たちがどう思うかです」
真っ直ぐな感情を伝えてくる…さすが『魁先生』といわれる藤堂らしい行動だ。
(近藤先生も土方さんも…誰かがこんな風に言い出すことはわかっていたはずだ)
「…隊士たちには分かってもらえないかもしれませんが、お孝さんはきっと近藤先生を支えてくださいます。それが結果的に隊のためになる…土方さんもそう考えているはずです」
「…どうですかね。近藤先生も土方さんも…変わってしまったようですから」
「…」
藤堂は少し吐き捨てるように口にした。以前の明るく快活な彼ならそんな言い方をしなかっただろう。総司にはむしろ変わってしまったのは藤堂のように思えた。
「藤堂くん、その話は誰から聞いたのですか?」
「…別にいいでしょう、そんなこと」
「よくありません。時期が時期ですから公表を避けていた話題です。…伊東参謀ですか?」
「違います」
藤堂は即答したが、少し目をそらしていた。
「藤堂くん…」
「…隊内でそういう噂になっているだけです。それに…疾しいことがないのなら最初から公表すれば良いことじゃないですか」
「それは…」
「昔の近藤先生なら…そうしたと思います」
藤堂はそう言い残すと「じゃあ」とさっさと話を切り上げて戻っていってしまった。
昔の…と彼が語るのは池田屋以前の頃かそれとも試衛館にいた頃のことか。だが今の状況はあの頃と何もかも違う。近藤は局長として重要な立場であり、それを支える土方は山南がいなくなってから特にどの地盤固めに余念がなくなった。近藤が精神的な支えを欲したとしても誰も責められないだろう。
(せめて食客のみんなはそう解釈してくれると思っていたのに…)
そんな風に期待してしまったのが間違いなのか、それとも藤堂にとって『試衛館食客』という肩書きは無意味で邪魔なものなのではないだろうか…。
「はあ…」
ため息をついて壁に背を預けた。
近藤と孝のことを手放しで祝福していた総司にとって釘を刺されたような気持ちだった。滝のように降る雨が視界を遮り、鼓膜だけを震わせ続ける。
そんな時、ガタガタッとすぐそこに裏口の引き戸が動いた。交替で見張りをする隊士だろうか…と思ったが、
「松本先生?」
顔を出したのは幕府御典医の松本だった。傘をさしているが激しい雨に肩口が濡れていた。
「おう、なんでこんなところにいやがるんだ?」
「いえちょっと…そんなことより松本先生こそどうしてこんな裏口から…表よりいらっしゃってくだされば良いのに」
「仰々しいのは面倒だし、内密なことなんだよ」
「内密って…」
松本は「やれやれびしょ濡れじゃねえか」と毒づきながら傘を畳み、総司のいる軒下にやってきた。
「先生もしかして…」
「ああ、例の一件だ。悪いが斉藤と土方を呼んできてくれねぇか、俺はここで待つ」
「わかりました」


すぐに総司は斉藤と土方とともに裏手に戻った。
「先生」
「おう、土方」
「松本先生…これは一体…?」
「悪いが事情を話している暇はない。斉藤を大坂まで借りるぞ」
「は…」
「大坂…」
事情を知らない土方は当然驚いたような顔をしたが、斉藤と総司は行き先が『大坂城』であることを確信した。松本がどうにか斉藤の希望が叶うように手段を整えてくれたのだ。
斉藤は頷き、
「すぐに支度をします」
と踵を返して小走りで部屋に戻っていく。
松本は総司が持ってきた手ぬぐいで頭を拭いた。
「明後日には屯所に戻す。悪いが何か適当に理由をつけてくれ」
「それは構いませんが…どういうことです」
「すまんが、あまりベラベラと話すことじゃないんでな。全てが終わった後に斉藤から聞いてくれ」
「…わかりました」
土方は未だに納得できていないようだったが、松本がそういうのなら、と仕方なく飲み込んだ。
だが食い下がったのは総司だった。
「松本先生、私も連れていってくれませんか?」
「はぁ?お前なぁ、斉藤ひとりを連れて行くのだって結構面倒なんだぞ」
「無理は百も承知です。でも…もう乗りかかった船です、お付き合いをさせてください」
総司は深々と頭を下げた。
事情を知ったからこそ、斉藤を一人で行かせることができなかった。彼の並々ならぬ覚悟の先にどんな結末があるのか…それを想像すると屯所でのうのうと待っていることなどできなかったのだ。
松本は苦い顔をしたが「仕方ねぇな」と頷いた。
「何考えてるのかわからねぇ奴とふたり旅っていうのも気がすすまねぇからな、連れて行ってやる」
「ありがとうございます!」
「土方、いいな?」
「…はい」
土方はより嫌そうな顔をしながらも引き止めることはなかった。そうしているうちに斉藤が戻ってくる。
「斉藤、沖田も連れて行くことになった、時間がねぇから異議は認めねぇ。…俺は外に籠を待たせている。沖田、早く準備してこいよ」
「はい」
「…」
斉藤も土方と同じように苦い顔をしたが松本が釘を刺したおかげで何も反抗せず、ともに裏口から出て行った。
「土方さん、すみません、勝手を言って…」
「ああ、全く。勝手な奴らばっかりだ。一番隊と三番隊の組長がいなくなるなんて何を詮索されるか…」
土方は文句を言いながら、腕を組み深い息を吐いた。
「だが…お前が『言えない』と言ったことと関係があるんだろう?」
「…そうです。事情は後で話しますから、どうか待っていてください」
「別に話さなくてもいい」
「え?」
「俺はお前のことも…斉藤のことも、信頼している」
その言葉の重みを総司は知っている。試衛館にいた頃とは違う、その言葉は土方にとって特別なものだ。
「…歳三さん」
総司は土方の頬に両手を伸ばして引き寄せた。轟々と降る雨の中、二人の唇が重なって小さな音を立てながら離れた。その間だけは雨の音は何一つ聞こえなかった…きっと土方も同じはずだ。
「…何も変わりません。ちゃんとここに戻ってきますから」
「…お前、戻ってきたら覚悟しておけよ」
「はい」












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解説
なし
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