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わらべうた



541


漠然とした不安と、矛盾と、疑心に苛まれ始めたのは一体いつからだったのだろうか。


新撰組は、局長、副長、参謀、副長助勤、伍長、平隊士に区分される。副長付きという立場である助勤には、一番隊から十番隊の各隊の組長だけではなく、一部の監察の隊士が含まれている。隊の外だけではなく内側を観察する…いや、監視することをどれだけ重要視しているのか、その肩書きでわかるのだが。
(しかしその監察に向いているかどうか…未だに自分にはわからん)
久々の晴天に恵まれた都の大通りを歩きながら、商家の放蕩次男坊『金山福次郎』に扮した浅野薫は、腕を組み考え事をしていた。商家の次男坊という役所は浅野の持つ役名の一つでしかない。生来真面目な自分がこうして白昼堂々と気ままに過ごすのは、日々命を張る同志へどこか申し訳ない気持ちがあったが、みすぼらしい衣服に身を包み顔を隠して物乞いに成りすますよりはよっぽどマシだった。
新撰組に入隊したのは会津から『新撰組』という名前を頂戴する前後だったか…記憶は曖昧だが、池田屋でのことは鮮明に覚えている。何故か近藤とともに少人数の精鋭部隊の一人として戦い、命からがら生き延びた。たちまち古参隊士として注目を浴び、監察の副長助勤にまで出世したのだ。
真面目だけが取り柄だった。同じ頃に入隊した山崎烝から手ほどきを受け、監察としての様々な心得を習得し、それなりに役立てるようになった。華々しくはない隠れた仕事であったが、それなりの成果もあげた。…だが、この監察という仕事は深く潜り込めば潜り込むほど、わからなくなっていく。
(一体本当の自分がどこにあるのか…)
今日の『放蕩次男坊・金山福次郎』も確かに自分であることに間違いはない。むしろ『新撰組隊士・浅野薫』に時々違和感を覚えてしまうこともある。
(…潮時かもしれん)
先輩であった山崎も、長州へ同行したものの医学方へ異動した。自分もそろそろ身を引くべきか…そんなことを考え始めた時だった。
「福次郎はん!」
そう呼ばれ身体の半分は咄嗟に身構えたが、もう半分は聞き覚えのある声に油断した。
「銀」
まだあどけない表情を浮かべた青年…銀平が手を振りながらこちらに近づいてきた。新撰組の協力者である商家『金山』の近所に住む和菓子屋の息子で、何故か浅野に懐いている。
「福次郎はん、久しぶりやなぁ。江戸に行ってはったんやろ?」
子供のように飛びつき目を輝かせた銀平はとても二十歳を過ぎた青年には見えない。
金山家は江戸との商いで富を得た豪商だ。架空の次男である福次郎は時折江戸へ行くため、不在がちである…と銀平は思っている。
「まあな。…ちょうどよかった、土産の『兔餅』や」
「兔餅っ?ほんまに?おおきに!」
懐から取り出した薄皮のあんこ餅を受け取ると銀平ははしゃいだ。和菓子屋の跡取り息子として修行に励む銀平は、菓子に目がない。
「福次郎はん、知ってる?なんで『兔餅』ってゆうか」
「知らん」
「店先で兔を飼っていたからなんやって。面白いやろ?それにうまい!『耳長ふ聞き伝えきし兔餅 月もよいから あがれ名物』…あれ、これ詠んだの誰やったっけ?」
「大田南畝」
「それ!福次郎はん、意外に物知りなんやなあ」
銀平はその口を閉じることなく菓子を食べながら喋り続ける。人懐っこく愛想の良い銀平はこの辺りでは評判の青年で「今度は安倍川餅」とねだるのも気分を害することはない。
銀平は兔餅を食べ終えると「ご馳走様でした」と手を合わせて浅野を拝んだ。
「ところで福次郎はん、こんなところでなにしてはるん?」
銀平にとって何気ない質問だったが、まさか新撰組監察としての自分の立場に想いを馳せていた…なんてことは口にできるはずもない。
「…別にええやろ、ぼうっと考え事してたかて」
「ふうん…あ、せやったら甘味屋いかへん?」
「前もゆうたやろ、甘いもんは好かん」
「茶飲むだけでええから」
銀平に無理やり腕を引かれ、億劫ながら彼に付き合うことにする。彼の強引さは何故か嫌味がなく、自然と受け入れてしまうのだ。
足取り軽く上機嫌に隣を歩く銀平。菓子のことばかり語り、無邪気に笑う…時折この姿が儚い幻のように感じていた。
(もし新撰組の隊士だと知れたら、離れて行くだろう)
地に足のつかない『自分』の存在。銀平によって認められているのは『金山福次郎』であるそれ以外何物もない。そう思う時、虚しさが募るのだ。

甘味屋を目指し、歩き続けているとふと騒がしい声が耳に入った。下品な笑い声は店外に響き、昼間だというのに飲み騒いでいるのだということはすぐにわかった。
「ああ、また来てる」
銀平は顔をしかめた。
「また?」
「うん。このところ、若い男たちが何人かよう来て飲みはるみたいで…。ここの店主の奥さん、病で寝込んでるんだ。せやから落ち着かんやろなぁって…まあお客はんやから文句はいわれへんやろけど」
銀平がよく事情を知っていることにも驚いたが、その騒がしい声のなかでいくつか聞き覚えがあることに気がつき、頭がいっぱいになった。
浅野は素知らぬ顔で尋ねた。
「…知っている男か?」
「俺は知らんけど…新撰組やって」
(やはり…)
古参隊士であり監察である浅野にはその声の主がすぐにわかってしまい、特に六番隊の隊士が多いようだ。
(六番隊…)
その隊のことを考えるとある二人の男の顔が浮かんだ。一人はおそらくこの宴会の中心にいる隊士。そしてもう一人を探し、銀平に悟られないように目を配った。並んだ軒先の影、誰もが見逃してしまう場所…。
(…いた…)
芦屋昇。
ある事情により一番隊から監察へ異動した隊士だ。彼は物乞いに身をやつしながら居酒屋の様子を伺うことができる場所でじっと身を潜めて座り込んでいた。
「福次郎はん?」
「…行こう。新撰組に絡まれる面倒や」
「せやな」
銀平の背中を押し、浅野は場を離れた。
芦屋がここにいたとなれば、やはり中にいるのは六番隊の三浦啓之助だろう。彼らは仲違いをしたまま数年が過ぎたが、芦屋はその姿を隠したまま、未だに献身的に三浦に尽くし続けている。そこにあるのは単純な主従関係ではない。
「…銀平、ここにはよく来るのか?」
「ん?まあ、あの居酒屋のおっちゃんとは懇意にしてるし…」
「時々様子を教えてくれ。…新撰組がたむろされたら、迷惑や」
「はは、こんな往来でそんなこと言うやなんて、福次郎はんは怖いもんなしやなぁ」
銀平は笑いながら「ええよ」と引き受けてくれた。彼の人の良い笑顔とは対照的に、姿を潜めた芦屋の表情は重く暗かった。


総司が巡察を終えて部屋に向かうと、土方だけではなく近藤までも厳しい顔をしていた。
「何か…?」
総司は恐る恐る尋ねると、近藤がためらいがちに答えた。
「いや、悪い知らせではないんだ。むしろ隊にとっても本人とっても良い話だと思えるのだがなあ…」
腕を組み直し「うーん」と呻く近藤からは一体何の話なのか見当がつかない。総司は仕方なく視線を土方に向けた。
「三浦に帰藩の話が来ている」
「…帰藩…ですか?」
土方の口から『三浦』の名前が出たことにも驚いたが、それ以上に『帰藩』という耳慣れない言葉にも驚いた。
「父の佐久間象山が暗殺されたときに、佐久間家は御家断絶処分となったが、京都所司代の松平様が処分の見直しを松代藩に指示されたんだ」
「三浦君の叔父は勝海舟。…その辺の力も働いたんだろう」
近藤が説明し、土方がぶっきらぼうに付け足した。三浦は洋学者佐久間象山の妾の子であるが唯一の血縁者だ。二人の話を
「良い話じゃないですか」
と総司はすぐに受け取った。一度は御家断絶にまでなりかけたのを帰藩まで許されたのだ。喜んで受け入れるだろう…と思ったのだが、二人の表情を見ると単純に話は進まなかったようだ。
「あのお坊ちゃんは断りやがったんだよ。今更佐久間の家を継ぐつもりはないと」
「あぁ…言いそうなことですね」
傲慢で素直でない三浦が、鬼副長を前にしても動じることない口ぶりで拒否したのが目に見えるようだ。総司は苦笑したが、土方は「笑い事じゃねえ」とため息をついた。
「松平様の助言があったのに一介の隊士が拒んで終わりっていう話じゃねえんだ。それにお前も無関係ってわけにはいかねぇんだからな」
「はあ…まあ、そうかもしれませんけど」
遠い昔のように思えるが、確かに三浦のことには関わりがあるのは間違いなく、彼とその忠臣であり同時に仇である芦屋の行く末を案じないことはないのだが。
(なんだか…嫌な予感がするな)
久々の晴れ渡った空なのに、なぜ嵐が来るような予感がするのだろう。









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解説
三浦と芦屋のお話については215話あたりです。
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