わらべうた 554.5 Over





木枯らしが吹き始める頃。
総司が都の外れの町医者を尋ねると、弟子らしき若い男が「奥へどうぞ」と案内してくれた。
歩くたびにギシギシと音を鳴らす廊下を歩くとこじんまりとした庭が見えてきて、その庭が一望できる六畳ほどの部屋があった。そこに一人の男が横になっていた。
「具合はいかがですか…芦屋君」
芦屋は総司の気がつくとゆっくりと頷いて見せた。総司は安堵しながらその側に腰を下ろした。
彼の右腕は二の腕のあたりからその姿を失っている。当初は傷口が真っ赤に染まって見ていられないほど出血していたが、今は落ち着いていて本人も痛がる素振りは見せない。もちろんそれは本人げ見せていないだけだろうが。
芦屋はゆっくりと身体を起こそうとした。
「良いんですよ、そのままで」
「いえ…大丈夫です」
言葉少ない彼は身体を起こすと、総司に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「…貴方が私に礼を言うことなんてなにもありませんよ。あの時は河上に対応するのが精一杯で…むしろ謝らなければならない。そんな怪我を負わせてしまった」
「良いのです、この腕はもう」
剣術しか取り柄がない総司にとって利き腕である右腕を失うなど考えられないことだったが、芦屋は案外あっさりとしていた。
「人を殺すために育てられたこの身がずっと恨めしかった。いつかまた坊ちゃんを傷つけることになるのでは…と。けれど最期にこの腕は坊ちゃんを守るために使うことができた。それだけで良いのです」
「…そうですか」
芦屋にどんな過去があるのかわからないが、人を殺すためにその腕を鍛えられた虚しさを抱え続けていたのかもしれない。それ故に今は自分という武器を失い、安堵しているのだろう。
「そういえば…三浦君は?」
「…坊ちゃんは先に行きました」
「江戸へ?」
芦屋が頷いたので、総司は驚いた。てっきり芦屋に付き添って看病をしているのだろうと思っていたのだ。
「坊ちゃんなりに最後の命令に従うべきだと思われたのだと思います」
「最後の命令?」
「誰にも迷惑をかけることなく洛外へ脱走する…新撰組の隊士として最後の命令です」
「…へえ」
三浦が新撰組隊士として過ごした数年…それは彼にとって負の時間であったはずだ。自分の不甲斐なさを見せつけられ、縛られ、不本意な噂を立てられたこともあっただろう。けれど最後の最後、彼は使命を全うした。そうしなければならないと奮い立たせた。
(…少しは意味があったのかもしれない)
総司は彼の凛とした背中を思い出した。芦屋のことも気にかかりながらも江戸へ歩いていく姿が想像できた。
「自分も近々、江戸へ向かうつもりです」
「でも…もう少し療養した方が良いのではないですか?」
「いえ、いつまでもご厄介になるわけには行きません。自分はもう…隊士ではない」
芦屋の眼差しはすでに揺らぐことのない遠くを見ていた。



「坊ちゃん、どこへ行かれるのですか…」
あれはまだ意識が朦朧としていた頃だ。物音が聞こえて目を覚ますと、坊ちゃんが旅姿で部屋を出ようとしていた。
「…起こしてしまったか」
「どちらへ…」
「江戸だ」
「自分もお連れください」
「馬鹿を言うな。そのような怪我で…足手まといになる」
「…」
そう言われるとぐうの音も出ず、俺は押し黙る。
すると坊ちゃんは少しため息をつきながら俺の側で膝を折った。
「…俺は都にいてはならぬ人間だ。一刻も早く去る」
「それは…承知しています」
それでも江戸までの長い道のりを坊ちゃん一人で行かせることなど考えられなかった。坊ちゃん自身にも不安があるはずだ…そう思ったのだが。
「俺は江戸でお前を待つ」
「…坊ちゃん…」
「わかったんだ。何があっても…俺たちの運命はどこかで交わる。…だから不安などない。お前はゆっくりと静養して戻ってこい」
そう言うと坊ちゃんは懐から下げ緒を取り出した。俺の真っ赤な血で染まったそれは井上組長からの餞別だという。
「お前が持っていろ。…そして、俺に届けるんだ」
坊ちゃんから託された下げ緒を左手で受け取った。
残されたもう一本の手は、おそらく坊ちゃんと重ねるためにあるのだ。









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