わらべうた 580.5繊月




誰だって一度は迷うはずだ。
揺らがない信念を持ち続けることは賞賛に値するが、一方で視野の狭い愚か者でもある。
自分の行動に一点の曇りもないと言い切れるだろうか。
少なくとも自分に言い聞かせるくらいがせいぜいで、誰にとっても正しいということはない。
正しいか正しくないか…それはその出来事が過去になってからわかる。
いつか、時が解決する。
だからただその時を待つ――待てなかった者は去っていくのだ。

「おかしい…」
鴨川にかかる三条大橋の西側、町屋に身を隠した十名ほどの隊士はその気配を消すため物音一つ立てることなく待機を続けていた。
けれど外での騒ぎが大きくなるにつれ、互いに目を見合わせて首を傾げていた。
「おかしいと思わないか、大石君」
大石とともにこの一隊を任されている茨木が困惑した表情で尋ねてきた。建付けの悪い町屋の隙間から制札場を覗くと、詳細はわからないがすでに数人が集まり乱闘騒ぎとなっている。心なしか原田組長の威勢の良い声も聞こえるし、それまで静かだった河原に何かが起こったのは間違いない。
けれど、それを知らせる斥候――浅野薫はここには来ていない。
「もしや何か手違いがあったのではないか?こちらに来られなくなった事情があるかもしれぬ」
「…」
大石は何も答えなかったので、茨木は少しいらだった様子を見せた。彼は隊士の中でも武芸に秀で伊東参謀などに気に入られているが、生真面目すぎるところがある。
「ここで二の足を踏んでいる間に臆病者の謗りを受けるかもしれぬぞ。もし副長にあらぬ疑いを掛けられたらどうする?…大石君、決断した方が良いのではないか」
「…わかった」
ここまで発破をかけられて拒む理由はない。大石が頷くと茨木は満足そうにして陣頭指揮を執って町屋を飛び出した。大石も抜刀しその殿を走る。
三条大橋を半分渡り切ったところで状況が見えてきた。やはり原田をはじめとした新撰組が既に突入し、そこに新井ら別動隊も加わっていた。標的となった土佐者たちはすでに何人か逃走したようで騒ぎは沈静化し始めていた。


河原に駆けつけると、原田から「遅ぇ!」と一喝された。待ち構えていた町屋はどこよりもこの河原に近いのだから当然だ。大石は「申し訳ありません」と素直に謝ったが、すぐに総司から
「何かあったのではありませんか?」
と尋ねられた。
彼との遺恨はあったものの大石は状況を正直に報告した。斥候からの報せがなかったため動けなかったこと、しかし河原での騒ぎが大きくなり自分たちの判断で駆けつけたこと―――。
そして周囲を見渡すと浅野の姿はない。山野が敵の一人と落ち合う姿を見たという話になりますます浅野への嫌疑が深まった。
「…私が行きましょう。山野君、どちらに向かったかわかりますか?」
「は、はい…」
原田ではなくかつての上司である総司が山野を伴って浅野を探しに向かった。
大石は逃げ出した数名の土佐者を追うことになり、斥候役として彼らが滞在していた宿屋や行きつけの店などを教え指揮を執った。
「くそ…あいつ、どういうつもりだよ…」
この場の陣頭指揮を執る原田は悔しそうに顔を歪めていた。監察方から十番隊でその身を引き受けた後、誰よりも気にかけていた情に厚い組長なのだ。
原田は河原の小石を蹴り上げたあと、大石の元へやってきた。
「大石、何か浅野に変わったことはなかったのか?」
「…」
大石は斥候役として相棒だった。今日は別行動だったが、これまでの探索活動はともにこなしてきたのだ。
「…特にありません」
淡々と答えると原田は「そうか」と深いため息をついて戻っていった。
大石には確証のある心当たりはなかった。けれどある日を境に浅野の表情が険しくなり、乏しくなり、やがて無気力へと変わっていったのはわかる。
何をしていても覇気がなく、虚ろな目でぼんやりとして…まるで数か月前の自分と同じようだった。
(何かあったのだろう)
推測はできるが、推測に過ぎないからこそ原田にも誰にも伝えるつもりはなかった。
彼の感情を読み解くには、知り合った期間が短すぎた。
彼が何を思い、何を優先し、どう行動するのか…それは大石にはわからないし、わかろうとも思わない。
ただ彼の選択は、去ることだったのだろう。
この場から、この時から、この状況から、この環境から…逃げ出すことが最良だと判断したのだ。
それがどんな結果を伴ったとしても、大石には関係がない。
その気持ちがわかるなんて、死んでも口にはしない。
その気持ちがわかるのは本人だけなのだから、推測することすら烏滸がましい。

だから、大石の胸に去来するのは『虚しさ』だけだ。
この場で死んだ二名の土佐藩士と、そして死を選ぶであろう浅野の末路を想像し、ただただ虚しい。

細く白い月がこちらを見下ろしていた。









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