汾水 わらべうた715.5




土方は浅羽と別れ、屯所に戻ることにした。
一時は嵐に見舞われたが今はすっかり晴れて雲間に明るい月の光が差し込んでいる。まるで浅羽の憂いを会津公が晴らしたかのようだ。
(会津公は…人を惹きつけるものがあるようだ)
土方は月を見上げながら、この数日のことを振り返った。
様々な可能性を巡らせたが、結局は総司と話して改めて『浅羽を助けるべき』だと決めた。友人だと思うのは烏滸がましいかもしれないが、少なくとも会津藩士として新撰組に友好的で信用に足る者が無惨に散るのは、誰も望んでいないと思ったのだ。そこで近藤に『会津公に会わせてほしい』と頼み込み、機会を設けてもらった。
普段は上役と顔を合わせることを避ける土方が理由を話させなかったので近藤は不審がったが、
『とにかく、重要なことだ』
と取り次いでもらい、土方は初めて一人で会津公に相対した。
近藤から常々、会津公がどれほど寛容で素晴らしい人物かと言うことを 聞いていた土方だが、それは決して大袈裟な話ではなかったのだとすぐに 思い知った。気品に溢れ立ち振る舞いは凛としていて近寄り難さもあるが、 土方の話を讒言だとは決めつけることなく、耳を傾けた。
「…浅羽の様子がおかしいことは私も薄々気がついていたが…まさかそんな大それたことを本当に考えているのか?」
と最初は疑っていたが、土方がさらに詳しく話すと花街に通っているという 家臣からの注進があったこともあり合点がいったようだ。
「それは何としても止めねばならぬが、一度本人に問い詰めても良いか?私は…あれの本心を直接聞きたい」
会津公は浅羽を信じたいようであった。
勿論土方は了承し、浅羽へ文を出した後に再び藩邸を訪ね会津公の取り計らいで彼の真意を確かめるべく、隣室で聞き耳を立てることになってしまった。
会津公の遠回しな問いかけに対して、やはり浅羽は頑なだった。土方は彼の 会津公への忠誠心と固い決意は既に理解していたが、意外だったのは浅羽への 会津公の深い親愛の情だった。それはいち小姓に向けられるべき大きさを 悠に超えていて、土方には『一蓮托生』の言葉が主人と臣下を越えた求愛にしか 聞こえなかった。それは浅羽が特別なのか、臣下皆への家族愛に似たものなのか …それは土方には判断しかねた。しかしどんな苦境にあっても会津公の元で 粛々と働く藩士の気持ちはわかる気がした。
浅羽が部屋を去ると、会津公は苦々しい表情で
「強情が過ぎる」
と呟いた。
土方は会津公へ打ち合わせ通りに浅羽を呼び出した料亭に少し遅れて足を運んで もらうように頼む。
「迷惑をかける」
会津公は肩を竦ませながら、聞き分けのない困った家臣だと言わんばかりにため息をついたのだった。


「副長」
長い一日を振り返り終えると、山崎が顔を出した。何が起こるかわからないため 姿を潜めて待機させていたのだが、結局は彼の出番はなく杞憂に終わったのだ。
「ご苦労だったな」
土方が労うと山崎は頷いた。
「いやぁ、成り行きが気になっていたもんで…まぁるく収まって安心しました」
「そうだな」
「この数日はヒヤヒヤしてよう眠れず」
山崎は肩の荷が降りたのか、上機嫌だった。
あれほど強情な浅羽だったが、敬愛する会津公の前では振り上げた刀を下ろすしかなかった。騙すような強引なやり方だがこれ以外に彼が諦める道はなかっただろうし、土方には後悔はない。
山崎は「それにしても」と続けた。
「会津公があれほど怒鳴られるやなんて、いつも精悍で穏やかなお姿からは想像できず驚きました。…せやけど、最後に会津公が仰った、汾水がどうの…自分にはようわかりまへんでした」
山崎は首を傾げる。浅羽もあまりに忙しない展開で頭が回らなかったのか、会津公の言葉を聞き流していたが、土方は気がついていた。
汾水のほとり…それは古い中国の『雁丘辞』に由来している。ある一羽の雁が矢に撃たれ死んだところ、そのつがいと思われるもう一羽がそばを離れずに 嘆き続け最後は身を投げて果てた。それを聞いた詩人が二羽の亡骸を買受けて汾水のほとりに埋めてやった。
(会津公のおっしゃる『一連托生』はこのつがいの鳥のようにともに生き、死ぬことなのだろう)
土方が会津公の言葉を耳にした時、浅羽への思いの深さを思い知った。
やはり会津公も憎からず浅羽のことを思っているのだろう。
(だが…それを口にしないのも、会津公の思いやりか…)
そうなるとあの根付の朝顔も意味深だ。『固い絆』だと浅羽には語ったが、 もう一つの『儚い恋』と言う意味を、句を読む土方も知っていた。
会津公は浅羽の恋心に気づいた上で、遠回しに拒んでいるのかと思ったが、 もしかしたら会津公自身が自制のために贈ったのかもしれない。
「副長?」
「……いや。俺にもよくわからなかった」
差し出がましい考えは今日で忘れよう。どれそど考えたところで真意を 尋ねることは藪蛇でしかないのだから。
土方はフッと笑った。
「会津公は完璧すぎる。義に厚く、家臣からも好かれ、見目もよく誰しも好感を持つ…公方様が冷遇するのも嫉妬心かもな」
「ははは、政はいつも複雑怪奇。これからどうなるのか…ようわかりまへんな」
土方は頷いて、再び夜空を見上げた。その模様さえはっきり見える月の明るい光は 満遍なく辺りを照らしていた。


土方は山崎と別れて別宅に戻った。すっかり夜も更けて静かだが、真っ暗なはずの家屋に小さな灯りが見えた。
ガラガラと玄関を開けて足を踏み入れると、「おかえりなさい」と総司が顔を出した。
「起きていたのか?」
「いえ、ちょうど喉が乾いて水を飲んでいたところです。今日は土方さんがこっちに帰ってくるような気がして」
こういう時だけ勘の良い総司は、
「なんだか…良いことがありました?」
と尋ねた。
土方は何も答えずに玄関に腰掛けて草履を脱いで足を洗い、総司が差し出した手拭いを受け取った。
「面倒なことがうまくまとまった。…ついでにあてられた」
「あてられた?」
総司は一体なんのことかと首を傾げた。
主君と家臣の諍いは、土方にとって彼らの固すぎる絆と愛情を見せつけられたように思えた。本人達にその自覚はないのだろうが。
「もう遅い、寝るぞ」
土方は総司の肩を抱き、その頬に唇を寄せた。総司は
「今日はそんなに酒臭くないですね」
と笑ったのだった。












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