わらべうた 99.5 愚者


八木邸から出ると雨が酷くなっていて、地面をぬかるませ足元を悪くさせていた。普段ならばこんな雨を嫌ったりするが今夜だけは有難い。山南はそんなことを感じながら、前を走る原田の背中を追い、雨に打たれていた。 暗殺者として平山の首を切り落とした感触がまだ手に残っている。握ったり、開いてみたりしてもその感触が染み付いてしまっている。それは一生消えない罪の跡なのだろうか。
そして目に焼き付いた誇り高き芹沢の死と女の悲鳴。そして、女の首さえ切り落とした総司の横顔――。
「総司を責めることはできねぇよ」
山南ははっと前を向いた。自分が何を考えていたのか言い当てられた気がして、どくんと心臓がはねた。
「原田、くん…」
普段は明るく快活に振る舞う彼なのに、今日は全く別人のようだ。夜に隠れ、雨に降られていてその表情は読めないものの
能天気な様子は全くない。
「あの女は死ぬことを望んだ。それを総司の奴が叶えただけなんだ。俺たちの代わりに…俺たちの分まで…」
「しかし、彼女を殺す必要はなかったはずだ!」
山南は思わず叫んでいた。総司がそういった結論を出した理由。原田が言いたいこと。そんなのはすべて山南にだってわかっていた。 しかし、それを認めなくはなかったのだ。
「命が、新しい命が彼女に宿っていたというのなら、生かすべきだった。彼女がそれを拒んでも、無理やりにでも…!」
「だから、甘いって言っているんだ」
原田がまっすぐ山南を見つめた。その台詞は平間を逃がした時も言われたものだった。
「するべきだった、すればよかった…そんなの、もう叶いもしない夢でしかないんだ。もう結果は出ている。女は死んだ。総司が殺した。…総司を責めたって、何にも変わらない。不毛なことなんだ。それを言ったところで総司が傷つくだけだ」
「…く…」
山南は唇をかみしめた。痛いほど、血が滲むほど。
土方から芹沢を暗殺すると持ちかけられた時。意外にあっさりと山南はそれに同意した。それが必要だと思ったからだ。これからの未来の為に。しかし、殺した後に残ったのは、こんなに苦々しい気持ちだったなんて、思わなかった。
覚悟が足りなかった。土方よりも、原田よりも、そして総司よりも。
だから、こんな愚かなことを考えてしまうのだ。
殺さなければ良かった、と。なぜ殺したのか、と。
答えの出ない、苦しみを味わうことになってしまったのだ。
「私は…弱いな…」
そう呟くと、原田が「俺もだ」と笑った。白い歯が見えて、いつもの原田の表情が戻ってくる。
「けど、さ。山南さん。俺はあんたが正しいと思う。正しすぎて…俺が、自分が、愚かだと見せつけられるような気がするんだ」
「原田君、それは違う。私は正しいかもしれないが、君の言うように同時に甘さも持っている。自分への言い訳をいつも考えているような…そんな男なんだ」
「いや、きっと山南さんはそれでいいんだよ」
原田が山南の肩を軽くたたいた。
「鬼の土方、仏の山南ってね。甘さが微塵もない土方さんと正反対だから、手綱を握っていられるのはきっとあんたしかいないんだ」
「手綱?なんの手綱だい?」
「俺たちの、壬生浪士組の、かな。ほら、俺達って暴走しがちだから。止められるのはきっと山南さんしかいないんだよ」
信頼してるんだぜ?と原田がもう一度肩を叩くと、また前を走っていく。
山南はもう一度原田の背中を追って走り出した。きっと、原田が一番強いのだろう。こんな状況でさえ、仲間を思い励まし笑うことができる。そしてそれは原田の役割なのだ。
それをわかっているからこそ、彼は笑い仲間を思いやる。だったら、自分の与えられた役目は、きっと原田の言うとおり正しくあるということなのだろう。自分の弱さも甘さもすべて受け入れて、正しくあろうと努力することなのだろう。それが例え仲間の意に沿わないことであったとしても、そうあり続けることが隊の為になるというのなら。

水溜りの中を走る。雨粒が顔で弾ける。それでも山南はまっすぐに走った。足もとも見ないで、ただ、走った。



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