身を知る雨



10


土方の実家でのひと騒動を終えて、二人は帰路に着いた。
「歳三さん、こっちですよ?」
冬の陽は落ちるのが早い。試衛館に戻るためには遠回りをしている暇などないというのに、土方は別の道へ行こうとしている。
「寄るところがある」
「寄るところ?」
「…お前にも無関係な話じゃない。付いて来い」
「はあ…」
土方は有無を言わせず早足で歩き出した。もともと石田村に来たのも彼の都合だというのに相変わらず勝手だが、幼少の頃からその勝手さに付き合わされて総司はすっかり慣れていたので、抗うことなく大人しく土方の後を追った。
しばらく歩いてやって来たのは、町の外れにある丁寧に剪定された生け垣に囲まれた静かな家だった。
「どなたのお家なんですか?」
「…」
そう問いかけると土方は総司をじっと見て「冗談で言ってるのか?」と逆に問い詰められてしまった。
「は…?冗談…?」
「…もういい。ちょっと話をつけてくるからお前はここで待ってろ」
「はあ…」
土方は呆れるようにため息をついてさっさと中に入って行ってしまった。しかし心当たりのない総司は首を傾げながらその場で待つしかなかった。


お付きの女中に案内され、部屋に通された。庭の梅の木は寒い二月でさえその蕾を膨らませ花咲く日を待ちわびていた。
(こんな穏やかに庭を眺めることはないのかもしれない…)
土方が好む梅の花を今年は楽しむことはできないのだろう。
しばらくすると琴が顔を出したがその姿に土方は少し驚いてしまった。
「…振袖、ですか」
「ええ。数年前父が買い与えてくれたものです。…似合いませんか?」
「…」
薄い桃色にあしらわれた赤い梅の花びら。若い女子が着るような麗らかな模様だが、可憐な少女のまま時を経たような琴によく似合っていた。
だが、土方はそれを会えて言葉にはしなかった。
すると琴はそれをこたえとうけとり、長い睫毛を伏せてゆっくりと息を吐いた。
「…やはり歳三様はお別れを言いにいらっしゃったのですね」
「やはり、とは…」
「先日、為次郎様がいらっしゃったのです。歳三様は浪士組に参加され、都へ行くことになるだろうと…」
「…」
喜六を説得したのはつい先ほどのことだが、聡い為次郎はこうなると思っていたのだろう。つくづく憎めない兄だ。
琴は土方の前に膝を下り、穏やかに微笑んだ。
「為次郎様には、その時はどうか快く別れ、送り出して欲しいと頭を下げられました。ずっと待たせて理不尽に思うかもしれないが弟の一大決心を尊重してやりたい…そこまでおっしゃられて」
「…それで貴方は納得したのですか?」
「いいえ」
琴は首を横に振った。そして土方を真っ直ぐに見た。
「それでも待ちたいと申しました。強情だと為次郎様を困らせてしまいましたけれど、そんな風に納得できるのならとっくに終わっていました」
「…そうでしょうね」
為次郎どころか土方のいうことさえ聞かず、『待つ』と言った女だ。それは彼女のいうとおり強情でもあり、女としての矜恃でもあったのかもしれない。
だが琴の表情に頑なな決心は失せていた。
「でも…先ほどの歳三様の反応を見て悟りました。歳三様は着飾ったわたくしを見てもお顔や目の色が変わることはなかった…もうここではない別のところを見ていらっしゃる」
琴の大きな瞳から一筋の涙が溢れた。彼女は慌てて顔を逸らし「ごめんなさい」と拭ったが、それでも涙は止まらなかった。
その涙を見て土方の胸に初めて『罪悪感』を覚えた。土方は許嫁なんて面倒だと数年間一方的に煙たがっていたが、琴はそうではなく一途に待ち続けてきたのだ。その日々を考えると彼女の積年の思いに答えられないことを不憫に思う。
だが、
(もう…決めたことだ)
嫌われても、罵られても、蔑まれてもこの道を進むことを決めた。その道に琴を巻き込むつもりはない。
「…すまない。俺が今日ここに来たのはケジメをつけるためだ」
「…」
「すべて、終わりにしたい」
その一言で済む話ではないと分かっている。己の罪悪感を軽くしたいがために口にしている、そんな自分勝手な男なのだ。
土方は立ち上がった。もうここに二度と来ることはないだろう。
「お待ちください」
さめざめと泣いていた琴が引き止めた。泣き腫らし真っ赤に充血した目を、しかし逸らすことも隠すこともなかった。
「せめてわたくしから言わせてください」
「…ああ」
「試衛館の皆さんによろしくお伝えください。…さようなら」
その言葉を聞きながら土方は頷き、背中を向けて部屋を出た。
彼女が梅の花をあしらった振袖を着て出迎えた理由は分かっている。
(『覚悟』…か)
可憐で世間知らずで、強情で揺るがない強い心を持つ。
(いい女だった…)
土方は初めてそう思った。
きっと彼女は幸せになれるだろう。

土方が家を出ると、普段は鈍感な総司が
「お別れしてきたんですね」
と珍しく察しの良いことを言った。
「聞こえたのか?」
「何を喋っているのかは聞こえませんでしたけど、女の人の泣く声が聞こえたのでそういうことなのかな、と思ったんです」
「…」
土方は唖然としながら、「行くぞ」と歩き出したが、総司はその隣に並びながら飄々としていた。
土方は戸惑った。
琴が恋文にどんな返事をしたのかはわからないが、一途な彼女には二心などないだろうから断りの返事をしたはずだ。だが総司は傷ついている様子でもなく、また家まで来たというのにまるで初めて来たという顔をしていた。
(ただの鈍感…なのか?)
土方が眉間に皺を寄せた。だとしたら相当だ。
総司は未だに笑っている。
「もっと痴話喧嘩になるのかと思っていたんですけど、意外に穏やかにお別れするんですね、知らなかった」
「お前な…仮にも自分が恋文を出した相手に…淡白な奴だな」
「…は?何を言ってるんですか?」
総司の呆けた返答に土方は足を止めた。
「…お前、恋文を出しただろう?お琴に」
「恋文?お琴さん…って先ほどのお家の方ですか?」
「はぁ?」
まるで心当たりがないというリアクションに土方は混乱する。
(だがあれは総司の手だったはず)
土方は記憶を反芻するが確かに総司の筆跡であったことは間違いないが、差出人を確認したわけではないので他人の空似の可能性もある。
だが先に正解にたどり着いたのは総司の方だった。
「あ!お琴さんって、藤堂君の?」
「…平助?」
「少し前に恋文の代筆を頼まれたんです。そういえばその宛先が『お琴さん』だったような…歳三さんの恋人だったんですか?」
「な…っ」
総司の言葉で噛み合わなかった事実が一気に合致する。藤堂の代筆で書いた手紙を土方が見て、総司が琴に想いを寄せていると勘違いした…あまりに陳腐な結末に、土方は思わず衝動的に総司の頭を叩いた。
「いたっ!何するんですか!」
「紛らわしいことするんじゃねえ!」
「そんなの八つ当たりじゃないですか!」
「うるせぇ!」
土方はなんだか力が抜けたような、騙されたような気持ちだ。だが『総司の恋文』だと思い込み動揺した自分への苛立ちもある。
「ったく…そもそもお前に恋文なんて殊勝なもの書けるわけがねえんだ。この剣術バカが」
「それは認めますけど、散々遊んでいる歳三さんの趣味が発句だというのも同じようなことだと思いますけど」
「このやろ!」
総司は「はは!」と笑いながら土方の傍から駆け出して行く。土方は軽々と逃げ回る総司を追いかける様子は側から見れば子供が遊んでいるように見えるだろう。
そうしているうちにだんだん気持ちが落ち着いていく。そして何故だか安堵していた。
(これで心残りなく出立できる…)
土方はふと思い出した。
『じゃあ、試衛館にいればその先が見えるのか?』
為次郎の問いかけに今なら答えられる。
(ああ、見えるさ…!)
荒波の中をもがくように進むのかもしれない。だが無様で格好悪い姿を晒すことになっても、前へ進みつづける。
その覚悟がある。
だから信じる。仲間を、自分を。
「歳三さん、日が暮れますよ!」
「ああ、わかってる」


















最後までお読みいただきましてありがとうございました。
企画完結まで一年以上かかってしまいました。その分時間をかけて「身を知る雨」を書くことができた…と思いきや、書くたびにそれまでのお話を読み返し、「ああ、こういう展開だったな!」と記憶を巻き戻す、そんな作業が必要でした(笑)
思った以上に時間がかかってしまいましたが、お付き合いいただいた皆さんありがとうございました。
また拍手やコメントなどいただけるととても喜びます!
ちなみに「身を知る雨」というのは伊勢物語から来ているタイトルです。その内容については是非お調べいただけると「ああ、そういうことね!」と思っていただける…かな?と思います。
それでは100000hit企画お付き合いいただきありがとうございました。