Doll








小高い丘には秋の少し肌寒い風が吹いていた。


Doll −side 沖田−



手に通りかかった花屋で買った菊の花束を持ち、総司は小高い丘の上を訪れていた。
秋の頼りない日射しが暖かく包み込む、誰も知らないそこには小さな墓がある。
「……お久しぶりですね、楠くん」
手に持っていた菊を投げるようにその小さな墓に供え、ふっと空を見上げた。
ここは土方の秘密基地だった。幼稚な表現かも知れないがその言葉が一番正しかった。
京にやってきてから、土方が時折散策に出かけていたことは総司も知っていたが、この場所を知ったのはつい先日だった。
田園地帯が見渡せる、壬生とは少し離れた場所。
そこに「彼」は眠っているのだ。

「許してくれ何ていいませんよ。むしろ私に罪の意識などありませんから」
きっぱりと独り言を言う様は、むしろ贖いに来ているようにも思えた。
そして…苦笑した。
「ただ……少し羨ましい」
この場所を、あの人が一番に教えたのが君だから。




「沖田先生、沖田先生」
あれは梅雨の頃の、道場でのこと。
新入隊士試験が行われた次の日くらいだった。前々から懐いていた平隊士が、からかい、というよりも
むしろ興奮するように総司に教えた。
「見てください。今度の新入隊士、美男子がいますよ」
それが楠だったのだ。

「ありがとうございました」
お互いが頭を下げ、小柄な少年はゆっくりと面紐を外し面を取った。
そこに現れたのはまるで女のような美男子。切れ長の瞳だけがどこか大人びているが
全体的にはまだまだ幼い、口元などは可憐な少女のようだった。
周りの男達からは「ひゅー」という小さなからかいも込めた声が上がったが、
当の本人は気が付いているのか、それとも気が付いていないフリをしているのか何の反応も見せなかった。
「ふぅん……」
総司は珍しく自分の興味が向くのを感じた。
他人にそれほど興味を持つことが珍しい分、己でも少し可笑しかった。
気になる。
だがそれは好意ではないことも察していた。
悪意だ。

「鋭い太刀筋ですね。切れも良いし素早さもある。貴方はどこの流派ですか」
汗を拭く楠に総司はゆっくり近づきながらほほえみかけた。
楠はその声の主に気が付いていないように汗を拭き続けた。
いつもの新人ならハッと総司に振り返って、一礼して「とんでもありません」と頭を下げているところだ。
それを望んでいたわけではない総司だが、すこし不愉快に思った。
「ありがとうございます。僕は北辰一刀流の目録を頂いております」
楠の返事は穏やかだがどこか拒絶するような、牽制するような物言いだった。
「嘘ですね。君の太刀筋は免許といっても可笑しくないでしょう」
すると楠はゆったりと余裕のある笑みを浮かべて首を横に振った。
強く見せようとする隊士は多くいるが、このように強さを隠すような隊士は初めてだった。
だがそれがかえって傲りにも見える。
「真面目な門下生ではありませんでしたから……」
「……そうですか」
必要最低限の受け答え。気に入らない、と感じた。



その数日後だった。
朝早く目が覚めた総司は厠に向かおうと布団を出た。
同室の斎藤はどこにいってしまったのか、既にもぬけの殻で、部屋はしんっとしていた。
襖を挟んで隣の原田の大きな鼾が聞こえるが、それでも朝のいつもと同じ静けさだった。
襦袢の傍にあった浅黄の羽織を被り、小さく欠伸をした。
「…あ、」
厠に向かう途中、総司は何気なく庭を見た。八木の奥方が管理する小さな箱庭だが、季節の色々な花が植えられている。
そこに植えられている紫陽花が一輪だけ咲いていた。
夏に似合う青い花弁が朝露に濡れ、夏の朝日を浴び輝きを放っている。
ふっと思いついて総司は踵を返した。厠と土方の部屋は反対方向だった。
この綺麗な可愛らしい紫陽花を見せてあげよう。
子供っぽいことだと思っているが、豊玉宗匠ならどう読むのだろうと興味が湧いた。
いや、からかいの気持ちか。
とにかく総司は忍び足で土方の部屋に向かい襖に手を掛けた。
鼾こそ聞こえないが起きている様子もない。
イタズラを仕掛ける子供のように、小さく笑みを浮かべた。
「ひじ…」
音もなく明けた襖から見えたのは予想通り敷かれている布団に眠る土方の姿だった。
だが、その布団は少し狭そうだった。
隣にもう一人抱きかかえられるように眠っているものがいた。
刹那女だと思い、顔を背けようとしたがそれに気が付くともう目が離せなくなった。
楠だった。
布団からはみ出た楠の足は白く細く女のようだったが、眠っている横顔は確かに先日道場で見た
それに違いなかった。
何故。
総司は震える手で襖を閉めながら、自問した。
何故楠がこんな所にいるのだろう。

可愛らしく感じた紫陽花が、急に恨めしく思えた。
その答えを知った途端に。


何年も、何年も傍にいた自分と土方との記憶。
それを横からかっさらうように楠は持ち去った。
これから刻まれる土方との記憶には、必ず楠の姿があるというのか。

そんなこと許さない。


蝕むように、侵食するように。何かが覆い隠すように。
じわじわと沸き上がってくるものは、「殺意」と「憎悪」。それ以外何もなかった。


だから何も感じなかったのだ。
一人、二人と殺しても、この憎しみが晴れるなら何をしても。
楠を「消して」しまいたい。
「殺して」も仕方ないのだ。
「殺して」もこの壬生浪士組にいたという記録も、土方の記憶からも消えることはないのだから。
最初からいなかったと。
できないことと知っていながらも、そうしてしまいたかった。
楠の残像を消すことを考えて、楠に魅了された男を一刀両断に斬り捨てた。
罪悪感などない。むしろ沸き上がるのは屈折した正義感だった。




そんなときに訪れたのは好機だった。
「楠を……お前の代わりにしていたといったら、どうする」
土方の曖昧な言葉の意図は感じ取っていた。
今、この人は迷っているのだ。楠を全身全霊で愛して良いのか、悩んでいるのだ。
楠という存在、そして総司という存在に。
それは総司にとって好機でしかなかった。奪い返すなら、今しかなかった。
「…嬉しいです」
総司は穏やかに笑みを浮かべた。その裏に達成感という感情を持って。
総司は土方に「抱かれたい」と思ったことはない。そういう愛欲的なことには興味がそう、なかった。
欲しいのはあくまで心だったから。
だが、土方をあの少年から奪い返すことができるのなら、自分の身体などそのの代価にもならないと思った。
いくらでも捧げよう。
いくらでも食い尽くせばいい。
あの少年を忘れるまで、貪りそして夢から覚めてくれればいい。
現(うつつ)は彼が間者であると言うことを映し出すから。
そうすれば……消える。
あの少年を土方自身に斬らせれば、消えてしまうから。
そしてこの憎悪は終わりを告げ、記憶の中にあの少年は消える。
解放されるのだ―――。



「斬り殺しても異存はありませんね」
総司が確認のように言った言葉に、土方は何も返事をしなかった。


憎悪は翌日の朝、絶たれた。
総司の一言で原田はさっそく行動に移し、水菜畑にぼんやりと立っていた楠を切りかかった。
北辰一刀流の免許、とも思われた楠だが刀を抜くことなく、原田の太刀をもろに受け致命傷を負った。
総司は集まった野次馬の合間からその様子を眺めていた。
野次馬の中にはまだ楠の信奉者がいて唖然とするものや、驚くもの。
そして楠の友人だと見える男は泣き崩れるように座り込んでいた。
微笑んでいたのは、自分だけかも知れない。

「僕じゃない…!」
何度も繰り返した楠の言葉を、激昂した原田は聞くことは無かった。
青々とした水菜はどんどん色を変え、そこは地獄の草敷となる。
そして必死で駆けつけた土方の腕のなかで、楠は息を引き取った。
総司が見た穏やかな笑みはすべてを悟っていたようだった。
その死に顔は、見たことがないほど美しく、血飛沫もあってまるで椿の可憐さを放っていた。
そんな楠の遺骸を抱きしめたまま、土方は総司を見上げた。
「仕組んだのか……?」
「何を言っているんですか」
「はい」と答えればどうしていただろう。
きっとそう答えれば土方のどちらを選んだのか、という答えがわかるだろう。
総司を処罰すれば、土方は楠を選んだことに。
何も言わなければ、楠は土方の中から消えたことになる。
総司は何でもない顔をして、踵を返した。
―――だがこぶしだけが震えていた。








「……土方さんが泣いたのなんてみるの、初めてだったんですよ」
小さな墓に語りかけるように、総司は呟いた。
そう、土方があのときうっすら涙を浮かべていたように見えた。
とても直視できなかったのだが、きっとそれは間違いではないはずだ。
「…結局、私は貴方に負けたんですよ」
あれから土方は毎晩のように総司を寝所に連れ込んだ。
だがそれはがむしゃらにに、楠を忘れるためでしかない行為だった。
囁く言葉はすべて楠に向けられたものなのだ。暖める腕は楠の為のものなのだ。
「やっぱり…悔しいな」
結局土方の記憶に楠の姿は残るのだ。
こうしてこんな小高い丘の秘密基地に楠の墓を建てたのだから。

総司が備えた菊の花弁が、一枚、また一枚と空に舞っていった。




  06’4’10







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