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催花雨




総司が目を覚ましたのは、朝陽が昇る直前の薄暗闇のなかだった。
まず頭がガンガンと揺さぶられた。決して強くはない酒を飲みすぎたせいだ…とそこまでは記憶があった。しかし、それ以降の記憶は曖昧だった。
(でも…何があったのか、なんとなくわかる…)
頭の痛みとともに襲ってきた倦怠感。ところどころに残る熱。そして隣で寝息を立てる友人。二人とも一糸まとわぬ姿で横になっていたのだ。いくら野暮な人間でも何があったのかなんてすぐにわかる。
(…間違えたなあ…)
総司は内心溜息をついた。
今夜は夢を見ていた。その夢の中で、自分は『あのひと』に抱かれていた。妙にリアルな感覚はあったけれど、それが夢だとは疑わずに身を任せてしまった。しかし目覚めてこの光景を見れば、『あのひと』と友人である斉藤を間違えていたのだと悟った。
日が昇り、隣の友人が目覚めたら…なんて言い訳をすればいいだろう。総司はそんなことを考えながら、数年前のあの日に思いを馳せた――。


「どういうことでしょうか…」
顔面を蒼白にして、眼をカッと開き、唇を震わせる師匠の横で総司は何が何だかわからぬまま茫然と話を聞いていた。
「よくよく考えよ。講武所の教授方に農民…とんだお笑い種だ」
夕暮れ時、「すぐに来い」と呼び出しを受け、近藤と土方、ついでに居合わせた総司は講武所へと向かった。講武所教授方への推挙が決まり、近藤は念願だった武士の仲間入りをするはずだった。
しかし目の前の不遜な男が言い放ったのは、それを取り消すという非情な話だった。
「それでも一度は決まった話のはずだ」
絶望に言葉を失う近藤の代わりに、土方は食いついた。まるで猛獣が牙を向けるほどの怒りを男に向けていたが、男は怯むことなく「もうなくなった話だ」と腰を持ち上げた。
「話は終わりだ」
「ま、待ってください…!」
「くどい」
男はそう言い捨てて部屋を出ていく。まるで天国から地獄に突き落とされたようだ。散々「農民のくせに」と蔑まれてきた近藤がせっかく掴んだ最初で最後かもしれないチャンスがいま手のひらから零れていった。
「あのやろう…!」
畳を強く叩き、怒りをあらわにしていたのは土方だった。幼馴染の隣で誰よりも出世を願っていたのだ。
「今すぐ斬り捨ててやる…!」
「ま、待て歳!馬鹿なことを考えるんじゃない」
「馬鹿なのはあっちじゃねえか!」
「しかしあの方に逆らうということは幕府に逆らうのと同じだ…頼むから、落ち着いてくれ」
「…っ、くそ…!」
落胆の色を隠せないまま絶望する近藤と、怒りに震え今にも刀を抜きそうな土方。その隣で総司はぼんやりと二人を見ることしかできなかった。
(この人は怒っても端正な顔立ちなんだなあ…)
土方の横顔を眺めながら総司は現実逃避にも似た感想を抱いた。些細なことで喧嘩はするけれど、ここまで鬼のような形相を浮かべる土方を見るのは初めてだった。遊郭吉原でなくとも、巷で色男と持て囃される土方の、こんな表情を見たことがある者がいるのだろうか…。
総司がそんなことを考えていると、男が出ていった先の襖が開いた。先ほどの男とは違う…若者が腰を屈めて現れた。
「失礼いたします…その、一番奥の方」
「…え?」
一番奥にいたのは総司だ。総司が講武所に来るのは初めてだったので、名を知らなかったのだろう。
「お呼び出しです」
「私…ですか?」
「何の用だ」
敵意を剥き出しにして土方が尋ねる。しかし若い男は首を横に振った。彼自身は何も知らないのだろう。
総司は困惑しつつも、腰を上げた。土方が「行かなくていい」と止めたが
「行ってみます」
と誘いに応じた。もしかしたら近藤の出世に役立つことなのかもしれない…という淡い期待があった。二人もその可能性に気が付いて総司を強く引き止めはしなかった。

若い男に連れられて、近藤や土方が待機する部屋からかなり離れた部屋に案内された。襖の前で若い男はそれまで黙り込んでいたのに
「お連れ様には先に帰っていただきます」
と淡々と述べた。
「え?」
「帰り道がわからないわけでもないでしょう」
「それは…そうですけど」
若い男は薄く笑う。その表情がどこか薄気味悪く感じたが、後戻りすることはできなかった。
彼が襖を開くと、先ほどまで悪態をついていた男が鎮座していた。男はすでに酒を飲んでいたようで
「お連れしました」
「うむ…お前は戻っていなさい」
「かしこまりました」
簡単なやり取りを交わして若い男は帰っていく。総司は戸惑いつつも仕方なく男の前に座った。
「あの…何かお話でしょうか?」
「話?」
「何か用事があったから、呼び出されたのでしょう?」
総司が首をかしげると、男はにやりと笑った。そして酒を乗せていた盆を遠ざけて、総司との距離を詰めた。近藤よりも十以上は上だろう、目元や口元に皺の目立つ男だ。垂れた目元からまじまじと舐めまわすように見られて、どこか不快だった。
すると男は突然、総司の手首をとった。
「わ…っ?」
「用事はこれだ」
男は掴んだ総司の手首をそのまま畳に落とす形で、押し倒した。不意を突かれた総司は為すが儘に男に組み伏せられてしまう。
(しまった…)
総司はとっさに刀に手を伸ばした。しかし男はその刀を払い、遠ざけてしまう。
「俺に向かって刀を抜くのが…どういう意味か、わからぬわけではあるまい」
にやりと笑った男に総司は唇をかむ。総司には男の名前も素性もよくわからないが、立場が高い人間だということはわかる。そしてこの男が一体何を企んでいるのか…それも、わかってしまった。
しかし、それでも。
(もし近藤先生や土方さんに迷惑がかかるのなら…)
男に抵抗することなんて、できるわけがない。
「…大人しくなったな」
総司が力を抜いたのを見て、男は不敵に笑う。そしてその乾いたザラザラとした指先が首筋から鎖骨へと伸び、虫唾が走った。堪らないほどの不快さに鳥肌が立ったが、男は「敏感だな」と何か勘違いをした。
しかし、その不快さを吐露するわけにはいかない。
(犬に噛まれたようなものだ…)
我慢すればいい。もしかしたら男の機嫌が良くなって近藤の推挙を考え直してくれるかもしれない。
総司は強く目を閉じた。



男から解放されたのは、夜も更けた頃だった。男は何度も思うがままに総司を抱き、そして勝手に眠り始めた。すると総司を案内した若い男が顔を出して「帰っていい」と告げた。彼は近くで待機していたのだろう。
男に乱暴に抱かれながら、当初抱いていた「期待」が甘い考えで決して叶わぬものだと思い知った。男はたまたま見かけた総司を遊び相手に選んだだけで、それは「もの」と同じだった。「もういやだ」と拒んだ総司を脅すようにして何度も組み伏せる…その男の目が、総司を一人の人間としてすら見ていなかった。
そんな男が考え変えて近藤の温情をかけてくれるはずはない。
そう悟ってからは「早く終わればいい」とただただ人形のように男に従った。おかげで体のあちこちが痛み、試衛館への帰路さえ危うい。
「道は…どっちだっけ…」
河川敷を歩きながら総司はつぶやいた。帰り道くらいはわかるだろう、と若い男には言われたが、暗闇の中明かりすらなく頭は朦朧として働かない。そんな状況ではたどり着けそうもない。
(帰って…でも何ていうんだろう…)
二人は期待して総司の帰りを待ち侘びているかもしれない。そう思うと胸の奥が苦しくて仕方なく、悔しさが込み上げてきた。目頭が熱くなりただでさえ真っ暗な闇を揺らしていく。すると目の前に仄かな灯りが近づいてくるのが見えた。
「…総司?」
「あ…」
灯りを手にしていたのは土方だった。彼は総司の姿を見るや駆け寄ってきた。
「お前…!何があったんだ!!」
「歳三さんこそ…どうしてここに」
「お前の帰りが遅いから、心配してたんだ!俺のことはいいだろう、あいつに何されたんだ!」
「何…って…」
それは言葉にするのも苦しい。
強がって「何にもない」と答えるつもりだったのに、不意に土方が目の前に現れて、総司は堪えることはできなかった。
「歳三さん…!」
総司はその胸に顔を埋めた。男の前では決して涙を零すまいと我慢してきたのに、土方を前にすると箍が外れた。そんな総司を目の前に、土方はしばらく黙って胸を貸してくれた。頭の良い土方はすべてを察しているはずだ、彼の怒りは頂点に達しているだろうがそれでも静かに受け入れてくれた。
土方は総司の肩を抱き、橋の下へと移動した。真っ暗闇なうえに、雑草が腰近くまで伸びきっている場所では誰にも見られることはない。そこに総司を横たえて、手元の灯りを消した。
「俺でも嫌だろうが…あの男よりはマシだろう」
「え…?」
土方の言葉が理解できないまま、総司はうつ伏せにされた。そして彼はその指を奥へと差し込んだ。
「あ…」
ザラザラして不快なあの男の指とは違う。土方の指先がまるで絹のように感じた。その彼の指が総司の奥に残った男のモノを掻き出していく。
「っ、くそ…」
「ふ…っ、ん…」
同じ場所に指が入っているというのに、総司の感覚はまるで違う。ただただ嫌悪しかなかった男とは違い、触れられた場所すべてが熱くて仕方ない。
(だ、ダメだ…!)
土方は後始末をしてくれているだけであり、感じさせているつもりはない。なのに総司が変な反応をしてしまえば、彼も困ってしまうだろう。
しかし、そんな心とは裏腹に体は正直だった。声を出すのは両手で口を塞ぐことで何とか抑えられたが、体はびくびくと震えていた。
そしてそんな総司を土方は見抜いていた。
「…総司、」
彼の指が最奥から出て、しかしその前の高ぶりに触れた。
「あ…っ!と、歳三さん…」
「これは?」
「違うんです…これは、ほっておいたら…大丈夫だから…!」
総司は首を横に振って、体を仰け反らせる。しかし土方は明確な意思を持って指をそれに絡ませた。そしてうつ伏せにしていた総司の体をくるりと仰向けにさせる。月明りしかなくても彼の顔は見える。そしてきっと自分の顔も見えている。
「あっ、あ、ぁぁぁ…っ」
土方は扱きながら、総司の袴の紐を解いた。そしてまた自分の衣服も脱ぎ始める。
「あ、と、歳三…さん…っ?」
「恥ずかしがらなくていい。ここは誰にも見えやしねえよ」
「そう…いう、ことじゃ…あ、うっ」
恥ずかしがる総司に構わず、土方は慣れた手つきでどんどん総司を高ぶらせていく。体中が痙攣して、おかしくなりそうだ。
「あの男の前で…お前、いったのか?」
「…っ、いって…ない…っ!」
あの男のことに触れられて、総司は一瞬頭が冷えた。男は自分勝手にするだけで、総司のことは一切構わなかった。総司にとっては快楽なんてものを感じることはなく、ただただ痛みと圧迫感と倦怠感ばかりが襲ったのだ。
「そうか」
土方はふっと少し笑った。そして
「俺のも…こんなになった」
と自身のものを総司に重ねた。そして両手で強く握りしめて絶頂へと持っていく。
「あっ、あ、あ、あああ…っ!」
「っ、う…!」
総司は弓のように身体を撓らせて、そして土方は声を抑えるようにして二人同時に精を吐き出した。自分ですることはあっても、土方にされたのだと思うとふわふわとして身体が浮いているように感じた。
「歳三さん…」
身体の奥がまだ熱い。彼に触れられた場所が熱い。そして、同じ熱で染まった彼のどこか色っぽい表情が…総司の目に焼き付いた。
(ああ…やっぱり…きれいな顔だな…)
少しの倦怠感が土方の表情に影を与える。そんな表情を見るのは初めてで、胸の奥がどくんと高鳴った。
そんな彼をまだ見ていたい。
まだ、欲しい…。
しかし、土方はその表情をすぐに隠した。衣服を正し、総司にも自分の羽織を与える。
そして淡々と言った。
「今晩のことは忘れろ」
「え…?」
「二度と…こんな目には遭わせない」
強い決意を滲ませた瞳。それはあの男に対する怒りなのだろう。
だからこそ、総司は何も言えなかった。
(歳三さんとのことも…忘れろって、こと…)
あの嫌悪しかない男のことなんて、もうどうでもよかった。
それよりも
『まだ欲しい』
と彼を欲する身体を、総司は持て余していた。


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