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催花雨




「…起きたのか?」
過去の記憶を思い出していた総司だったが、彼の声ではっと我に返った。
「斉藤さん…」
彼が起きる前に部屋を出ていき、何事もなかったかのように振る舞おう…そう考えていたのに、過去に立ち止まっていたせいで彼が目を覚ましてしまった。
「おはよう」
「…おはよう…ございます」
しかし総司の心配をよそに、斉藤はいつもと同じ声色とトーンだ。何の違和感もない朝の挨拶に総司は(彼も忘れたいのか)と安堵したが、身体を起こし曝け出された上半身になぜだか総司のほうが目をそらしてしまう。
「あ…今日は、夜番でしたよね。まだ陽も昇っていないし、ゆっくり寝ていたら良いんじゃないですか?」
そういって総司はそそくさと脱ぎ捨ててあった衣服に手を伸ばす。
しかし、斉藤はあっさりとその手を取った。
「さ…」
「なかったことにするつもりか?」
総司の誤魔化したいという気持ちを見抜くかのように、まっすぐに響く問いかけ。飾りのない斉藤の言葉に、なかったことになんてできわけがないのだと気づかされた。
総司は目を逸らすのをやめた。
「…昨日は、酒が入っていたんです」
「知っている」
「だから…お互いに忘れたほうが良いと思います」
それは素直な気持ちだった。突然のことに斉藤も動揺したのかもしれないが、これまでの友人関係を崩さないためにはそれが最善だと思った。彼のためにも、そして自分のためにも。
しかし斉藤は、掴んでいた手を一層強く握った。
「あんたは…忘れられるのか?」
「……」
「俺は…無理だ」
「え?」
強く握られたまま引っ張られ、総司はバランスを崩して布団に転がった。そのまま斉藤が馬乗りになってしまうが、総司は昨晩の行為のせいでうまく力が入らない。それに新撰組でも一二を争う剣客の彼に組み伏せられてしまえば、押し退けるのは難しい。
「斉藤さん…っ」
「騒ぐな。皆が起きる」
「…!」
皆…それは新撰組の隊士だけではなく、なじみの試衛館食客たち、近藤、そして土方を指す。さっと血の気が引いた総司は唇を噛んだ。
しかし、斉藤は構わずにその指先を鎖骨へと伸ばす。そしてなぞるように肌に触れた。
「昨晩のこと…覚えているか?」
「…っ、覚えて、ない…」
断片的な記憶は残っているものの、曖昧だ。すると斉藤は笑った。
「ここに触れると…あんたは気持ちよさそうに善がった」
「…っ、ぅ…」
そんなはずはない、と否定しても、彼の指先が胸の飾りに触れただけで身体は痺れた。まるで自分の身体じゃないみたいに。
「斉藤さん…」
「これは罰だ。甘んじて受けろ」
「ば…罰…?」
彼の声が暗くなり、総司はごくん、と息を飲んだ。彼が怒っているのだとわかった。昨晩、深酒をしすぎてこんなことになってしまった…同室の良い友人関係を壊した。それを彼が怒っているのだろうか。
「ん…っ、ぁ」
彼の指先が絶妙な強弱で赤い飾りを責める。びりびりと痺れ、頭の先から指先までその感触に集中した。
「も…やめ…」
「やめてほしくないと、ここは言っている」
斉藤の片手が、ためらいもなく総司のものに触れた。衣服を纏うこともできずに組み伏せられたため、ダイレクトな肌の感覚が伝わってくる。
「っ、ぁ、ぁあ…」
「もう濡れそぼっている…いやらしいな」
「…!」
いつも寡黙で無口、周囲からは『何を考えているのかわからない』と遠巻きにされている。そんな彼が発したとは思えないあられもない言葉だった。
「斉藤さん…っ、もう、やめましょう…勘弁して…」
「駄目だ。忘れられないように、今から抱く」
「…っ、いま…っ…て…」
もう陽が昇ろうとしていて、もう少しすれば皆が目を覚ましこの部屋の前を歩き始める。誰かがこの部屋を覗いてもおかしくはない。
「そんな…」
「誰にも見られたくないなら、拒むな」
「…」
総司は混乱のなか、何を優先すべきか考えた。何よりも、誰かに…『あのひと』にこんなところを見られるわけにはいかない。
「…わかりました」
酔ったときとはいえ、彼には一度抱かれている。だったら二度も同じことだ。そう腹を括った総司をみて、斉藤は少し顔を顰めた。
その表情が何を意図するのか…総司には分らなかったが、彼の指が遠慮なく最奥へ触れたので意識が逸れた。
「あ…っ」
ビリリとした指の感触とともに、身体が撓る。その指の感触を身体は覚えていた。
(昨晩…じゃない…)
この感触は、新しい記憶ではない。遠い昔、夢で見たあの日…『あのひと』の指と同じだ。太さも、長さも、関節の角度も、同じ。
なかをかき回す…すこし乱暴な指使いも同じ。
総司は身体を悶えさせながら、必死に唇を手で押さえた。声が漏れてしまう、その声を誰かに聞かれてしまう、そして――。
(歳三さん…!)
そう、叫びそうになってしまう。
斉藤の指はあの夜の記憶を呼び覚ます。『あのひと』に中のものを掻き出されて、一緒の果てた。それでも足りずもっと欲しいと願ったあの時の欲望が、斉藤の指によって叶ってしまう。
でも、それは。
それはあまりにも。
(彼を…傷つける…!)
彼が何を考えているのかはわからない。けれど、ほかの代替品にされていると知ればその自尊心が傷つくに違いない。
総司は必死に耐え続けた。時折、耐えかねるほどの興奮に襲われてもどうにか理性だけを保ち続けようとした。
しかし、斉藤は「抱く」といったのに、指でかき回すだけでそれ以上先へを進めようとはしなかった。いつまで総司が耐えられるのか…まるで試すかのように。
そうしていると、障子の向こうに淡い光が差し始める。
「はよーさーん」
「おっ 今日は早いな」
「腹減って起きちまったよ」
しんとした室内に、だんだんと日常の他愛のない会話が聞こえてきた。隊士たちの起床時間になったのだろう。
すると、斉藤はゆっくりと指を抜いた。そして脱ぎ捨てたままの衣服を横たわる総司へ乱暴に投げた。
「…っ、え?」
「今朝は…ここまでだ」
冷たく告げた斉藤もまた自身の衣服に袖を通し始める。先ほどまで熱情を込めて見つめていた彼の瞳が、いつもの平坦な黒いものに変わる。
「は…はあ…」
総司は訳も分からず、投げつけられた衣服を肩にかけた。弄ばれた下半身は重たく、彼の指の感触が残っているかのようだ。
「俺は先にいく」
さっさと身支度を終えた斉藤は、刀に手を伸ばし慣れた手つきで腰に納める。
「指…」
「何だ?」
総司の視線は斉藤の指を追っていた。卑猥に動いていた彼の指は、長く太く関節の形まで、思った通り土方の指に似ていた。
「…いえ、何でもありません」
「……」
斉藤は無言のまま部屋を出ていった。
総司は彼がいなくなったことで安堵すると同時に、酷い自己嫌悪に襲われた。自分のものに手を伸ばすと、固く反り立っていたのだ。
「…っ、…」
総司には嫌悪とともに腹立たしさが込み上げた。
ずっと陰ながら思い続けてきた。そして秘め続けた思いを、斉藤に見抜かれてしまった。もしかしたら昨晩、何かを口にしてしまったのかもしれない。
でもそれをまた隠すことだってできたはずなのに、彼の指が、あの夜の指と同じだと錯覚したせいで感情のすべてがドロドロと溢れてしまう。
総司はぎゅっと目を閉じた。そして欲望の発露を求めるそれを、自分で扱く。
するとやっぱり、中にはいってかき回した指の感触を思い出していた。でもそれがあの夜のそれだったのか、先ほどまで支配されていた彼の指なのか…それは自分でもわからなかった。



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