わらべうた






41
「疲れたー。腹減ったー。なんか食いもんはねぇのか??」
「あはは。試衛館の米びつをからにする原田さんにあの量じゃあ足りませんよねぇ」
文久三年二月九日。
鴻野巣をめざし、京へ向かう浪士組。その道のりは遠かった。一日十里、二百人以上の浪士が隊列を組む。普段遠出をすることがないためか、総司には辺りの風景が新鮮だった。
そんな、中山道。

「腹減ったなー…」
「うるさいな。言ってたらこっちも腹が減るだろ」
「いわねぇとやってらんねぇよ」
原田が文句を言い、永倉らが厳しくつっこむ。試衛館節は所変わっても相変わらずだ。そんないつもの風景を見て、微笑する男がいた。
「楽しそうですね」
同じ隊の野口という男。総司の隣を歩く青年で、人懐っこい笑顔が特徴だ。年齢も総司と近い。自然と総司と話も盛り上がる。
「私は江戸から出たことがないので、こう言うところは初めてなんです。野口さんはどこの出身ですか?」
「私は水戸の出です。小頭の芹沢先生とはその頃からの知り合いで…」
「芹沢さん…と」
総司は曖昧な相打ちを打った。
前を行く小頭、芹沢は総司と顔見知りだった。幼き頃、怪我をしているのを助け、何年前かには町中で偶然であった。芹沢の行動は謎が多い。
何故、怪我をしていたのか。斉藤とはどういう関係なのか…。
だが、追求しようとは思わなかった。
必要以上に関わりたくない、というのが本音だった。それは総司にとって、芹沢から感じる負のオーラは近づき難いものだったからだ。試衛館になかった、この威圧感。説明の仕様もない独特の雰囲気。どれをとっても総司の身近にはいない、存在だった。
「今回の浪士組に参加したのも、芹沢先生に声をかけられてからでして」
「へぇ…」
そういえば、どうして芹沢は浪士組に参加するのだろうか。
ふとそんなことが頭を過ぎったが、変に詮索したくないので極力芹沢に話しかけないようにしている。それに芹沢に関わると、極端に土方の顔が険しくなる。
そんな総司の心情を知るわけもない、野口が次々と語る。
「芹沢先生は元々水戸の天狗派…藩内の尊皇攘夷の大幹部をされていたんです。
ですが意見の対立から、三人を斬り捨ててしまい、逃亡したんですが捕まり…。牢獄におられたときがあるんです」
「ああ、あの時…」
血まみれの芹沢と出会ったのは、もしや芹沢が逃亡中の時だったのではないか。
それに怪我の手当までしてしまっている。犯罪者の手助けをしてしまった、ということになる。
だがもう十年前の話だ、とすぐに割り切った。
「でも、三人も斬ってしまったら…」
「はい。ですが大赦が幕府から出されたので、命は助かったんです」
「はぁ…」
意外に色々なことをしているんだな、と思ったくらいで総司はあまり気にもとめなかった。


「歳三さんはお腹空かないんですか」
「あいつと違って、んなでかい内蔵してないんでな」
土方は原田を指さす。げっそりした顔であるく原田が目に付いた。
「まだ五里もあるんだ。歩くしかねぇよ」
「京ってそんなに遠いんですねぇ…」
幼き頃、土方と初めてであったあの時の家出の道のりもかなり長く感じたものだがそれに比べようもない。田舎者、と罵られても仕方ないな、と総司が苦笑した。
「あ、そだ、歳三…」
「お前、そろそろその『歳三さん』やめろよな」
「え?」
「『土方』だ。『土方』と呼べよ」
「えぇ?今更…」
「ご公儀の前で『歳三さん』なんて呼べねぇだろ」
「はぁ…」
確か『歳三さん』と呼び出したのは総司が試衛館に初めてきてからだ。
「土方…さん」
「なんだ」
「…しっくりこない」
何度復唱しても、ピンと来なかった。土方、という呼び方は少し他人行儀にも思えた。
「それにしても、大きなこと言いましたね」
「あ?」
総司は苦笑した。
「今、『ご公儀』って」
ご公儀とはもちろん将軍を指す言葉だ。一介の浪人が将軍と相まみえるということを誰が確信していようか。
だが、土方の眼差しは自信を秘めていたのだ。
「夢は大きく、だ。だが、俺は本気だ」
「はい」
長い、長い中山道が急に明るい光に照らされた錯覚を覚えた。土方の言葉は力強く、総司の足下を支えていた。


やがて夜になり、目的地である鴻野巣に浪士組はたどり着いた。先番宿割に任じられている近藤と合流し、土方、総司を初めとする試衛館メンバーは宿に腰を下ろした。
「はぁぁー。畳にこんなに感謝することはねぇよ」
原田はすぐに寝転がり、鼾まで立て始めた。浪士組での飲酒、女遊びは禁止されている。どちらもあまり興味のない総司にとってそんなに苦痛なものではないが、
「はぁぁ。酒が飲みてぇ。女がだきてぇよー」
と寝言まで言われては、原田の苦しみがよく分かる…気がする。

「仕事の方は、どうなんだ」
土方が近藤に尋ねた。近藤は疲れた様子で
「慣れない仕事だからな。苦労はするさ」
「俺が代わって…」
「それはいかん」
柄でもない仕事なはずだが、近藤は頑として甘えたことを言わなかった。元々行商人だった土方の方が難なく乗り切れるのは、近藤も承知の上だった。
「俺に課せられた仕事だ。最後まで全うするさ」
近藤は笑顔で答えた。

「小用に行ってきます」 
総司は囲炉裏の周りを囲う仲間を横目に、部屋を出た。鴻野巣の風は江戸よりも少し温かかった。だが、冬の氷を溶かすほどではない。冬が寒い、ということはたった二十里歩いたくらいでは変わらない。総司は早く小用を終わらせよう、と二階から下りた。
と。そこにどんちゃん騒ぎをする男達の声が聞こえた。
「…あの」
お節介か、と思いつつも総司はそろそろと障子を開けた。
思った通りのドンチャン騒ぎ。酒は畳にこぼれ、料理もバラバラに散らばっている。女達は肌をさらし、男に寄り添う。だが、総司の予想と違ったのは
「お前か」
その騒ぎの主が芹沢達だった、ということだ。
「なんだ、お前も飲むのか?」
見当違いなことを聞かれ、総司は慌てて首を横に振る。
「飲酒や女遊びはダメって言われていますよ」
「んなもん、聞いてねぇな」
「そんな…」
芹沢の表情に微笑がある。分かっていながらも、こんな騒ぎを起こしているのかと総司は落胆した。ちなみに、その中に困惑顔の野口の姿もある。
「酒は水と同じだ。それに…女遊びか。仕方ねぇな。やめてやるか」
芹沢は急におとなしくなったかと思うと、女達を下がらせた。口を尖らせながら出ていく女達を見送って、芹沢は総司を部屋に連れ込んだ。
「お前の言うとおり、女遊びも酒もやめだ」
「はぁ。どうも」
「…女、遊びはな」
「え?」
芹沢は目で合図をして、他の仲間・・新見、平間、平山、それに野口を下がらせた。彼らが何かを含んだ笑いをしながら出ていくなか、野口だけが心配そうに総司を見ていた。
「女がダメだというのなら、男でいいだろ」
「は?」
「お前が相手になれ」
「はぁ?!」
しまった、と思ったときには遅かったのだ。彼は総司の手首をしっかりと掴み、近くに引き寄せている。
「お断りしますっ」
「男色を禁じられた覚えはない」
「そういうことじゃありませんっ!」
だが、近寄せられる顔は段々唇に迫っている。力は強かった。大きな体型が何倍にも強く感じされた。
「や…だっ、止めてください!!」
「助けを呼ぶか?土方か、近藤か…」
「…ッ」
芹沢はからかっているのだ。
助けを呼ばなければこの状況を抜け出せない、総司を嘲笑っているのだ。カァッと総司の頭に血が上った。
無我夢中に、芹沢の股を蹴り上げていた。
「…ッ!!」
芹沢はその痛みに、思わず膝を折って倒れ込んだ。総司に謝罪の言葉はない。
「せ、正当防衛ですからねッ!!次、こんなことがあったら斬りますよ!!」
総司は血相を変えて部屋を飛び出し、二階に駆け上がった。

「…ィテテ」
しばらくして、芹沢はよろよろと立ち上がった。
「…ふん、生意気な」
芹沢は鼻で笑った。


浪士組の発案者、清河八郎は京に先に立っている。
何の思惑があるか。それは幕臣山岡鉄太郎しか知らないことで、もちろん浪士たちが知ることではない。
この清河を除く浪士組の幹部は浪士組取扱の鵜殿鳩翁、中条金之介そして山岡。
そしてその幹部達でさえも一目を置くのは、やはり芹沢だ。
「困った奴が紛れ込んでたみたいだな…」
中条が悔しそうに呟いた。宿舎でのドンチャン騒ぎは幹部にも早速伝わっているらしい。
「いざとなれば、斬りますよ」
山岡は不思議に落ち着いて、中条を宥めるべく笑った。

明日は本庄宿だ。
山岡はそんなことを思いながら、布団を被った。



42
文久三年(1863)二月十日。
江戸を発ち三日目の夜に、早くも芹沢鴨の乱行ぶりは台頭する。
本庄宿の夜であった。


「歳…じゃなかった。土方さん、近藤先生はまだお仕事ですか」
そろそろ布団に入ろうか、と言う三日目の夜。帰りの遅い近藤を心配して総司が土方に聞いた。土方は
「宿割で忙しいんだろ」
と、無関心に言った。横で聞いていた山南が口添えするように
「こんなに大人数だから、手配に難航しているんでしょう」
と微笑んだ。ほっと胸を撫で下ろす総司に原田が
「そういやぁ、芹沢って野郎は乱暴な奴らしいな」
と、また不安を煽るようなことを言う。
「何故?」
藤堂が不思議に首を傾げた。
「なんでも、昨日の鴻ノ巣宿でさ。宿に入った芹沢の部屋に『三番隊』っていう看板が下げられてて それが気にくわなかった芹沢が、その看板を彫って『一番隊』に変えたらしいぜ」
原田があきれたように言うと、藤堂は苦笑していた。
このエピソードには理由がある。
何でも一番が当たり前、な芹沢にとって三番隊に配属された、ということはもともと気にくわないことだった。
刀を振りかざして、取締役の山岡鉄太郎、別名鉄舟に直談判したらしいのだが江戸で名の知れた山岡鉄舟の剣技は、もちろん芹沢を上回るものだった。そして逆に刀であしらわれたらしい。
「まさに、芹沢の性格を表しているな」
永倉までもが苦笑する。

「…心配だなぁ」
確か本庄宿の夕焼けは、赤かった。


それからすぐの後。
『こうして寝ていると腕がなまる』と言い外に出た永倉が、騒がしい足音を立てて帰ってきた。永倉らしくなく障子をスパンッと開ける。
「大変だ!」
大声で叫んだ。


これは宿割責任者池田徳太郎と近藤のミスであった。
池田は騒ぎを起こす芹沢達の宿を出来るだけ質素なところにしよう、と思っていた。そこで池田は近藤に頼むつもりでいたのだが、うっかり忘れ近藤が予約した女のいる芹沢達の分の宿を、取り消してしまったのだ。
確認を怠った近藤にも責がある。そのことを知った芹沢は当初
『少しだけ待ってやろう』
と、軽く受け流したのだが、時間がかかる宿割に堪忍袋の緒が切れ、ついに宿のど真ん中で火を焚きはじめたのだ。

「ここからでも、炎が見えるぜ」
原田が自分たちの宿の窓から、顔を出した。隣の宿よりも高く、火が上がっている。
「これでは、宿場中が火事になってしまう…」
状況を危惧した山南が部屋から出ようとするところを
「待て」
と土方が止めた。
「土方さん?」
「芹沢は俺が説得する。土下座でも何でもしてやるさ、かっちゃんの為ならな。だからお前達は火を消す準備をしていてくれ」
延焼し、宿場ごと火事になれば浪士組の存続さえ危うい。強い決意をもった、土方の目に誰もが頷いた。

炎は試衛館食客の予想を超える大きさだった。人だかりが出来、宿場の人間は誰もが不安そうな顔をした。火消しが集まり出すのだが
「消すな!!」
と芹沢を初めとした彼らが、宿場の人間を脅す。刀を振りかざされては、何もできない。
その真ん中で酒を水のように飲む、芹沢。扇を振りかざし、炎の中で笑っていた。そしてその横に、ただただ座り込み謝る近藤の姿があった。
「…近藤先生…!」
その姿に憤りや悔しさを感じ、総司が近藤に駆け寄ろうとしたのだが「待て!」と、土方に止められた。
「歳三さん…っ」
「馬鹿、土方と言えと言っただろう。いいか。ここでお前がかっちゃんを助けに行ったところで何も変わらない。むしろ、お前にまで酷い目に遭わされる。芹沢はお前を気に入っている。……わかるな?」
土方は覚えている。芹沢が総司に向けた視線の本当の意味を。ただの興味、関心ではない。
「…お前は、ここにいて俺の勇姿を見届けろ」
土方が笑って、総司の傍を離れた。
「……土方さん」
土方が言った冗談は、総司の耳に入らなかった。


「芹沢先生」
頭を下げる近藤の隣で、土方が一緒に座り込んだ。
「歳…」
「火を消し、ご用意した宿に入ってください。このままでは宿場が火事に…」
「…条件がある」
土方の言葉を無視するかのように、芹沢は答えた。
「何を…」
「総司を貰おうか」
「…は?」
疑問の声を出したのは近藤の方である。意味を解したのは土方。
「…宿がねぇなら、火を焚いて外で寝るまでだ。ここで火を消し、宿で寝たとしても一向に面白くねぇなぁ…」
「……」
「女遊びは禁止されている…そうだろ?」
芹沢は笑った。見下した笑いをした。

「……それだけは、ご容赦ください」
土方はさらに深く頭を下げた。
「何故だ」
「どうしても」
「…可愛い可愛い稚児を渡せないのか?」
顔色を変えたのは、近藤の方である。土方は強く、にらみ返すだけだった。
「…どうした?何も言わないのか」
「だとしたら、なんだ」
土方の口調は急に厳しくなった。頭を上げ、立ち上がると芹沢に掴みかかった。胸ぐらを掴み眉をつり上げる。
「…ああそうだ。俺にとってあいつは何よりも大切なものだ。抱けと言われたら抱いても良い。……だから、お前にやる筋合いはねぇ」
「……ふん、今のお前の状況を忘れたか」
「忘れるわけがねぇだろ。その上で言ってんだ…」
土方は一層強く、胸ぐらを掴む。
「…あいつを手放すくらいなら、お前を今ここで…」
殺す。
その言葉を言い終わる前に、新たに声がかかった。
「芹沢先生」
駆けつけたのは総司だった。野次馬が多くなる中でのことだった。
「……総司」
 なぜ来た、と問い詰める土方を無視し、総司は芹沢を見つめる。
「火を消してください、お願いします」
その目は、泣いているようにも見えた。



43
炎はますます大きくなっていく。近藤の助け船に行ったはずの土方は、芹沢と口論になっていた。夜も明けない、本庄宿である。


「火を消してください。お願いします」
不安そうな顔で、芹沢の目の前に立ったのは総司だった。芹沢は口元に笑みを浮かべ、土方から離れた。
「…いいだろう。ただし、条件付きだ」
妖しく微笑む芹沢の口から言われるまでもなく、総司もその条件をわかっていた。
「…総司」
「条件…とは?」
「お前にとって一番屈辱的なことを、ここでしてもらおう」
背後の炎はますます熱気を増す。
「芹沢先生、それなら拙者が…」
近藤が口を挟むが、ふん、と芹沢は鼻で笑った。
「…農民の出の貴公がいくら土下座をしようとも、それは屈辱的なものではあるまい。土方、お前にとっても同じだろう。武士でなければ土下座など…何の屈辱でもない」
土方は舌打ちした。身分の差。これほどまでに露骨に言われたのは初めてかもしれない。芹沢は総司に視線を向けた。
「…だが、武士のお前にとっての屈辱。それをしてもらおう、と言っているのだ」
「……」
「土下座でもよかろう。…儂の閨にくるのでもよい」
芹沢は楽しんでいるのだ。土方は頭に血が上るのを感じた。
今すぐこの刀を抜き、芹沢を斬りたい。激しい動悸がした。

「…わかりました」
総司はしばしの沈黙の後、そう答えた。土方と近藤は焦った。
「総司!」
土方の呼びかけも、まるで聞こえていないかのようにまっすぐに、芹沢を見ていた。
「…剣士にとって、失うことの出来ないことを、しましょう」
含みのある総司の微笑み。芹沢も意味が分からないのだろう。声も出さず頷いた。

総司は腰に差していた加賀清光、そして脇差しを抜き、地に置いた。そして、着物から腕を抜きその上半身を晒した。
晒された白い肌は、赤い炎で染まっていた。
「…総司…?」
何をするつもりだ。と思った土方の脳裏に過ぎったのは芹沢の『閨にくるのでもよい』という言葉だった。
「…約束です。これが終わったら宿に入ってください」
「ふん、それはお前の行動次第だ」
「……はい」
総司は子供のような笑みを見せ、「約束ですよ」ともう一度繰り返した。宿場中の人々が見守る中、総司は炎に近づいた。

そしてその赤々と燃える炎の中に、自らの右手をかざしたのだ。

「総司!!」
「……っ」
総司は炎の中に、入れた右手を決して抜こうとはしなかった。顔を歪め焼けていく皮膚を眺めてた。
「止めろっ!」
土方は駆け寄ると、総司の右手を炎から引き抜いた。それを見ていた人々の一人が駆け寄り、桶に入れた水を総司にかけた。
「馬鹿野郎っ!何してるんだっ!」
赤く腫れた総司の右手は、火傷ならまだ良い。所々が黒く焦げている。
「総司っ!」
駆け寄った近藤の顔は泣き顔だった。
「…先生」
「何してるんだ…っ!」
そして近藤は総司の頬を勢いよく叩いた。頬はみるみる赤く染まる。
「よりによって右手を…っ!」
「…すみませんでした」
総司はしゅんとして、近藤がポロポロこぼす涙を見ていた。

「…ふん、冷めたわ」
芹沢は総司を見下し、鼻で笑うと一派の者達に「火を消せ」と声を変えた。そして無言のまま宿割の案内者について、宿に入っていた。

人々が消火活動をはじめた。


「…本当に、馬鹿野郎だ」
試衛館食客達は宿場の消火活動に当たり、近藤はその指示をまかされていた。総司の手当をすべく宿に入ったのは土方だけだった。
「剣が握れなくなるかもしれねぇだろ…」
「…ごめんなさい」
土方は火傷をした部分を冷たく冷やした。指一本一本まで気を遣う。
「でも…ああするほか、なかったんです」
「…剣士として右手をなくすことが、お前にとって一番屈辱的だったということか?」
総司は小さく頷いた。
「…もし、あの時近藤先生が侮辱されるくらいなら…右手をなくしてもよかった」
「かっちゃんがそれを望むわけ、ねぇだろ…」
「はい…」
叩かれた頬が痛んだ。土方はふぅと一息つくと
「幸い、そこまで酷くねぇよ。右手もしばらくすれば使えるようになる」
「よかった」
総司はほっと安堵すると、微笑んだ。ぐるぐるに大袈裟なほど巻かれた包帯に、苦笑して。

消火活動はすぐに終わった。
もともと総司、土方以外の食客達が準備していたこともあって宿場はすぐに落ち着きを取り戻した。「無茶なことを…」総司のことを聞いた食客達は口を揃えてそう言う。
「でも、まぁ酷くなくてよかったじゃねぇか」
「しかし、今度からは無茶をしてはならないよ」
原田が慰めるように大声で笑い、山南が諭した。みな、笑っていた。



「…騒ぎは、収まりましたか」
炎の様子を見ていた中条の帰りを見て、山岡が尋ねた。中条は頷くと
「近藤勇とやらを初めとする、試衛館の者達が収めたようです」
と鵜殿に進言した。年老いている鵜殿は微笑み
「なかなか、使える男のようだな」
と言った。山岡も中条も頷いた。
「…それにしても、芹沢鴨。油断ならん奴だ…」
芹沢の横暴ぶりに中条がため息を付く。


「ほら、口を開けろ」
翌日の本庄宿での朝飯は、総司にとって恥ずかしいことこの上ないことだった。右手は思うように扱えず、かといって左手では箸の持ち方が覚束ない。見かねて土方が食べさせてくれるのだが、皆の前では恥ずかしく素直に口を開けることが出来ない。
「…じ、自分で食べますっ」
「馬鹿。どうやって食べるつもりだ」
「ど、どうやってでもっ!」
ムキになる総司をみて一同が苦笑する。
「じゃぁ残念ながら沖田総司は中山道で飢え死にだな。」
「え、縁起でもないこと言わないでくださいっ!」
「じゃぁ口を開け、大きくな」
土方は面白がっているのだ。総司もそれが分かっているから断固として口を開かない。
土方の箸がつかむ卵焼きが恨めしい。
「…仕方ねぇ。そうしてろ」
むぅっと頬を膨らます総司を尻目に、その卵焼きは土方の口の中に葬られた。
近藤やまさか他の食客達に食べさせてもらうわけにも、いかず目の前の食事は冷めていくばかり。
と。
「おい、」
「は…んぅっ」
土方に胸ぐらをつかまれたかと思うと、顔を引き寄せられ口と口を被せられた。口の中に甘い卵焼きの味が、広がる。
その光景に唖然とする近藤をはじめ、試衛館の者達。
原田は持っていた箸を落とし、永倉は持っていた茶飲みを落とした。
山南は目を逸らすし、藤堂はびっくりしてそこから目線を変えることができない。
近藤は赤面したまま状況を見守る。
「…っ!なんてことするんですか」
「お前との口付けなんか、口付けに入らねぇよ」
「そういう問題じゃありませんっ」
「安心しろ。これからは俺が口移しで食べさせてやる」
「安心なんてできませんっ!!」
土方の一つ一つの発言が誤解を招いていることに、彼らは気が付いていない。
 
結局総司は、必至に左手を駆使し朝餉をたいらげた。その時間は出発直前で、この先の日々が思いやられる。
翌日の天気は晴れで、京までの道のりを照らす。



44
文久三年二月十七日。本庄宿での騒ぎから一週間。
総司の右手も完治し、浪士組一隊も京に近づいた頃。

「え?異動?」
中津川宿で、幹部から突然言い渡されたのは、異動命令だった。その事を受け取ったのは土方と近藤で、総司は直接聞いたわけではないのだが。
「芹沢は三番組を罷免、代わりに近藤さんが三番組を率いることになった」
冷静に声を低めて言っている土方だが、顔がほころんでいる。隣にいる近藤は気恥ずかしそうに「まぁ、そういうことだ」と頭をかく。
「よかったじゃねぇかっ!」
抱きつく勢いで、奇声を上げたのは、もちろん原田だった。
「おめでとうございます」
続けて山南が言うと、藤堂もつられて頷く。
「じゃあ私達の隊の小頭が近藤先生になるんですね?!」
子供がおもちゃを貰って喜ぶように、総司は土方に訊いたのだが、土方は首を横に振った。
「いや、俺たちは六番組小頭、石坂宗順の配下に異動だ」
「えぇー!」
総司が不満を口にする。
「芹沢が罷免ですか…まあ、当然ですね」
事を冷静に見守ったのは永倉だった。
「ああ、本庄宿の一件が響いたらしいな」
ふん、と鼻で笑ったのは土方で永倉が「そうですか」と相打ちを打ったのを最後にこの話は打ち切りになった。

よって翌日、近藤は三番隊小頭を任命、以下食客達は六番隊に異動になった。
だが。
食客達が配属になった先の小頭、石坂宗順という男がなかなかに几帳面。
少しでも隊列が乱れると激を飛ばし、もともとまとまりのない試衛館一派は戸惑うばかり。
「…こんなんじゃぁ、芹沢の下の方がましだったかもな」
という原田のぼやきにも、思わず総司が頷いてしまうほどだった。
寄り道禁止、私語は慎み、列を崩すな。
この三拍子に、一番閉口しているのは総司の隣を歩く土方。
「ったく…俺らはガキじゃねぇんだ」
道など迷うか、とぼやく。
「でもまぁ、小頭としては適任な性格なんじゃないですか」
「適任ってのはな、近藤さんみたいなひとを言うんだよ」
「それじゃあ仕方ないですよ。そんな人なかなかいませんて」
総司が苦笑する。
「…ま、お前みたいなガキがいる以上、石坂も気が抜けねぇってことだろ」
「……私が子供だって言いたいんですか?」
「今さら訊くな」
土方が総司の額を弾いた。


さて、そろそろ浪士組が伏見に入ろうかという頃。原田に異変が起きていた。
「……腹が、痛い」
「…大丈夫ですか?」
年下の藤堂が、原田の顔色をうかがう。この男には似合わない真っ青だ。
「な、何か悪いものでも食ったんですか?」
「いや…んぅ?そういやぁ昨日の中津川宿。調理場にこっそり行って漬け物を食ったな」
「…悪事が跳ね返ってきたってところですね」
藤堂がため息を付いた。
それが腐った漬け物だったのか、定かではないが原田の腹に異常を来す物ならば結構な猛毒なのだろう。その様子に気がついたのか
「どうしたんだ?」
と後ろに並んでいた山南と、永倉が除く。
「いえ、何だか調子が悪いみたいで…」
「お前のことだ、何かつまみ食いでもしたんだろう」
「ご名答です」
永倉の勘は時々計り知れない。
「とにかく便所に行こう。ああ、あそこに茶屋が」
山南が指さす方向には、数件の茶屋があった。

茶屋は古びた雰囲気を帯び、木枯らしが吹いていた。几帳面な石坂に「後で追いつくから」と願い出て原田と永倉は隊を離脱した。
石坂はいい顔をしなかったが「目の前で吐くかも知れない」と原田がぼやくとすぐに許可を出した。一番近い茶屋の年老いた爺に断って、原田は便所にこもった。その間、永倉はお茶をいただくことにした。
「浪士組のみなさんどすか?」
伏見周辺と言うこともあり、爺の言葉遣いは京に近かった。
「ええ」
「まぁ、ぎょうさんおられますなぁ」
永倉が茶を飲んでいる間にも多くの浪士たちが目の前を通り過ぎていく。爺は「気が遠くなりそうな」と苦笑して、店の奥に入っていった。と、丁度すれ違いで便所にこもっていた原田が顔を出した。
「すまん、世話かけたな」
原田が大声で笑う。
「…すっきりしたのか?」
「おうよっ 溜まっていたモンが全部出たって感じだな」
「口を慎め」
永倉が苦笑しながら財布を漁る。
「親父さん、勘定ー」
「へぇい」
小さい店だが、奥の土間は広いらしい。爺ではなく、別の娘が顔を出した。
「おおきに、五文になります」
声高く娘は笑顔を二人に向けた。
小柄で、決して色黒というわけではないが適度に肌が焼けている。働き者らしく前掛けがよく似合い、家庭的な娘と言うのが良いか。
「へぇ、こりゃ別嬪なお嬢さんだ」
永倉は「なぁ」と原田に同調を求めたのだが、原田の顔色がまた変わっていた。真っ青から今度は真っ白だ。
「……おい、また具合が悪いのか?」
「やべぇ…」
「おい、具合が悪いならもう一度便所に…」
「俺、惚れちまった」
「はぁ?」
娘が首を傾げると、原田が先程までの腹痛がどこに行ったのやら。力強く娘の手を取り
「俺と結婚してくれッ」
叫んでいた。愛の告白を。

しばしの沈黙の後、娘は「…はぁ?」と首を傾げた。唐突にそんなことを言われ、放心状態になるのは仕方あるまい。だが、原田はただただストレートに愛の告白を叫び、娘の手を握りしめていた。
驚いたのは、永倉の方だ。
「す、すすすす、すみませんッ!」
急いで原田を娘から離すと「すみません、すみません」と何度も繰り返した。
「お前ッ冗談も程ほどにだな…!」
「冗談なわけねぇだろッ直球が俺の性格だ」
いや、それはわかっているけれど。
「だからといって、お前なぁ…」
「俺は原田左之介!伊予松山脱藩!! これから京に向けて一旗揚げてくるところさっ」
永倉を無視し、原田は娘に大声で叫ぶ。
「今度会ったらさ、結婚してくれッ、俺あんたに一目惚れしたんだから」
「そんなことゆうても、うち…」
娘は戸惑うばかり。
「はーらーだーっ!」
「いや、今度会うまでにはでっけぇ男になるッんで、あんたを迎えに来るからさ」
「そんなん、いわれてもしらんわ」
娘はからかわれたのだ、と思って店の奥に背を向けた。耳まで真っ赤に染めている様子は、なにやら満更でもない様子で。永倉が「おや?」と感じてしまうほどだった。
「待ってろよーッ!」
永倉は原田を押し、急いで立ち去った。


「てぇ、わけでさ」
隊に追いつき、再び加わった二人だが原田のテンションは収まることを知らない。むしろ、腹痛でいて欲しかった、という石坂の心境をも、誰も知らない。
「すっげぇ美人でさぁ。器量も良ければ気だても良い。是非俺の嫁に来て欲しいぜ」
「…もう、これから京に上るって言うのに…」
あきれた顔で藤堂が原田の話に耳を貸す。
その後ろで藤堂に意見に「そうだそうだ」と追い打ちをかけるのだが原田は聞きやしない。もちろん永倉は「あの娘もお前に惚れているようだった」なんて一言は言ってやらない。このお調子者が何をしでかすか、わかったものではないからだ。

彼女とはしばらくの後、再会することになる。名は、まさ。



45
文久三年、二月二十三日。
長い長い中山道を経て、ついに浪士組は京に到着する。カラリと晴れた、第一日目である。

「京に来たって…いってもよぉ」
長身の原田左之助がまず不満の声を漏らした。
「何だってこんな田舎なんだよ…」
浪士組一行は洛中を離れ、田畑の目立つ壬生村に来ていた。
段々と田舎っぽくなってくる情景に、色街や女、食い物を夢見ていた原田は幻滅するばかり。山南や永倉などは落ち着いて、
「仕方ないでしょう。こんなに多くの浪士を洛中に宿泊させると何か問題が起きるのは必至」
「それに色街ならば夜に繰り出せば良いだろう」
と宥める。旅の途中で知り合ったあの女に事はどうなっているんだろう、と不思議がっているのは藤堂だけのようだ。

京に到着した浪士組一行は洛西壬生村の民家や寺に分泊することになった。宿所としては更雀寺、新徳寺、村会所などのいわば公共の施設、また中村小藤太方、南部亀次郎方、四出井友太郎方、百姓政太郎方、浜崎新三郎方など一般の民家である。
最も多くの隊士を宿泊させたのは中村小藤太方の三十名である。この中には一人だけ三番隊に配属させられえいる井上源三郎も含まれる。
そして試衛館一門が宿泊したのは新徳寺の目の前にある豪家、八木源之丞方である。八木や中村、南部亀八郎、四出井友太郎、浜崎新三郎などは郷士の身分を持つ壬生の実質的支配者である。郷士というのは名字帯刀(つまり武士としての身分)を許された農民のことで、浪士組一行の受け入れに関して幕府から依頼を受けていたのだ。
それはともあれ、八木邸では試衛館一門、そしてどういう因果か水戸は出身の平山五郎、平間重助そして些か試衛館一門と仲の良い野口五郎を宿泊させることになった。道中で取締役付に就任していた芹沢、そして三番隊に所属している新見錦、井上源三郎は別の宿、ということになる。

「この家の当主、八木源之丞にございます」
八木家はそれはそれは大きな屋敷だった。試衛館が二つか、三つかそれ以上の大きさで、試衛館一門から見れば武家屋敷にも見えた。その家の当主である八木源之丞は、顔のとしていて腹が出ている、大変裕福そうに見える主人だった。腰に差している刀が、郷士としての身分を表している。
だが物腰柔らか、丁重な言葉遣いに総司は戸惑ってしまった。
「妻の、まつでございます」
隣後方に座っていたお内儀らしき女性が、これもまた丁重に頭を下げた。こちらはどちらかと言えば厳格そうな女性で、睨まれるとまるで総司は姉に怒られている心地がした。
「嫡男、為三郎でございます。どうぞ、よしなに」
そして少年が頭を下げた。この八木為三郎。のちに新選組の貴重な資料を残すことになるのだが、だれも知るよしもない。

挨拶が終わり、一同は部屋に案内された。母屋の端の方にある客間二部屋を借り、大きい方を人数の多い試衛館が借りることになった。
「それにしても大きいですね」
総司が辺りを見渡す。庭まで突き抜けた母屋はとても小綺麗に片づけられている。
六畳ほどの間取りがふた部屋突き抜けになっていて、風通しが良さそうだ。庭もこぢんまりとしているが、井戸があり坪庭らしく趣がある。
「天井が低いのが難だが」
土方はふん、と鼻で笑った。
「刀を振り上げたら天井に傷がついちゃいますね」
総司が言うと近藤が「絶対にするなよ」と忠告した。


「今日の事件の話、お聞きになりましたか?」
「事件?」
山南が近藤、そして皆に問うた。もちろん、そんなことを知るはずもない一同は首を横に振る。
「三条大橋に将軍足利公、の首が晒されたそうです」
山南が簡単にそう言ったものだから
「はぁ?!」
と一同は驚きの声を上げた。足利将軍と言えばもう何百年も前に亡くなっているはずでは。総司は「ば、化け物ですか?!」と驚愕したのだが、
「ああ、足利将軍と言っても寺にあった木造の首です」
と付け加えると皆、ため息を付いた。
「洛西の等持院に安置されている足利尊氏公、義詮公、義満公の木造です。傍に立てかけられていた札には『朝廷を悩ませた逆賊』と。」
「そんな事をして、なんの意味があるんですか?」
総司が訪ねると代わりに近藤が答えた。
「おそらくもうすぐご上洛される将軍への当てつけだろう」
「ええ、そのように」
良く意味のわからない総司は首を傾げつつも「そうですか」と返事をした。
「…なんか、嫌な予感がするな」
「同感です」
土方と総司はうなずきあった。


さて、政治の中心は江戸と言われども、文化の中心はやはり京である。
一時期は化政期と言われ、江戸中心の文化も栄えたのだが、やはり野蛮な文化。精密で高貴な文化と言えば京、上方になる。そして江戸は参勤交代の制や将軍のお膝元と言うこともあって、男が多いが京は女が多い。
そんなわけで、島原、祇園と言った遊郭が栄えはじめた、と言うことで。江戸から京にはるばる来た浪士たちには、何にも代え難い楽しみである。もちろん試衛館一門のうち原田を初めとして永倉、藤堂、そして山南、近藤までもが顔をだしに行ってしまった。
残ったのは土方と総司だけである。
「……土方さんは行かないんですか?」
行李の整理をしながら、総司が問うと
「お前こそ行かないのかよ」
と鸚鵡替えしにされた。
「私は女が苦手ですからいいんです。酒も好きじゃないし」
「じゃあ、宮川町に行くのか?」
「そんなの、こっちがおたずねします」
総司が仕返すと土方は「行かねぇよ」と苦笑した。
宮川町とは陰間が多く存在する遊郭である。陰間とは、もちろん男色である。
「そんなことより、お前火傷は治ったのか?」
「ええ、もう動かしても痛くありませんし、腫れも引きましたしね」
総司は腕を土方に見せた。
「お子様は治りが速いからな」
「もう」


総司は一人で八木邸を出た。
というのも別に色街に繰り出す訳ではない。この周辺を探検でもしよう、という軽い気持ちである。
門を出てすぐ右手にある壬生寺。広い境内に子供達が遊んだ跡が残っていた。そして取締役が多く宿泊している新徳寺。井上源三郎が宿泊している中村邸。しばらくの先にある光縁寺にまで行って、再び踵を返した。
時は既に夕刻で、そろそろ皆も帰ってくるだろうと思ったからだ。
だが、ふっと出会った男に話しかけられた。
「すまねぇが新徳寺はどこかな」
と。どうやら浪士組の人らしい。
「新徳寺なら私の宿の前ですから、ご一緒に行きますか?」
と総司が訪ねると「おう」と愛想良く笑った。何だか感じのいい人だな、と思っていると男からどんどん話しかけられる。
「俺は神代仁之介。七番隊に所属しているんだが、あんたは?」
「沖田総司と申します。六番隊で向かいの八木邸に宿泊しています。」
よく見れば武士、というよりも町人風。よく喋る口は笑うと八重歯が少し見え、ザンバラ頭が目につく男だった。雰囲気はちょうど、原田に似た感じで。
「六番隊…ってぇと、あの本庄宿で色々あった組かな」
「そうです」
「ああ、もしかしてあんた」
神代は総司の顔を覗いた。
「やっぱり。あの時炎に手を突っ込んだ奴だな」
「あはは…よく覚えていらっしゃいますね」
「うちの先生が感心していたぜ。あ、根岸友山っていう先生なんだけど。『炎に右手を入れるなど、浅はかな行動としか思えんが、師を思う心は立派』ってさ」
「あはは…私も大目玉くらいました」
根岸、という名にあまり覚えがなかったので総司は軽く微笑して話を流した。
「沖田…くん、呼びにくいな、総司でも良い?」
いやに慣れ慣れしいが、神代という男はどうも総司には好印象で「いいですよ」と簡単に許した。
「総司は江戸の人?」
「ええ、江戸の試衛館というところの門人です」
「しえいかん…」
「ご存じないでしょう。町はずれの道場ですから」
総司が苦笑すると神代は「いや、俺が不勉強だから」とフォローする。
「俺は水戸の出だ。年は…きっと俺の方が上だろうなぁ」
神代が苦笑した。年は総司の方が四歳若く、神代は二十五歳だった。
「いやぁ、それにしても別嬪だね、総司」
「別嬪と言われても嬉しくないんですけど」
「うちの先生も言ってたよ」
「先生って…」
「うん、五十五歳」
神代の師、根岸友山。彼は浪士組で最高齢の小頭でもあったりする。
「根岸先生はさ、名家の出で、北辰一刀流を学んで、学問のほうも収めてる。俺みたいな馬鹿にもちゃんと学問と剣術を教えてくれて身分に分け隔てなく接してくれるできた人なんだ。一揆に加担してちょっと謹慎をくらってたんだけど…とにかくすげぇ人なんだ」
 「なるほど…」
 神代の顔が生き生きとしている。本当にその先生を尊敬しているのだろう。その後も根岸から教わったという異国の話や道中のふざけ話を軽く話す。げらげらと笑う様子は、原田と共通するものがあり、とにかく総司には話しやすい相手だった。
でも下ネタを挟んで来ないあたりで原田とは違う。
やがて新徳寺、八木邸の前に着いた。
「ここです」
「いやぁ、本当にお向かいなんだねぇ」
神代は気付かなかったな、と照れくさそうに笑った。
「じゃあここで。なんか、折があったらよろしく」
「こちらこそ」
最後に握手を交わそうと、総司が差し出した。神代も差し出し手に触れた、と。
「うわっ」
油断した総司のその手を引き寄せて神代が総司を抱き込んだ。そしてあろうことかその唇を重ねたのだった。
「んっ…」
軽く触れる程度で神代は総司から離れた。
「ご愛敬、ご愛敬」
神代はくすっと笑って、総司を離した。
「か、神代さんッ」
「異国ではよくするらしいよ。挨拶かわりに口付けなんて。これも根岸先生の受け売りなんだけど」
「そ、そうゆうことじゃなくて…ッ」
「まぁそそられたって言うのもあるけど、ご愛嬌ご愛嬌」
「~~~ッ」
神代はご機嫌に手を振って新徳寺に入っていった。



 46
文久三年二月二十三日。
江戸からの長旅を経て、疲れきった浪士たちだったが早速新徳寺にて集まりが開かれた。そもそもこの浪士組を組織することを献策したのは、出羽庄内出身清河八郎である。清河は一同の主だけを集め、この場でとんでもない謀反を起こすこととなる。
飼い犬に手を噛まれるというのは、まさにこのことだ。


と、その前に。
総司がぱったり八木家の玄関で出会ったのは土方である。
同じく浪士組に参加している神代仁之介を新徳寺まで送っていったところだったのだが何故か土方の表情は不機嫌だった。
八木家の玄関にもたれ掛かって、総司の帰りを待っていたように見える。
「よお、遅いな」
「土方さんこそ、こんなところでどうしたんです?みんなは帰ってきたんですか?」
総司がひょいっと中を覗くと、明るい声が聞こえてきた。
「晩飯の時間だからお前を捜してたんだよ」
「あ、ごめんなさい。ちょっと話込んじゃって…」
「…知り合いか?」
「え?」
土方は神代の事を示唆して言ったらしい。
「…いえ、初めて会った人です。向かいの新徳寺の場所がわからなくて案内していたんです」
「へぇ?初めてあった奴に口付けされたのか」
「?!」
総司は思わず真っ赤に顔を染め、後ずさった。
「み、見てたんですか?!」
「見てたんじゃなくて、見えたんだ」
「どっちも同じですよッ!挨拶だって言ってました。深い意味なんてないんですよきっと。」
総司はガックリと肩を落として、「みんなには言わないでくださいよ」と言ったのだが、土方の不機嫌は別の方向を向いている…というのにはもちろん気が付かない総司である。

さて、そんなこととは露知らない近藤を除く試衛館食客達。
さっそく酒盛りに、同じ八木家に居候する平山、平間そして野口を招いて大宴会を始めた。総司としては旅の疲れもあって休みたい、というのも本音だがそんなことを言い出せる雰囲気でもなく、仕方なく付き合うことになった。
総司は隣に座る山南に尋ねた。
「近藤先生はどちらに?」
「ああ、新徳寺に。何だか急に…この浪士組の創始者である清河さんから招集がかかったようで」
「へぇ…」
総司は清河についてあまり良いイメージを持っていなかった。
というのも浪士組出発直前に伊庭の
『浪士組を提案した清河という男なんですが。根っからの尊皇思想の持ち主だと聞いています。そんな清河が幕府のために浪士組を結成させるなんて…。ちょっと不自然ですからね』
という意味深な言葉を聞いたからだ。そして一緒に聞いていた土方もあまり良いイメージは持っていないはずである。
「…そもそも、これからどうなるんですか?」
「おそらく京の地理に慣れるまで、ここに滞在するでしょう。将軍警備についても色々役目がありますし…。しばらくは楽しく過ごせそうですよ」
山南に微笑みに、幾分か総司は安心した。

だが、それはつかの間の安心に過ぎなかったのだ。

「何だって…?!」
一番激昂した声を上げたのは土方だった。
新徳寺で行われた会合から帰ってきた近藤の顔は、困惑で青ざめとても落ち着いている風ではなかったのだ。
「…これから、江戸に帰る」
「えええ?!」
別の方面で驚いたのは原田だけで、あとはその事実に素直に驚いた。
「なんでそういうことになるんだよ」
「『我らは将軍警護のために京に参ったのではない。天皇を敬い、攘夷の魁となるために参ったのだ』…と」
近藤が一層困惑している。だがそれ以上に困惑どころかよくわかっていないのが総司である。だが勘の鋭い土方はすべてを察ししたようで
「……やられたな」
とため息を付いた。伊庭の推測と合わせて、勘付いてしまったのだ。
「…幕府の力を使って浪士を集め、それを横取りするかのように『尊皇攘夷』に利用する…」
山南が呟く。そして藤堂が付け足すように
「幕府にとっては寝耳に水、ということですね」
と、言う。
「詳しい説明は明日…ということだ。署名なども併せて行うとかで皆に言い含めておくようにとのことだった」
「おい、かっちゃん!!まさかお前、清河のいいなりになるつもりじゃねぇだろうな!」
「だが、歳。俺の持論とて『尊皇攘夷』。清河さんの言っている事がわからんでもない。やり方が姑息であることは重々承知だ。だが…」
「……」
土方がいき詰まった顔をした。
土方としては姑息なやり方で、まんまと騙されたのが悔しいのだが『尊皇攘夷』論は今や国民誰もがもつ持論である。天皇を敬い、領土を侵す異国を追い払う。それを清河が主導するというのなら、それに加担するのも有りだ。
「これは余談だが、同じ組だった芹沢さんも今回の件に関しては、気に入らないにせよ、思想は同じとのことだ。」
「芹沢さんは水戸のご出身ですからな」
永倉が腕を組んで大きく頷いた。
芹沢ら出身の水戸藩は江戸幕府御三家の一つである。その水戸藩で若者が学ぶ学問が水戸学という。徳川光圀がはじめた『大日本史』の編纂のため発達した学問だ。
水戸学は幕府の在り方に、半ば批判的な学問で『尊皇攘夷』の思想が発達したのも
水戸出身の者達からであると言われている。
 なので芹沢が尊王攘夷に固執するとすれば当然なのだ。
 しかし、試衛館は違う。
「俺としては、幕府の意向に背くことは士道に反すると思っている。清河さんの尊王攘夷が日本国のためになるのだとしても、幕府側としては筋の通らない話になるだろう」
 近藤に対して、山南は冷静だった。
「…結果として、幕府を裏切るという行為が許されるかどうかでしょう。それを幕府が了承するなら、清河の活動は公のものとなります。山岡さんに意見を請うのも良いのかもしれません」
 いつもは茶化す原田さえも深刻な表情で話題に参加する。
「俺的にはやっぱり納得いかねぇことがある。京に来たばっかりなのに、帰るってのは納得いかねぇし、それが将軍様の命令じゃないのなら、聞く必要はないんじゃないのか」
「だが…」
 試衛館の面々が張りつめた空気で意見を交わすなか、「奴はやっぱり狸だったんだな…」とつぶやいた土方の横で「よくわからないんですけど」総司が首を傾げると、土方にカツン、と頭を叩かれた。

既に夜遅く、『話はまた明日にしよう』という近藤の計らいでその夜は皆、床に入った。だが、彼だけは布団に入らなかった。
「…土方さん?」
「何だ、起きてたのか」
厠帰りの総司は目を擦りながら、縁側にいる土方の傍に座った。二月にしてはよく冷え、総司は被っている羽織を一層強く握りしめた。
「…何してるんですか?お得意の句でも?」
「馬鹿。こんな時にそんなことできるかよ」
土方が不意に空を見上げた。真っ暗な夜である。
「…お前、覚えてるか?」
「え?」
「…前に、俺は死んだ後星になりたいって、言っただろ?」
「ああ…」
あれは確か浪士組の話がやってくる前の事だった。二人で餅を食べながら空を仰いで、星を指さしたのだ。
「一等に輝く星になるのも良いが…。かっちゃんよりも輝くことは俺の望みじゃねぇ。むしろ俺はその後ろで光を放ち、かっちゃんをもっと輝かせてやりたい」
「土方さん…」
今夜の空にはない、星を想像して総司は見上げた。
「…だから、これからが勝負になる。かっちゃんが清河に順って江戸に帰るというなら…俺もついていくしかねぇ。だが、俺は納得いかねぇ。あの男のやり方も…」
「…そうですね。私も良くはわからないけれど、筋が通らないというのはわかります」
「だから、俺はかっちゃんの決断を待つ。その決断に従う。そしてうまく立ち回って、あいつを輝かせてやる」
固い決心を秘めた土方の瞳以上に輝かしいものがあろうか。
ああ、この人は今少年の頃の夢に心時めかせているのだ。
それにしても…とロマンチストな土方の言い分に、総司は苦笑した。
「恥ずかしい台詞ですね」
「うるせぇ」
「…大丈夫です、私もちゃんとついて行きますから」
「ふん」
ぶっきらぼうな土方の様子も、照れ隠しなのだと、総司は知っていた。

「…ああ、そうだ。総司」
一足先に寝所に戻ろうとした総司に土方が引き留めるように声をかけた。眠気で気怠い身体を土方に向け「なんですか?」と問うた。
「…いや、なんでもねぇ」
「はぁ…」
歯切れの悪い土方の返事に首を傾げつつ、総司はおとなしく寝所に入った。規則正しい寝息を立て、すぐに夢の中に墜ちた。

星がいやに輝く、そんな夢を見た。
47
文久三年二月二十九日。
清河による新徳寺での力の籠もった演説が行われたのは、この日のことである。


話は少し戻って、二月二十四日。
新徳寺に集まった浪士たちの目の前で、まず首謀者である清河八郎は「我々が上京した事を帝にお知らせするためにこの書面に署名を」と求めた。
「我々の忠誠心を示すためにも、この場で血判を押してもらえればと思う」
と語気を強め、結局試衛館一同も血判を押した。それは勤王の志であることは、間違いではないからである。
幕府が権力を成して二百年とはいえども、やはり天下の神は天皇である。
反感と疑惑を持ちながらも、このことに逆らえず書面に血判を押した浪士は多い。だが、その書面の真意は、先日近藤ら浪士の一同の主に伝えられた通り
『幕府の意に背き、我らは帝の軍として尊皇攘夷の魁になる』
という署名文だったらしく、既に学習院から朝廷に行き渡ってしまった。幕臣達は驚きはしたものの、なんの打開策もなくただただ爪をかじる。
つまり、清河からすればしてやったり、と言ったところか。

「……納得いかねぇ」
囲炉裏を弄りながら、土方がブツクサと呟いた。傍らにいる総司は尋ねる。
「清河さんが気に入らないって?」
「あんな狸野郎について行く道理も義理もねぇ。あいつについて行くってことはあいつが大将だってことだろう。気にくわねぇ」
本当に嫌いらしい土方は顔を顰める。
「でも、言っていることは最もなんですよね」
「そこが気にいらねぇってんだ」
「…どうしようもない」
総司は苦笑した。

さて、二月二十六日。
清河が朝廷と交渉を行っている最中とは露知らない浪士たちは、悠々自適に京を満喫していた。もしかしたらすぐに京を離れることになるかもしれないと、みな祇園へ繰り出していってしまったのだ。なので昼に屯所にいるのは総司くらいなもの。   土方さえも不機嫌なままだが遊びに行ってしまっている。
そんな総司は、突然の来客に驚いた。
「神代さん?」
八木家の女中の知らせで玄関に駆けつけると、そこには先日であった神代仁之介が待っていた。
「久しぶり」
「はい。お久しぶりです」
「今日は一人?」
神代は挨拶そこそこに家を覗いた。
「はい。みんな出払っちゃって…。もしかしたら江戸に帰るかも知れないから今のうちに遊んでおくとか何とか言って…」
総司が苦笑して答えると、神代も笑って
「そういやぁ、うちの連中もそんなこと言ってたな」
と言った。

八木邸の隣、壬生寺は広い境内に子供が集う賑やかな場所だった。神代と総司はそこに場所を移した。
「血判は押しましたか?」
総司が尋ねると
「押したことは押したんだけど、よく意味がわからないっていうか…」
と神代は頭をかいた。
「俺はそんな思想とか志とかがあったわけでもないし…。剣術ばっかりしててろくに勉強何てしてないからさ、学がないっていうのかな。でも先生の行くところならどこへでも行こうと思ってたから…」
もしかしたら似ているのかも、と総司はふと思った。
今回の清河の一件でも自分にはよくわからない、けれど近藤や土方について行くのはもう心に決めたことで…この先もきっと変わらない。だから血判にも従った。
「総司は何で京にきたわけ?」
「……私も似たような感じです。先生のお役に立てればこれ以上に望むことはないんです」
総司は二月の青空を見上げた。ゆっくりと流れる雲が、試衛館のあの空と相違なくて少し嬉しい。
「じゃあ俺たちは似たもの同士ってことだな」
「あはは」
神代も空を見上げた。


そして、二月二十九日。新徳寺に集まった浪士たちに、清河は堂々と告げた。
「我々は将軍警護のために京に参ったのではない。
 帝を奉り、尊皇攘夷の魁とならんとする。これが我らの意志であり、行く道でもある。将軍家茂候の御上洛の意味は、公武合体を決意し国を挙げての尊皇攘夷を務めることを図るもの!ならば我らは将軍家茂候の警護などをすべきではない。 いや、している場合ではないのだ。蛮人、蛮国の船はもう港にまで近まり、我らの滅亡への時間は迫っている!諸君!我々は帝のご意志を真っ先に実行すべく、江戸に帰る!!……ご異存はあるまいな!」
だれも歓声を上げるものなどはいない。
皆、困惑し混乱している。幕臣達は狐に摘まれた心地で、拳を握りしめ震わせている。
「…どういうことなんです?」
総司は隣にいた山南に尋ねた。温厚な山南でさえも顔を歪めて
「これは…酷い」
と呟く。意味のわからない総司は首を傾げるだけで辺りの浪士たちもそれに等しい。学のないものにはわからないように、わざわざ難しい言葉で言っているという意図は見え見えなのだ。

「…近藤さん」
土方は前に座っている近藤の袖を引いた。
「俺は納得いかねぇ。それに、あいつを大将だとは思えねぇよ…そうだろ、かっちゃ…」
と、言いかけたところで遮られた。近藤が堂々と立ち上がって高らかに叫んだのだ。
「異存あり!!」
と。
しばらくの沈黙ののち、面食らった清河が
「君は…試衛館の近藤君だね」
と言う。近藤の激昂は収まらない。
「今の清河先生の言い分、納得いきませんな!我らは将軍警護のためにここまで参ったのです。将軍が御上洛なさっていないうちから、江戸に戻るなど、道理に合わない!それならば将軍が上洛されたのち、その命を受けて江戸に帰るというのが筋ではないのか!」
「……ぬ」
清河の顔が歪む。
「それに先生のその将軍を蔑ろにしたものの言い方も、どうかと思われる!我らは所詮、浪士なれども元はと言えば将軍に恩ある身であるはず!」
実直な近藤の言い分は尤もで、清河は顔をさらに顰める。そしてさらに後ろにいた土方が立ち上がり
「…清河先生は我らを美味いように騙したつもりのようだが、そうはいかねぇ」
と睨み付けた。
「我々は京に残り、警護を務めさせて頂く!」
近藤は大きく告げた。その言葉に浪士たちは唖然とし、ざわざわと騒ぎ始めた。
だが、ここで意外な展開が起こる。
「じゃぁ、俺も残ろうか」
とのっそりと立ち上がったのは近藤らよりも少し後方に座っていた芹沢鴨である。
「芹沢先生…!」
清河が驚きの表情を見せる。
「せっかく京に来たっていうのに、お前さんの言うことばかり聞いてこのまま帰るだと…?この芹沢を舐めてもらっては困る。我々は我々のやり方で、ここに残ることにする」

「…勝手にされるがよい…」
しばらくの沈黙の後、清河はそう答えた。
「思想は様々。それを否定しようとはおもわん。京に残るならそうされればよい」
…本音はたった数人抜けようとも、構わない。それに問題児とも思える芹沢が抜けてくれるなら本望と言ったところか。
「…行くぞ」
土方の声かけで試衛館の食客達が立ち上がった。
近藤、土方を先頭として総司、山南敬助、原田左之介、永倉新八、藤堂平助、井上源三郎。そして水戸出身からは芹沢鴨を筆頭に新見錦、平間重助、平山五郎、そして野口健司らが新徳寺を出て、八木邸に集まった。

さてこの日、こうして壬生浪士組の原型となるメンバーが、新たな一歩を踏み出したことになるのだが、この先の不安をぬぐえないでいたのも、また事実。彼らはこの日、幕府という後ろ盾を無くしてしまったのだ。



48
文久三年三月十日。彼らはさっそく現実という壁に、ぶち当たったのだ。

「あー、腹減った……」
朝起きて、開口一番に呟く。そして原田は土間の戸を開いた。
「あ、おはようございます」
土間で井上源三郎と共に朝食の支度を準備していた総司が笑顔で挨拶するが原田は不機嫌そうに
「なんかくいもんはねぇのか~?」
と総司達の作る食事を覗く。
「げ、粥?!」
原田が眉間にシワを寄せる。
「我慢してくださいよ。原田さんを始め、みんな女遊びにお金を使ったり何てするから結局、私と井上の伯父さんしかお金が無いんですから」
「…まさか、こんなことになるなんて思わなかったんだよ」
原田は言い訳のように、口を尖らせた。そして目の前の置かれた粥を、一気に飲み干した。

つい、先日。近藤が啖呵を切って清河八郎に反発した。
清河の将軍を蔑ろにするその態度、そして目的も果たさぬまま江戸に戻るという事実。そのどれもが幕府に対する「裏切り」であり、天領の地に生まれ育った近藤がそれを受け入れないのは当然のことだった。
だが予定外に、芹沢鴨率いる水戸の者達が加わった。本庄宿での一件もあり、土方には相容れがたいことだったが志同じとなれば、断る理由もなく試衛館一門、水戸出身の数人は京に残ることになったのだ。だが、同時に後ろ盾を失ったのも事実である。この先の不安を、今抱えていた。
しかし、相変わらず彼らは八木邸に留まっている。この清河の演説を聴いた八木源之丞は「これで邪魔者がいなくなる」と心底安心したのだったがこういう結果になってしまい、彼ら以上に先の不安を感じていた。後ろ盾を失った彼らの食事代を、誰が払うというのだろうか。
と、いうわけで彼らの飯は提供されない。
薄い粥をお膳に、皆が集まった。
「……さて、どうしたものか」
近藤が重い口を開く。自分が啖呵を切ったせいか、大きな不安を抱えているらしい。
「まず、我らの身分をはっきりさせなくてはいけません」
「身分…」
山南の最もらしい言葉に、近藤が頭を抱える。
「身分と言っても…俺は農民出身だし…」
「そういうことではなく。我らが組織を作りその組織がどこの召し抱えになるか、ということです」
山南はそう諭した。
「組織?」
総司が首を傾げると、山南が丁寧に答えた。
「我らがどのような目的で、どのような活動をするのかということです。その内容によって召し抱えられる場所が違うでしょう」
「はぁ…」
こういう難しい話は入っていかない方が無難だ、と総司は心で呟いて粥を啜った。八木さんがくれた梅干しが酸っぱい。
「目的は将軍警護だろう」
「とりあえずはそういうことになります」
「……会津だな」
粥を間食したらしい土方が、言った。
「アイヅ?」
「京都守護職松平容保様だ。もともとは会津藩の藩主だが、この京の混乱に応じて京都守護職に就かれたんだ」
「へぇ…」
会津という場所を聞いたことはあるのだが、行ったことがない総司は未知の異国の名前のようだ。もっとも土方などは行商で行ったことがあるに違いない。
「…なるほど、京都守護職と言えば都の警備」
「ああ。その召し抱えになれば俺たちのやりたいことが出来る。上洛される将軍様の警備を担当するのも会津になるはずだ」
土方の目は冷静でいながらも輝いていた。まるで少年のように。
そ の様子に気が付いたのは総司だけのようで、総司は感づかれないように忍び笑いをした。この人を武士にしてあげたいと、ふと思う。その後、近藤の提案で浪士組責任者である、鵜殿に話を通してみることになった。


「芹沢先生はどこに行ったんですか?」
薄い粥を平らげ、暇そうに軒先で寝ていた原田に総司が尋ねた。
「あ?んなの、知らねぇな」
「…金を借りに行かれたらしいですよ」
総司の後ろで正座をして、話を聞いていたらしい藤堂が代わりに答えた。
「金?」
「近藤先生と土方さんは実家へ仕送りを頼んだらしいのですが、芹沢先生はそういう宛がないらしく豪商の元へ行って、金を借りるとか…」
藤堂が困惑気味に続けて
「でも貸してくれるところなんてないでしょう」
「……どうするんだろ、芹沢先生」
「んなの、『拙者は報告の志ある者なり』うんたらかんたらだろ」
原田が芹沢の声をまねて言う。
「だろうな」
冷静に判断を下したのは永倉だ。原田の方が年上なのだが、どうも永倉の方が年上に見えるのはこの冷静沈着さか。
「芹沢という男はそういう奴だ」
「……へー」
総司は半ば信じられないような、現実味の無い返事をした。


「お邪魔します」
八木家の遠い玄関から、男の声が響いた。遠く離れた居間にいた総司だったが、その声の主がわかった。
「知り合いか?」
原田が問うと「はい」と短く返事をして、総司は席を立った。

「神代さん」
「ああ、総司。いたいた」
笑顔を向けた神代は、一人ではなく大勢を引き連れていた。隣にいるのは初老の男。
「どうしたんですか、浪士組は江戸に帰られるのでは…」
「そう思ったんだけど、俺たちも残ることにしたんだ」
「え?」
総司が理解する前に、神代の言葉を遮って
「近藤先生はいらっしゃるか」
と初老の男が総司に聞いた。

あいにく近藤は鵜殿の元に土方と共に向かっており、話が出来そうなのは山南のみだった。初老の男は根岸友山。以前神代が「先生」と異称して話した人物でもあり浪士組最高齢参加者、でもある。
その他諸々の門人らしい男達は、皆無骨で堅実そうな顔をしていた。伊庭道場の門下生たちを思わせる。
「清河八郎の申すことも立派なれども、我々とは志違う。あの時は思わず言葉に詰まったものの、我々は京に残ることを決めた」
山南が「なるほど」と頷くと
「我々もお仲間に加えて頂きたい」
と根岸が小さく頭を下げた。
「山南さん、どうしましょう?」
総司が横目で尋ねると、山南は穏やかに頷いた。
「今我々にとって大切なことは、信頼と大きさです。どんなに私達が信用を得たとしても、人数が少なくては活動の場が狭まる」
「なるほど」
山南の頭の切れ味に総司は感服してしまった。
どこかの誰かさんはきっと
「あ?入隊だって?認めねえな。俺たちにじーさんはいらねぇ」
と追い返しそうな感じだな、と思わず笑ってしまった。

「悪ぃな、なんか押し掛けてしまったみてぇで」
縁側で、神代が頭をかきながら申し訳なさそうに苦笑した。
「ううん。山南さんが喜んでたからきっと大丈夫。近藤先生もきっと許してくれると思うけど…土方さんがなぁ」
総司が苦笑すると、神代は首を傾げて「土方さん?」っと聞き返した。
「もしかして、こーんな顔の人?」
「あ、そうそう」
神代が顔をまねて見せた。最近は眉間にシワを寄せていることが多いので、神代もシワを寄せたらしい。
「あの人、この間睨まれた」
「え?」
「何でだろ。俺なんかしたかな」
「さぁ…」
総司でさえも気が付かなかった。
「この間新徳寺に集まった時も、すんげぇ形相で睨まれてさ」
「き、気にしない方がいいと思いますよ」
総司が笑ってごまかすと「そうかな」と神代は苦笑する。
総司側から言えば、土方が神代を敵対視する理由もいくらか思い当たることがある。そういえば神代と初めてあって、八木邸に戻ってきたときの土方の顔も不機嫌そうだった。
「…気にしない方が…」
と、もう一度自分に言い聞かせた。


「会津お抱えが決まった!」
近藤が高らかに宣言すると、不在の芹沢一派以外の男達がざわめいた。
総司もその中の一人である。この度の会津お抱えは、浪士組責任者鵜殿の計らいで実現したもので、会津藩主松平容保が興味を持ったことがきっかけである。
近藤は嬉しそうに
「我らの役目は将軍警護!明日より数組に分かれ、洛中の見回りを開始しようと思う!」
「おう!」
男達が拳を振りかざす。

近藤の隣で土方が、満足そうに微笑んでいたことに総司だけは気が付いていた。

49
「……なんやら、人数が増えてるんやないか」
八木家の主人が、ため息混じりに呟いた。三月十三日のことである。


「…なんでじーさんがいる」
土方が不服そうに呟いた。春の日差しが眩しい昼間のことである。隣にいた総司が腰に手を当てて答えた。
「今は人数が多い方がいいんですよ。信頼を得たとしても人数がなければ思うように動けないでしょう?」
「山南の受け売りだな」
「…なんでわかるんです」
自信たっぷりに答えたのだが、土方にはお見通しだったらしい。
土方には神代を含む、根岸友山一派が居残り組に加わったことが大いに不服らしい。それに神代のことも嫌っているようで、総司は内心ハラハラしている。
「今は分裂とかしてる場合じゃないんですからね。仲良くしてくださいよ?」
「お前に言われるまでもねぇ」
「ならいいんです」
ふん、と鼻を鳴らして土方がそっぽを向いて横になった。

この日、清河の画策通りに浪士組は江戸に帰還することになった。見送りに行ったのは近藤と山南だけである。土方は「ぜってぇ行かねぇ」と勝手に居残りを決めた。


「総司」
厠帰りの総司に声をかけたのは、神代だった。甲高い声が良く響く。
「ああ、神代さん」
神代は稽古着に汗をかいていて、顔がとても火照っていた。
「これからの交流も兼ねて、稽古をしてたんだ。何にもしないでいると腕が鈍るだろ?総司もどう?」
「だれとしてたんです?」
「原田さんに…永倉さん。藤堂くんかな。永倉さんはめっちゃ強いね。藤堂君もなかなかいい剣筋だし。原田さんは…いまいちかな」
神代らしい素直な評価に、総司はクスクス笑い、「原田さんは槍専門なんですよ」と答えた。
「そうそう。そんなこと言ってた言ってた。あと腹の傷も見せてもらっらぜ」
「あ、それは挨拶なんですよ。原田さんの」
神代は大声で笑った。

神代に誘われたこともあって、総司も稽古着に着替え隣の壬生寺に向かった。壬生寺の境内は試衛館よりも広く、稽古をするには最適の場所だった。
「おお、総司!」
大きく手を振ったのは原田だ。珍しく竹刀を振り回していたようだ。
「原田さん、どうしたんですか。稽古なんて珍しい…」
「この神代に負けたからな。ちったぁ、こっちも鍛えとかねぇと」
ぶんぶんと竹刀を振り回してみせるが、あまり形になっていない。
「そうだ、総司の立ち回りを見せてよ」
神代が総司に言った。
「え?」
「よく考えたらこのなか、天然理心流の人っていないんだよね。それに総司は強いってみんな口を揃えて言うから」
総司は辺りを見渡す。永倉は神道無念流、藤堂は北辰一刀流、原田は論外の槍である。確かに純粋な天然理心流はいないようだ。
「その年で塾頭だったって聞いたけど」
「まぁ…」
神代が強引に竹刀を渡した。
「俺も少しは腕には自信があるんだ。立ちあおう」
「……いいですよ」
神代はにまり、と笑った。

師である根岸友山と同じく、神代は北辰一刀流の使い手である。その竹刀の様子は、藤堂や山南に似ていてどこか畏まった感じがする。切っ先を揺らし、神代は総司に竹刀を向けていた。一方の総司は青眼に構える。
「やっ!」
という神代の一言から竹刀の撃ち合いは始まり、その激しい音は壬生寺の境内中に聞こえた。
物陰で遊んでいた壬生の子供達が、真っ青になって境内出ていく。総司は本気だった。これは稽古ではない、試合である。
「…やぁぁぁぁ!」
一町に聞こえるだろう声を上げて、神代は総司の脇を狙ったがそれは総司には分かり切ったことだった。
「あ」
と試衛館出身のものは気付いた。だが、神代がそれに気付くはずがない。
まず一突き。甘く入ったその突きを神代は軽くかわし、次に来た突きを竹刀で受け止める。これで一歩引き下がるだろうと思ったすぐ後に、信じられないような速さでもう一度突きが襲った。
「ぐぁッ!!」
神代はその突きをまともに受け、その場に倒れ込んだ。総司の三段突きである。
「か…!神代さん!!」
総司が駆け寄ったときには既に意識はなかった。
「あーあ…」
やっちまったな、と原田が総司の肩を叩いた。
「すみませんっ、思わず本気で…」
 見学のものたちが神代に駆け寄って介抱するなか、
「総司」
もう一人、総司、と呼び捨てで呼ぶ男が境内を通りかかった。
「芹沢先生…?」
芹沢鴨である。周りの取り巻き達とともに酒を飲んでいたらしく、耳朶まで真っ赤に染めている。「尽忠報国」と書かれた鉄扇を軽く扇いで
「見事だった」
と、総司を賞賛した。先程の立ち合いを見ていたらしい。
今のところ、芹沢鴨との確執を感じているのは実は、土方だけである。永倉は同門であることから初めから好意を持っていたし、藤堂も過去のことを気にするような小さな男ではない。原田は原田で激情型なので、その日のことはきっともう忘れているだろう。逆に威勢のいい芹沢を面白がっているようにも見えるときがある。
「ありがとうございます」
総司は小さく頭を下げた。総司はと言えば苦手意識が染み付いてしまっている。
その様子を不満に思った取り巻きの一人、新見錦は「芹沢先生は神道無念流の免許皆伝である。」と、「だから感謝しろ」と言いたげな言葉を投げかける。総司は内心ムッとしながらも「お褒めに預かり光栄です」と付け足した。
「若者は威勢があって良いな」
「芹沢先生もいかがですか?稽古をしなければ腕が鈍りますよ」
「ふん。不要なことだ」
芹沢は微笑して、次の瞬間には総司の耳元に口を近づけ
「そんなことよりも、今日の夜は暇か」
などと聞いた。総司は
「なぜそんなことを聞くのですか…?」
としらを切る。だがそれが気に入らない芹沢はさらにあからさまに
「……寝所への誘いを言っているのだ」
と呟いた。
「…ご冗談を言わないでください。私は男ですよ」
内心ハラハラしながらも総司は笑った。平気なフリをするのが一番いいのだろうと思った。
芹沢は本庄宿のあの一件の時も同じような台詞を言って、総司を困らせるのを楽しんでいるのだ。総司自身気がつかない彼の妖艶に、芹沢は気がついているのだが
まさかそれを総司が知っているわけが無い。それに、自分は男である。
「……ふ、まあいい」
と軽く肩に触れ
「楽しみは…とっておくものだからな」
と意味深な発言をして総司から離れ、境内からも離れていった。
屯所の方に向かう様子はなく、どうやらまだ飲みに行くらしい。
「……しかし、あの金はどこからきているんだろうな」
永倉は不思議そうに呟くが
「なに、押し借りでもしてるに決まっている」
と、原田が一発で答えた。
図らずしも、それは正解だったりする。


それはさておき。
「……なんだって?」
「殿内義雄という男だが、知っているだろう。今は芹沢先生についている…」
近藤がさも深刻そうに話を進めた。
江戸に帰る浪士組を見送りに行った近藤だったが、その時に殿内という男がその見送りを志願したらしい。近藤は何の躊躇いもなく、連れて行った、ということだ。
「殿内…。あぁ、あの河童のようなヘタレ顔の」
「歳…」
そういう言い方もないだと、と近藤は苦笑するがすぐに元の表情に戻る。眉間にシワを寄せて、目を伏せる。
「その殿内が…浪士組の重役と話をしているのをみてな」
「はぁ?殿内はなんかの小頭だったかよ」
「いや、平だ」
近藤が言わんとしている事に、土方は気が付いた。
「……間者の可能性があるってことか」
「いや、俺の見間違えかもしれん。事を荒立てるなよ」
「わかってる」
土方は小さく頷いた。そういう仕事は俺のだ、と心で繰り返した。



50
「壬生の…八木邸はどちらですか」
清々しい朝。畑仕事へと向かう老人に住所を尋ねる男がいた。一見、無愛想な二本差しだ、と思った老人だったが丁寧に答えた。
「へぇ……ここを真っ直ぐ行って、左にまがったとこです。あそこは今、ミブロゆう、なんやけったいな集団がおりまして…」
「みぶろ?」
「へぇ、壬生浪士組」


会津肥後守松平容保お預かりの身分となっても、八木邸での生活はかわらなかった。20名以上の日々の生活のやりくりは、山南がいつも頭を巡らせていた。もちろん雇い飯作り女などはいない。八木の奥様が手伝ってくれてはいるものの、よい顔をするわけもない。そんなわけで隊士たちが当番制で、台所に立っていた。
今日は神代と総司、そして芹沢派だが総司には親しい野口が担当だった。
「うわ、野口さん!ちょっと漬け物大きく切りすぎですよ!」
「え?でも沖田さん。これくらいじゃないと、歯ごたえがないじゃないですか」
慣れない包丁で野口が切っていたのは、京菜の漬け物だった。せめてものおかずに、と妻女がくれたものだ。
「いいんですよ、歯ごたえよりも数がある方が。薄く切った方が多く見えるし」
細かく注意したのは総司だ。
「へぇ、総司。なんか手慣れてるなぁ」
感心した風に総司を眺めるのは神代だった。
「慣れてるって言うか、試衛館はいつもこうだったし、あんまり生活も変わらないですしね」
何よりも自分は最初は下働きで試衛館を訪れた。試衛館を切り盛りしていたふでは、それはそれは厳しい人だったから一通りの家事はできるつもりだ。そういえば日野の生活も似たようなものだったような…。
「……貧乏神なのかも……」
「え?」
「な、なんでもないです」
総司は、野口が切った京菜の漬け物をもう半分に切って皿に並べた。数は倍加し、皿のそこが見えないくらいにはなった。
「よし、みそ汁も出来たな」
「沖田さーん、飯はこれくらいでいいんですか?」
「はいはい今行きますー!」
調理は最終段階に入った。

「今日は芹沢先生と、近藤先生はお出かけでしたっけ。お酒も少なめでいいですね」
八木家から拝借した皿を並べながら、野口に確認をとる。野口は頷いたのだが。
「え?そうなのか?」
と、聞き返したのは神代だった。
「今日は守護職の松平様にご挨拶に行かれているんです」
「……聞いてねぇなぁ」
「根岸先生は?」
「たぶん、知らないと思う」
神代が不満そうに答えた。
隊を実質、取り締まっているのは芹沢だった。
芹沢の一言で大体の話がまとまっていた。細かい業務や取り次ぎなどに関わっているのが近藤である。一方隊士を数名抱えて参加した根岸友山ら一派は、今のところ何の役割もない。
「ま、まぁ今のところは対した役目もないし。そのうち決まるんじゃないんですか?」
慌ててフォローしたのは総司だ。
総司でさえもわかっている。芹沢が根岸を必要としていないことを。それに土方もそんな風に言っていた。
「……なら、いいんだけどさ」
納得ができてないのだろう。不満そうな顔で、神代はお膳を運んだ。

「そーじ、おかわりー」
寝起き最悪の原田が、すっかり空っぽになった茶碗を総司に差し出した。八木家で食事をするのは試衛館一同と、芹沢一派だ。神代などの根岸一派は向かいの光縁寺に分泊している。
「原田さん。少しは我慢してくださいよー」
総司はほんの少しの飯を盛って、原田に突き返した。
「何だよ~…第一さぁ、この漬けもん、切ったのお前だろ?薄くて味なんかしねぇじゃねぇかよぉ」
原田はこうして文句を垂れるのだが、他の一同の顔は切実だった。
「金が支給されないのはつらいな。」
永倉が茶碗の最期の一粒を口に入れた。
「それに情報も入ってきませんからね。我々の仕事も漠然としたままです。今日の挨拶で、近藤先生は公用方の皆様と会うと言われていたんですが…」
ずずっと山南が味噌汁を口にした。味噌は大分薄くなっている。
「一寸先は闇。何が起こるかわらかないってやつですね」
藤堂が苦笑した。
 そして皆が食事を平らげる頃。訪問者があった。
「お食事中すんまへん。沖田はん、おいやすやろか」
滅多に入ってこない客間に、八木家の主人源之丞が顔を覗かせた。
「はい、」
「お客はん来てますんやけど」
「へ?」
お客、といっても知り合いのいない心当たりのない総司は首を傾げた。
「二本差しの……こう、無愛想な感じの。沖田はんのことを知っていらしたんで、玄関に通してます」
「わかりました、すぐ行きます」
まったく心当たりのない総司だったが、小さく頭を下げた。

 それは予想だにしない人物だった。
「斎藤さん?!」
玄関に向かってみると、笠を被った男が玄関にいた。この面差しに見覚えがある、としばらく見つめていると「あ!」と思い当たった。
「お久しぶりです。お元気そうですね」
あの時感じた「また会うだろう」という予感は、間違いではなかった。総司は驚きの余り、舌が回らない。
「どどど、どうしてここに…!」
「いろいろあって京に来て、あなた方のお噂を耳にしました。是非、私もお仲間に加えて頂こうと思いまして…」
「そ、それはもちろん構わないと思いますけどッ 今まで何をされていたんですか!あの日から本当に音沙汰なくて……」
「それは…ここでは言えません」
斎藤は口を噤んだ。
「と、とにかく上がってください。近藤先生は今出かけていらっしゃるんですけど…。 土方さんならきっとまだ寝てますし、みんなご飯食べてますから!あ、そういえば……」
「朝ごはん」と、言いかけたところでぐるるるる、という深い轟音が聞こえた。
「…お願いします」


「おお!斎藤じゃねぇか!」
一番声を荒げたのは原田で、そうだそうだ、と試衛館ゆかりのものが続けた。
「お久しぶりです、皆さん。お元気そうで……」
他人行儀な言い方に、原田がバンッ!と斎藤の薄い胸を叩いて
「なんだよ、一緒に雪かきした仲じゃねぇかよ~!」
「そうですよ、久々に会ったんですから。まぁまぁ座ってください」
「総司、くいもん、くいもん」
「はーいはい」
総司はちらりと芹沢一派を見た。やはりいい顔をしていない。やっぱり何かあったのだろうか。


「入隊に関しては異論ないぜ。一人でも「こっち側」に入ってくれるんなら、こっちから頼む所だ」
寝起きの土方は、目を擦りながら斎藤と面向かった。
「「こっち側」って……?」
仲介にいた総司が聞くが、土方は何も答えず
「まあ、食い物には多少困るが、雨風には困らないさ」
と斎藤を向く。斎藤も「ありがとうございます」と言って頭を下げる。総司だけがむくれて、土方を睨んでいた。が
「総司と同室でいいか。仲も一番よかったらしいじゃねぇか」
「ええ。そうですね。よろしくお願いします」
「はい!」
むくれていたことはすぐに忘れ、子供が菓子をもらったように総司は満面の笑みを見せた。斉藤とは最初うまくコミュニケーションが取れなかった総司だが、竹刀を合わせるうちに意気投合。その実、総司の剣術に及ぶのは斉藤くらいしかいないのだ。その笑顔に苦笑したのは土方だけではなかった。

「沖田さんは本当におかわりないようですね」
「あーそれ、馬鹿にしてるんですか?!」
自分の部屋に荷物を置き、八木邸を案内していると斎藤が苦笑して言った。斎藤の中ではあの時別れたままの 歳らしい。
「こう見えても少しは成長したつもりなんですからね~!斎藤さんは随分…大人びた感じなんですね」
私よりも年下なのに、と付け足すと斎藤は苦笑した。
「色々ありましたから。まぁそのうちお話しすることになるでしょうが。でも沖田さんがお変わり無い、ってのは褒め言葉ですよ」
「え?」
総司が首を傾げた。斎藤は笑ったままで「まぁ、忘れてください」と答えた。

こうして、試衛館のの皆が出揃うこととなった。




解説
なし
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