わらべうた




547


数日後、浅野は『金山福次郎』として初七日が開けた日に店を訪れた。
堂々と掲げられた『箭内屋』の看板とは正反対にしんと静まった店には、自慢の菓子は当然一つもなく時が止まったかのようで虚しい。
浅野がしばらく立ち尽くしていると、「すんまへん、今日は…」と奥から銀平が顔を出した。客がきたのかと思ったのだろう、銀平は浅野の顔を見て「福次郎はん…」と安堵の表情を浮かべた。
「…銀、すまないな、行商に出ていてすぐには来られなかった」
浅野はそう言い訳したが、本当は彼の前に顔を出しても良いのか躊躇っていたのだ。彼にとっては友人であっても本当は新撰組隊士だ…浅野自身の気持ちの整理がつかなかったのだ。
「大変やったな」
「うん…」
銀平は少し顔を伏せたが、すぐに「中入って」と奥へと案内した。店先へは何度か足を踏み入れたことがあるが、奥に入るのは初めてだ。
居住スペースである部屋と職人である父親が菓子を作っていたであろう広めの土間と台所があって、隅々まで綺麗に片付けられている。葬儀のためかもしれないが生活感がまるでなく、まるで誰もいないかのように息をしていない。
「位牌はこっちやから、線香あげたって」
「あ、ああ…」
浅野は戸惑いながらも部屋に上がり、位牌の前に座った。年季の入った小さな仏道の前にある真新しい位牌は父親のもので、その後ろにある小さめのものは母親だろう。こうして並べているのを見ると銀平がたった一人になってしまったのだということを思い知る。
「…」
浅野は線香の火を消した。ゆらゆらと立ち上る白い煙だけがこの静かな家で生きているように見えた。
手を合わせ、一息ついたところで浅野は銀平へと身体を向けた。
「…何があったんや?」
自分でも白々しい、と思いながらも尋ねる。しかしまだ何かの間違いではないのかという期待を捨て切れなかったのだ。
銀平は顔を顰めた。
「新撰組にやられたんや」
「…それじゃ、わからん。親父さんは新撰組に恨みを買っていたんか?」
「違う。…あの晩は、やっと風邪が治って、夜風が気持ちええから散歩に行くなんて親父が言い出したんや。『無理したらあかん』って言いかけたんやけど、まあそれくらいはええかって送り出したら…」
近所の住人が親父が頭から血を流し、呻き声を上げ倒れているのだと知らせに来たという。近くの医者に診てもらったが打ち所が悪くそのまま亡くなった。
「…それが、なんで新撰組やって…」
「親父が倒れていたすぐそばの店で、新撰組の奴らが飲み騒いでたんや。そのうち外でも喧嘩が始まって…そのあとすぐに親父の声が聞こえたって。知らせてくれた近所のおっちゃんが居酒屋で居合わせてたんや、間違いあらへん!」
「…」
目にいっぱいの涙を浮かべ、銀平が声を荒げた。くしゃくしゃになった顔は悲しさよりも悔しさが上回る悲痛なものだった。
銀平は続けた。
「役人にももう届けてる。新撰組にも伝わってるはずやのに…誰が親父を死なせたか、わからへん…悔しい…」
堪え切れない大粒の涙が銀平の�茲を伝い落ちる。それを両手で子供のように拭うが、しゃくり上げるほどの悲しみには追いつかずにポタポタと流れて行く。
浅野は咄嗟に銀平を抱きしめた。細く小さな彼は思った以上に小さい。
こんな小さな体で、こんな静かな家で、たった一人で苦しみ続けている銀平が哀れで仕方ない。
銀平は浅野の肩を涙で濡らしながら
「憎い…憎くて仕方あらへん…!」
と繰り返した。
明るく社交的な銀平から、憎悪の言葉が出るだけで浅野の胸を締め付ける。そしてそれがお前が憎いと言われているような気がした。

しばらくして銀平がようやく落ち着くと、少し照れ臭そうに浅野から離れた。
「へへ…なんか、ちょっとスッキリした。おおきに」
目元を真っ赤に腫らしながら銀平は少しだけ笑った。
「…これからどうするつもりや?」
「うん…とりあえずこの家は出ることになるかな」
「お前が継がないのか?」
浅野が尋ねると銀平は「まさか」と苦笑した。
「俺にはまだそんな腕は無いし…実は親父が寝込んでいる間に借金が嵩んだんや。働いて返さな…」
「…そうか…」
「ほんまは親戚から一緒に暮らそうって言われたんやけど…断った」
「なんでや」
「都を離れることになってまう。…それは、嫌や」
銀平の瞳に奥が暗く陰った。その意味が浅野にはわかった。
浅野は彼の細い腕を掴んだ。
「…お前、バカなこと考えてるんやろ」
「バカなことって?」
「…新撰組に復讐、や」
「…」
浅野は確信を持って尋ね、銀平は無言で返した。それは嘘のつけない銀平にとって肯定だった。
「お前のこんな細っこい腕で何が出来るんや。新撰組は人斬り集団やぞ」
「せやからっておめおめと引き下がれへん!せめて誰が親父を殺したんか、その顔拝まな、あの世で親父に顔向けできへんやろ!」
「その気持ちはわかる。せやけどお前なんて返り討ちにあっておしまいや」
「…っ、なんでそないなこと福次郎はんに言われなあかんのや!」
「俺だから言ってるんだ!」
「…?!」
思わず言葉の武装が剥がれた本音が溢れ、浅野はハッとした。銀平も驚いた顔で唖然と見ている。
「…泣き寝入りせぇとはゆうてへん。俺に任せてくれ」
「なんで…福次郎はんに」
「ええから」
浅野の説得に銀平は納得していなかったようだが、「わかった」とどうにか剣を鞘に収めてくれた。


「じゃあ、俺は帰る。お前はしっかり休め」
「わかってるって、福次郎はんもしつこいなあ」
銀平は浅野を送るため店先までやってきた。幾度となく休むように念押ししながら、がらんとした店を眺める。入り口近くに立てかけられた暖簾が寂しさを際立たせた。
「お前、もう菓子はつくらへんのか?」
「…師匠の親父がおらへんようになったんやから、もう…」
「この間の菓子は美味かったな」
河川敷で味見しろと半ば無理やり食べさせられたが、甘いものが苦手な浅野でも『美味しい』と感じられる一品だった。
銀平は少し顔を赤らめながら、拗ねたように
「…見た目がようないってゆうたくせに」
と返した。
「見た目なんて食うて仕舞えば関係ないやろ」
「はぁぁ、福次郎はん、和菓子屋に対してなんてこというんや」
「ええから、もう一回作ってみろ。…俺が食うたるから」
「…わかった、おおきに」
銀平は頷いたのを見て浅野は「じゃあな」と外に出て別れた。
ふと見上げると陽が傾き空は茜色に染まり始めている。
「…ん?」
浅野は店から少し離れた先に見知った顔を見つけた。だが、彼はそこにいるべきではない人間だ。
「…芦屋…?何故、こんなところに…」
「…」
彼は何も答えない。いつもの物乞いの姿とは違う、顔を隠すことすらない姿で立っていた。
芦屋は主に隊外の諜報を任務とし、それ以外の時間は自主的にかつての主人の側で護衛をし離れようとはしない。その彼がこんなところで立ち、銀平の店へ目を向けている。
「まさか…」
浅野の脳裏に嫌な予感がした。その時、芦屋は踵を返して浅野に背を向けた。
「なんでもない」
「おい、待てよ!」
浅野は駆け寄ると芦屋の手を強く引いた。すると芦屋の懐から激しい音を立てて何かが落ち…袱紗に包んだ金が地面に散らばった。
芦屋は慌てて金を拾う。その姿を見て浅野は頭の先から足の先まで電撃が走ったかのような衝撃を覚えていた。
「…その金…どうするつもりだ…」
唇が震えていた。芦屋はまるで聞こえていないように何も答えずに袱紗へ金を戻していく。
「おい!芦屋!」
「…」
「芦屋!答えろっ!」
浅野はようやく立ち上がった芦屋の胸ぐらを掴んだ。
「……菓子屋の親父を殺したのは…坊ちゃんか?」
「…」
「その金は罪滅ぼしってことか…っ?!おい、答えろ!」
「殺したのではない。……不幸な事故だった。過失はない」
芦屋の答えは、浅野をますます焚きつけた。
「ふ…ふざけんなよ…」
「…」
「クソ!」
浅野は芦屋を置いて走り出した。









解説
なし
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