わらべうた




548


夕刻。
非番の総司は通い慣れた土方の別宅へと向かっていた。別宅は静かな町家の一角にある。
するとこちらにやってくる人影が見えてきた。
「おみねさん」
総司が軽く手を振りながら近づくと、小さな風呂敷を抱えたみねがにこにこと微笑んで会釈した。
「沖田せんせ、今から向かわれるところですか?」
「はい。あ、もう土方さん来てました?」
「へえ、早めに夕餉をお召し上がりになられました。沖田せんせの分もございますのでどうぞ」
「いつもありがとうございます。…おみねさんはこれから近藤先生の別宅ですか?」
「へえ」
みねは近藤と土方の別宅の世話をしている。二つは遠く離れているわけではないが、以前、行き来するのは大変だろうと尋ねると「うちが好きでさせてもろうてます」と、むしろ積極的に働いていた。
「お孝に料理を教えて欲しいとせがまれるのです。…ふふ、不器用でなかなか不恰好な御膳ですが、近藤せんせはいつも喜んでお召し上がりになられます」
「へぇ…」
あの無愛想で頑なだった孝が近藤のために懸命に台所に立っているのかと思うと微笑ましい。加えてみねが自然に『お孝』と呼び捨てにしていることが彼女たちの雪解けを表しているようだった。
「近藤先生は昔から煮っころがしがお好きです。是非お孝さんにお伝えください」
「へえ、おおきに」
総司はみねと顔を見合わせてクスクスと笑った。
みねは「では」と頭を下げて夕闇の中を去っていく。総司も彼女に背を向けて別宅へと向かったが、生垣が見えてきたところで再び立ち止まった。
男が一人立ち尽くしていた。
(あれは…)
一見、商人のように見える。乱れのなく纏めた
髷に上品な衣服…しかしそれをまとっているのは見知った顔だった。
「…浅野さん…?」
「!」
浅野薫は現在監察方だがそれ以前は一番隊の所属だった。久々に邂逅した彼は顔を上気させ、息を切らし張り詰めたように唇を結んで別宅を見据えていたのだが、総司を見てハッと眼を開いた。
「沖田…先生…」
「どうしたのですか、こんなところで…そんな格好で…」
彼は監察として新撰組とは無関係の何らかの人物になりきっているはずだ。決して『鬼副長』の別宅の前で出会うべきではない。
「取り敢えず中へ入ってください、どうぞ」
「…」
浅野は総司に背中を押され玄関へと足を踏み入れた。すると様子を察した土方が顔を出した。
「浅野…?」
「…突然お訪ねし、申し訳ありません…」
浅野は玄関に膝を降り頭を下げた。土方は怪訝な表情で「どうした」と式台へ降りたのだが、彼は強張った表情のまま何も話そうとしない。むしろ言葉を選んでいるようにも見えた。
「監察方として屯所にすら近づかない貴方がここまで来たのですから、何か早急の用事があったのでしょう?」
「…」
「言ってみろ」
総司と土方に促され、浅野はようやく口を開いた。
「…三浦…三浦、啓之助のことです」
「三浦?」
「町人を…殺したというのは、本当のことですか」
「…」
土方が剣幕を鋭くし、総司は首を傾げた。
三浦が誤って人を死なせた…その件ついて、最初は副長助勤以上の幹部のみに知らされたが、いつのまにか隊内に広まってしまった。彼が居酒屋を抜け出したと証言した取り巻きの隊士が口を滑らせたのだろうが、普段から素行の悪い三浦を庇う者は誰もいなかった。浅野は隊を離れて久しいためその情報は耳に入らなかったのだろう。
「…本人は覚えていないと反論しているが、ほぼ間違い無いだろう」
「三浦の処分は」
「まだ検討中だ。…何故そんなことを気にかける?お前は隊外向きの任務が担当のはずだ」
「死んだのは…知り合いの、父親でした」
浅野の言葉に土方は眉を顰めた。
「…それはお前の協力者か?」
「…」
土方の問いかけに対して、聞かれたくないことだったのか浅野は少し怯んだようだった。
「そういうわけでは…ありません。『金山福次郎』の知人です」
「だったら、お前が慌てふためいて、わざわざその姿でやってくる道理がないだろう。誰かに見られたらどうするつもりだ」
「…おっしゃる通りです…が…」
「なんだ、言ってみろ」
土方が威嚇し、浅野は反発する…二人の間に険悪な空気が流れ始める。総司は口を挟むことはしなかった。
玄関の外は夕陽が隠れてすっかり暗くなっている。
「…三浦は…局中法度で切腹、ですよね…?」
「…」
「今まで散々見過ごされてきましたが…士道に背く間敷事…幾人もこの法度で、この言葉で、死んできました。三浦も例外ではないはずです」
新人隊士が喚くのとは違う、古参隊士の浅野だからこそ言葉に重みがあった。彼は数々の隊士がこの法度で死んでいったのを目の当たりにしている…だからこそ矛盾が許せないのだ。
土方は「ふう」と深く息を吸って吐いた。
「…処断したいのは山々だが…そうもいかない」
「何故…!」
「帰藩の話が来ている。藩からの要請ならまだしも京都所司代直々のお達しだ…その三浦をどうして役人に突き出すことができる?」
それはこのところ土方を悩ませている問題だった。三浦を承諾させれば帰藩が叶うところまできて、この事件が起きたことで話がややこしくなってしまったのだ。
「しかし、法度は…!」
「お前の言い分はわかる。だが、これは新撰組だけの話ではなくもともと三浦の身を預かった会津にも関係があることだ」
「…っ では、どうするおつもりですか…」
「…」
土方は少し考え込むように目を閉じた。浅野は今か今かと待ちわび、総司は静かに見守った。
そして土方がゆっくりと口を開いたのは
「…身代わりを出すしかない」
三浦の体裁を守り、真実を歪める…そんな保身と諦めの結末だった。


「…浅野さん、あれで納得してくれたんですかねぇ」
浅野が去った別宅で、総司は冷めてしまった夕餉に手をつけた。土方は気だるそうに寝そべっている。
あの後、浅野は土方の言葉を聞いてしばし呆然とし「そうですか」と感情のない返答をして去っていった。それまで憤りで火がついていた瞳がすっかり冷めて、まるでどこも見ていないような虚ろなものへと変わった。
土方は「仕方ないだろう」と吐き捨てた。
「小物を雇って身代わりを出頭させて、三浦を帰藩させる。それが会津にも所司代にも迷惑をかけない且つ、厄介者を追い払うことができる方法だ」
「土方さん的には後者の方が重要なんでしょう?」
「まあな。他に良い案があるのなら教えてほしいくらいだ」
あっさり肯定した土方に総司は苦笑しながら漬物を頬張る。
「でも…浅野さん、その知人に思い入れがあるようですね。昔は一番隊の隊士でしたがあんなに感情的になっているのを初めてみました」
「ああ…面倒なことにならなければ良いが…」
「…土方さん、芦屋君はどうするつもりなんです?」
「…芦屋か」
土方は身体を起こし、両手を伸ばして背伸びをした。
「三浦と一緒に帰藩させることになるだろう」
「でも…三浦君が承諾するでしょうか。芦屋君のことを無視し続けているでしょう」
あの雨の日から、三浦は徹底的に芦屋の存在を認めようとしなかった。誰よりも三浦に忠誠心を誓う芦屋にとってそれが苦しいことだと知っているからこその仕打ちだったのだ。
「三浦が承諾しようとせまいと…芦屋は一緒に隊を出るだろう。たとえそれが脱走だと咎められてもな」
「確信があるのですか?」
「ああ。現に今も芦屋は三浦の傍にいる」
「え?」
「任務以外は片時も離れようとしない。非番の日も…まるで犬、というよりも犬そのものだ」
土方は蔑むわけでもなく淡々と評したが、総司には芦屋の一方的な思いが狂おしく思えた。










解説
なし
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