わらべうた




553


月明かりだけの静かな夜、西本願寺裏手から北へ上がる大宮通りを歩き、五条へ出た。総司は西へ行き鴨川を渡るまで三浦を見送ることになっている。
(ひと一人いないな…)
寝静まった町のそれはいつもの光景に違いなく、何の不思議もないことなのだが今夜ばかりは胸騒ぎの一因となる。自分でもどうしてこんなにも感情を揺さぶられるのかわからない。
前を行く三浦は無言のまま歩き続けている。旅姿の彼の荷物は少なく、身の回りのものは随分処分したのだろう。会話もろくに続かない彼が一体何を考えているのか、総司にはわからなかった。
(彼にとってのこの数年は何だったのだろう…)
妾腹の子として生まれ、父親の仇討ちだと持て囃され、けれどそれを果たせないままこんな夜中に惨めに去ることになってしまったーーー新撰組隊士として過ごしたこの数年を無意味なものと思うだろうか。
そんなことを考えていると、三浦が足を止めた。
「どうしました?」
「…いえ…」
総司は三浦の視線の先に目をやった。するとそこには野良猫の親子が数匹が屯していて、二人を見ると逃げ去って行った。
先程から三浦はこうして気配を感じると歩みを止め、視線を泳がせている。まるで何かを探しているように。
総司は足を早め、三浦に並んだ。
「三浦君、これからどうするつもりですか?」
「…さあ、何も考えていません。江戸藩邸に向かうようにと言われているだけですから。…ご心配されなくとも新撰組のことは他言しません」
三浦の返答は淡々として冷たかったが、いつものことなので総司は気にならなかった。
「そんなことは心配はしていません。君はちゃんと約束は守るでしょう」
「…そりゃ、鬼副長に『新撰組のことは他言無用、口外すれば脱退したとはいえ容赦しない』…とキツく念を押されましたから」
「はは、それは怖いな。…でも君は何だかんだとありましたが、自分の意思を曲げず一本筋が通って約束は違えない男です。私は副長に念を押されなくても君が何かを言いふらすような人だとは思っていませんよ」
「…今更そんなことを言われても」
三浦は顔を背け総司の賞賛を素直に受け取ろうとはしなかったが、構わず続けた。
「たしかに私が君の上司だった期間はとても短い。だから何を言ったところで詮無いですが…井上組長には世話になったでしょう?」
「…それは…」
「預かりものをしています」
総司は懐紙を取り出し三浦に差し出した。直属の上司である井上が、立場上見送ることはできないから、と総司に託したものだった。
三浦は訝しげな表情を浮かべたもののそれを受け取るとゆっくりと開いた。
「…下げ緒…?」
「真田紐だそうですよ」
鞘と腰紐を結びつける色鮮やかな朱色の下げ緒だった。渋好みの井上らしくない餞別を三浦は不思議そうにまじまじと見ていた。
「『腰帯にしっかりと巻き付けろ』…それが伝言です」
「……」
井上は『そう伝えるだけで良い』とそれ以上は説明しなくても良いと言っていた。
下げ緒を腰帯に結びつけることで鞘が抜け落ちず、不意に刀を奪われたり、取り落としの防止に繋がる。刀を帯びる者として初歩中の初歩ではあるが、それは同時に戦闘の意思がないことを示すことになる。
もう刀を抜くことはない。安穏に暮らせーーー井上はそういう意味で下げ緒を餞別としたのだ。
(ちゃんと伝わるか、わからなかったけれど…)
三浦はしばらく下げ緒を見ると「わかりました」と真摯な表情で頷いて懐に入れた。井上の意図はちゃんと伝わった…その姿に総司は安堵した。
二人は再び歩き出すと、鴨川の悠然として静かな川音が聞こえてきた。そして五条の大橋の手前で足を止めた。
「ここまでですね」
「…ありがとうございました」
「どうか達者で暮らしてください。…それから、余計なお世話だと思いましたが…」
「え…?」
橋の袂から足音もなく人影が現れた。大きな体躯をしたそれは二人の前で平伏した。
「…芦屋…」
「坊ちゃん…俺をお連れください」
「…」
芦屋は深々と頭を下げたまま懇願した。
総司は三浦が脱退する日程が決まったのち、芦屋と接触しその事実を告げた。途端彼は目の色が変わり『お供したい』と申し出たのでこの場所を教えておいたのだ。
三浦は『勝手なことをするな』と激高するかと思ったが、静かに芦屋を見下ろしていた。
「坊ちゃんの前から姿を消すこと…それだけが、罪深い俺のできることだと…ずっと、考えていました…」
芦屋は声を震わせて声をあげた。
「けれど…!けれど、この身は…坊ちゃんとともに在らねば意味がありません…!犬でも、捨て駒でも、何でも構いません。どうか、どうかこの身をお連れください…!」
彼の必死の懇願は静かな夜に響き渡った。それまで抱え込んできた激情が破裂するような叫びだった。
それを三浦は黙って聞いていた。
「坊ちゃん…お願いいたします。この身が不要ならいつでも捨て置いて良いのです。ですからその日まではどうか…」
「…もう…」
「…三浦君?」
「もうやめてくれよっ!」
三浦が耳を塞いで絶叫した。頭を下げ続けていた芦屋は驚いて顔を上げ、総司も言葉を失った。
「俺は…っ、俺はそんな人間じゃないんだよ!剣も立つ、頭も良い、役に立つお前とは違う。何処に行っても邪魔者で何の意味もない、ただのお飾りで、空っぽなんだよ…!」
「坊ちゃん…」
「だからお前がそうやって、いっつも俺に頭下げていちいち許しを請うのが、バカにされてるみたいなんだよ…っ」
「俺はそんなつもりは…!」
「もう、俺はお前と同じ罪人だ。しかも無害な一般人を殺した…お前がそうやって懇願するような人間じゃないんだよ…っ」
だからもうやめてくれ。
勝手に祀りあげて、特別だと嘘をついて、遜らないでくれ。
「…お前は、自由なんだから…」
三浦はその場に膝をつき、がっくりとうな垂れた。するとポツ、ポツと雨が降り始めた。
二人の沈黙の間に雨粒が落ちる。それはさながら二年前のあの夜を繰り返しているような光景だった。
そう、繰り返しているような。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世に何か久かるべき」
凛と響いたその歌は、雨の音をかき分けて総司の耳に入った。
総司はその声を知っていた。だからこそ無意識に刀に手が伸び、抜いていたのだ。
すると背中からタッタッタッタとこちらに近づいてくる足音が聞こえた。けれどそれは声とは違う方向からやってくる。そして
(それは奴のものではない…!)
「三浦君!芦屋君!刀を抜きなさい!」
「え…?」
総司は咄嗟に叫んだ。三浦は突然のことに驚き刀に手を伸ばすが旅姿の刀袋に収められてしまっている。芦屋もまた平伏した体勢から瞬時に動くことはできなかった。
薄暗闇を切り裂くように、刀身だけがキラリと光を放った。
「うわあああああああああああああ!」
誰のものかわからない絶叫とともに鋭利な刃は三浦を目掛けて襲いかかる。
「坊ちゃん…!!」
「あし、や…」
芦屋は三浦を庇って両手を広げた。そしてその右腕が闇夜に舞った。
「芦屋ーーーっ!」
総司は前方を警戒しながら、二人に襲いかかった刀を払いのけた。するとあっさりとバランスを崩してその場に転がった。
まだ若い子供のようだった。
「芦屋!おい、芦屋…!」
「坊っちゃん…ご無事、ですか…」
「俺は無事だ……くそ…!血が、止まらない…!」
「三浦君、下げ緒を使いなさい!」
動揺する三浦は総司の言われた通り懐から下げ緒を取り出し、止血のために腕に強く巻いた。ぐったりとした芦屋を支えながら若い男を睨みつける。けれど怒気は彼の顔を見た途端に一気に失われた。
「お前…は…」
「親父の仇だ!」
そう叫び、若い男は走り去っていく。三浦は追うことはせず、芦屋の腕の下げ緒をさらにきつく締めた。そして小さく
「…ごめん…」
と呟いた。
芦屋は穏やかな表情で「これからもお守りします」と答えた。

総司は倒れ込んだ芦屋と介抱をする三浦を背に、前方からやってくるただならぬ気配に構えていた。芦屋をすぐに医者に見せなければ、と思うが背を向けることはできなかったのだ。
(知っている…)
姿形の見えないのに、まるで目の前にいるかのような威圧感だ。その圧倒的な存在のせいで芦屋の腕を斬った男を追いかけることはできなかった。
すると雨が小さくなっていく。通り雨だったのだろう…そして雨が止むと同時にその声の主は姿を現した。
「久しぶりだな」
「…河上…」
やはり、と唾を飲み込んだ。
小柄で色白で、男とも女ともわからない異質な存在…総司にとって河上彦斎は特別な相手だった。
彼はふっと笑みをこぼした。
「本懐は遂げられなかったが…まあ、素人にしては十分な結果だろう。俺としても二年前、罪をなすり付けられた仇があったのだが、これでチャラでいいか…」
河上はブツブツと小声でつぶやく。総司にはまだ状況は読み込めなかったが、彼が関わっているのは間違いないのだと理解した。
総司は一層強く柄を握り、河上に向ける。しかし彼は「勘違いするな」と制した。
「俺は父親を殺された憐れな青年に仇討をけしかけただけで、指一本、刀に触れていない。それにまさかお前がここにいるとは全く考えが及ばなかったのだ。やりあうつもりはない」
「ここにいるというだけで、貴方は斬られるべき存在でしょう」
「手厳しいな。まるで害虫を見るようだ」
茶化した河上は余裕のある笑みをこぼす。口元は緩んでいるのに眼光だけは鋭い。
「今夜は挨拶だけだ。俺はしばらく都に留まる…また顔を合わせることはあるだろう、その時に仕切り直そう」
「何を…!」
「じゃあな」
河上はひらりと背を向けて踏み出す。威圧的な存在感とは裏腹に彼は足音ひとつなく去っていく。
「ま…!」
待て、と引き止めようとしたところで、総司の身体が竦んだ。喉に差し込んだ冷たい夜風が激しい咳を誘発したのだ。
「ゲホッゲホッゲホ…ッ!」
これまでに味わったことのないような息苦しさを感じながら、総司は胸を抱える。そうしているうちに河上はいなくなってしまった。










解説
なし
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