わらべうた




554


明け方になって、総司は一人で屯所へ戻り土方の元を訪ねた。
土方は最初は眠そうに顔を歪めていたのだが、総司の深刻な様子を察知するとすぐに表情を強張らせ事情を話せと促した。
総司はゆっくりと思い出しながら口を開く。
目的地の五条大橋までたどり着いたこと、芦屋が同行を願い出たこと、何者かが三浦を襲い芦屋が庇って腕を斬られたこと、そして総司自身は河上と対峙したこと。全てが現実味がないように思えるのは、真夜中の視界が遮られたせいだろうか。
土方は腕を組んで唸った。
「…芦屋はどうした」
「三浦君と共に近くの町医者に運び…どうにか血は止まって一命は取り止めました。いまは三浦君が付き添っています」
「そうか…」
「申し訳ありませんでした」
総司は両手をついて深々と頭を下げた。
「目的である三浦君を無事送り届けること叶わず…彼らを襲った刺客も、河上も逃してしまいました。私の失態です」
「…お前の任務は五条大橋まで届けることだ。その先にあいつらに何があろうと関係ない。三浦が襲われたのはある意味自業自得だ」
土方なりの励ましなのだろうが、総司には受け入れがたく首を横に振った。
「でも河上を逃してしまいました…」
「仕方ない。お前が追いかけなかったのは芦屋の命を優先したんだろう?」
「…」
総司は土方の問いかけに曖昧に頷いたが、それは真実ではない。
(あの時…)
本当は、激しい咳に襲われて去っていく河上を追いかけることができなかった…などと土方には言えなかった。しかしそんなことを話せばただでさえ満足に任務を遂行することはできなかった挙句、不要な心配をかけてしまう。
土方は一息ついて、気だるげに肘掛に身体を寄せた。
「…しかし…何故、河上は今晩、三浦が脱退することを知っていたんだ。組長以上、監察にしか知らせていないはずだ」
「たしかに河上は二年前、三浦君たちに関わっていますが…そのことを今更持ち出すようにも思えません。本人は憐れな青年に仇討をけしかけただけだと言っていましたが…」
「誰が彼らを襲ったのかは調べればすぐにわかるが、もうどうでも良い。あいつらはもう新撰組隊士ではないのだから深追いする必要はないだろう…ただ情報源だけが気になる」
「…そうですね」
土方はしばらく黙り込んだ。
単純に考えれば組長以上、監察の誰かが情報を漏らしたということになるが、そんなことをしたところで誰が得になるのだろうか。
「…総司、もうわかった。下がって休め」
「わかりました。…失礼します」
総司は土方に言われるがままに部屋を出た。眠気はないが身体が怠い。
東の空から眩しい陽が差し込もうとしている。昨日とは違う、いつとも違う、今日がやってくる。それは当たり前の毎日の繰り返しなのに。
(どうして僕はこんなにも苦しいのだろう)
芦屋に怪我をさせた罪悪感か、河上を逃したことへの無念か、それとも…土方に嘘をついたことへの後ろめたさかだろうか。


柔らかく、眩しい、温かい。
まるで真綿に包まれているような心地よさを覚えながら芦屋はゆっくりと目を開けた。
見慣れない天井の木目からゆっくりと視線を落とすと障子の賽の目から朝陽が差し込んでいた。その光に導かれるように頭が冴えていく。
(昨晩は…色々あった…)
夢のようにぼんやりとした夜だったが、感覚だけは生々しく覚えている。土下座し同行を願い出たときの土の触感、突然降り出した雨が背中に落ちた重さ、そしてーーー右腕を斬られた時の激しい痛み。
芦屋は自分の右半身に目をやった。そこには在るべきはずの右腕がまるでなくなっていて、代わりに何重にもガーゼが巻かれていた。
痛みはあるがショックはなく、不思議と気持ちは落ち着いていた。
(…人間の憎悪というものは恐ろしい力を発揮する…)
襲ってきた青年はおそらく菓子屋の倅だろう。彼の父親の葬式に顔を出した時に一度会った。若く細く、とても剣を身につけているという風ではなかったが、憎しみを込めたその一振りは芦屋の右腕を難なく切り落としてしまったのだ。
怒りはない。むしろ青年が三浦ではなく自分に襲いかかってくれたことに感謝しているくらいだ。
(坊ちゃんは…)
芦屋は反対側へと視線をやった。そこには壁を背に上半身を揺らしながら眠る三浦の姿があった。
腕を失った後、大量出血しながら町医者に運ばれた。医者は芦屋の怪我に目を剥き『助かるかどうかは運次第や』と吐き捨てながら処置を施した。その時三浦はくしゃくしゃに顔を歪めまるで祈るように付き添ってくれたのだ。
(俺はもうそれだけで…満足だ…)
二年前、三浦から二度と目の前に姿を現わすなと吐き捨てられこの世の絶望というものを思い知った。それまで離れることなく傍にいたのに急に存在すら認められないというのは、嫌われる以上に苦しく悲しいことだった。
だがそれも自分の犯した罪のせいなのだから仕方ない…このまま存在を認められずとも側にいよう、そう決めたのだ。
「…ん…」
三浦がゆっくりと目を覚ます。芦屋と同じように部屋中に視線を漂わせた後、カッとその目を開いた。
「芦屋!目が覚めたのか?!」
「…はい。ご心配をおかけして申し訳ございません」
「馬鹿か!お前が謝ることなんて何もないだろう!痛みはないのか?ああそうだ、お前が気がついたら医者を呼ぶように言われていたんだ。今すぐ呼んで…」
「お待ちください、坊ちゃん」
慌ただしく部屋を出て行こうとする三浦を引き止めた。
「少しお話を…」
「…話なんて医者に診てもらった後で良いだろう」
「いま、お話ししたいのです」
これくらいの小さな我が儘でさえ以前は口にすることはなかった。
三浦は渋々と芦屋のそばで膝を折った。
「…坊ちゃんには、お怪我は…」
「ない。かすり傷ひとつない…お前のおかげだ」
「…」
芦屋は少し驚いた。三浦から感謝を口にされたこともないし、それが主従関係なのだから当然だと思っていたのだ。
三浦は少し恥ずかしそうに視線を外した。
「…まじまじとみるな。お前に助けてもらったことにはちゃんと感謝している」
「当然のことをしたまでです」
「当然?馬鹿を言うな。全て自業自得だし、刺客の…青年の顔を見た時…殺されても仕方ないと思った。青年の憎悪に応えるにはそうするしかないって。…それなのにお前が庇ってしまった」
三浦は俯き、唇を噛んだ。自尊心を傷つけてしまったのだろうか…芦屋は
「…ご迷惑でしたか」
と尋ねると「迷惑だ」と返ってきた。しかしその表情は今にも泣きそうなほど歪んでいた。
「坊ちゃん…?」
「…あの時わかったんだ。…自分が斬られる以上に、誰かが…お前が傷つく方が嫌だって」
「坊ちゃん…」
「だけど、俺はこんな性格だし、これからもお前に迷惑をかけ続けるだろう。…だから…」
「坊ちゃん」
芦屋は左腕を伸ばした。二年ぶりに触れた三浦の指先は小さく小さく震えていた。
「俺には…もう左腕しかありません。利き腕のない俺は役立たずどころか、足枷にしかなりません。…しかし…それでもこの身は弾除け程度にはなりましょう。左腕も利き腕にしてみせます。ですから…どうかお側においてください」
三浦の震えがゆっくりと止まっていく。凍てついた氷が柔らかな朝日を浴びてゆっくりと溶けて、氷水は地面に落ち無くなっていくように、同じように二人の間にあった険しい隔たりは消えていく。
「…うん」
三浦は頷いた。そして芦屋の指を握り返した。
何もかもを無かったことにはできない。二年間…それ以上に二人の間には蟠りがあったのだ。
けれど再び共に歩むことはできる。それがどういう形になるのかいまかわからないけれど…
(もうこんな未来などないと思っていた)
芦屋は自分の顔が綻ぶのを感じた。
笑う方法なんて、いつのまにか忘れていた。










解説
三浦啓之助、芦屋昇について。
二人の間柄についてはもちろん創作ですが、慶応二年ごろ一緒に脱退したと言われています。その辺の創作についてはいろいろあるようですが不明のようです。
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