わらべうた




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「ほな、行ってくるわ」
浅野は『金山家』の次男坊として慣れたように悠々と店を出た。『金山家』の両親は新撰組の協力者である。当初、偶然降って湧いたような次男坊の存在を店子たちは不審そうに見ていたが、『あれは長年放蕩していた息子だ』と言い放ち信じ込ませたという、なかなかの役者ぶりだ。
お陰で特に怪しまれることなく監察方としての成果を上げて来られたのだ。
(さて…)
店を出て秋晴れの空を見上げた。
右に行けば噂話の聞けそうな居酒屋がある。左に行けば尊攘派の集う遊里だが、銀平の店の前を通ることになる。
「…」
銀平とは数日前、出会茶屋で出くわしてから顔を合わせていない。純朴な青年である銀平は真昼間にそんな場所から出てきた自分のことを軽蔑しているだろうし、父親が殺され自分をほっておいて無神経だと思っているだろう。
それに昨晩は、三浦が脱走し帰藩を果たしたはずだ。
結局自分には、何もできなかった。銀平の仇である三浦をみすみす逃してしまった。
(そんな俺がどんなツラ下げてあいつの前に立つっていうんだ…)
浅野は己の不甲斐なさを思い起こし、うな垂れた。けれど足は左へと向かい始めた。
(様子を…見るだけだ)
新撰組隊士としての浅野薫は銀平の前に立つ資格すらない。けれど『金山福次郎』という彼の友人としてなら許されるのではないか。
数軒隣にある銀平の家を訪ねた。相変わらず暖簾はなく外からでは中がどうなっているのかはわからない。
入口の取っ手に手をかける。きっと開いていないだろう…そう思ったが、ガラガラとあっさりと戸は開かれた。
「不用心やな…」
そう苦笑したのは束の間だった。
店の中には何もなかった。
亡くなった親父さんの商売道具や菓子が並べられていた陳列棚、そして何代も続いていたという暖簾すら何もない、まっさらな状況だったのだ。
「おい、なんだよ…なんの冗談だ」
動揺しながら浅野は店の奥へと駆け出した。居住スペースになっているそこにはきっと彼の生活の痕跡があるはずだ。
土間に踏み込み中を覗く。けれど悪い予感の通り、その先には座布団一つ残っていなかった。
「おい、銀!銀平!!」
浅野の声が何もない町家の中でこだまする。当然、返事はない。土壁に吸い込まれるように虚しく消えていくだけだ。
「銀…銀!」
けれども浅野は諦めきれず家財道具一つ残っていない家中を駆け回った。しかし襖を一つ一つ開けて空っぽなことに驚愕し、『銀平』というその一切が消え失せて冷たい空気だけが流れていることを見せつけられるだけだった。
(俺に黙って…出て行っちまったのか…)
いつもそこにあった無邪気で明るい笑顔が、もう二度と見ることがないのだということを知る。
浅野は店先に戻るとふらふらと腰を下ろした。
(どういう…ことだ…)
頭を抱えて思案を巡らせるが、今の浅野には答えを見つけることはできない。
すると突然、「なんや騒がしい」と年増の女が顔を出した。扉は開きっぱなしだった。
「あぁ、あんた、銀ちゃんのお友達やったなあ」
「…あんたは、大家の…」
彼女はこの家の大家だ。何度か家賃の催促で店に来ていたことを思い出す。
「銀平は…どこへ?」
「昨日、出ていったえ。店のもん売り払って、身の回りのもんと位牌抱えて…今までのお家賃ぜぇんぶ払うて…」
「…」
大家が嘘をつくわけがない。事実を突きつけられ、浅野はますますうな垂れた。
「…どこへ…行ったんやろうか」
「さあなあ。銀ちゃん遠くに親戚がおるだけで、身寄りがないはずやし…聞いても答えへんかったわ」
「そう…か」
「そうや、あんた銀ちゃんの一番のお友達やな?預かり物があるんや」
「…預かり物?」
大家は「ちょっと待っててな」といって踵を返して去っていく。
(あんなに溜め込んでいた家賃を払ったのか…銀らしいな)
きっと家財の一切を売り払い、身の回りのものだけを抱えて銀平はこの店を去って行ったのだろう。その姿を想像するだけで彼の孤独で寂しい背中が見えるようだった。
(俺は馬鹿だ…)
無力さに苛まれ、立ち止まり続けた自分が情けなくて仕方ない。別れさえ告げずに行かせてしまうとは。
そうしていると店内に人影が差し込んだ。大家が戻ってきたのか…そう思ったがそこにいたのは意外な人物だった。
「これ、大家から預かってきたで」
「やま…さき、さん…?」
元監察方の山崎丞。今は新撰組の副長助勤兼医学方として表舞台に復帰しているが、もともとは浅野の上司に当たる立場だ。
その彼が顔を隠すことなく、新撰組隊士として目の前にいる…その光景は浅野にとって違和感でしかなかった。
「何故、ここに…」
「お前に用事があるからや。…まあ、その前にこれ、受け取ったり」
懐紙に包まれた小ぶりなそれを浅野はゆっくりと開く。そこにあったのは見たことのある桃色の花をモチーフにした生菓子だ。
「あ…」
『まだ形は良くないんやけど、味は自信作やから!』
河川敷で『味見して』と食べさせられた菓子。親父さんが亡くなってからはもう一度作ってみろ、と浅野の方が背中を押した。
「…っ」
(あいつ…)
家を片付けて、借金を返して、最後の最後に浅野と交わした約束を銀平は守った。この別れの餞別を作っている時、銀平は何を思ったのだろう。それを考えると浅野の胸に込み上げてくるのは喜びと悔しさだった。
(…綺麗な、桃の花だ…)
季節外れの桃の花がそこには咲いていた。鮮やかな色あいと均一な花びらが、銀平の笑顔に重なるようだった。
浅野は懐紙に包み直した。それを何も言わずに見ていた山崎が口を開く。
「浅野…悪い知らせや」
「…なんですか?」
「お前に情報漏洩の疑いがかかってる」
非現実なことが続くと、頭がうまくついていかない。
浅野はぼんやりとしたままその言葉を受け取った。


山崎と浅野は連れ立って西本願寺の屯所に戻った。浅野が屯所に顔を出すのは久々のことだったが、隊士たちの大部屋を抜けて奥の部屋に向かうと、自然と体が強張っていった。
「失礼します」
山崎とともに頭を下げて中に入ると、近藤と土方、伊東の三大幹部が揃っていた。その事実だけでも大ごとだと突きつけられるようだった。
三人の前に座り、山崎はその後ろに控えた。
「…浅野君、事情は山崎君から聞いているか?」
近藤のいつもよりも堅い問いかけ。浅野は曖昧に頷いた。
「…三浦啓之助が洛外へ脱走する際、何者かに襲撃され芦屋が負傷した…と」
「そうだ。だが、二人とも表向きには脱走を果たしたことになっているため、公にはできない事件ということになる」
「重要なのは、情報の出所だ」
近藤に変わって、重く低い土方の声が短く簡潔に責める。
「…まさか、俺が…?」
「襲撃者は二人。三浦の証言によるとひとりは死んだ和菓子屋の息子」
「銀平が…っ?!」
土方の話に浅野は素直に驚いた。普段は争い事に一切関わらない銀平がまさか大胆な行動に出ているとは思わなかったのだ。
土方は続けた。
「そしてもう一人は…河上彦斎」
「かっ河上彦斎…!」
それは監察であれば誰でも知っている尊攘派の志士だ。暗殺者として名を馳せ暗躍している。まさかその河上が関わっているとは思いもしなかった。
けれど驚く浅野を土方はギロリと睨みつけた。
「…芝居が上手だな、浅野」
「え…?」
「お前、数日前に河上彦斎とともに茶屋に入っただろう」
「ちゃ…や…?」
「公言するのが憚られるような茶屋ですよ」
それまで涼しい顔をしていた伊東が扇子を片手に補う。
(茶屋…?あれは女…いや、男だったが…しかし…)
頭が混乱する。
あれは女と見間違うほどの端正な顔立ちをした男だった。彼と一夜を過ごしたのは間違いないが、あの時はかつてないほど酔っていた。そう、酔っていた。
(覚えて…ない…)
普段、飲まない酒に溺れ彼と何を話ししたのか覚えていない。銀平のことで頭がいっぱいだった自分はもしかして何かをぶちまけたのだろうか。
「浅野、監察は剥奪する。一隊士として謹慎していろ。釈明したいなら…その足りない頭で思い出せ」
土方は鬼のような鋭い目で浅野を見据えていた。浅野はただ自分のしたことに震えるしかなかった。






解説
なし
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