わらべうた




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土方の別宅の小さな庭が見渡せる縁側に出ると、金木犀の良い香りがした。総司が辺りを見渡すと庭の隅に置いてある鉢植えのなかで金木犀が咲いていた。
「どうしたんですか、これ」
「ああ…近藤先生の別宅からもらってきたそうだ」
「おみねさんが?」
「庭に植え替えるそうだ」
「それは良いですね、この匂い好きです」
書類の整理をする土方の隣で、総司は縁側に足を伸ばし寛いでいた。
屯所から距離を置いて心を安らげるための別宅なのに、土方は相変わらず仕事に勤しんでいる。彼にとってそうして忙しくしている方が日常なのかもしれないが。
「そうだ…浅野さんの様子はどうなんですか?」
「小荷駄方として仕事はこなしている。落ち着いたら十番隊の隊士として復帰させるつもりだ」
「そうですか…彼は有能な人ですから、挽回できるとは思いますが」
「どうだろうな」
土方が曖昧な返答をしながら処分する手紙や書類を麻紐でまとめあげていると「そうだ」と声を漏らした。
「先日、お前が巡察の時に松本先生が屯所に来られた。ようやく大樹公の件が終わって大坂から戻ってきたそうだ」
「…そうでしたか。先生も大変だったでしょう」
「ああ。それで…あの娘も、そろそろ長崎から戻るそうだ。お前に伝えるように頼まれた」
「娘…って、もしかしてお加也さんですか!?」
総司が驚いて問い詰めると、土方は頷いた。
加也はかつての総司の縁談の相手であり南部の義理の娘だ。色々あって縁談は破談となり、医者を目指して長崎へ留学していたが、もう半年以上経つ。
彼女は勝気で気の強いところがあったが、総司にとって志高く真摯に仕事に向き合う姿は女子という隔たりを超えて尊敬できる存在だった。
「ああ、そうなんですね。きっと立派なお医者さんになられていることでしょうねぇ。南部先生もお喜びでしょう」
「…そうかもな」
彼女の帰還を喜ぶ総司とは対称的に土方はすっかり仏頂面になって縁側から庭に出た。総司が集めていた落ち葉に火を焼べてそこに束にした書類を投げ入れる。その姿がいかにも不機嫌そうで、総司は
「妬いてるんですか?」
と尋ねた。すると土方はそっぽを向きながら
「…ああ、焼いてるな。枯れた葉はよく燃える」
と嘯く。総司はくすくす笑いながら同じように縁側に降りて土方の隣で膝を折った。
「最近、良いことがあったんですよ」
「良いこと?」
「この間の非番の日、たまたま伊東参謀の弟の鈴木さんと居合わせて色々お話ししたんですよ」
「…鈴木だと?」
土方はあからさまに眉間にしわを寄せた。
「お前、あいつとは仲が悪いって言っていただろう」
「まあ、一方的に避けられていたんですが…話してみると分かりづらいけれどとても良い人だと思いました。彼はあまり話さなかったけれど私のくだらない話にも屯所まで付き合ってくれましたし、面倒そうだけど相槌は打ってくれました」
「…それ、決して好かれているわけじゃなさそうだな」
「良いんです、それで。嫌われていても、避けられていても…またいつか仲良くできるってわかったのが嬉しかったんで」
総司は少しずつ燃え上がる焚き火に手を当てた。
土方には鈴木のことだけではなく、藤堂のことを示唆をしているとわかっただろう。彼とは山南の切腹以来どこかギクシャクした出来事が続いていて、距離ができ始めていた。それが心のどこかで引っかかり続けていたが、いつか時間が解決してくれるはずだと思うことができた。
土方はしばらく黙って何も言わなかったが、
「…どちらにせよ、腹がたつな」
と呟いた。
「え?」
「女でも男でも変わらん」
土方はそう言いながら側に置いていた桶の水をひっくり返し、焚き火を消した。そして驚く総司の手首を掴んで部屋の中に入るともつれあうように押し倒し、口付けた。息もつかせない豪雨のようなそれに互いの息が上がっていく。静かな部屋に響く二人だけの音が鼓膜を支配した。
「…っ…、歳三さん」
「なんだ」
「妬いてますよね?」
「…そうだな」


曇天の空から予想通り雨粒が落ちてきたのは正午を過ぎた頃だった。
「あーあ…降ってきちゃったな」
雨が降ったからと言って不幸になるというわけでもないのに藤堂は残念な気持ちになりながら手持ちの傘を開いた。そして風呂敷の荷物を濡れないようにと胸元に抱え込む。
風呂敷の中身は数冊の本だ。恩師である伊東から借り受けたものでようやく読み終わったのを返却するために、彼の別宅へ向かっているのだ。
(しかし読み終わるのに三ヶ月もかかってしまった…)
藤堂は「ふふ」と苦笑してしまう。
文学師範である伊東の元で積極的に学ぼうとしているものの、自分の中の本質はやはり『武』に傾いていて、集中力が途切れてしまう。本を片手に稽古がしたいと思いながら何度居眠りをしてしまったことか。
しかし、学ぶことを止めることはできない。
(新撰組のためになるはずだ…)
『いつまでも壬生狼と嗤われていては我々は飼い慣らされるだけです。知性を身につけ、役立つ存在にならなければなりません』
文学師範である伊東の言葉に感化されたのは、山南の死後だっただろうか。
自分が留守の間のこととはいえ、兄弟子であった山南を助けられなかった無念と後悔に苛まれていた藤堂にとってそれは一条の光となった。そして相次ぐ仲間の裏切りや処分を目の前に、その思いを募らせた。
(このままでいいなんて…そんなことはないはずだ)
今の新撰組は法度に縛られている。それを良しとしていたのは結成の頃だけで今は誰もが窮屈な思いをしていることだろう。そのせいで何人もの死人が出た。それを仕方ないことだと割り切っていては何も変わらない。
(世の中は変わったんだ)
絶対的な揺らぐことのない存在であった幕府が事実上、長州との戦争に敗れた。この流れは止めどなく続いていくだろう…そんなことは藤堂にも察することはできる。
(新撰組にできることを考えなくちゃいけないんだ…)
雨が強くなってきて藤堂は足を早めた。生垣を風除けに進むと伊東の別宅が見えてきた。
「あら、藤堂せんせ、おこしやすぅ」
やや気の抜けた女の声が聞こえた。伊東の妾である花香だ。手ぬぐいを手に洗濯物を取り込んでいたらしい。
「花香さん…あの、伊東先生は?」
「へえ、中におります。隊士の方も何人か」
「あ…そうですか」
訪問の約束はしていなかったので出直そうかと思ったが、花香が「どうぞどうぞ」とやや強引に背中を押したので仕方なく玄関から入った。何人分もの草履が並んでいる。
「奥の部屋でお勉強会とかおっしゃってましたえ」
「わかりました」
「ごゆっくりぃ~」
色街から身請けされた花香は店にいた頃のクセが抜けないのか間延びした話し方をするので、まるで茶屋に連れ込まれたような気分になってしまう。
(伊東先生のお相手にしては何だか似つかわしくないような気もするけれど)
藤堂はそんなことを思いながら何気なく奥の部屋へ向かう。強い雨のなか賑やかに秋の花が咲き誇る庭を見渡せる廊下を進んだ。
すると、
「何者だ!」
静寂を切り裂くような突然の怒鳴り声に藤堂は驚いた。そして障子が乱暴に開く。
「…え…?あ…」
金切り声をあげたのは伊東の腹心である加納鷲雄だ。しかし部屋にいたのはそれだけではなく同じく腹心の内海、篠原、服部…少なくとも15名ほどの伊東に親しい者たちが狭い部屋に推し詰になっている。
そして上座に座っていたのは当然、伊東だった。加納の血気だった様子とは正反対に穏やかだった。
「藤堂くん、どうしましたか」
「は…はい。借りていた本をお返しにあがったのですが…お約束もなく申し訳ございませんでした」
「わざわざありがとう。…皆、落ち着きなさい。彼は同志で敵ではないだろう?」
伊東の取り成しに半分は納得し、もう半分は未だに厳しい目を向けた。藤堂自身、試衛館食客の一人なのだという意識はあったが、これほどまでに敵視されるのは初めてだ。
戸惑いながら本を手渡すと、
「ああ、そうだ。君も参加してはどうかな。皆で勉強会をしていたところなんだ」
「勉強会…ですか」
「昨今の情勢は複雑になってきている。佐幕派の多い屯所では話しにくい話を皆で共有していたところだよ。君もどうかな」
「伊東先生」
伊東の誘いを遮ったのは内海だった。彼は伊東に一番近い側近だ。しかしそれを無視して
「参加していきなさい」
と伊東は食い下がった。藤堂は「はい」と答えるしかできなかった。









解説
なし
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