わらべうた




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翌日は青天に恵まれ、総司はみつとともに都の散策に出かけた。
人通りの多い五条通りを東へ歩き、河原町の賑わいに目を細め鴨川を渡り清水へ。
江戸とは違う街並みは誰もが浮足立つような雅な雰囲気だ。総司は上洛した当初、見慣れない風景にいつまでも落ち着かずふわふわと気持ちが浮いていた記憶があるが、みつは特にはしゃぐことなく「素敵ね」とほほ笑んであちこちの仏へ静かに手を合わせ深々と頭を下げた。歳の離れた姉はいつまで経っても総司よりも大人だった。
清水の舞台から整然と居並ぶ街並みを見渡して、みつはしばらく眺め続けていた。総司が指をさしてあちらが屯所、あちらに御所、二条城―――と教えると何度も頷いていた。
そうしてしばらく歩いた後、
「休憩しよう」
総司の提案で清水の坂にある茶屋に入る。温かい茶で喉を潤すと、みつは小さく息を吐いた。
「美しい町…。思った以上に落ち着いていて、穏やかで安心したわ」
江戸へ伝えられる都の現状は噂話に尾ひれがついたものが多いという。みつも事あるごとにそのような噂を耳にしていたため、もっと治安の悪い土地だと思っていたのだろう。
みつは続けて苦笑した。
「昨日、土方様は『姉弟水入らずなんて何年振りか』とおっしゃったけれど、実は初めてよね。こうして二人で出歩くなんて」
「…そうかもしれない。家を出たのは幼いころだったし、家にはなかなか帰れなかったから…」
「帰れなかった、のではなくて、帰る気がなかったのでしょう?」
「はは…そうかも」
総司が笑ったところで店の女中が頼んでいた団子をもってやってきた。姉弟揃って甘いもの好きなのでみつは喜ぶかと思いきや、神妙な顔をしたまま手を付けなかった。
「姉さん…?」
「…ごめんなさい、下働きとして家を追い出していながら私が言えることではなかったわ」
みつがその長い睫毛を伏せながら謝罪した。総司からすれば単なる軽口でそれほど重みのある意図なかったのだが、みつは酷く後悔しているように見えた。
総司は手に持った串を一度置いた。
「『追い出された』なんて思ったことないよ。試衛館に下働きに出たのは近藤先生が好きで、自分から進んで道場に行きたいと思ったからだよ。それを今まで悔やんだこともないし、姉さんを恨んだことはない」
「…でも、あなたは家に寄りつかなかった。正月もお盆も…浪士組の出立のあいさつで顔を出したくらいで、滅多に帰らなかったでしょう?」
みつは尚も疑うように総司の顔色を窺った。
姉の言う通り、江戸にいた頃は暇があってもわざわざ家まで帰らなかったし、出稽古で近くまで行っても顔を出すことは少なかった。みつが試衛館に顔を出した時もどこか他人行儀だったかもしれない。
どんなに離れて暮らしていても姉は目敏い。少ない時間したか共に過ごせなかったとしても、感じ得るものがあるのかもしれない。
総司は素直に吐露した。
「…さっきのは少し嘘だったかもしれない。幼い頃は帰りたいと何度も思ったよ。女将さんの下働きとしての仕込みは厳しかったし、突然離れて独りきりになるのは心細かったところもある」
「…」
「でも後悔したことは一度もない」
時折訪れた寂しさも孤独も、すっかり忘れてしまうほど吹き飛ばしてくれるものがあった。
総司の顔には自然と笑みが零れていた。
「姉さん、たぶん私は…もう一つの家族を得ることができたんだと思う」
「家族?」
「近藤先生がいて、土方さんがいて…食客の皆はまるで年の離れた兄弟ばかりだった。家と変わらない貧乏な暮らしをしていたけれど、毎日がとても楽しかった。家にも帰らなかったのは…きっと、日が暮れても遊びまわっている子供と同じだよ」
楽しくて仕方なくて、離れるのが嫌で留まり続けた。やがてそれが確かな絆となり家族へと昇華した。
(その後ろめたさだったのかもしれないな…)
本当の血のつながった家族よりも居心地の良い場所を見つけてしまった。だからこそ、家への後ろめたさが募り、年々顔を出すことができなくなってしまったのだ。
みつは少し呆然としながら、ゆっくりと「そうね」と頷いた。
「昔から…総司は夢中になると家に戻ってこなかった。夕方何度、旦那様と探し回ったか…手の焼ける弟だったわ」
「今でも変わらないよ」
遠く離れた場所でどれだけ姉に心配をかけていることだろう。両親を早くに亡くし婿を迎えながらも一家の大黒柱として振舞ってきた姉の心労を思えば、自分が家を出たことなんて大したことでもない。
姉はようやく納得してくれたようで
「そう言ってもらえるなら、少しは気が楽になるわ」
と笑った。
そうして二人でようやく団子に手を付けた。上品な甘さに舌鼓を打ち、その好物のおかげか雰囲気は随分和らいだ。皿に盛られた団子を平らげたところで、みつが徐に「先ほどの話だけれど」と切り出した。
「話って?」
「ええ…あなたが家のこともちゃんと思ってくれていることはわかりました。下働きに出たことにもわだかまりはないと」
「うん」
突然、姉は居住まいをただした。総司もつられて背筋を伸ばす。
「私は貴方が生まれた時のことをはっきり覚えています。ようやく男児が生まれた…亡くなった父にも顔向けできると生まれたばかりの貴方をまるで宝のように拝んでいました」
「…」
「常々、旦那様とも話をしています。いま沖田家は私が預かっているだけで、いずれ総司に渡すべきだと。もともと旦那様もそれを納得したうえで婿入りしてくださったのです」
「姉さん…」
「そろそろ身を固めなさい」
姉の眼差しがまるで使命感を帯びたように強く総司を射抜いていた。


日中の晴天は雲に隠れてどんよりとした雲が都の空を覆っていた。土方は屯所の自身の部屋で肘掛に身体を預けながらその空を眺めつつ、
(どうしたものか)
と考え込んでいた。するとそこに近藤が顔を出した。
「歳…どうした、何かあったのか?」
深刻そうに見えたのか近藤が眉を顰めて膝を折る。
「…大したことじゃねえよ」
「大したことじゃない顔をしていないぞ。何か悩み事か?」
「まあ…これだ」
土方は手にしていた手紙を近藤に差し出した。近藤は受け取ると訝し気に首を傾げた。
「これは…おみつさんの手紙じゃないか。総司に渡してくれと頼んだだろう?」
「すっかり忘れていた。総司にもおみつさんにもそれは伝えてある」
「だったら…」
「おみつさんに、総司には渡さずに処分してくれと頼まれた」
「ふむ…?何か事情があるのか?」
「さあな」
流石に自分宛ではない手紙の内容を確認しようとは思えなかったが、みつの言ったとおりに簡単に処分するのも憚られた。彼女が「他愛のない」内容だと笑うのならそれでも良いが、あの時のみつは心底、この手紙が総司にわたっていなかったことに安堵したように見えたからだ。
理由を聞いた近藤は困惑しながら手紙を返す。
「おみつさんがそういうのなら処分したらどうだ。気が進まないなら、おみつさんに返すと良い」
「…そうだな」
土方は受け取って文箱に入れた。近藤の言う通りいずれ機会があるときにみつに返すのが一番良い方法だろう。
すると近藤は「話は変わるが」と切り出した。
「歳、総司の縁談のことはお前に任せるからな」
「…」
「もともとは俺がおみつさんに託されたことだが、経緯を説明するのは俺の役目ではないと思う。…そうだろう?歳」
「…ああ」
勿論そのつもりだと土方は頷く。
曇天の空はそのまま夜に飲み込まれていった。









解説
なし
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