わらべうた




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口の中に広まっていた団子の甘さが、まるで潮が引くようにスッと消えたように思った。
みつの真っすぐな視線は決して冗談などではなく、姉が心に秘めていた決意はきっとそういうことなのだろうと悟った。そして同時に総司が生まれてから二十数年、姉がそんな決意を固めていたことを知ったのだ。
「…でも」
「貴方が言いたいことはわかっています。自分は江戸に帰るつもりはない、沖田家は旦那様が継いでくれれば良い…そう思っているのでしょう?」
「…」
総司は言葉に詰まった。みつの言う通り、自分は『家』というものに固執するつもりはなく、婿である林太郎やその子供が継いでいくれればよいと安易に思っていたのだ。
みつは続けた。
「…私が生まれ、次の子も女子。そして貴方を身ごもったのちに父が亡くなり…母は武家である沖田家の断絶を恐れ、どうか男であれと願い、貴方を生みました。母はすぐに亡くなりましたからあなたはおぼえていないでしょうけれど…これで沖田家は途絶えることなく続くのだと安堵しました」
「母のことは…正直、何も覚えていません」
母の面影さえ総司の記憶にはなく、幼い頃はみつを母だと勘違いしていたくらいだ。そしてみつもまた母のことを話すことはなかったので、総司には自分がそれほどまでに望まれて生まれたのだという実感はない。
みつは少し寂し気に「そう」と呟いたが、すぐに表情を戻した。
「近藤先生に、あなたが縁談を何度か断ったと伺いました。それはもしや沖田家を継ぐつもりがないからですか?」
「…それは…」
「すぐに江戸に戻ることができないことは承知しています。けれど嫁を迎えて家名を継ぐことはできます。幸いにも近藤先生やお内儀のおつね様が良い縁を探してくださっているのですから、あなたも前向きに考えてはどうです」
「…」
姉の眼差しからその真摯な思いがひしひしと伝わってくる。責任感と義務感…そしてそれ以上に弟の身を案じ、もしもこの身に何かあった時に後悔することのないように計らってくれているのだとも理解できる。姉として、そして母としての言葉だ。
姉の思いに「わかった」と答えるのは簡単だろう。形だけの縁談を受け続けて「気に入らない」と断り続け…そうしているうちに姉が諦めてくれるのかもしれない。
(けれど…)
みつが真剣であればあるほど、偽りを述べて逃げることはできない気がした。たとえそれが姉にとって受け入れられない事実だとしても、
(僕の決意はもう揺らがないのだから)
近藤に加也との縁談を断った時と同じだ。
総司は改めて居住まいを正し、姉に向き合った。近藤や土方などは姉のことを変わらない美人だと持て囃していたけれど、昔に比べれば目元の皺が増えた。それだけ時が流れたのだ。
「姉さん…私は嫁を迎えるつもりはありません。家のことは…まだ考えられないけれど、とにかく縁談はもう受けないつもりです」
「…理由を聞かせなさい」
みつの目元が鋭くなった。その表情を見ると懐かしい気持ちが沸き上がった。
(姉さんは怒るといつも眉間に皺が寄る)
既に二人の子がいるみつは同じように自分の子を叱っているのかもしれない。そんなことを考えながら続けた。
「大事な人がいるからです。その人以外に一緒に生きていきたいと思えない…それは近藤先生にもお伝えしています」
「それは…花街の女ですか?それとも既にご亭主のいる方とか…」
「違います」
「…身分の違う方ですか?そういえば近藤先生も花街の芸妓を妾に迎えたと伺いました。英雄色を好む…と言いますから、複雑とはいえ仕方ないことかと思います。あなたもそれを望むのなら本妻とは別に…」
「違うって」
先走るみつに総司は苦笑したが、姉は「笑い事ではありません」と怒った。
「だったらどういうことなのです。あなたに意中の相手がいるのならそう言ってくれれば…」
「男だからだよ」
総司は何の躊躇いもなくそう言った。けれどみつはしばらく表情を失い呆然とし、
「…お、…男?」
と、乾いた声を絞り出す。
「そう」
「本当なの?…あなたには男色趣味がある、ということなの…?」
「そういう趣味かどうかはわからないけれど…その人しか好きになったことはないから」
「…そう…なの…」
想定していない答えだったのか、みつは黙り込んだ。過保護な姉はまた先走ってよからぬことを考えているのかもしれない。
総司は意を決した。
「相手は…土方さんだ」
「…え?…まさか、そんな…」
「嘘じゃない。本当のことだよ」
困惑する姉に、今度は総司が曇りのない目を向けた。そうすれば冗談などではなく、本当のことなのだと姉になら伝わるはずだ―――。



日が暮れる頃、土方は巡察に向かう前の原田に出くわした。
「浅野の様子はどうだ?」
原田は小荷駄方と十番隊の組長を兼任している。監察方から小荷駄方に異動させた浅野は彼の監視下にあるのだ。
「ん、まあ、そこそこに」
「…そこそこってなんだ」
原田の適当な返答に土方は少し呆れた。好奇心旺盛ながら呑気で楽天家の彼は、土方にとって監察であった浅野の裏切りがどういう意味かあまり理解していないのかもしれない。
「そこそこと言えば、そこそこだぜ?俺からすれば、監察から小荷駄方にあからさまに『降格』したんだから、張り切って仕事する方が異常じゃねえかと思うけどな」
「それは…」
「心配することはないと思うぜ。それに土方さんだって妙にやる気を出されたり、仕事放り出して遊んでるほうが怪しいだろう?」
「…そうだな」
毎回、厄介な隊士を原田の組下に置くのは彼の懐の大きさと、人を見る感覚が優れているからだ。それは野生の勘に等しいのかもしれないが、いつもフラットな態度で隊士と接する原田だからこそ気づけることがあるし、隊士たちも胸襟を開く。
「ああ、そうだ。組下の一人がこの間の巡察で怪我をしたんだ。大した怪我じゃねえが、一人隊士が足りない…浅野を加えてもいいか?臨時って形でいいからさ」
「…ああ、わかった」
土方としては浅野への疑いが晴れたわけではないが、いつまでも罰を与え続けるつもりはない。もともとは古参隊士として能力のある男なのだ。原田は笑顔で「じゃあさっそく」と浅野を呼びに行った。
すると入れ替わるように総司がやってきた。
「…土方さん。ただいま帰りました」
「ああ…どうした、疲れたのか?」
一日非番の総司は姉のみつとともに洛内を観光に出ていた。歩き疲れてたのかと思ったが、普段鍛錬を積む総司がそれくらいで疲労を見せることなどない。
「まあ…久しぶりに小言を頂戴しましたから」
「お前がマメに手紙を送らないからだろう。姉弟として心配するのは当然だ」
「そうなんですけどね…頑固なのは姉弟で似てしまったんでしょうねえ…」
「は?」
「何でもありません」
総司はそう言うと「部屋に戻ります」と話を切り上げた。




解説
なし
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