わらべうた




563


秋の空は移り変わりが激しい。昼間の突き抜けるような青さは夕暮れが来る前に灰色の雲に覆われ、空気を冷やす…久々に巡察に加わった浅野は視線を上げながらそんなことを考えていた。
朝のは突然、原田からの指示で十番隊の一員としてしばらく巡察に加わることになった。小荷駄方として武具の整備に明け暮れていた浅野にとって久々の外出であり、任務だ。しかし心の中に清々しいものは一切ない。
胸の中で閊える思い―――人通りを見つければ銀平の姿を探していた。
(もう一度会って謝りたい)
浅野はそんな思いに突き動かされていた。



土方は手桶に白の百合の花を抱え、西本願寺から北へ上り懐かしい壬生の道を歩いていた。
(すっかり静かになったな…)
毎月、この道を通るがそのたびに壬生の小さな田舎は素性の知れぬ浪人の姿がいなくなったことで、本来の静けさに戻っていく。八木家の人々は別離を惜しんでくれたが、近所の住人はようやく与えられた安寧に安堵していることだろう。
前方に新徳寺が見えてきた。壬生にいた頃の思い出と切り離せないのは芹沢鴨の存在だ。江戸にいた頃から何かと因縁のあった男は、この新徳寺で浪士組との決別を宣言し壬生浪士組を名乗ることとなった。尊大で横暴で苛烈な男――土方とは対立したがこの男がいなければ今の新撰組がないことは確かだ。
(供養してやる…気にはなれないが)
あの頃感じた『憎悪』はもうない。今はただ愛妾とともに静かに眠ることを願うのみだ。
そんなことを考えながら少し歩き、右へ曲がろうとしたところで見覚えのある人影を見つけた。
「…おみつさん」
八木邸の玄関から出て来たのはみつだった。土方の姿に気が付いた彼女は一瞬だけ戸惑った表情を見せたが「土方様」と近寄ってきた。
「このようなところでなにを…」
「ええ、こちらの八木家の皆様にお世話になっていたと伺いまして、一度ご挨拶にと思いまして。とてもご親切な方々ばかりで心が和みました」
みつは笑みを浮かべた。
すでに八木家から西本願寺の屯所へ移って数年が経つ。みつが挨拶へ行く義理はないはずだが、彼女らしい律儀な行動だ。
みつは土方が手にしていた手桶と花へ視線をやった。
「土方様は…お墓参りですか」
「ああ、この先の光縁寺へ」
「光縁寺…宜しければ私もご一緒してもよろしいですか?」
それまで穏やかな笑みだったみつが神妙な表情で訪ねてきた。光縁寺に誰が眠っているのか…総司か八木家の人々から聞いたのだろうか。土方は拒む理由はなく「どうぞ」と応じた。
光縁寺までの短い距離を共に歩く。みつは少し後方を歩いていたが土方は何となく彼女が自分と距離を取っているような気がした。
(新撰組の鬼副長と隣は流石に外聞が悪いか…)
とも思ったのだが、ここはみつのテリトリーではないのだから構わないはずだ。土方は少し考えたがしかし光縁寺までの距離は短く、その答えを出すには至らなかった。
住職に簡単に挨拶を済ませ、奥の墓地へと向かう。いくつも並んだ墓石の中でひと際新しい花が添えられている墓へと向かった。
「…こちらが、山南先生の…」
「ええ。隊士たちがよく墓参りに来ているようです」
丁寧に磨かれた墓石は月命日に訪れる隊士たちによるものだ。山南の人柄故なのか未だに墓参りをする者は絶えず、いくつもの線香の痕が残っている。
土方は持参した花を手向け、手を合わせた。みつも同じように従った。
「…土方様も時折いらっしゃるのですか?」
「月命日には必ず。総司と約束しているものですから」
「総司と?」
「今日はあいつは巡察で一緒ではありませんが…そのうち、顔を出すでしょう」
「そうですか…」
みつも多少は山南と面識がある。どういう経緯で彼が死に至ったのか知っているのかはわからないが、しみじみとした様子で墓石に刻まれた戒名に目をやっていた。
「…こちらもお仲間の…?」
「まあ…病で死んだ者や職務に殉じた者…それだけではありませんが」
「…」
山南の傍には新撰組所縁の者の墓が並んでいる。その件について深く話すつもりはなかったが、みつも新撰組の評判などは耳にしているため察することはできるだろう。彼らが処罰を受け粛清された者であろう、と。
みつは
「江戸で安穏と暮らしている私には想像のできないことばかりです」
と呟いたが、土方はあえて何も返さずに
「……帰りましょう」
と立ち上がった。「はい」とみつは頷いた。
ふたりは再び同じ道を辿る。相変わらずみつは少し距離を取って歩いていたが、
「…実は、総司に会うのが少し怖かったのです」
と切り出した。
「…なぜ」
「幼い頃にあの子を手放してしまった…その負い目があるのは昔から変わりませんし、これからも変わらないでしょう。けれど特に都へ行ってしまってからは何の報せもなく、ただ漏れ伝わる新撰組の噂話だけがあの子を知る手がかりでした」
「…」
その噂話には尾ひれがついたものが多いが、非情な真実も含まれている。遠い場所でそれを耳にするだけしかなかったみつにとってどれほど不安だったことだろう。
「鬼の剣士だとか、残虐非道な人斬りだとか…決してそれを信じたわけではありませんが、けれどあの子が変わってしまったのではないか、と思うことは多々ありました。呑気で明るいだけではいられない…特にこの都では厳しいと聞いています。だから少しだけ会うのが怖かったのです」
「…実際は…」
「実際は相変わらずでした。明るくて笑顔も変わらなくて…私の小言を少し面倒そうに聞いている。幼い頃と変わらなくて安心しました。でも…」
みつは不意に言葉を無くして足を止めた。土方も同じようにして振り返る。
「…おみつさん?」
「でも…本当は変わってしまったのかもしれませんね。私の前だからこそそういう仮面を被ったのかもしれない…宿でそんなことを思いました」
「…」
「土方様にはあの子のことがどう見えますか?」
壬生寺から南へ歩く。みつの滞在する宿は西本願寺の近くなのでそのまま送り届けることになるだろう。土方はその長い距離のなか言葉を選んだ。
「…俺には、総司が変わったとかそういうことはわかりません。なんせずっと共に暮らしていますから」
「…」
「正直に言えば…こちらに来てからは特にあいつにとって不本意なことも多かった。望まぬ仕事や…無情に人を殺さねばならぬ時もあった。それは否定できない事実です」
みつは顔を歪めた。
しかし土方は綺麗ごとばかりを口にはできなかった。芹沢を殺したのも総司であり、仲間の粛正に関わったこともあった。そして山南も最後は総司の介錯で死んだのだ。
決して汚れない子供のままだとは言えない。
「けれど…だからと言ってあいつの根底にあるものは揺るがない」
「…根底、ですか…」
「おみつさんに見せた顔はきっと偽りではないはずです」
(あいつはそこまで器用ではない)
総司が器用に仮面を被ったとしても実姉のみつなら看破できる程度だろう。素直で明るいみつの知っている総司は例えどんな状況になったとしても消えることなくどこかにいる。
みつは強張っていた表情を少し和らげて、再び歩き始めた。
「…そう言って頂けて安堵しました。もしかしたら私の方が急に大人っぽくなった総司に遠慮しているのかもしれませんね」
「そういうものですか」
「ええ…大切な弟に変わりないのに、疑うなんてお恥ずかしいことです。…でしたらあの子の話したことは嘘ではないのでしょう」
「…何か?」
「土方様…弟と特別な関係にある、というのは本当のことですか?」
その直球の問いは、土方の言葉を詰まらせた。



解説
なし
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