わらべうた




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曇りのない真っすぐな眼差しは血の繋がった姉弟であることを示すかのように総司にそっくりで、顔の造形だけでなくそんなところまで似ているみつを目の前にして、土方は
「はい」
と、答えるしかなかった。
みつは一瞬狼狽えた表情を見せたが、「そうですか…」とその長い睫毛を伏せた。
姉として縁談を臨んでいた彼女にとって複雑な事実のはずだ。しかし総司から聞いていたことで心の準備ができていたのか取り乱すことはなかった。そのまま静かに尋ねる。
「…総司が縁談を断っていたのは土方様とのことがあったからですね」
「最初は…あいつには縁談を受けるように言いました。近藤の希望でもあり、俺とのことは関係なく家のことは大切だと…そう伝えたのですが」
「あの子はそう器用な子ではありませんね」
みつは苦笑して続けた。
「…縁談を断るためについた嘘であってほしいと思いましたが、総司がそんな嘘をつく必要はありませんし、真剣なのは顔を見てわかりました。納得するしかありませんね」
「…そう簡単に言えるものですか」
「…」
土方が尋ねると、みつは黙って歩き出した。土方はその後ろで彼女が出す答えを待つことにする。
みつは長い間黙り込んでいた。
彼女の葛藤を思い知る長い長い沈黙だった。どれだけ平気な顔をして取り繕っていても、本当は安定した普通の生活を送ってほしいと願うだろう。そもそも遠い都で新撰組の一員として活動することすら彼女にとっては耐え難いことなのかもしれないのに、その上兄弟子とそのような関係だと聞かされ、たった一晩で受け入れることなどできるはずはない。
口を閉ざしたみつとともに壬生を南へ歩き続け、そのうち西本願寺の大きな屋根瓦が見えてきた。彼女が滞在している宿はもうすぐだ。
「…あの子の人生なのですから、私が口出しすべきではないのでしょう」
沈黙を破ってみつの口から言葉が零れた。長い逡巡の果てに辿り着いた答えには力ない諦めとやり切れなさが含まれていた。
「おみつさん…」
「何度も申し上げますが…私には負い目があります。小さな弟を家から追い出した…そんな姉が、今更何を言えるというのでしょうか。あの子の苦労はいつも遠い場所にいた私には何もわかりません」
みつは振り返った。彼女の目尻にはうっすらと光るものがあったが振り切るように微笑んで見せた。
「総司に明日には江戸へ発つとお伝えいただけますか。…よろしくお願いします」
「…」
みつは軽く頭を下げてそのまま宿へと歩いていく。土方は「待ってください」と引き留め、懐から折りたたまれた手紙を取り出した。
「これは…」
「お返しします。中身は見ていませんが…もし、手紙の内容のなかで総司に伝えるべきことがあるのなら…」
直接伝えた方が良いと言いかけた時、俄かに西本願寺の前が騒がしくなった。
「医学方を呼べッ!」
「止血しています、あまり動かさないで!」
「オウ!」
島田の大音声のおかげで一番隊が帰還したのだとわかる。数名の隊士により戸板で運ばれていくのは隊士の一人だ。
するとそのなかにいた総司がふと土方に近づいて駆け寄ってきた。血まみれだが総司の動作に支障はないようなのですべて返り血だろう。
「土方さん、死番の隊士が一人やられました。我々の巡察の経路を知り、物陰に隠れていたようです。仲間が数人いましたが取り逃しましたが監察が追っています」
「怪我は深いのか?」
「いえ、浅手です。念のため南部先生をお呼びしていますが、出血の割には大したことはないはずです。下手人は仕留めました」
「そうか…」
「巡察の経路について再考しなければならないかもしれません」
「そうだな」
総司は事務的で淡々と状況を説明する。それは副長と組長としてのいつものやり取りではあったのだが、傍にいたみつは絶句していた。土方がふっと彼女の方へ視線を向けると、総司は姉の存在に気が付いていなかったようで
「あれ?姉さん…」
と驚いた顔をした。冷静沈着なみつもさすがに血まみれの弟にまともに言葉が紡げず、口元に手を当てて青ざめていた。
「総司…」
「姉さん、心配しなくても大丈夫だよ。怪我はしていないし、いつものことだから」
「いつもの…」
総司は平気だと伝えようとしたのだろうが、それが日常であると受け取ったみつはますます顔色を悪くする。そして「失礼します」と頭を下げてそのまま逃げるように小走りで宿に駆け込んでいってしまった。
総司は「あれ?」と首を傾げた。
「驚かせてしまったかなあ…でも姉さんがあんなに狼狽えるのを初めて見ました」
「…お前、今の自分の恰好が分かってねえな。顔も血まみれだ、女子なら怖がるに決まっている」
「そういうものですかね」
呑気な返答をする総司に内心ため息をつきながら、土方は「顔を拭け」と懐紙を差し出した。総司は素直に受け取ると頬にべったりと付いた血を落とした。
「…お前、おみつさんに言ったんだな?」
「何をですか?…ああ、土方さんのことか。駄目でしたか?」
「駄目ってわけじゃねえが…おみつさんは随分、考え込んでいたみたいだ」
周囲への気遣いを忘れないみつがあれほど長い沈黙ののちに「自分には何も言う資格はない」と結論付けたのだ。総司に真実を聞き、この一晩でどれほど悩んだのか察することができる。
けれど弟の方は
「でも、本当のことですから」
とあっさりと答えた。
「隠すこともできましたし、のらりくらり縁談を躱し続けることもできると思います。でも…もうそれで誰かを傷つけることはしたくないんです」
総司はみつが去っていった宿の方向へと目を向けていた。凛とした横顔と言葉は何の偽りもなく真っすぐで、姉にそっくりだ。
「…明日には江戸へ帰ると言っていた」
「そうなんですか…見送れるといいな」
みつは総司への罪悪感から距離があるのだという。それは幼少期に離れ離れになってしまったことで生まれた遠慮なのだろう。そしてまた総司にも血の繋がった家族というものを縁遠く感じ、気軽に接せられない部分がある。
客観的な立場にある土方には、それが『距離感』ではなく互いに互いを思いやる『優しさ』なのだとわかる。
(そういうところも含めて…姉弟だな)
「…何笑っているんですか?」
いつの間にか視線を戻した総司が首を傾げていた。
「何でもない。戻るぞ…怪我をした隊士が気になる」
「そうですね」
ふたりは屯所へと歩き始めた。




夕刻。
伊東の別宅での『勉強会』が終わると隊士たちは散り散りに屯所へ戻っていく。あまり大人数で行動すると怪しまれるため、それぞれが二、三人の組を作ってバラバラと戻るのだ。
しかし藤堂はその輪には入らずに一人で行動をしていた。伊東に心酔する門下生たちからすれば、試衛館食客であり近藤たちと距離の近い藤堂はまだ受け入れがたいところがあるのだろう。
「藤堂君」
書物をまとめていると伊東に声を掛けられた。傍にはいつものように内海が侍っている。
「先生…お疲れ様です」
「今朝は八番隊は巡察だったのだろう?そのあとに講義に参加してくれているのはありがたいが、疲れているのではないかな?」
「お気遣いありがとうございます。けれど先生のお話は興味深く時間があっという間に過ぎます」
「そう言ってくれると嬉しいな」
上品に笑う伊東の隣で内海は表情を変えずに藤堂を見ていた。
(警戒されているのだろうな…)
けれど藤堂は構わず「お伺いしたいことがあります」と切り出した。
「何かな?」
「今の西国の情勢や幕府の衰退…いまこそ尊王攘夷の志を果たすべきだというお考えは尤もだと思います。そもそも新撰組の前身である浪士組を組織した清河先生もそのような意図をもっていたと」
「清河八郎先生だね。大胆なことをするものだと驚いたよ」
「はい。あの時、新撰組…いえ、壬生浪士組は将軍警護のために都へ残りました。しかし将軍様は大坂へお戻りになり役目は果たせぬまま、そしてついには薨去されてしまった…」
「そうだ」
「最初は都の治安を維持することが大切だと、その思いで突き進んできました。池田屋も…隊士を多く募集したのもそのためです。しかし今、新撰組がどう在るべきなのかを考え込んでしまうのです」
「ほう…」
伊東が腕を組み、藤堂の話に耳を傾けた。
「今、俺は目的がない…空虚だと思ってしまうのです。戦は遠い場所で起こって、遠い場所で負けて…俺たちは宙ぶらりんのままなのに、毎日を変わらず同じように過ごしている。それで良いのでしょうか。何かすべきではないでしょうか」
「…さすが『魁先生』だ」
「そのあだ名はやめてください。自分でも不相応だと思うので」
「そんなことはない。真っすぐで素直な気持ちを隠さず吐露してくれる…なかなかできることではない」
「…」
伊東一流の過剰な誉め言葉だと思う。けれど胸に刺さらないわけではない。
(俺は…安心している)
ゆっくりと耳を傾けてくれる伊東の存在に、間違いなく安堵を覚えている。かつて山南がそうしてくれていたのと同じように。
伊東は穏やかに返答した。
「…新選組がどう在るべきか。それは私も常に考えている。けれど考えれば考えるほどドツボに嵌るかのように抜け出せなくなってしまう」
「そうです!その通りなんです、法度がある限り何も自由にはできない。こうして伊東先生とお話しすることさえも屯所では憚られてしまう…どうしようもない焦燥感に駆られます…!」
このままじゃだめだと声を荒げることが、法度が蔓延る新選組では罪になってしまう―――藤堂は自らの足に枷がついたかのような重さを感じていた。
息苦しくて、常に溺れているような。
しかし伊東はそんな藤堂を見て、未だに穏やかに微笑んだまま
「だからいっそ…壊すしかないのかもしれないね」
「…え?」
「やり直すんだよ」
と囁いた。



解説
なし
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