わらべうた




565


朝陽の昇らぬ早朝。
みつは風呂敷の紐をきつく結んだ。数枚の着替えと家族への些少の土産を包んでも大した荷物にはならず、女一人での江戸への帰路の邪魔にはならないだろう。
旅支度を整え、懐に土方から受け取った手紙を忍ばせる。
「…きっとこれで良いのです」
みつは自分に言い聞かせるようにつぶやいて、そのまま宿を出た。
名前も知らぬ東の山に朝陽の片鱗が見える。その方向へ向かって歩き始めた。


「ああ、ここにいたのか、総司」
朝餉を食べ終えた総司が屯所を出ようと草履の紐を結んでいると、近藤が急いでやってきた。
「近藤先生、どうか…?」
「おみつさんの見送りに行くのだろう?餞別に手土産をと思ってな。お前から渡してくれないか」
「これは…紅の筆ですか?」
「うん、最初は菓子の類が良いかと思ったのだが…お孝が見立ててくれたんだ。女子はこちらの方が良いとな」
渡されたのは紅や刷毛といった化粧道具だ。近藤なら絶対に思いつかないような女性らしい気の利いた土産だ。総司はありがたく受け取った。
「ありがとうございます。姉はきっと喜ぶと思います」
「うん。しかし遥々江戸からやってきたんだ、もう少しゆっくりされるのだと思っていたんだがなあ。よろしく伝えてくれ」
「俺も行く」
会話に割って入ったのは土方だった。
「土方さんも?そんな仰々しい見送り、姉は嫌がりますよ」
「あんな別れ方じゃ後味が悪いからな。近藤先生の分まで挨拶してくる」
「そうか、よろしく頼むよ」
近藤はそのまま会津・黒谷本陣に向かうようで数名の隊士を引き連れて先に屯所を出て行った。
総司は土方と、彼が雇ったという小者を連れて宿へと向かう。小者は江戸へ向かうみつに同行させるのだという。
「女子の一人旅だと何かと物騒だろう」
「…ありがとうございます。正直、それは心配していたところなので助かります」
それこそ「仰々しい」とみつは嫌がりそうだけれど、治安の悪いなか遠い都まで何事もなく来られた方が奇跡のようなものだ。誰かが同行してくれるなら総司も安心できた。
冬を予感させる空の隙間から、穏やかで優しい日差しが差し込んでいる。風だけが冷たく頬を撫で、通り過ぎていく。
久々の姉との再会と、あっという間に訪れたしばらくの別離。
総司の中に今までなかった『寂しさ』という感情が沸き立っていた。今まで手紙を数えるほどしか送っていないくらい、疎遠にしていたくせに。
そのせいだろうか、総司は自然と思い出話を切り出していた。
「…昔、一度だけ姉とかくれんぼをしました。あれは二番目の姉が嫁いだ次の日だったと思うんですけど」
「二番目の姉?」
「ええ、おキンと言います。私が物心つく前に嫁いでしまったのでほとんど記憶にありませんが…幼い子供ながら、家族が一人減って寂しかったのかもしれません。姉に構ってほしくて、かくれんぼをしようと駄々を捏ねたんです」
すでに婿養子である林太郎を迎え、第一子を産んだばかりだった姉は、その日忙しい様子だったが「仕方ない」と付き合ってくれた。
「小さな子供にしかわからないような物陰に隠れました。大人には視界に入らないような場所で息を潜めて…私のことを探し回る姉をずっと見ていた。もちろん最初は右往左往する姉が面白かったんです。そのうち出て行って『ここだよ』って…そう言うつもりだったんですけど」
総司は苦笑しながら続けた。
「…姉が必死になって私を探してくれるのが嬉しかった。二番目の姉がいなくなって、義兄と姉の間に子供が生まれて…子供ながら自分の居場所がなくなってしまったと思ったのかもしれません。でも探し回る姉を見ていると『大丈夫だ』と。自分は求められているのだとそう思えて……でも、いつの間にか寝てしまって、随分叱られました」
目が覚めたのはもう夕暮れが迫ろうかという頃。姉は林太郎と近所の住人の手を借りて大捜索する事態になってしまった。
「…手のかかる弟だな」
土方は穏やかに総司の話を聞いていた。昔のことを思い出すことすらなかった総司にはそれがなんだか今までに味わったことのないむず痒いような気持ちを抱かせる。
「手がかかるのは今でも変わらないでしょう。こんな遠くに来て、鬼なんて言われて、挙句…縁談は受けないと困らせて…」
「後悔してるのか?」
「いいえ」
総司は即答した。すると土方も「俺もだ」と頷いた。
言葉にせずともわかる、強い意志に奮い立たされる。
そうしているとみつの滞在する宿に辿り着く。しかし顔なじみである宿の女将は土方と総司の顔を見ると困惑したように「それが…」と話し出した。
「朝早くに荷物をまとめて出て行ってしまわれて…もうここにはおらへんのです」
「出て行った?」
「へえ。それに宿代は新撰組の方からいただいてるってゆうたのに、せめて半分払わせてほしいといわはって…」
無理矢理、半値の額を置いて去って行ってしまったというのだ。律儀なところはみつらしいが、見送りさえ拒むように去って行ってしまったことは気がかりだった。
「いつ、出て行きましたか?」
「へえ…一刻ほど前やったろうか…」
「ちょっと行ってきます!」
総司は宿を飛び出して走り出した。時間は経ってしまったが、女の足ならそう遠くへは行ってはいないはずだ。追い付けないわけではない…すると土方もあとを追ってやってきた。
「小者は宿に預けてきた」
「すみません、迷惑をかけて…」
「そんなことはいい。それより…やはりおみつさんはお前に何か話したいことがあるんだろう」
「縁談のことではなく、ですか?」
「たぶんな」
漠然とした答えであったが、土方は何か確信があるようだ。
二人は足早に歩きながら周囲を見渡しつつ、東へと向かう。時が経つにつれ大通りには人だかりができ、真っすぐ進むのが難しくなる。四方八方に視線を巡らし、姉の背中を探す。
(あの時とは反対だ…)
弟のかくれんぼに付き合って、探し回る姉。疲れ果てるほど歩き回り、けれど諦めることなく探し出してくれた。
姉は何のために江戸からやってきたのだろう。
縁談のことなら総司に手紙を出し、近藤に頼めば良いだけだ。それなのに小さな子供を置いてわざわざ一人でやってきて、『顔が見たかった』…とそう微笑んだ姉が一体何を隠していたのか、そんなことを考えることすらなくて。
(なんて薄情な弟なのだろう…)
自己嫌悪に駆られ、自然と歩幅が大きくなった。どうしてだろう。姉を見つけられなければ、何かを無くしてしまいそうな焦燥感が募る。
「総司、あそこ…」
「…姉さん!」
鴨川にかかる橋を渡りきった先――七條大橋のたもとにみつの姿を見つけた。声が聞こえたのだろう、みつは振り返り二人の姿を見ると足を止めた。
「総司…土方様…どうなさったのです…」
「どうって…姉さんが水臭いことをするから」
「…ごめんなさい」
総司たちを避けた自覚があったのかみつは素直に謝った。すかさず土方が「立ち話もなんですから」と近くの茶屋誘い、総司はみつの荷物をやや強引に奪い取る。みつは躊躇いながらも観念し、「わかりました」と茶屋に向かった。
人気のない茶屋だったが、一番奥の部屋に通してもらい、土方は女中に人払いを頼んだ。さらに
「俺も出ましょうか」
姉弟水入らずが良かろうと土方はみつに申し出たが、彼女は「いいえ」と首を横に振った。
「ここまで追いかけて御足労をおかけしたのです。きちんと事情は…お話します」
「そうですか…」
土方は総司の隣に腰を下ろし、みつと向き合った。三人の間に流れる重たい沈黙…いつになく冴えない表情をしていたみつだったが、一息ついて意を決したように懐から手紙を差し出した。
「…これは…」
「私が総司に宛てた手紙です。今回の上京の件と…相談したいことがあって、書き認めました」
「相談って…縁談のこと?」
「もちろんそれは気になっていたけれど…性急に事を進めるつもりはありませんでした。…相談というのは妹の、おキンのことです」
「おキン姉さん?」
意外な名前に総司は驚いた。
次女であるキンが嫁いで久しい。キンは江戸詰めの越後三根山藩家臣中野家に嫁いで以来、実家に顔を出すことはなく総司も曖昧にしか面影を覚えていない。姉も手紙のやり取りだけだという。
「…実はおキンには小さな子供が三人生まれているのですが…ご主人が病気をされ、今は生活が苦しいそうなのです。それで私のところへどうか金銭を工面してほしいとの手紙が…しかし我が家も裕福というわけではなく、それで…」
みつは視線を落としながらなんとも言いづらそうに言葉を紡ぐ。沖田家の貧困は昔からのことだが、姉はそれをあまり言葉に出すことはなかったため総司も見ていられなくなって、
「だったら私が仕送りします」
とみつを遮って申し出た。
「やっぱり姉さんは水臭いな、そういうことなら早く言ってくれればいいのに…いつも給金の使い道には困っていたし、屯所にいる限りは衣食住に困ることもないんです。だから…」
「違います。おキンに仕送りをしてほしいわけではありません」
「…だったら…?」
「あなたが今まで私に送ってくれたお金を…おキンに渡しても良いか、それが聞きたかったのです」
みつの言葉に総司は一瞬何のことがわからなくなり、思わず土方の方へ視線を向けた。彼もまた不思議そうに顔を顰めているだけで理解ができていないようだった。
「…もしかして、今まで姉さんに送っていたお金は…」
「一銭も手を付けていません」
「えぇ?!」
総司は驚きのあまり声を上げた。
上京して数年、新撰組は当時としては珍しい給金制を設けていたため、定期的に金が入ってくる。それにプラスして池田屋などの報奨金が加わっており、金に興味のない総司が姉に送っていた額は手を付けていないなら莫大な金額になるだろう。
もちろん実家の困窮を知っていたからこそ仕送りをしていたので、まさか姉が一銭も使っていないとは思いもよらなかった。
「ど、どうして…」
「…あなたの給金だからです。旦那様とご相談して、これは総司から預かっているだけだということで、ずっと貯めていたのです」
潔癖で真面目な姉らしい行動だと総司はため息をついた。自分の身に余る金には手を付けない…没落したとはいえ武家の娘として誇り高い生き方だ。
みつは続けた。
「でも…やはり良くないことだと思いなおしました。昨日、あなたが血まみれで仕事から戻ってきたでしょう?それを見て猶の事、あのお金には手を付けてはならないと…命を賭けて働いているその代償なのだと、思い知ったのです。ですから、おキンのことは私の方で何とかします。今日のお話は忘れてください」
みつが固い決意をもって総司と土方に頭を下げた。
何故、みつが別れを拒み早朝に宿を出て行ってしまったのか―――それは自分を恥じたからなのだろう。命を賭して働く弟に金の話をすることがどれだけ傲慢なことだったのかと。
頭を下げ続けるみつに総司は何も言えなくなってしまった。姉の凛とした美しい思慮深い生き方は尊敬できる…けれど、何か遠い。
(家族なのに…家族じゃないみたいだ)
「おみつさん、一つ良いでしょうか」
総司が何も言えないでいると、隣にいた土方が「この件に関して部外者ですが」と前置きして話し始めた。
「確かに…総司の給金はその働きに応じて分配されたもので、簡単に手にしたものではない。けれど、だからこそ…おみつさんに仕送りしている。それは家族として『そうしたい』と思っているからでしょう」
「…」
「あなたが言うように姉弟として距離があるかもしれない。姉として弟への罪悪感が在るかもしれない…しかし、果たして金に手を付けないでおみつさんが困窮することが、その金の正しい使い方なのでしょうか。俺には…それが総司の望みだとは思えない」
土方はちらりと総司に視線をやって(お前も何か言え)と言わんばかりに促してきた。
「…土方さんの言う通りです。私は…近藤先生のために働いて使命を全うできれば良くて、お金については興味がなくて…でもそのお金で姉さんやおキン姉さんが楽になるのなら、それが自分の望みなんです」
「総司…」
顔を上げたみつは戸惑っているように見えた。自分の志と総司の思いやりに決意を鈍らされたのだろう。総司はだからこそ、揺らぎようのない言葉を口にした。
「だって、家族だから」
どんなに遠く離れて暮らしていても、幼い日にかくれんぼをしたあの思い出が消えないように、家族であることは変わらない。たとえ互いに遠慮がちな態度しか取れなくても心の奥底では必ず繋がっている。
(不思議な感覚だな…)
総司は初めて、自分のなかにそのような感情があったことに気が付いた。決して自分が一人で生きているとは思っていなかったけれど、試衛館以外にも家族は在った。
姉は
「ありがとう」
と言った。美しい繊細でいて温かな笑みだった。
もしかしたら姉は、そう言ってほしかったのかもしれない。総司が下働きとして出て行ってから、ずっと―――。



茶屋を出ると秋なのに澄み切った青空が天を覆っていた。
姉はこのまま江戸へ戻るという。キンに一刻も早く金を渡してやらなければと口にした。そして
「あなたの仕送りは非常時に使わせてもらいます」
とやはり頑なな一言もあったが、あまりに姉らしいので「わかった」と答えた。気兼ねすることなく使ってほしいとも思ったが、いざという時に頼れる金があるというだけでみつたち一家も安心できるはずだ。
「俺は小者を呼びに行ってきます」
みつの泊まっていた宿に置いてきたのを呼びに行かなければならない。土方が申し出るとみつは「待って下さい」と引き留めた。
「姉さん、小者が江戸まで同行することはさっき納得したでしょう?」
「そのことはわかりました。仕方ないですから受け入れます。…そうではなく、土方様にお話があるのです」
「話?」
みつは土方の前に立ち、見据えると深々と頭を下げた。
「総司のことをよろしくお願いします」
「…おみつさん…」
「あなたたちのことを受け入れられるとはまだ言えませんが……どうか信じさせてください。総司の選んだ答えが正しいと。この子を幸福にするのだと…」
「姉さん…」
姉として複雑な胸中は変わらない。だが、総司の選んだことなら受け入れる―――姉の精一杯の気持ちが有難かった。
そして
「わかりました」
そう答えた土方もまた凛々しい横顔で頭を下げた。
晴れやかな青空の下、土方と姉との会話は恥ずかしい気持ちもすこしあったけれど、心が満たされていくようだった。
こんな日がいつまでもいつまでも続いていくのだ。
この時は信じていた。







解説
キンについての困窮状況等は創作です。
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